第87話 フリークス

 魔物とは、能力を扱える野生生物の総称である。

 特に魔物を喰らうことを主目的としており、捕食することによって力の増大を図る。

 それは捕食対象が異世界の存在でも同じことであり……と言うか、こっちの方が魔物にとって重要らしく、地の果てまで付け狙われるはめになる。


 ああ、今更すぎる。

 思い出しても、今更なのだ。


 「なんだよ、あれ」

 「ヴヴッヴ……ヴ……」


 一頭の魔物が、俺達の目の前で唸っている。

 冷たい捕食者メイトリクス・フリーギドゥスだ。

 そして、もっと厳密に言うのなら、メイトリクス種だった何かだ。

 冷気を纏った球体状の魔物は、今現在ブクブクと音を立てて肉体を変化させていた。


 今まで戦ったこの種は、体を自在に変形させて襲ってきていた。

 でも、今回は様子が違う。

 痛覚がほぼ無視できるはずなのに、苦しんでいるように見える。

 体は際限なく粘土みたいにグニャグニャして、中から気泡が浮いている。

 空中に青色の溶岩が浮いているみたいな感じだ。


 「ああ、何でこんな……」


 スフィーが本気で何かを諦めたような顔をする。


 「何が起こってるんだよ」

 「邪悪種……」


 一言、そう返された。

 余裕のなさそうな返事をどうもありがとう。

 そんな説明じゃあ全然分からないぞ。


 「何で私、会ったこともない種族の言うことを信じたんだろう……」

 「おまっ……」


 失礼なことを言い出しやがったし。

 聞いて聞かれて得することのないセリフである。


 「勝手に諦めてないで、現状を教えろ。せめて戦うか逃げるかぐらいは指示してくれ」

 「……」


 だんまりだ。

 相当な事態ってことだこりゃあ。


 俺が冷静でいられるのは、事態をうまく把握できていないからだ。

 それは幸いであるように思える。

 その間にも魔物は、異様な変化を続けている。

 もう何が何だか分からない形状だ。

 しかし、危険なことはよく分かる。


 「ソフィー、逃げるぞ!」


 放心するスフィーの手を握って吠える。

 ソフィーが走ってくる。

 歩幅が小さいのに、大人並みに速い。

 それでも俺の走る速度には今一歩及ばない。


 「俺の背中に飛びつけ!」

 「うん!」


 ダゴラスさんやララと同じ判断を俺は下す。

 背に乗せて走った方が速いからだ。


 「しっかりつかまってろ!」

 「分かった!」


 ソフィーが取り乱していなくてよかった。

 この子までそのまま突っ立っていたら、もういよいよ見捨てるしかなくなる。

 生きることを諦めたら死ぬだけだ。


 魔石がなくとも魔剣と同調することはできる。

 即席で身体を強化し、俺は彼女を抱いて走りだす。

 劇的な変貌を遂げている魔物の側を通り抜けて、ひたすら出口へ続く道へ。

 化物は攻撃を仕掛けてこなかった。

 今はまだ、大丈夫だ。


 しかし何とか走ってはいるものの、速度は芳しくない。

 ああ、もう!

 頼むからボーッとするのは止めてくれ!


 「お姉ちゃん! しっかりして!」

 「……」


 妹の声でも精気を取り戻さない。

 そんなに怖いか、あの魔物が。


 「どうすりゃいいんだ!?」

 「ちょっと待ってて」


 そう言ってソフィーは目を閉じる。

 あれだ、テレパシーだ。

 外がダメなら内側ってか?

 有効かどうか分からないが、任せるしかない。


 今度はまた別の巨大な空洞へ到達する。

 空洞の奥にはまた1本道がある。

 あそこへ行けばいいことは明白だった。

 氷の地面には薄く雪が積もっており、油断していると足を取られるかもしれない。

 注意する必要がある。


 「「お兄ちゃん、いいよ」」


 頭に響く声。

 背中に乗るソフィーから合図があった。


 「……すいません」

 「大丈夫か?」


 どう呼びかけたかは知らないが、スフィーは平常心を幾分か取り戻したようだった。

 まだ緊張している様子ではあるが、仕方ない。

 先ほどよりはだいぶマシだ。


 「自分で走れるか?」

 「はい」


 後ろを見ながら返事をする。

 その視線の先には、もう破裂寸前にまで膨らんでいる魔物だったナニカが遠くに見えた。


 「一体何が起こったんだよ」

 「……邪悪種への覚醒」

 「邪悪種?」


 マリアさんの家の教本で確か見た筈だ。

 魔物が行き着く一つの方向性。

 邪悪種と神聖種。


 「前に一度、見たことがあります。その時も、苦しむ筈がない魔物が苦しんでいました」

 「その時と同じなのか?」

 「もう、変化し始めています。私達では、逃げきれない」


 また彼女の表情が暗くなる。

 これはイカン。


 「ネガティブやめろ! まじで死ぬぞ!」

 「……すいません」


 謝られても困る。

 今求めているのは、謝罪じゃなくこの場をどうすべきかの判断だ。


 「どうすればいい!」

 「……分かりません。分かんないんです」


 スフィーに分からなければ、俺にだって分からない。

 とにかく、後ろのわけ分からん奴から出来るだけ距離をとらなくちゃいけない。

 逃げの一手だ。


 「うおっ!」


 ズンッと洞窟全体が揺れる。

 震源地がもし、後方の空洞からだとしたら……


 「地震、じゃないよなぁ」


 地震だったらまだよかった。

 いや、天井が崩れて脱出不可能とかも嫌なんだが、俺が予想している方は明確な脅威と殺気を含んでいる。


 魔物の出す殺気は何度か味わっている。

 本能的で、野生的。

 しかし、現在感じられるものは……何と言うか、悪意みたいなものだった。


 人の悪意に似たもの。

 自然界には本来存在し得ない、悪という概念。

 善悪というのは、元々世界にあった概念ではなく、知的生物が後付けで付け足した概念だ。

 人がいるから生まれたものだ。

 故に、人の社会の中でしか通用しないもの。

 そんなものが魔物から感じられるのだ。

 違和感を感じざる負えない。


 「お兄ちゃん、下!!」


 と、そんな叫び声が背中から聞こえた。

 距離を離すのに夢中で、あまり意識していなかった方向……真下。

 気配に敏感な奴でなければ、こんな所に脅威が潜んでいるだなんて思いもしないだろう。

 俺のすぐ真下。

 そこには、大きな顔があった。


 「は?」


 雪で形作られた顔面。

 地面に顔がある?

 んな馬鹿な。

 予想外のことに、一瞬たじろぐ。

 そんなちょっとした隙を作ったのがいけなかった。


 「キシシシシ」


 顔がイタズラをする子供のように笑う。

 笑いながら、突如として薄く積もっていた雪から細い腕を生やす。

 その細腕で俺の足を思いっきり掴んできた。


 バランスを失ってしまう。

 そうしたら、どうなるか?

 ……転ぶに決まっている。


 「いっ!?」

 「きゃ!!」


 手を繋いでいたスフィーも一緒に倒れる。

 手を強く引っ張ってしまったのだ。

 反射みたいなものだった。


 二人同時に前のめりに転倒し、スフィーとソフィーは前へゴロゴロと。

 俺は雪で出来た細腕に足を固定され、そのまま顔面から地面へ叩きつけられる。

 鼻から血がダラダラと流れ出す。


 ただ、鼻から出血した割には顔面の痛みは少ない。

 細かい雪が辺りに積もっているからだ。

 考えてみれば、疑問だ。

 洞窟内部で、積雪などありえない。

 こんな閉鎖的な洞窟に雪が侵入するなんてことは考えにくいからだ。


 「雪が魔物か!」


 恐らく、メイトリクス種と似た魔物。

 周囲の環境と同化したりするタイプだ。


 「この野郎!」


 俺の足を掴んでいた細腕を魔剣で両断する。

 腕は雪が拡散するかのように、パサァと構成を失った。


 「キシシシシ」

 「クソ!」


 ダメージは与えられていないようで、積雪全体から笑い声が聞こえる。

 ダメだ。

 コイツも属性付きの能力じゃないと殺せない。

 この雪全部が魔物の肉体なんだ。


 「助けて!」


 スフィーの声がする。

 彼女を見ると、無数の腕に掴まれて積もった雪に取り込まれようとしていた。

 ソフィーが近くで氷の攻撃を腕に仕掛けていたが、小さな氷の弾は虚しく雪の中へ吸収されている。

 攻撃の相性が悪いどころの話ではない。

 最悪だ。


 「待ってろ!」


 物理攻撃は恐らく無効だろう。

 しかし、さっきみたいに一時的に分散させるくらいなら可能なはずだ。

 足を掴んで邪魔しようと雪から生えてくる細腕を、強化された感覚でかわしながら、スフィーへと駆け寄る。

 ナイフで腕を斬りつけると、呆気なく消えていった。


 「大丈夫か!」

 「エネルギーが、少ない……」


 スフィーが憔悴している。

 無理もない。

 先ほどの戦いで、ずっと氷を生成し続けていたのだから。

 主だった外傷はないが……ぶっ倒れるのも時間の問題のように思える。


 「あっ……」


 唐突に。

 ふと後ろに視線がいく二人の姉妹。

 惚けているようにも見える表情で、俺の背後を見ていた。


 嫌な予感。

 それしかない。

 ちくしょう。

 後ろなんか見たくもない。

 けど、見なくてはいけない。

 そうして俺は振り返る。


 ああ、マジかよ。

 恐怖がすぐそこにあった。


 ソイツは音もなく近付いていた。

 当たり前だ。

 空中に常時浮いているのだから。

 音の出しようもない。


 ソイツが進むにつれて、通路全体に積もっていた雪の魔物が一斉に後退していく。

 ああ、魔物でも逃げることはあるんだな。

 それだけ目の前の魔物が危険ってことか。


 元々球体状の形をしていたが、今は違う。

 人間のような形に変化している。

 足があり、腕があり、頭があり、胴体がある。

 男性のような体つきで、冷気のような靄がかかっているのは相変わらず。

 顔はのっぺらぼうのよう。

 大きな大きな口だけが、ニタニタと笑っている。


 人間らしい体に変化したと言っても、それは形だけであって、例えるなら氷の彫像を思い起こさせるような、無機的な何かを感じさせた。

 つまり、全然生き物っぽくないってことだ。


 既存の生物ではない。

 逸脱している。

 畏怖を具現した存在。


 とにかく怖い。

 それなりに悪魔と戦った。

 魔物とも戦った経験がある。

 なのに、そんな経験すら凌駕する恐怖と呼べるものが、視界いっぱいに捉えられる。


 さあ、選択の時だ。

 逃げる?

 戦う?

 ……俺は後者だった。


 セスタの時だってそうだ。

 あの悪魔を殺したのは、この俺。

 追い詰められた時はいつもそうだ。

 窮鼠猫を噛む。

 俺は馬鹿だった。


 「おおおあああァァ!!」


 大きな声を出しながら、魔剣を構える。

 せめて足止めだけでもいい。

 コイツの気を引かなければ。


 汗がブワッと全身から出てくる。

 緊張と恐怖で頭が芯から熱くなる。

 四肢はジンジンと痺れて、感覚が鈍い。


 それでも戦おう。

 生きたいから。

 諦めたくはない。

 希望が欲しい。


 戦う為の一歩。

 それが可能性を模索する始まり。

 ……戦え!


 「ああアァ……あ?」


 その為の一歩を俺は踏み出す……筈だった。

 行けなかった。

 なんで?


 足が凍らされていたから。

 地面と固定されて動かない。

 いくら引っ張っても、動いてくれない。


 「え?」


 呆然とする。

 いつの間に?

 痛みはなかった。

 気付けなかった。

 これは、攻撃か?


 思考が遅れる。

 想定外の事態に。


 これじゃあ戦えないじゃないか。

 死ぬのを待つだけじゃないか。

 そんなの嫌だぞ、俺は。


 そうだ、スフィーは?

 ソフィーは助けてくれないのか?

 思って顔だけ後ろを振り返る。


 「嘘だ……」


 姉妹は大きな氷の像と化していた。

 凍らされている。

 もう殺していた?

 死んだのか?

 あの二人が?


 凍死の二文字。

 絶望の二文字。

 そんなものが頭をよぎる。


 姉妹を守ろうとした瞬間にこれだ。

 命の恩人を死なせてしまった。

 ……どうしてなんだろうな?

 本当に俺は何も悪いことをしていないのに。

 まあ、自然界に良いも悪いも存在しないんだが。


 人間の形をしたナニカは、浮遊しながらこちらへゆっくりと接近する。

 ニタニタニタニタ。

 表情は変えない。

 笑っているくせに、本当は無表情なのが見て取れた。


 狙いは、当然俺か。

 その場で食う為に、半身氷漬けにされたんだろう。

 脱出の手段は……なさそうだ。

 動けない。

 せめて、腕で抵抗を。


 そう思って魔剣を突きつける。

 しかし。


 「冗談よしてくれよ……」


 ナニカは、手を魔剣に差し伸べる。

 たったそれだけの動作で、俺の腕ごと魔剣は凍った。

 凍結による痛みはない。


 「抵抗できないじゃん」


 軽い口調で呟く。

 もうどうしようもない。


 「アぁーん」


 赤ちゃんみたいな声を出して、不気味なナニカは口をあんぐりと開ける。

 顔面と顔面がくっつきそうな程くっつけさせて。

 気持ち悪い程綺麗な歯が、ズラリと並んでいるのが見える。

 人間みたいな歯。


 あ。

 ああ……

 あああああ!!!


 「やめろお!」


 やめてはくれまい。

 それは知っている。

 でも理解はしていなかった。


 「スフィー!!ソフィー!!!」


 二人は返事をしない。

 それは知っている。

 でも、やっぱり理解はしていなかった。


 「うおおおおお!!」


 力の限り、体を暴れさせる。

 無抵抗のままで死ぬのは嫌だった。


 そんな思いとは全く別に、俺を食べようとする歯が頬に当たる。

 ちょっと当たっただけで、その部分に薄く氷が張る。


 思考が単純化していく。

 周りがスローモーションになっていく。


 口が……

 口が眼前に……


 暴れる。

 最後の瞬間まで。


 抵抗。

 死ぬまで。


 ああ、死ぬのか?


 「良し! アンタを認めるわ!」


 洞窟内に、女の声が響いた。

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