2017.12.1 玉音①




 どうしたってこの街は、平穏を許さないらしい。


 いや……それは少し違うか。平穏ならそこらじゅうにある。問題はそれら全て安っぽくて、誰かの不注意ですぐ壊れる不良品だということ。または何かの悪意で。彼らは一体何者なんだろう? 俺には知る由もない。


 あれは、「早く湖に行って家族を救え」という、奴らなりの遠回しな警告なのだろうか。


 とはいえ、むやみに行ったところで、死ぬ予感しかしないんだが。もしかしなくても死ねと言われてる? 宗教の屋敷の周辺を探りつつ彷徨いてみることも考えたけど、人に見つからないわけがないし。そもそもうまく中に入れたとして、持ち出すべきものが実際何なのか(物? 人? それとも動物?)、それすらわからない。お手上げだ。先生にでも相談してみる? でも、他人に話していいものか……聞いたら不幸になるタイプの怪談があるけれど、そういう類のものだったらどうする? お世話になってる先生にそんな、厄介な風邪をうつすような真似は、あまりしたくない。そんな悠長なこと言ってられない状況かもだけど……


 あー。

 つい気持ちばかり書いてしまった。

 先に感情を整理しないと、どうやら人間というのは、ありのままに現実を描写できない生き物なのかもしれない。OK。起こったことを順に書こう。


 まず……今日は掃除をしていた。


 昨日の続きで、フローリングにはモップを、絨毯には掃除機を、届かない隙間には箒と雑巾を使って、黙々とやった。以前は掃除なんて、自分の部屋をたまにざっと片付けるだけで決して得意ではなかったけれど、やってみると意外と苦ではなかった。向いてるのかも、なんて思った。午前中のぼーっとする頭でも、掃除だと何だかんだで出来てしまう。考えることがほぼないからかな。


 ただひたすら機械的に……でも物を壊したりぶつけたりしないよう細心の注意を払いながら、道具を動かして汚れを拭う。


 単調で繊細なその作業自体は、まるで寺の修行僧のそれみたいで、少し清らかな気持ちにさえ、なれた。それで終われていればよかったのに。本当に。



 今日は例のサークルが練習室2で歌っていて、あと誰かは知らないが練習室3も使用中になっていて、それでとにかく練習室5の清掃を終えて廊下を歩いていたとき、ちょうど休憩か雑談かしてたサークルの団体ご一行様とすれ違った。こっちは帽子を目深に被り、茶髪のウィッグとデカい眼鏡をして、顔はきちんと見えないようにしていたのだが、あのくらいの年寄りになるともはや「若い」そして「動いている」というだけで他人が目につくのだろう……とはいえ大抵は、軽く一瞥する程度に抑える節度(あるいは臆病)がある。なのにある一人のおっさんからは特別舐め回すような視線を向けられて、流石の俺も吐き気を覚えた。まあ、すれ違っただけだしもう会わなければいい話だ、と気持ちを切り替えて、昨日やりかけだった資料室の整理をしに行った。


 またしばらくは平和だった。


 そこはただ味気ない紙の資料の置き場というだけでなく、使わなくなった楽器や道具も仕舞ってあって、たとえばカセットテープやビデオテープ、VHS、そしてその再生機器なんかがあった。そういうものを見るとつい、懐かしい、なんてはしゃいでしまう。小さい頃によく、街中のビデオ屋で海外のアニメを借りてもらって見てたなぁ、とか。ほら、キャラクターの体がガムみたいに引き伸ばされたり、やたらとハンマーで殴られたり、粘っこい水飛沫が飛んだりするアニメ。よく考えなくても狂気的だ。それでも子供は喜ぶ。むしろそういうものこそ好きなのだろう、子供っていうのは。

 で、そこで小さな石油ストーブを持ってきて点けて、せっせと箱に物を詰めたり積もった埃を拭いたりしていると、ドアが開く音がした。お昼頃のことだったと思う。上の人が呼びにきたのかな、と思って振り向くと、そこにはさっき廊下ですれ違ったおじさんが、まるで当然のような顔をして立っていた。

「え?」

 俺は心の中でそう言った。なんで? 

 すると、そのおっさんはこう言った。


?」

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