第25話 母と祖母の反対
アイザックは活動資金が欲しい。
では、どこから集めるか?
「胡麻の油と百姓は絞れば絞るほど出るもの」という言葉がある。
ならば、農民からか?
だが、そのような事は切羽詰まった状態でなければするつもりはない。
経済理論はわからないが「国家を支える平民が豊かであればこそ、国も富む」とアイザックは考えている。
無理な徴税などで、平民を消耗させるつもりは無かった。
では、貴族から金を集めるのか?
これも無理だ。
不必要な反感は将来に不和の種を残す。
貴族の代わりに平民を育てるにしても、知識だけを教えれば国家運営に携われるというものでもないだろう。
国の統治に知識階級は必要だ。
自主的な献金ならばともかく、貴族からは強引な徴収はできない。
そうなると、相手は自然と限られてくる。
アイザックが選んだのは商人だ。
それも、ウェルロッド領の各分野で二番手の商会に目を付けた。
ブラーク商会はウェルロッド領内のほとんどの街で、領主や代官かの仕事を一手に引き受ける最大手。
公共事業の大半を引き受けているようなものだ。
そんな状態でも、ほぼ民間相手の商売だけで二番手につけている商会は実力と根気があると思われる。
アイザックは彼らの目の前にエサをぶら下げるつもりだった。
――未来のお抱え商人の座というエサを。
だが、今はまだ伝えていない。
エサに食らいつくのではなく、アイザックの書状を見て興味を持った者だけが来ればいい。
選別はすでに始まっているのだ。
「お抱え商人になれそうだから参加した」という欲丸出しの商会はいらない。
自分に誠意を見せた者にのみ、こちらも誠意を見せるつもりだった。
とりあえず、いくつかの商会が参加の返事をしているので、ティリーヒルに誰も来なかったという寂しい結果にはならないだろう。
ここまではアイザックが「こうなるだろう」と予想した範囲内で全ての物事が進んでいる。
そう、全てが予想通りに――
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「そんなのダメ、絶対にダメ!」
「ルシアの言う通りです。まだ五歳なんですよ!」
ルシアとマーガレットが怒り、ランドルフとモーガンを叱りつけている。
(やっぱりこうなったか)
アイザックの
これにはランドルフとモーガンも、腰が引けている。
そして、母と祖母の間に座らされているアイザックも小さくなっていた。
怒らせた原因は自分にあるからだ。
「アイザックもアイザックよ。なんでそんな事を言い出したの! お小遣いなら十分もらってるでしょう!」
「いや、それは……」
アイザックは口ごもる。
馬鹿正直に「親父を守ろうとして」と言えば、ランドルフの面子は完全に潰れてしまう。
しかし、咄嗟に適当な言い訳が思いつかない。
どう答えようか迷っているアイザックを見て、ランドルフが助け舟を出した。
「私のためだよ」
「あなたの?」
「父上! 何を――」
驚いて見るアイザック達の視線を受け止め、言葉を続ける。
「そうだ、私のためだ。王都でのブラーク商会の件を見て、アイザックは心配になったらしい。そして自分の言葉を私に信じてもらえるよう、実績を作るために今回の件を持ち出したんだ」
自分の未熟さを語るのは辛い。
しかも、幼い息子にフォローされるというのは屈辱の極みである。
だが、それ以上にこの状況で黙っている方が辛かった。
彼にも親としてのプライドがある。
アイザックを助けられるところは、ちゃんと助けてやりたかった。
「そんな……」
否定しようとしたが、アイザックなら言い出すかもしれない。
そう思うと、言葉が続かなかった。
代わりにマーガレットが否定した。
「嘘です。こんな小さい子がそんな事を言い出すはずない。あなた達がそう言い出すように仕向けたんじゃないのですか?」
ランドルフが真実を告白しようが、彼女の勢いは止まらない。
思わず、アイザックの肩に手を乗せてギュッと強く握る。
少し痛いくらいだが、力の強さは思いの強さ。
その手を振り払う事はせず、アイザックは祖母の手に自分の手を重ね合わせる。
「本当の事です。お婆様」
アイザックは答えながら、マーガレットを見上げる。
――子供奥義・涙目での上目遣い。
子供であるという事を最大限に生かした技。
これにはマーガレットはアイザックの肩に置いていた手が緩む。
「お父様は優しい方です。ブラーク商会は、そんなお父様の優しさにつけこんで食い物にしようとしました。絶対に許せません!」
アイザックが説明すると、マーガレットはモーガンの方を向く。
「なら、あなたがブラーク商会に制裁を加えればいいではありませんか。当主なんですから」
真っ向から正論をぶつける。
しかし、正論であってもできない事もある。
「ランドルフが謝罪を受け取った時点で、表向きは終わった事だ。それを蒸し返してどうこうというのはできん。それに、ランドルフは何かの手違いだと信じている。私も一度の事でお抱え商人に制裁を加えるような事はしたくない。だから、アイザックに任せるのも悪くないと思っている」
貴族には面子というものがある。
ランドルフが取引の場でアイザックに言ったように、ウェルロッド侯爵家が1億リードの損失で大騒ぎすれば鼎の軽重を問われてしまう。
ただ、侯爵家は金持ちだといっても資産は動産・不動産が多い。
「現金」でという括りで考えれば、1億リードの損失は少しばかり痛い。
だが、面子を捨てて、なりふり構わず報復するレベルではなかった。
今後のブラーク商会の様子を見て、それから対応しようというのがモーガンの方針だ。
「アイザックに任せるのも悪くないと思っている、じゃないでしょう? そういうのはあと十年してから言いなさい!」
マーガレットとて侯爵家の妻。
感情的になっているようで、的確に痛いところを突いてくる。
モーガンは気圧されながらも、説明を始める。
「いやいや、幼いから良いんだ。我々に面子があるように、商人にも面子がある。だから、子供にしてやられたなどと、後々文句を付けてくる事もできん。それに、本人にやる気もあるしな」
「ですから――」
「お婆様」
マーガレットが否定しようとしたところで、アイザックが止める。
「これはお父様のためだけじゃないんです」
「……どういう事か説明しなさい」
「はい」
アイザックは神妙な面持ちになり、口を開いた。
「僕が実績を残す事で、後継者争いは兄上一色ではなくなるでしょう。そうすれば、お母様も寂しい思いをしなくて済むかもしれません」
今はネイサンが次々代の当主として有力視されている。
なので、貴族たちはメリンダのご機嫌伺いを行い、ルシアにはおざなりな対応をしている。
「アイザックが後継者になる方が良いかも?」と思わせられる実績を残せば、ルシアに擦り寄ってくる者も出てくるだろう。
カレン達、数少ない友人が来ない日を一人で過ごさなくても済む。
――子供奥義・涙目での上目遣い。feat.母を思う純粋な気持ち。
このコラボの前に、マーガレットの勢いが大きく削がれる。
(よし、これでいける)
アイザックはそう確信する。
「そんな事しなくていいわ!」
ルシアがアイザックを抱きしめる。
彼女はまだ納得していない。
「後継者なんていいじゃない。権力に擦り寄ってくる人なんていなくてもいいじゃない。家族で静かに過ごしていられたら、それでいいじゃないの……」
ルシアは、そう言って泣き始める。
彼女はランドルフとアイザックと共に暮らせれば良かった。
わざわざ、静かな水面に石を投げるような真似をしなくてもいい。
後継者争いを激化させるような事をしなくてもいい。
そう思っている。
嫌がらせ程度で済んでいる今のままを望んでいた。
だが、アイザックは現状維持を望んでいない。
これを機会に物事を進めていきたいと考えている。
ルシアには申し訳ないとは思っているが、前へ進む事を止めるわけにはいかなかった。
「お母様、ごめんなさい。ですが、子供はいつか親の手を離れるものです」
「早すぎるのよ!」
(うん。まったくもってごもっともな意見だ)
シンプルな意見をストレートに言われてしまっては言い返しにくい。
一瞬返答に困るが、すぐに気を取り直す。
「別に今生の別れというわけでもありません。それに、今年と来年で合わせて十回だけです。笑顔で行かせてください」
アイザックは母の目を見つめながら言った。
今言ったように、アイザックが考えている鉄鉱石の入札は十回。
それも、ウェルロッド領に居る間だけで、王都に行っている間は行わないというものだった。
それでも、ルシアは納得のいかない顔をしていた。
ルシアの心痛は、一人で遠出をする子供に対して相応のものだ。
決して過保護というわけではなかった。
全て、心と体のバランスが取れていないアイザックの存在が悪い。
「でも、でも……」
涙を流すルシアに、アイザックは援護を求めてモーガンを見る。
「私は許可を出しただけだ。本当に行くかどうかはアイザックの意思に任せてある」
「えっ」
あっさりと救いの視線を受け流され、驚きの声が漏れる。
次はランドルフに視線を向けた。
「アイザックの好きにさせてやりたいとも思うが、家族の団欒は大切だ。非常に難しい問題だな。うん、難しい」
「ちょっと」
ランドルフもルシアに「行かせてあげろ」とは言わなかった。
明言を回避し、視線を逸らす。
二人とも、全てはアイザックが決めろと言わんばかりだ。
(クソッ、説得方法がマズかったか!)
――叶えられる望みなら叶えてやる。
最終的に、その言葉を盾にしてティリーヒル行きを約束させたようなものだ。
やや強引な方法を取ったので、許可は出してくれたが積極的には味方してくれない。
こんな場面で説得方法に問題があった場合、どんな結果が返ってくるのかを思い知らされるとは、アイザックも想定外の事だった。
(つまり、貴族を味方にする場合は、ガッチリ心を掴まないと頼りにならないって事か。……いや、こんな事考えている場合じゃねぇ)
アイザックは気を取り直して、もう一度ルシアの方を向く。
「お母様、僕が人間として大きくなるチャンスだと思って行かせてください。護衛も居ます。お母様と離れるのは寂しいですが、その他の心配はありません」
「アイザック……」
アイザックは年齢以上に賢い子だ。
だから、行かせてやりたい。
けれども、母親として心配である気持ちの方が強い。
アイザックを抱きしめる腕は緩む事は無かった。
そんな状況を打破する強力な援護射撃が思わぬところから飛んできた。
「ルシア、行かせてあげましょう」
「お義母様!」
マーガレットだ。
彼女は考え直し、行かせてやってもいいと思っていた。
「
「後継者争い」だとか「ブラーク商会にお灸を据える」という不穏な点は、マーガレットもかなり気になっている。
だが、それ以上に「両親のために動きたい」という点に注目した。
ジュードのような人物になる前に、アイザックの情愛を無下にせず、機会を与えてそのまま育ててやろうと思っていた。
子供だからと、やろうとする事を否定し続けて歪んだ大人にはなってほしくなかった。
ルシアは返事をしない。
ただ、アイザックをギュッと強く抱きしめ、首を縦に振るだけだ。
――アイザックの外出を納得していないが、許可は出す。
彼女なりの精一杯の意地の張り方だった。
マーガレットは優しい目をして、苦しい決断を下したルシアを見る。
そして、厳しい目をして、曖昧な事を口走ったモーガン達を見た。
「あなた達! アイザックに許可を出したのなら、最後まで応援してあげなさい! なんですか、さっきの責任逃れは!」
「いや、あれはだな……」
「違うんです。そういうつもりでは……」
モーガンもランドルフも、マーガレットの気迫に押される。
(もしかして、婆さんが一番男らしいんじゃ……)
祖母の意外な一面を見て、アイザックは驚いた。
(これで失敗したら……。面目ないってレベルじゃねぇな)
家族に心配をかけ、母を泣かせてしまった。
アイザックは大きなプレッシャーを今になって感じ始めた。
だが、そのプレッシャーも責任ある行動を許された事により、どこか心地良いとすら感じていた。
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