第五話:怪我の代償

「つっ!」

「カズト!」


 俺が思わず顔を歪めたのと、アンナとミコラが悲鳴のような声で俺を呼んだのはほぼ同時だった。


 焼けつくような痛み。それは肩から背中にかけて強く感じる。

 さっきの鋏が掠めてたか。ミコラを助けるのに夢中で気づけなかったな……。


「大丈夫か!?」


 真下のミコラが強く心配の声を上げてくる。

 まあ確かに強い痛みはある。けど、昔魔王に斬られた時程じゃない。って、そんなのと比較するのもどうかと思うけど。


「ああ。ただの擦り傷だ」


 なんて笑いつつ、痛みを堪えミコラの上から退き、砂の上で胡座あぐらをかいたんだけど。


「何言うておる。馬鹿もんが」


 と、呆れと怒りを孕んだ声と共に、近くにワイバーンが舞い降りると、ルッテもアンナと共に俺に駆け寄って来た。


「大きく裂けた背中の傷に、砂がべっとりではないか。流石に砂を洗い流し、消毒してから治療せねばいかんな」

「ですが、水は先程使い果たしております」

「ならば急ぎ町に戻らねばな」


 真剣な表情で語るルッテとアンナ。 

 そんな中、唯一バツが悪そうな顔で落ち込んでいるのはミコラだ。


「カズト。悪い。俺が不用意に死んでるか確認しに行ったから……」


 俺の前で両膝を突き座った彼女は、しゅんと猫耳を倒し落ち込んでいる。

 まったく。別にそんな顔しなくていいってのに。


「気にするな。さっき危ないところ助けてもらったんだ。お互い様だって」

「でも痛むだろ?」

「あのなぁ。お前がそんな顔してる方がよっぽど心にくるぜ。この程度の傷で死ぬ訳じゃない。気にするな」


 慰めるように笑みを浮かべつつ、俺はあいつの頭を優しく撫でた後、ゆっくりと立ち上がる。

 ズキズキと持続する痛み。だけど別に耐えられなくはないし、意識もはっきりしてる。

 ま、大丈夫だろ。


「アンナ。ミコラ。我はカズトと共にワイバーンで飛ぶ。すまんが二人は徒歩で戻ってもらっても良いか?」

「はい」

「分かった。ルッテ。カズトを頼むぜ」

「任せよ。カズト、こっちじゃ」

「ああ。じゃ、二人共。また後でな」

「……ああ」

「お気をつけて」


 心配する表情が崩れぬ二人に、俺は痛みを堪え笑みを返すと、ルッテとワイバーンの背中に乗った。


「痛みに耐え、しっかり腰に手を回し掴まっておれ」

「分かった」


 指示に従い腰に手を回し、ぐっと力を入れると、それを合図代わりに、ワイバーンが翼を広げ羽ばたき出す。

 少しずつ砂漠からの距離が離れ、ミコラ達も小さくなっていき、ある程度の高さに達した所で、ワイバーンは滑空するように風を切り飛行を始めた。


「こりゃ凄いな……」


 実はこうやって竜の背に乗ったりして空を飛ぶのは初めて。

 熱のある風を感じながら、痛みを忘れ童心に返ったような興奮を覚えていると。


「……術を使わんかったのは、意地か?」


 ルッテは振り返らず、俺にそんな言葉を掛けてきた。


 意地はまあ、なかったとはいえない。

 俺は最近思ってるんだ。

 幾ら『絆の力』があったって、俺は武芸者なんだって。


 だけど。


「どちらかと言えば、遠間とはいえ町の人達に見られるのが嫌だったのと、暑さで判断が鈍っただけ、かな」


 俺は自嘲しつつ、そう本音を返した。

 結局、忘れられ師ロスト・ネーマーだって勘繰られるのが嫌って保身と、回らない頭がそうさせただけだ。


 ロミナが二度目の魔王を倒した時、忘れられ師ロスト・ネーマーが一緒だったと言った言葉。


 確かに英雄譚に語られる。それは嬉しくもあった。

 けど、同時にその言葉で皆が勘違いしないか心配なんだ。


 ロミナ達は一度はちゃんと実力で魔王を倒してる。

 それなのに、結果としてそれは忘れられ師ロスト・ネーマーの力があったからできたんじゃ、なんて思われるのが嫌でさ。


 それに俺達はずっと仲間だったけど、周囲からしたら俺は急に加わった突然の仲間。

 あの一言がなければそう思われる事はなかったかもしれない。けど、下手な事して俺が忘れられ師ロスト・ネーマーじゃないのかって勘繰られるのも避けたかったし。


 だから俺は、最近より武芸者でありたいって思うようになったんだ。


「まったく。お主がこんなでは、夜の愉しみが減るではないか」


 揶揄からかうようにそう口にしたルッテに、俺は思わず苦笑する。

 おいおい。お前の方がノリノリじゃないかよ。


「悪かったって。まあ夕食辺りまで様子を見て、大丈夫そうなら今晩も頼む」

「まあ、我は構わんぞ。じゃが……お主、ほんに好き物よのう」

「そういう言い方するなって」


 彼女の言葉が少しくすぐったくって、俺は思わず不貞腐れた声を出す。顔は笑ってるけど。


 それを理解してか。

 ルッテもそれ以上弄ってくる事はなく、俺は短い空の旅を楽しみ、町の入り口にワイバーンで降り立ったんだ。


   § § § § §



 俺達が町の前に舞い降りると、門がゆっくりと開かれ、そこには俺達の帰還を待ち受ける町の人達の姿があった。

 何かここまで人が集まってるのは流石に驚きだな。


「道を開けてください!」

「カズト!」

「貴方、無事なのね!?」


 そんな中。群衆の後ろから声がしたかと思うと、人集りの一部に道ができると、町に残っていたロミナ、フィリーネ、キュリアが血相を変えて飛び出してきた。

 珍しくアシェもキュリアの首に巻きついたまま顔を上げ、こっちを心配そうに見てる。

 まったく。皆そんなに悲壮感出さなくたっていいだろって。


「ああ。大丈……ぶ……」

「カズト!」


 ワイバーンを降り砂漠に立った俺が、皆を安心させようとそう言いかけた瞬間。突然の目眩に、思わず身体がふらっとなり、またも皆の悲鳴が聞こえた。


「これ。無理するでない」


 ルッテがすっと俺に肩を貸してくれたお陰で、俺は倒れずに済んだけど、流石に危なかったな。


「わ、悪い」


 謝る俺にふっと笑った彼女は、ゆっくりとその場に俺を座らせてくれた。


「カズト! 死なないで!」

「キュリア。今のは立ちくらみだから。死にはしないって」

「何を言ってるの。酷い傷じゃない」

「大丈夫だって。それよりあいつらは無事か?」

「一応。彼等のリーダーは治療を済ませたけど、毒もあってかなり弱ってたの。後は彼の生命力次第だって」


 キュリアとフィリーネは悲壮感丸出しだけど、ロミナだけは顔を青くしながらも、何とか気丈に俺の質問に答えてくれる。


 しかしあいつ、まだ無事かは分からないのか。

 とはいえ命は繋がってるんだし、俺達ができるのはここまで。後は運を天に任せるだけだな。


「悪い! 皆退いてくれ!」


 と、群衆を掻き分け慌ててグラダスさん一家が俺の前に駆け込んできた。

 タニスさんは手桶に水を持ってる。そしてグラダスさんが抱えてるのは……酒樽か?


「ロミナ。ちょっと彼から離れてて」

「あ、う、うん」


 リュナの言葉にロミナ達四人が一旦俺との距離を開けると、グラダスさんとタニスさんが俺の背後に回る。

 そこでグラダスさんがチッと舌打ちした。


「傷はそこまで深くないけど、しっかり砂が入り込んじゃってるわね」

「ったく! カズト。傷口の砂を落とし消毒する。ちっと痛むが我慢しろよ!」

「え? は? はい!」


 何が何だか分からぬまま、俺が返事をすると、


「カズト。これを口に挟んで強く噛んでて」


 真剣な顔でリュナさんが俺にタオルを咥えさせた。

 これを噛む? こうか?

 彼女に従いそれを噛み締めると、リュナさんはそれを見て背後のグラダスさん達に頷いて見せた。


「じゃ、いくぞ!」


 と、瞬間。

 グラダスさんが背後で酒樽を抱えた音をさせた直後。


「んんんんんっ!?」


 俺は背中に何かが掛かるのと同時に強い激痛を感じ、思わず前のめりに倒れかけた。


 ちょ!? これ酒だよな!?

 しかもこの痛み、さっきまでの比じゃねぇ!!


 目を丸くし、意識が飛びかけそうになるのを、歯を食いしばって耐える。


「カズト! 意識をしっかり持って!」


 リュナさんが一緒に屈んだまま、俺の身体を支え抱きしめると、俺はもう痛みから逃げるように、思わず強く抱きしめ返していた。

 腕が震え、勝手に彼女の背中の服をぎゅっと握る。意識がまた飛びそうになるけど、リュナさんとタニスさんの呼び掛けが何とか意識を繋ぐ。


「タニス!」

「あいよ。カズト、もうちょっとだからね!」

「んぐぐぐぐぐぐっ!?」


 強い酒の香りと、それがもたらしたであろう背中の熱と痛みに耐えていると、タニスさんの声と共に、傷口に強く布の感触がなぞられた。

 これがまた強い痛みで、俺は堪えきれずくぐもった声をあげる。


 ってかこの痛み、まじでやばい!

 あまりの痛みに意識が薄れてそうになったその時、俺の中にひとつの心的外傷トラウマが蘇った。


   § § § § §


 ……囚われたロミナ達の目の前で、俺は魔王が放った闇の雷槍デス・ライトニングを全身に受けた。


 闇術あんじゅつの呪いと同じ恐怖と痛みを植え付けたその術からくる痛みもやばかったけどさ。

 俺が咄嗟に自身を回復すべく、聖術、命気瞬復めいきしゅんふく を掛けた時に感じた、予想外の激痛。それが完全に重なったんだ。


 反呪の回復カース・ヒール

 回復系の術が己の傷を拡げる酷い呪い。

 既に魔王は死んでその呪いからは解放されている。

 けど、あの傷を治そうと思ったのに強く感じた激痛は、まるで自ら命を絶たんとする程の痛みだった。


 皆を助けたいって思ってたから耐えられた。

 けど、あれは一人だったら絶対絶望して、耐えられなかったろうな……。


   § § § § §


 ここで意識を失ったら死ぬかもしれない。

 何故か俺はそんな不安を覚えたけど、背中に走る痛みはそんな恐怖に抗う力も失わせて。


 より強く震えた身体が、力を失って。

 リュナを掴んでいた手がだらりと垂れて。

 咥えていたタオルを噛む気力も失って、ぽろりとそれが落ちると、俺は目を見開く力すらも失っていく。


「これでいいわ」

「おい! 誰か早く回復系の術を!」

「うん! 『ラフィー。力を貸して!』」

「カズト! もう少しだけ踏ん張りなさい!」

「お願い、カズト! 頑張って!」

「男じゃろ! 踏み止まれ!」


 痛みが薄れる中、皆の声が耳に届く。

 そうだ。俺は──。


「大丈夫、だって……」


 そう、強がるように呟き、力無く笑う。

 ……いや、笑えたのか?


 そんな答えすら出せぬまま。

 俺は痛みの中感じ始めた温かな空気に何故か安堵して、そのまま気を失ったんだ。

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