79話 真琴、千冬に相談する



 薮原やぶはら 貴樹たかきの家で、お泊まり会があった、翌日。


 土曜日の夜。

 真琴は、とある人物との待ち合わせをしていた。


「……お待たせ、マコちゃん」

千冬ちふゆねえ……」


 最寄り駅の改札で待っていると、眼鏡をかけた、スーツ姿の女性が現れる。


 桔梗ヶ原ききょうがはら 千冬ちふゆ


 薮原やぶはらの叔母である。


「ごめん、急に話があるっていって……」


「……いいのよ。さ、いきましょ」


 ほえ、と真琴が首をかしげる。


「どこに?」

「……ご飯まだでしょう?」


「う、うん」

「……食べながら話した方が間が持つでしょう。ほら、いくわよ。なにがいい?」


 千冬ちふゆのあとに真琴がついていく。

 近くのチェーンの焼き肉に行くことにした。

 個室に通されて、真琴たちはテーブルの前につく。


「……好きなの頼みなさい」

千冬ちふゆねえは?」


「……私も食べるけど、マコちゃんが食べて」

「う、うん……」


 タッチパネルで注文すると肉が運ばれてくる。


 千冬ちふゆがトングを取ると、ささっと肉を焼いて、真琴の皿の上にのっけていく。

 しばし二人は肉を焼いて食べる作業に集中する。

 

 確かに、間が持つな……と真琴はぼんやり思った。


 ひとしきり食べて、ほっ……とひと息つく。

「……少しは元気出た?」


 千冬ちふゆに指摘されて、はっ、と気づく。


 他人から心配されるような顔色をしていたのだと、改めて気づかされた。


「うん……おなかいっぱいになったら、ちょっとだけ」


「……そう。深刻な悩みなのね」


 真琴が目をむく。


「な、なんでわかるの……?」

「……いつも元気なあなたが、そんな辛そうな顔してるんですもの。たっくん関連かしらね?」


「う、うん……」


 ゴールデンウィークの時にも相談してことがあった。


 あのときは電話越しだった。


 千冬ちふゆは目の前にいる真琴のことを、よく見ている。


 やはり対面で相談した方がいい。


「……何かあったのね。話してご覧なさい」

「うん、実は……」


 真琴は千冬ちふゆに、昨日合ったことを素直に話した。


 実は自分の親友が、薮原やぶはらのことを好きだったこと。


 薮原は真琴を選んだこと。

 そのことで親友を傷つけてしまったこと。


「朝起きたら、いっちゃんいなくて……少し考えるって……。でも……部活にも出てきてないし……」


 真琴は胸を押さえる。


 親友を傷つけてしまった事実が、真琴をせめる。


「いっちゃんも好きだし……お兄さんは、大好きだし、愛してるし……でも、いっちゃんも……もうぼく、頭の中ぐちゃぐちゃで……」


 部活中もぼんやりしてて、何度も監督に怒られてしまった。


 薮原に相談できるような内容ではない。


「ぼく……どうしたらいいかわからなくって……」


「……それで、私のところに来たのね」


「うん……ごめんねぇ、千冬ちふゆねえ……」


 知らず涙がこぼれ落ちていた。

 千冬ちふゆはポケットからハンカチを取り出して、真琴に渡す。


「どうすればいいかなぁ……ぼく……」


 千冬ちふゆはジッと真琴を見つめる。


 ふぅ、と小さくと息をついた。


「……結論から言うわね」


 千冬ちふゆは真剣な表情で、こういう。

「……気にしないことね」

「気にしないって……?」


「……その親友のことは、ほっときなさい」


「なっ!? なんだよそれ! できるわけないじゃん!」


 がたんっ! と真琴が立つ。


「……声が大きいわ。他の客に迷惑よ」


 真琴は不承不承といったかんじで座る。


 だがまだ納得がいかない。


 その不満が顔にもろに出てるのか、千冬ちふゆは溜息をついて続ける。


「……言葉が少し悪かったわね。ほっときなさいっていうのは、あくまでも、あなたがたっくんを優先させたのなら、もうどうしようもないってことよ」


「でも……」


「……マコちゃん、あなたはたっくんのことが好きなのでしょ?」


「うん。大好き」


 千冬ちふゆはちら、と真琴の左手を見やる。


 左手におさまっているリング。

 それは、薮原に頼まれて、買うのを千冬ちふゆが選んだ。


「……たっくんもあなたのこと愛してる。その証拠にリングを渡した。だから、親友からの告白をきっぱり断った」


 それはつまり、と千冬ちふゆが続ける。


「……たっくんは選んだのよ。マコちゃんは選ばれて、親友ちゃんは選ばれなかった。それだけ。それ以上のことはない」


「でも……でも、選ばれなかったのは、ぼくの大事な友達なんだよ?」


 千冬ちふゆが小さくうなずく。


「……わかるわ。自分が選ばれたことで、選ばれなかった親友に申し訳ない。その気持ちは理解できる」


「なら!」


「……でも、じゃああなたは、たっくんの隣の席を譲るの? なんで? 親友ちゃんに、同情してるから? 可哀想だから?」


 ……同情。

 よくわからない。真琴は言葉に詰まる。


 だがつまるということは、憐憫の情を抱いたのだろう。


「……マコちゃん。それは選ばれなかった親友ちゃんにも、選んでくれたたっくんにも、あまりにも、失礼よ」


「失礼って……そんな……」


 千冬ちふゆは小さく、本当に小さく溜息をつく。


「……人は皆、そのときどきに、最良と思った選択をする。たっくんはあなたが大事だと思ったから、選択した。それはつまり、選ばれなかった親友ちゃんとの未来を捨てた、ってこと以上に……あなたとの未来を尊重した結果ってこと。悩んだ末に、ね」


 千冬ちふゆは食後のコーヒーを一口すする。


「……あなたがその選択を拒むのは、勝手よ。でもそれはたっくんの選択をないがしろにすること。選んでくれた人、選ばれなかった人に対する冒涜にも等しいわ」


「……別に、そんなつもり、ないよ」


 薮原も五和のことも、どちらも大好きなのだ。


 どちらも尊重したいのだ。


「……どちらも、という気持ちは凄く理解できる。でも椅子は一つしか無いの。愛されるってことは、その椅子に座りたがっている人を蹴散らしていくこと。この先もずっと、その繰り返し」


 千冬ちふゆがぎゅっ、と唇をかみしめる。


 だが、上を向いて、真琴に語りかける。


「……あなたは選ばれた。人生のパートナーに。ならば今後も幸せであり続けて。選ばれなかった子たちの分も含めて。それが、選ばれしものの義務なの」


 理屈はわかった。

 でも、感情がついてこない。


 千冬ちふゆは真琴に優しく言う。


「……たっくんに選ばれて、嫌だった?」


「ううん……うれしかった……」


「……親友ちゃんより自分を選んでくれたことが、嫌だった?」


「……ううん」


「なら……答えはもう出てるじゃない」


 千冬ちふゆは真琴の頭を優しくなでる。

「……あなたは気にせず、たっくんと幸せになれば良いの。あなたの心がそれを望んでいる。その望みのままに生きなさい。たとえそれが、選ばれなかった人たちの、屍の上に築かれた道だとしても」


 千冬ちふゆは席に戻る。


 真琴は……まだ一抹の不安があった。


「でも……親友を傷つけて、もういっちゃんと……仲良く出来なくなるかもいしれないよね?」


「……当たり前じゃない」


「それは……嫌だな……」


 ふぅ、と千冬ちふゆが吐息をつく。


「……その程度で切れるような関係なら、はじめから、その程度だったってことよ。遅かれ早かれ、関係は破綻していたわ」


「…………」


「……でも、あなたとその親友ちゃんの絆は、その程度のことで切れるほど、柔いものなの?」


 はっ、とさせられる。


 千冬ちふゆがやっと、安堵の表情を浮かべていた。


「……やっとこっち見てくれた」


「ごめん……千冬ねえ……ぼく、ぼく!」


 千冬は笑って首を振る。


「……いいわ。行きなさい。心のままに」


「うん!」


 真琴は部活のバッグを背負って席を立つ。


「いっちゃんと、話してくる!」


 千冬は微笑んでうなずく。


 真琴は全速力で走り出す。


 ……残された千冬は小さく溜息をついた。


「……何してるのかしらね、私。チャンスだったのに」


 精神的に未熟な真琴を誘導し、薮原との関係を崩す手もあった。


 だがそれは千冬はその選択を放棄した。


 彼女が望むのは、あくまで、薮原の最大の幸福だから。


 薮原が誰と結ばれるのが、最良であるのか、考えた結果の……最良の選択。


 たとえ自分が選ばれなかったとしても。


「……がんばるのよ、マコちゃん」

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