2-10.ずっとそうやって生きていくの?

――それについては、心当たりがある。


「えっ」

 まさかそう聞かされるとは思わず、スーリはめんくらった。思わずジェイデンをじっと見つめる。王子の顔は、ふだんは見ないけわしさだった。スーリの知らないなにかを知っている顔だと思った。あるいは、彼女が知りたくないなにかを。


「悪いがこの件は、すぐにきみに話してあげることはできない。さきにフィリップ伯に報告しなければ」

 ジェイデンはきびしい顔のまま、そう続けた。「そのあとで説明するよ。すまないけど、先に家に帰っていてくれないか。兵士の一人に送らせる」


 けっきょく、スーリはなにがなんだかわからないまま、城を出ることになった。


   ♢♦♢


 ジェイデンが説明しにやってきたのは、それから数日後のことだった。淡々と落ち着いているのも、どこかよそよそしい様子もふだんの彼とはちがい、スーリは不安な気持ちになる。今日のジェイデンはまるで、知らない男のように見えた。肖像画のなかの彼や、兵たちの稽古を指導している彼のように。


「……クルムは仕事を辞めて、しばらく静養するそうだ」

 礼を言って茶をひと口すすってから、ジェイデンはそう切り出した。「結論を短く言うと、失せものは家令のしわざだった」


「家令が?」

 キャビネットの鍵を持っているのは家令とクルムだけだという彼の言葉を、スーリは思い返す。たしかに、それなら可能だろう。


「別の使用人も関与しているが、すべて家令に命令されたのでまちがいない」

「……でも、どうしてそんなことを?」

 スーリはなにがなんだかまだわからず、彼の前の椅子に座った。「クルムへのいやがらせなの?」

 たしか、家令は新しく来たばかりだとか言っていた。古くからあるじに仕えるクルムに嫉妬したのだろうか? そう尋ねるが、王子はあいまいに首を振った。


「……失せものはクルムへのいやがらせではあるが、理由はすこしちがう」

 カップをもったまま、わずかに考える様子になる。言葉を選んでいるのだ。「その……きみにこういうことを説明して、理解してもらえるかわからないんだが、こういう手口は、たまにあるんだよ」


「こういう手口? なんの?」

「使用人を辞めさせる方法」


 そして、説明してくれた。

「ある人物を辞めさせたいが、『おまえは首だ』とはいえない状況があるとする。そういう場合に、相手を精神的に追いつめるために、気づくか気づかれないかほどの小さないやがらせをくり返す。そういう方法だ」


「ものを隠すいやがらせ?」

 スーリはくり返した。「でも……指輪は出てきたわ。クルムを辞めさせたいのなら、指輪は紛失したままにしておけばいいじゃない。そうすれば、フィリップ伯は彼を解雇したでしょう。家令は、わざわざ指輪を隠して、またもとに戻したの?」


「そうだ」

 ジェイデンはうなずいた。「そういう方法なんだ。相手に罪を着せて辞めさせたいわけじゃない。それだと、逆に自分がやったことがばれるリスクもあるからね。精神的に追いこまれて、自分から『辞めます』と言わせるのが目的なんだ」


「そんな……」

 説明されて、すぐに理解できる話ではない。「そんなことってあるの?」


「ああ。おれが気づいたのも、前におなじような方法で使用人を辞めさせた話を聞いたからだ。宮廷のなかには、簡単に相手を辞めさせられないような家同士のしがらみもあるからね」

 そういって、彼女を見つめる。「きみには、あまり聞かせたい話じゃなかった」


 スーリはカップを手にしたまま眉をひそめる。

「理解できないわ。理由をつたえてふつうに辞めさせることもできないの?」

「クルムの父は長くフィリップ伯に仕えていたし、土地の有力者だからね。ことを荒立てずに辞めさせたかったんだろう。陰湿だけど、効果的な手口だ」


「クルムはそのことを……」

「おれからつたえたよ。きみを辞めさせるためのいやがらせだったとね。家令のことは、伏せないといけなかった」

 ジェイデンは持ったきり口をつけていないカップを、テーブルに置いた。「失せものの理由がわかって、ほっとしたようだ。緊張が一気にゆるんだせいで、しばらく仕事にならないだろうから辞めると。きみにも礼をつたえてほしいと言われたよ」

 フィリップ伯じきじきの推薦状に、満額の年金が出るそうだ、とも説明した。クルムの経歴なら、べつの家で家令のポジションについてもおかしくない。本人は不服を訴えず、円満な解決だ、と。


 スーリはあの視線のことを思いだした。かすかに、しかし逃れようのない悪意のまなざし。あれはクルムを追いつめようともくろむ人間のものだったのだ。 


「理解できないわ。これが円満な解決だなんて思えない」

 彼女はくり返した。「……家令は罰せられないの?」


 ジェイデンは首をふる。「家令が古参の使用人の何人かに声をかけてやめさせていることは、フィリップも承知していた。使用人の長が変われば人事も変わる。卑怯なやり口とはいえ、法に触れるわけじゃない」


 スーリは衝撃のあまり、しばらくは言葉も出なかった。


 さすがに今日は、お得意の軽口も出ないらしく、ジェイデンは説明を終えると立ち上がった。「こんな話を聞かせてごめん。……また日をあらためて来るよ」


 扉の前まで来ると、スーリはぽつりと言った。


「あなたたちは魔女をおそれるけど、わたしからしたら……人間がいちばんおそろしいわ」

 本心からの言葉だった。ジェイデンは彼女を見下ろして、笑みに似た形に唇をゆがめた。

「だけど、きみだって人間だ」

 そう言うと、扉の横にかけてあるスーリのケープを取った。自分の身体を抱くようにしている彼女にケープを巻きつける。革の手袋ごしにも、彼の手の温かさがつたわってくるようだ。知らないうちにずいぶん冷えていたことに、そのしぐさで気がついた。けれど、続く言葉はいっそうスーリの心を冷やした。

「これからも人を避けて、ずっと山のなかで生活していくの? 一羽のガチョウだけを友人にして?」


「人間の悪意のなかで生活するより、ずっといいわ」

「そして、その悪意からだれがきみを守る? 山のなかにいてさえ、逃れることはできないというのに」

「わたしは……」

 スーリはすこしだけ言いよどんだ。「自分のことは、自分の力で守れるわ。それは、ほんとうよ」

「かわいいスーリ」

 ジェイデンは乾いた声で言った。「友情から忠告するよ。そんなことは言わないほうがいい……だれにも。おれにもだ。ここに金庫があると言うようなものだから」

「……あなたは盗人なの? ペストリーのように、わたしからも盗むつもり?」

「もっと非道なものにもなれる、その必要があるときには」

 男の声は熱をまし、スーリの耳を打った。「だから、ほんとうに……」


 それが、この日ふたりが交わした最後の会話だった。……ジェイデンが出ていくと、秋風がスーリの肩を冷やした。




【第二話 終わり】


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