第47話 人質交渉
接近戦。
一撃で首を持っていかれる可能性すらある戦い。
風使いはもはや並みの兵と同等にまで剣速が落ちてしまっていた。
スピードは明らかにこっちの方が速い。
最初に思ったとおり。
単純に打ち合えば俺が勝つ。
それは間違ってはいなかったのだ。
相手の剣に合わせて、最も弾きやすそうな角度で刀身を相手の剣の根本に当てる。
刃が弾ける音がした。
風使いの持っていた剣は遠くへと弾き飛ばされた。
風使いの体制は大きく崩れている。
今なら殺せる。
門の向こう側に行く時、覚悟したとおり。
今、この瞬間だけは、相手は無防備だ。
だが、風使いはすぐに体勢を立て直すだろう。
ここで斬らなければ、俺は殺される。
なのに。
なのに出来ない。
そう。
恐ろしいイメージだ。
それが頭をよぎった。
目の前には、首を失った風使いの死体がある。
首も近くにある。
死体の切断面からは、血がけたたましく流れており、その死体が人間の形をしているという事実が余計に事態を生々しくさせる。
血の匂いは、かつてそれが元気に躍動していたことを容易に想像させる。
そんな死体のイメージ。
どうしようもなく嫌なイメージ。
魔物を殺したことで、悪魔も殺せると思い込んでいた、俺のイメージ。
殺すことを覚悟した筈の、俺の……
俺は、躊躇いを覚えてしまった。
何故かは分からない。
短期間とはいえ、この世界で生き物が殺される凄惨な光景は、何回か見てきた。
俺がその光景に何故か、嫌悪感を示さなかった。
なのにたった今、風使いを斬り付ける瞬間にイメージしたこと。
そのイメージをとても嫌な光景だと認識してしまった。
そのせいかどうかは分からない。
このことを言い訳にもしたくない。
俺は風使いの頭部に、横から刀身の平らな部分を思いっきり叩きつけていた。
ああ、やっちまった。
俺はそう思った。
風使いはうめき声を上げながら、後方に倒れた。
気絶したのが分かる。
俺は悪魔を殺しそびれてしまった。
躊躇いを覚えてしまった。
ヘタしたら一生涯、この感覚は抜けきらない。
「何で……」
あまりにも刹那的な感覚だったから、よく考えられない。
生理的な嫌悪感。
これ以上の言葉は見つからない。
そして、これ以上考える暇もない。
状況は刻一刻と動いていた。
後ろから、怒号が聞こえてくる。
「セムトラァ!!!」
土使いの悪魔は叫びながら、両手を地面に叩きつけていた。
今のやりとりの間に、攻撃の準備を終えたらしい。
だが、厄介なコンビは今、崩れ去った。
土使いの攻撃のみなら、対処は難しくない。
岩の弾丸が複数、それも一気に迫っていた。
まるでショットガンのような攻撃。
これは俺でも打ち消しきれない。
俺は風使いが隠れていた、近くの砲台へ身を隠す。
遅れて、ショットガンのような弾丸の雨が連続で障害物に当たる。
土で出来ているとはいえ砲台は頑丈で、弾丸の雨にも耐え切った。
「止めろ! コイツがどうなってもいいのか!」
俺はそう叫んだ。
風使いの体を盾にして。
剣を首筋に当てて。
つまりは人質。
完全に悪役がやることだ。
何て卑劣な奴だと蔑まれる行為。
だが、そんなことは関係ない。
俺がコイツを殺すことよりもだいぶマシなはずだ。
生かしているだけでもありがたいと思ってほしいもんだ。
自問自答をしながら、目の前に気絶した風使いを突き出す。
普通の人間の腕力であれば、ただ持ち上げることも難しい悪魔の体は、今の俺にとっては少し重いだけの子どもと一緒だ。
大きさに似合わず、かなり軽く感じる。
片手には魔剣を。
片手には風使いを。
そして、風使いの首に魔剣を押し付けて俺は叫ぶ。
「俺の要求に従え! 従わなかったらコイツを殺す!」
嘘だ。
全くの嘘。
俺は風使いを殺す気なんて、とっくのとうに失せていた。
あくまでただの脅しだ。
この状況を切り抜けたら、どこかに解放するつもりだ。
殺すなんて出来る筈がない。
「お前!」
「後五秒で答えろ! ここを退くか、仲間を殺されるか!」
「この野郎……」
相手は全然納得していない顔をしている。
当然だ。
俺だってこんなの納得しない。
だが、やるしかない。
こんな所で戦って、これ以上時間を取られたくない。
「一秒!」
「お前、逃げられるとでも思ってるのか!?」
思ってるからこんなことやってるんだろ。
いいから早く退けよ。
「二秒!」
「止めろ、殺したら取り返しが付かないぞ!」
いいさ。
どうせ、閉じ込められるか殺されるかしかなかったんだから。
「三秒!」
「読めない……だと?」
早く……
早く!
「四秒!」
「……分かった。だから止めろ」
土使いの悪魔はそう言った。
勝った。
脅しで勝った。
相手は脅しに屈した。
正直ホッとした。
ここで引き下がらなかったら、また戦闘が長引いていただろう。
それは勘弁してもらいたい。
土使いの悪魔は、何か不可解な、そして諦めたような顔をしている。
なにかが理解出来なかったような、そんな顔。
それはこの場にはそぐわない変なものだったが、今はそんなことを観察している暇はない。
時間が惜しいのだ。
時は金なり。
この場合、時は命だ。
命は金よりも重要だ。
それが分かっているからこそ、時間を無駄にはしたくない。
出来るだけのことをしないと。
さあ、ここからどうもっていくか。
俺が次の展開を予想していると。
「何をしているのですか?」
突然声が聞こえた。
女の声だ。
この場には男しかいないはずなのに。
その声は後ろから聞こえた。
また悪魔が来てしまったようだ。
ああ、くそ。
うまくいくかと思った矢先に。
「ルフェシヲラ様」
ルフェシヲラ?
確かコイツらの会話で出てきてたな。
「人間相手に何を苦戦しているのですか」
彼女は冷徹な声で、土使いの悪魔にそう言った。
冷たい声。
だが、その声は疲れているように感じる。
姿をよく見てみると、スーツ姿だった。
ビジネスウーマンが着そうなスーツだが、所々擦り切れている。
なんでそんなにボロボロなんだ?
というか、人間世界にもある服装を見たのは初めてだ。
疲れているのが原因かは知らないが、彼女はイライラしているようだ。
丁寧な言葉で話しているのにも関わらず、凄く挑発的で高圧的な態度。
態度と言葉が合致していない。
現世にもこんな人間っているよな。
嫌な人間が。
「ルフェシヲラ様。騎士の一人が人質に……」
「そんなこと、見れば分かります。人間風情に何をやっているのですか」
人間風情っすか。
差別発言どーも、クソ悪魔。
「早く殺しなさい」
「そんな。でも、人質が」
「殺しなさい」
有無を言わせない口調。
彼女はそう言った後、目を閉じた。
土使いの悪魔に手を向けて。
「は……あ……」
土使いの様子が変だ。
突然意識が朦朧としたかのような。
一体何なんだ。
「私の体力も残り少ない。あなたはサポートに回りなさい」
「……はい」
は?
あれだけ嫌がっていた土使いが素直に言うことを聞いた?
なんだ、この変化は。
「この領地は平和ですが、随分と緩くなってしまいましたね」
「おい、この人質がどうなってもいいのか?」
俺は再度同じことを彼女に言う。
人質の首に当てている魔剣を強く押し当てて。
「いいですよ」
簡潔に彼女は答えた。
まるで躊躇いがない。
「私は甘くはないですよ? 人間」
ダメだ。
人質が効かない。
サイコパスかよコイツ。
仲間を仲間と思っていない。
協調性に乏しい……異常者。
「人間。一つ聞きますが、魔王様をどこへ?」
「……なんの話だ」
「魔王様をどこへやりましたか?」
魔王……ああ、アイツか。
「どこかへ飛んでいった」
「どこかとは?」
「知らない。転移でどこかに飛ばされたのを俺は見ただけだ」
「知らない、ですか」
彼女は目を閉じる。
俺の方を向いて。
唐突に。
「……心が読めない?」
目を閉じながら彼女はそう言った。
コイツ、俺の心を読もうとしてたのか。
「人間は能力を使えないはず。しかし……」
彼女は目を開けて、俺の手に持っている魔剣を見た。
「それは、要喰いの直剣」
「それがどうした」
「それが原因?」
勝手に自己完結しようとしてやがる。
人の意見とかは聞かないタイプだな。
しかし、悪魔が心を読めることを俺はすっかり忘れていた。
そうだよ。
心が読めるんだよ。
つまり、心を読まれたら相手に何をするつもりだったのか全部知られてしまうってことだ。
さっきの土使いの交渉。
俺の殺す宣言はハッタリだった。
なら、土使いの悪魔に俺の嘘はばれていたはずだ。
結果的にこうはならなかったはず。
しかし、土使いの悪魔は俺の要求に従った。
あの時は、悪魔が誰でも心を読めることを忘れていたから、何の疑問もなかった。
でも、今はその異常性がよく分かる。
ルフェシヲラとかいう彼女の言動から推察するに、その原因はこの魔剣だという。
理由は大体分かる。
ドレインのせいだ。
心を読む力もれっきとした能力だ。
俺に対してその能力を使ったのなら、その能力も打ち消してしまったってところだろう。
だが、そう考えると一つ疑問が残る。
それは……
「まあ、人間を拘束して心を読み直せば、魔王様の居場所は分かるでしょう」
「言っとくけど、俺は嘘を吐いてないぞ」
「拘束して確かめます」
やっぱりそうなるよな。
俺に選択肢は与えないってか。
人質は効果なし。
ならば戦うかと思ったが、どうもこりゃ無理そうだ。
彼女、どうもララとかいう女騎士みたいな別格の雰囲気を漂わせている。
何かを殺すことに躊躇いを見せない言動。
戦いには慣れている感じだ。
しかも殺し合いに。
多分、戦ったら負ける。
命を奪うことに躊躇いを覚えてしまった俺。
命を奪うことに躊躇いを覚えない彼女。
歴然とした差。
これが明らかになっているだけでも、戦いたくないと思える理由筆頭だろ。
土使いが彼女のことをルフェシヲラ様と呼んでいたことから、上位職なのは間違いない。
相応に強いのは必至。
彼女とは戦いたくない。
気に食わない奴ではあるが……
ということで。
「逃げる!」
俺は結界の方向へ走って逃げる。
人質を担いで。
もちろん全力で。
俺の逃走劇が再び始まった。
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