第185話 世界に叛逆するネットTV配信➄-鏡の国の真宵アリス-
『よし今度こそちゃんと学校に通うんだ』
ステージの右側にぐっと拳を握りしめる少女のアバターが投影された。
高校に進学する決意表明。少しだけ成長した姿をしている。
背が小さく前髪が長め。よく観察すれば細身だがスタイルがいいとわかる。けれどブレザーの上にケープを羽織り、身体の線を隠していた。
ステージの上空に浮かぶのは鏡の国のアリスを象徴するチェス盤。盤上の二列目の初期配置のマスに白いポーンが置かれている。
『今度は目立たない。人並みになる。私は普通の人になるんだ』
映像が投影されるのはステージの右半分だけだ。
左半分のステージは暗闇に包まれていた。その暗闇をスポットライトが照らす。
左側では真宵アリスが投影された映像の少女と背中合わせに立っていた。
まるで鏡写しのように。
「あの頃の私は部屋に引きこもった自分が嫌いだった。一度挫折すると普通が遠くなる。凄く遠くに感じるんです。だから真っ白なポーンの駒から始めたかった。一マスずつ真っすぐに前に進んでいく。進み続ければ何者にでもなれる。そんなありふれた始まりの駒になりたかった」
真宵アリスは羽織っていたケープを優しく撫でる。
少女が羽織っているケープと同じものだ。
「この長いケープが心強かったことを今も覚えています。学校の制服に付属しているケープ。ブレザーの上に羽織るんです。可愛くてお気に入りだった。もっとも私は身体の線を隠すために羽織っていたんですけどね。わざわざブレザーよりも大きいサイズのケープを注文して。今でも私には大きすぎてマントみたい」
左側のスポットライトが消えて、右側で映像の投影が再開される。
少女は授業を受けていた。
教室には少女の他にも白い紳士、ヤギ、カブトムシ、巨大な蚊など鏡の国のアリスの登場人物が座っている。
数多いる異形。その中でも一際目立つ存在がクラスの中心のいた。
制服姿の女装ゴリラだ。
鏡の国のアリスの物語にゴリラは登場しない。不思議な国のアリスにもいない。
けれど真宵アリスの物語はゴリラが中心の動いていた。
そこからチェス盤の白いポーンが順調マスを進み始める。
当たり前の学校風景。
映像の中心は常に女装ゴリラだ。女装ゴリラが躍動している。女子の制服のままバスケットゴールにダンクシュートを決めるゴリラ。黒板にチョークで回答するゴリラ。校庭のトラックを走るゴリラ。
様々なゴリラのサービスシーンが映し出される。
少女は目立たない。ゴリラ映像のところどころで見切れているだけだ。それでも子ジカの話友達もできて、望んでいた学校生活を過ごしていることが伝わってきた。
チェス盤のポーンは四列目まで進む。
そこで映像が停止するし、ステージの左側の切り替わる。
真宵アリスは学校机の席についていた。
「なぜ制服姿の女装ゴリラがクラスの中心にいるのかは後でざっくり説明をします。収益化配信を見てくださった人はすでに知っていると思いますけど」
真宵アリスの高校生活の中心には、常に制服姿の女装ゴリラがいる。
それを忠実に再現してくれたスタッフの力作には、内容を提供した真宵アリスも苦笑いするしかない。
「実はすでに鏡の国のアリスの物語は破綻しています。理由は原作に列車に乗り込むシーンがあるからですね。チェスのルール。ポーンは初期位置から移動させるときのみ二マス前に動かすことが可能です。原作の鏡の国のアリスではその動きを乗り物で表現していました。けれど私は列車に乗れません。だから少女も列車に乗れません。一歩一歩です。……私は普通の人のように一歩一歩前に進むことに憧れていました」
:高校生アリスだ
:前髪目隠れ美少女きた
:制服のケープ可愛い
:言っていることが……悲しいな
:チェス盤?
:鏡の国のアリスだからな
:頑張って!
:だから鏡の国か
:真宵アリスも同じポーズで鏡写しか
:真っ白なポーン
:当たり前の一般人のメタファーか
:お気に入りのケープか
:身体のラインを隠すために大きめのサイズを用意したか
:教室内が動物園?
:虫までいる
:っておいwww
;いきなり女装ゴリラ出すなwww
:アリスの高校生活と言えばゴリラだけどw
:なぜが教室の中心にゴリラ……?
:勘違いゴリラさん大活躍じゃん
:まさにクラスの中心
:アリスがちょこちょこ隅っこで動いてるの可愛いw
:ダンクさせるなwww
:これは酷い
:真宵アリス本人も苦笑いである
:理由はあとでわかるのか
:ポーンは最初だけ二マス移動
:鏡の国のアリスの原作に列車シーンあるのか
:乗れないならしゃーない
:一歩一歩は大切だよな
:……過去形か
チェス盤に変化があった。
ポーンの斜め前のマスに赤いナイトが現れる。
右側のステージでは少女が子ジカと一緒に帰っていた。
その目の前にいきなり巨大な卵が転がってきた。
ハンプティダンプティだ。
『やあちょっといいかな?』
ハンプティダンプティの決め顔に驚いた少女と子ジカ。二人は逃げるようにその場を走り去った。
それだけのシーン。
たったそれだけのシーンが悲劇を生む。
チェス盤では白いポーンが赤いナイトを取ってしまう。あとこれで六列目。あと二マス進むことができればプロモーションできる。少女が焦がれた普通にもなれるかもしれない。……そのはずだった。
白いポーンの前方のマスに女装ゴリラが現れた。
チェスのルールではポーンは一マス前を塞がられると動けない。
ここで行き止まり。もう前に進めない。
学校生活が壊れ始めた。
学校で女装ゴリラに追いかけられる少女。
ゴリラから逃げ回る少女。少女を守るように随所で白いナイトが助けてくれる。イジメなどの深刻な事態には陥らない。でも仲良くしていた子ジカは逃げてしまった。このままでは学校生活がいつどう転ぶかわからない。
そして三日目の朝に、少女は女装ゴリラと対峙していた。
ゴリラに対して、ついに少女が反撃に出たのだ。
『だからそんな先輩は知らないって言ってるでしょ。この勘違いゴリラがぁーーーーー!』
少女の叫びはエコーがかかり、教室の外まで響き渡った。
静寂。少しすると徐々に教室内にクスクスという笑い声が広がり始めた。
ウケた。
けれど少女の反撃もここまでだ。
怒り狂った女装ゴリラが暴力が襲いかかってきた。
足幅は肩幅開き。一瞬の短い踏み込み。無駄な挙動は一切なく、なめらかに腰が回り、腕が振りぬかれた。
――ブオンッ!
女装ゴリラの掌底が少女の顔面に突き刺さる。
その瞬間、ステージの右側が暗転した。同時にチェス盤の白いポーンの丸い部分が砕け散る。
左側のステージでは、巨大なディスプレイの前に真宵アリスが三角座りしている。
ディスプレイには少女がゴリラの掌底を食らうシーンが繰り返されていた。
「全て実話です。ある日、突然私の学校生活は崩壊した。きっかけは下校中に学校の先輩にナンパされたこと。私はすぐにその場から逃げた。男性は苦手です。相手の顔も名前も知りません。興味もない。けれどナンパしてきた先輩はなにを思ったのか『ちっこい新入生につきまとわれている』とデマを流した。たぶん深い意味がない軽口だったのでしょう。けれど当時その先輩と付き合っていた勘違いゴリラさんは気に食わなかった」
真宵アリスの周りにはポツンポツンと一枚ずつ小さな光る板が生み出されていた。
映像の投影によるドミノだ。
「視聴者様に勘違いゴリラさんが悪く思われると嫌なので補足します。勘違いゴリラさんのモデルとなった同級生とはすでに和解済みです。勘違いゴリラさんは高校デビューで舞い上がっていた。周りを巻き込んでの陰湿なイジメなどはない。私も面と向かって言い返してました。私の我慢の限界が来て、対立関係もわずか三日間でしたし、すっぱり解決してます。今ではともに同じ困難を克服した戦友のような感覚ですね」
口調はとても暖かい。浮かべた笑顔は大事な親友を想うかのように。
ネット社会を警戒してのことだ。自分のせいで関係者に迷惑がかかることを許さない。そんな笑顔の威圧だった。
「ちなみに途中で助けてくれた白いナイトは勘違いゴリラさんの幼馴染さんです。実際に色々と私を助けてくれました。当時から勘違いゴリラさんと、ナンパしてきた先輩の付き合いをよく思っていなかったらしいです。カッコいいですけど、いたずら好きな女性の方ですよ」
数を増やしていたドミノが真宵アリスの周りを取り囲んでいた。
徐々に大きくなりながら整列し、倒されるのを待っている。
「ここまでの出来事はありふれた学校のいざこざ。特に思うところはない。ただ脳しんとうを引き起こした私は記憶が混濁してしまいました。記憶をゴリラが侵略したんです。クラスの中心にいた同級生がある日突然ゴリラに置き換わりました。気づいたときには私の学校生活はリアルな女装ゴリラが中心です。ゴリラパニックですね」
遠い目をして述懐する真宵アリス。
当時は本当にパニックに陥ったが、さすがにゴリラのトラウマも克服できていた。
「私は一週間の療養。学校もお休みです。その間はアニメを見たり、ゴリラのことを調べたり、本格的格闘技を習おうと決意していたり。まだ心が折れていません。学校に行って勘違いゴリラさんと戦う気満々だったのです。……登校しようとした日の朝ニュースを見るまでは」
そう言い終えると真宵アリスは近くにあった最初のドミノをコツンと倒した。
ついにドミノ倒しが始まる。
:チェス盤助かる
:卵?
;ハンプティダンプティwww
:ハンプティダンプティが決め顔でナンパしているw
:おっさん顔の卵の分際で
:チェス盤に女装ゴリラ乗せるなw
:ゴリラと追いかけっこ
:今のアリスなら真正面から戦い挑むのにな
:ゴリラに立ち向かうVTuberって
:アリスだし
:勘違いゴリラwww
:収益化配信思い出すわ
:掌底www
:なぜダンクといい掌底といいゴリラのモーションにそんな力入れているんだよw
:ポーンの頭が砕かれた
:ちょっと待てアリスw
:ドミノ
:なにかの演出か?
:配信で勘違いゴリラさんと和解報告してたもんな
:勘違いゴリラさんも色々と苦労人だし頑張れとしか言えない
:白いナイトは勘違いゴリラさんの幼馴染か
:ちゃんと心配して支えてくれる人がいたんだよな
:真面目に語るシーンで掌底の映像繰り返し続けるなw
:ありふれてはないがなくもない話だな
:さらりと説明される女装ゴリラw
:記憶が混濁してゴリラ映像が学校生活に紛れるのは重症だと思うがw
:改めて聞いてもアリスって戦闘意欲旺盛だよな
:一年越しでリベンジ果たすし全勝してるからなアリス
:だから今回も心配してない
:ドミノ始まった
ドミノが綺麗に倒れていく中、右側のステージでは同じ体勢でディスプレイを眺めていた少女が立ち上がった。
部屋着の猫耳パーカーから制服姿に一瞬で着替える。
『よし! もう一度学校に行く。私はまだ頑張れる』
その日の朝。
少女は自分にそう言い聞かせていた。
いつものように洗面所で顔を洗い、寝ぐせを直す。歯を磨く。鏡の前で髪をセットして軽くリップを塗る。準備を整えると朝食を取るためにテーブル前の椅子に座った。
その間もドミノは倒れ続けて、すでに終盤。
少女がテレビをつけた。
『え……なにこれ?』
最後の一枚の巨大なドミノが倒れる。
その先にあったハンプティダンプティに圧し潰された。
――ブチャリッ!
巨大な音が響き渡る。
テレビの中に学校の校門が映し出されて記者姿の軍勢に囲まれていた。
『なにが起こっているの? ……うそ』
少女がポケットからスマートフォンを取り出して調べる。
すると空中に様々な文字が投影された。どれも意味をなさない言葉の数々。その中から二人の双子のトゥイードルダムとトゥイードルディーが登場した。
そして大声でわめき始める。
『ハンプティダンプティが潰された!』
『ぶちゃりとドミノに潰された!』
『どうも痴情のもつれらしい!』
『どうも五又をしていたらしい!』
『五又!? なんとそれは酷い! そんな男に騙される女もバカばかり!』
『バレた理由は下級生のいざこざだ!』
『いざこざ?』
『ハンプティダンプティと付き合っていた女の戦い。最後は流血沙汰になったんだとよ』
『女の戦い? 草生える!』
『ハンプティダンプティを潰したのは負けた女の方だとか』
『名前はなんて言うの?』
『真宵アリスって言うんだとよ』
それを聞いた少女は反論した。
トゥイードルダムとトゥイードルディーに向かって食ってかかる。
『違う! 私はなにも知らない! 本当になにも知らないの!』
『なんだこいつ?』
『知らない』
『ハンプティダンプティってなんのこと?』
『そういえば少し前にそんな祭りがあったような』
『どうでもいいから次の祭りに行こうぜ』
『だな』
『お願いだから聞いて! 誰か私の言葉を聞いて! お願いだから! 私の言葉を聞いてよぉーーーーーーーーーーーーーーー!』
少女が泣き叫ぶシーンで投影していた映像が止まる。
ステージの左側ではハンマーを持った真宵アリスが立っていた。
そして右側と左側のステージの境。
中心に向かって横薙ぎにハンマーを振るう。
「てりゃぁっ!」
――バリンッ!
ハンマーがステージの中央に超えると、右側のステージ全体にひびが入る。
そして絶叫していた少女の姿とともに細かい破片となって砕け散った。
「……これにて鏡の国は滅びました。鏡がいつも真実を写すとは限らない。見たいものだけを映し出すことが多いかもしれない。私はネット冤罪被害者でした。私をナンパした先輩が痴情のもつれで彼女に刃物で襲われた。犯人は私ではありません。勘違いゴリラさんでもありません。付き合っていた恋人が複数人いたらしいです。ネットの情報では五又。でも何人と付き合っていたかなんて興味がない。私には本当に関わりのなかった人なので」
真宵アリスはハンマーをテーブルに立てかけてカメラに向き直る。
その表情は読めない。けれど口調は淡々としている。
「今はこうやって言葉にできます。伝えられます。私の言葉が皆様に届きます。けれど当時は誰も聞いてくれなかった。私の言葉は誰にも届かない。誰も興味がない。私が当時の事件に気づいたときにはネットは違う話題に移ってましたからね。皆好き放題言うだけ言ってデマを信じ込んで忘れてしまう。……さも真実の如くデマをネット上に書き残し、誰にでも閲覧可能な状態で」
真宵アリスは透明に笑う。
誰も責める気はない。どうしようもないこととして受け入れている。そのうえでデマを覆した勝者として笑った。
「ルイス・キャロルのアリスになぞらえた映像物語はこれにて終了。私の過去の話は終わり。……とはなりません。このままではバットエンドです。私はバットエンドが嫌いです。皆様も楽しいほうがいいでしょう?」
笑顔の質が変わる。
無機質だった声に喜びの感情が帯びてくる。
「タイトルを付けるのであれば真宵の国のアリス。家から一歩も出ずに引きこもった。暗い部屋で光り輝くディスプレイの向こう側に焦がれる少女の物語でしょうか? この説明では陰鬱ですね。では楽しめるように結末を明かしましょう。今の私を見てください。光り輝く虹の国にいます! それでは次なるアリスは語りましょう。真宵の国から虹の国に至るまでの物語を」
そう言ったアリスの後ろにはチェス盤が現れて、破壊された白いポーンが少女に変わる。
今は第六列目。ゴリラのいなくなった第七列目にマスを進めようとしていた。
:同級生に顔面を殴られて病院送りにされたのに前向きだよな
:アリスは戦いから逃げないから
:普通の人は恐怖に打ち勝つために本物のゴリラと戦う方法を模索しないから
:ドミノ倒しが終わる
:そういうギミックなわけね
:最初は些細な出来事だったのに連鎖して全てが倒れていく
:ハンプティダンプティが潰れて記者の軍勢か
:トゥイードルダムとトゥイードルディーはネットの住人か
:言葉が通じないから
:なにが本当かもわからない
:ネット冤罪はこうして生まれていく
:……熱が冷めた話題はそのまま放置だよな
:ハンマー?
:世界ごと叩き割ったw
:鏡の国はネット?
:改めて見てもアリスの過去は重いな
:伝わってる
:届いてるぞ!
:ネット上のデマは修正しにくいからな
:終わり?
:バッドエンドのまま終わらなかった女
:一年かけてリベンジしたからな
:迷いの国のアリスか
:漢字違うけどたぶん合ってる
:虹の国……二次元の国か
:言葉遊びだな
:暗い部屋で引きこもりね
:真宵の国から虹の国に至る物語
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作者からの連絡。
ダメな人はスルーしてください。読み飛ばし推奨です。
重要なことは書いていないですし、私も読専の頃は飛ばしていました。
一話の切り時がわからず、二話分の分量になって申し訳ありません。
暗い話はここまでです。
ルイス・キャロルのアリスになぞらえた話も終わり、アリスの過去の振り返りもあと一話です。
次話は座右の銘「show must go on」の更新。
真宵アリスも一年で成長したので。
ちなみにまだ人前には出れないので有観客ライブなどは無理です。
実はこの話は難産で何度も構成を変えて書き直しています。
不思議の国のアリスなどの話を踏襲して書こうとすると、あまりに面白く思えなかったんですよね。以前も書きましたが英語のナンセンスな言葉遊びの作品なので、ストーリーを追うと微妙でした。
けれどやはりアリスがチェス盤を進んでプロモーションするところは踏襲したかった。
ちなみにまだネットテレビ番組内の前座です。
読者様には新情報も話の進展もないです。
WEB小説はすぐに第一章読めますけど、続きで読めば60万文字後。リマインドの意味もあります。
作品内のネット番組視聴者への説明回という謎の構成ですね。演出は変えているので許してください。
個人的には来週からが怒涛の本番です。
今話で覚醒のアルティメット☆アリス(UR)出現に必要な要素は全部用意できたました。伏線張りではないですれど、必要な情報出しは終わりました。
以上、応援や評価★お待ちしてます。
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