第36話 エルフとの交渉準備

 四月に入り、大人は任命式、子供には入学式がある。

 それらのイベントが終われば、領地を持つ貴族は王都から離れる。

 ウェルロッド家もそうだ。

 だが、今回はいつもとは違い、モーガンとマーガレットが王都に残る事になった。

 外務大臣に任命されたためだ。


「お爺様、お願いがあります」


 アイザックは離れ離れになる前に、最後の頼みをする。


「ん、なんだ?」


 アイザックの頼み事は子供の域を超えている。

 この間の頼み事もそうだった。

 モーガンはつい身構えてしまう。


「外務大臣がどれほど大変なのかわかりませんが、お体にお気を付けください。次に会った時、寝込んでいるような姿を見たくありませんから」

「アイザック……」


 警戒していただけに、そのギャップで感動して目が潤みそうになる。

 人を陥れる事しか頭に無ければ、早い段階で性格を矯正するために厳しく躾ける事ができる。

 だが、こうして可愛いところを時々見せるせいで“矯正してやろう”という気勢がそがれてしまう。

 デレデレとした表情でアイザックを抱きしめる。


「任せておけ。お前の孫の顔を見るまでは頑張って生きてやる!」

「いや、そこまではちょっと……」


 モーガンの「人間の限界を超える」宣言にアイザックは引き気味だ。

 だが、これから離れて暮らす事になる。

 少しくらいオーバーな事を言いたくなるのだろうと思った。




 春は新しい出会いの季節でもあり、別れの季節でもある。

 アイザックは祖父母と別れるだけではなかった。


 ティファニーとも離れる事になった。

 これはカレンが王都で子供を生んだせいだ。

 まだ生まれたばかりの赤子を長距離移動させるわけにはいかず、ある程度大きくなるまで王都で過ごす事になった。

 そのため、ティファニーもカレンのもとに残る事にしたようだ。

 ティファニーの父アンディだけが、一人でウェルロッド領に戻る。

 アイザックは貴重な友人と離れてしまう事になる。


 それと数人の秘書官達やその他大勢ともお別れだ。

 彼らも外務大臣となるモーガンの補佐をするために王都に残る。

 実質的な職務は外務官僚がいるとはいえ、モーガンの行動パターンを把握している者がいた方が良いためだ。

 その中にはベンジャミンもいる。

 学院を卒業した息子のノーマンと肩を並べて働く機会もあったが、彼はモーガンの傍で働く事を選んだ。

 強い忠誠心を持つ部下に恵まれたモーガンは幸せ者である。


 そして、新しい出会い。

 こちらはあまり好ましいものではない。

 モーガンが引き抜く形で複数人の秘書官がいなくなる。

 その穴埋めとして重要な役職の者を昇進させて、ランドルフの秘書官とした。

 ここまでは問題はない。

 新旧の秘書官が世代交代として、一度に数人が代わるというだけだ。


 だが、最大の問題は昇進した者達の後釜にあった。

 中立的な立場の者もいるが、ネイサン派の者達が空いた席に座る事になったのだ。

 これにより、ウェルロッド侯爵家の財務関係の重要なポストがネイサン派で埋められる事になった。

 とはいえ、彼らも腐ってもウェルロッド侯爵家傘下の貴族。

「ネイサンが後継ぎになった方が不要な家督争いが起きなくていい」と考えている者が多く、メリンダやウィルメンテ侯爵家にウェルロッド侯爵家を自由にさせようとは思っていない。

 その点だけは、まだマシといえる。




「お爺様、また冬に会いましょう」


 アイザックもモーガンを抱き締め返す。

 最大の庇護者であるモーガンと離れて暮らすようになるのは不安だ。

 だが、純粋に祖父と別れるのが寂しいという気持ちもあった。


 ――そばにいて当たり前の者と離れ離れになる。


 そう思うと、涙腺が緩みそうだった。


「何を言っておる。まだしばらくは一緒だぞ」 

「へ?」


 思いがけない言葉に、アイザックは間の抜けた声で返事をしてしまう。


「外務大臣になったからな。最初の仕事はエルフとの国交正常化だ。お前と一緒にウェルロッドに戻り、一緒にエルフ達と会いに行く事になっている」


 言われてみれば、それもそうだと納得がいく。

 異種族との交渉など、地方領主だけに任せるはずがない。

 ちょうどモーガンがエルフと国境を接する領地の主であり、外務大臣でもある。

 正式に国の代表者として交渉を任されるのも当然の流れである。


「じゃ、じゃあ……。今までの話は……」


 ――無駄だったのか。


 そう言いそうになったが、アイザックが口にする前にモーガンが頭を撫でて喋らせなかった。


「お前の気持ちは嬉しかった。マーガレットは王都に残るから、同じ事を言ってきてあげなさい」


 モーガンは仕事で出掛けるが、マーガレットは王都で屋敷の中を取り仕切るからだ。

「仕事で自領に向かうから家族も一緒に連れていく」などという事は公私混同甚だしい。

 それにマーガレットにも仕事がある。

 王都で働く貴族達の女房達との交流だ。

 普段からの交流を持ち、横の繋がりを強化しておくも必要だ。

 モーガンがいないからといって、何もしないわけにはいかない。

 女には女の戦場があるのだ。


「わかりました。ですが、そういう事はもっと早く言ってください」


 まだ別れないと知ったアイザックが抗議する。

 今生の別れではないにしても、それなりに感情は籠っていた。

 また同じように別れの挨拶をすると思えば、恥ずかしくなってしまう。


「すまん、すまん。つい忘れてしまっていてな」


 そうは笑って誤魔化すが、モーガンはわざと言わなかった。

 彼も家族と離れて暮らす事に一抹の寂しさを感じていた。

 その寂しさを誤魔化すために「みんながウェルロッドに帰る時に、実は自分も一緒に帰ると言って驚かせてやろう」と考えていたのだ。

 お陰でアイザックの珍しい姿が見る事ができた。

 頬を膨らませて怒るアイザックに対し、モーガンは満足気な笑みを浮かべていた。



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 二週間ほどかけてウェルロッドに戻り、そこから四日かけてティリーヒルに向かう。

 アイザックとモーガンだけではなく、今後交渉する事が増えるであろうランドルフも一緒だ。


「アイザック、あれはなんだ?」


 そのランドルフが、オルグレン男爵の屋敷の庭に並べられた品々を見て質問する。

 視線の先には馬車を改造した移動販売車があり、食料品、金物、装飾品が並べられている。


「あれはエルフに売る商品です。今回は森の近くではなく、街での会談になります。ですので、2万リードを足代として支払うつもりです。働いた際に貰える日給で、どの程度の物が買えるかを実体験してもらいます」

「へー」


 ランドルフはわかったような、わからないような複雑な気分だ。

 かつてアイザックに「自分で金を稼いだこともないのに」と叱りつけたが、彼自身働いて稼いだ事が無い。

 だから「働いた成果でどの程度の物が買えるか」と言われても、いまいちピンと来ない。

「欲しい物があれば、買えばいいのに」というのが彼の常識だった。

 それが侯爵家の跡取りとして普通の事。

 限られた予算での買い物という経験が無いので仕方の無い事である。


 今まで買い物といえば商人を呼び出して持ってこさせるものだと思っていた。

 ランドルフは興味深そうに商品を見ていく。

 その中の一つを見て驚愕する。


「こ、これは……。ダメだ、ダメだ。拷問器具など売ってはならん!」


 ランドルフはグレイ商会の品物を一つ手に取ると、下げるようにと命じる。


「お父様、それは調理器具です!」


 アイザックがそれを止める。

 ランドルフが手に持っているのは「泡立て器」だ。

 アイザックが近づいて来たのを見て、慌てて体で隠す。


「アイザック、こういうものを見てはいけない。まだ子供なんだから」


 どうやら拷問器具の「苦悩の梨」と勘違いしているようだ。

 幼いアイザックの視界に入らないように気を付けているらしい。


「いえいえ、子供が見てはいけないような物は持ってこさせていません。それは泡立て器です。小麦粉を混ぜたり、ホイップクリームを作ったりする道具ですよ」

「何だと?」


 ランドルフは泡立て器を一度ゆっくりと見直す。

 言われてみれば、確かに特殊な動作をするような機能は無さそうだ。

 形が似ているだけの何かの器具のように見える。

 勘違いしてしまった事を恥じ、元々あった場所に戻す。


「……アイザック、お前はなんでこの道具の事を知っているんだ?」


 ランドルフは気恥ずかしさを誤魔化すために質問する。

 その質問はかなりピンポイントで嫌なところを突いていた。


(居酒屋で働いている時に知った。とは言えないよな……。そうだ!)


「アレクシスに聞いたんですよ」

「そうか、なるほどな」


 アイザックはかつてお菓子に注文を付けた。

 それに、王都で店を作る為に新商品なども試しに作らせている。

 その時に知ったのだろうと、ランドルフは納得した。

 最もそれっぽい答えだったからだ。


「こうして様々な物を見ると、自分が物を知らないと思い知らされるな……」


 ランドルフは溜息を吐く。

 まさか自分が、調理器具を拷問器具と間違える事になるとは思いもしなかった。

 他にもどう使うのかわからない器具が多くある。

 物事を知らない未熟者だと、まるでそれらの器具に笑われているようだ。


 ショックを受けている父の手をアイザックが手に取る。


「その代わり、お父様は商人や料理人が知らない事をたくさん知っています。知らない事があっても、それは恥ではありません。一人の人間が一生のうちに知る事など限られます。わからなければ、知っている者に聞けばいいだけですよ」

「それもそうだな。……それにしても、包丁だけでも色々あるんだな」


 ランドルフはアイザックの言葉に納得し、ウィンドウショッピングを続けた。

 欲しくはないが、物珍しさが目を楽しませてくれる。

 調理用品だけではなく、獲物の解体用ナイフなど森で暮らすエルフに需要のありそうな物も揃えている。

 色々と見て行く内に、レイドカラー商会のところで気付いた事があった。


「なんだ、この安物は?」


 平民の富裕層向けくらいの物もあるが、明らかに安い物が多く並べられている。

「これをエルフに売るとは正気か?」と疑問を抱いた。

 そのせいで、やや問い詰めるような口調になってしまう。


「お父様。それは一つ1,000リードくらいの格安で売るお試し品です。他のちょっと良い品は5万リードから20万リードしますので見比べるための物です」

「ふーむ……」


 少しランドルフは考え込む。


「こうして色々と並べているのは、エルフが出稼ぎをどうするか悩んでいるかもしれないから、実際に買い物をさせて背中を後押しする。という目的のためか?」


 実際はお試しで安物を買わせるのに、少し高めの品を持ってきて並べている。

 その狙いは物欲を刺激するためだと、ランドルフは答えを導きだした。


 ――もっと色んな物が欲しい。


 そう思っても、物々交換では限度がある。

 きっと、金を稼ぐために積極的に街道整備の仕事をこなしてくれるだろう。


「はい、そうです。例えば、王都付近の街道整備をし始めたらきっとみんな良い意味で驚きます。外務大臣になったお爺様のためにも、エルフの皆さんにやる気になってもらいたいので」


 ――モーガンのため。


 そう言えば聞こえは良いが、ランドルフにはモヤモヤとした思いを抱いた。

 人の欲望を刺激して、上手く利用するようなやり方には無条件で賛同できない。

 今回はエルフ側にも利益があるので止めはしないが、あまりこういう方法を使ってほしくない。


「アイザック、こういう方法はあまり使わないようにな」


(アイザックは賢い子だ。注意しておけばきっとわかってくれる)


 そう思い、軽くだが注意をしておく。

 察してくれると思って黙っていては真意が伝わらない。

 軽くでも口にして注意しておくのだが大事だと思ったのだ。


「はい、もちろんです。ここぞという時に使わないと効果が無くなってしまいますからね」


(……まったくわかっていない)


 思わずランドルフは天を仰ぐ。

 アイザックはわかっていたが、それは効果的な使い道に関してだ。

 人としての倫理という方面での理解ではない。


(教師の人選を間違ったかな。やはり、学者と教育者は違うんだろうか……)


 ランドルフも、最後はモーガンと同じく「教師の効果が無かった」という答えに行きついてしまった。

 やはり、アイザックと接していると、そのように思ってしまうのだろう。

 しかし、アイザックが歪んでしまったのは彼の責任でもある。


 両親であるモーガンとマーガレットは夫婦仲が良かった。

 そして、他人を思いやれる大人になれたと思っている。

 自分とルシアも夫婦仲が良い。

 だからきっと、アイザックも他人を思いやれる大人になれるのだと思っていた。


 だが、決定的な違いがあった。

 メリンダとネイサンの存在だ。

 彼女らがいなければ、アイザックも大きくなるまでは優しい子として育った事だろう。

 しかし、家督相続という目の前に差し迫った問題に対応するため、アイザック本人も知らぬうちにブレーキをかける人として大切な物をどこかに無くしてしまっていた。


 アイザックが前世の記憶を持ち合わせているという事に気付く必要はない。

 ランドルフは境遇の違いに気付いてやるべきだったのだ。

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