第108話 私だったのだ生配信②-真宵アリスの困惑-
「少し長い自分語りになりますが聞いてください。これは私の失敗談。『アームズ・ナイトギア』の制作に携わったキャストの裏話としてご寛容に受け取ってもらえれば助かります」
本来ならばちゃんとアニメについて語るべきだろう。
今回の新規リスナーはそれを望んでいるはずだ。だが諸事情によりそれはできない。なぜなら私は『アームズ・ナイトギア』の制作現場をよく知らないからだ。
セツにゃんと雨宮ひかりさんと石館監督以外の関係者と面識がない。ほとんどの情報がセツにゃん経由だ。
それでは私の配信でする意味がない。
私は自分の失敗談と天依スイについてしか話す内容がないとも言える。
ボッチここに極まれり。
「初日の顔合わせ。顔合わせですからたくさんの人が集まります。恥ずかしながら私は重度の人見知り。そういう場所がかなり苦手です。それになぜか凄く注目を集めてしまう。緊張のあまりあの日はずっとセツにゃんの背中に隠れていました。もちろん失礼がないように挨拶だけは頑張りましたけど」
正直言えばあの日のことはあまり覚えていない。
失礼がないようにキャストと制作陣全員の顔と名前と役名が一致するように覚えたがそれだけだ。ずっとセツにゃんの背中にしがみついていた。
気分は引っ付き虫だった。
「現場でもセツにゃん以外と誰とも喋らず、ずっと他の人を観察してました。そして台本の読み合わせのときに失敗します。初めて他の人と演技する。緊張はありました。でも周りに合わせてちゃんと演技はできていたつもりでした。周りの反応も悪くなかったと思います」
反応は悪くなかったのだ。
周りに上手く合わせられた手応えはあった。
皆が望む演技ができたはず。
結果的にそれがいけなかったのだが。
「監督から私だけがリテイクを連発されました。あまりに多いので個別指導で台本を読みます。けれどその日は合格をもらうことができませんでした。なにが悪いのかわからないまま顔合わせは終わります」
慣れない環境。人見知り。初めての誰かとの演技。
色々なことが重なっての失敗だろう。あのときは本気でそう思い込んでいた。引きこもりにはやっぱり外で仕事するのが無理なのかもしれない。そんな思考停止寸前だった。
「そして歌でも先生からダメ出しです。曰く『歌い方を私に寄せすぎ。本来の持ち味が消えてる』と。当時は先生の後継者と言われていました。だから意識しすぎていたところがあったようです。でも私には自分の本来の持ち味がわかりませんでした」
:ガチ引きこもりだからな
:今も外の仕事がないと家から出ないらしいし
:なぜ注目を集めたのか……メイド服だからだよ
:キャストのつぶやきにもあったなメイド服
:注目を集めない方がおかしいメイド服
:アフレコ現場に現れた人形のようなメイド幼女
:なぜかセツにゃんの満面の笑みが思い浮かんだ
:役得としか思ってないと確信している
:アリスは人前だと上手く演技できないタイプ?
:いやキャスト発信情報だと最初から上手かったらしいけどリテイク食らったらしい
:なにそれイジメ?
:期待が大きかった説が有力
:本番でプレシア教官の演技がパワーアップしていたらしいからな
:歌に関しては天才肌だと思っていたから意外
:習っているうちに他人のモノマネになってしまうあるある
「なにをやっても上手くいかない。なぜダメなのかもわからない。完全にスランプでした。そんな私を救ってくれたの三期生の仲間です。皆さんは以前の三期生コラボのグランピング配信を覚えていますか? 実はあの裏で色々と相談に乗ってもらっていました」
自分らしさについて。
どうすればいいのか。自分になにが足りないのか。ずっとそんな場当たり的なことばかり私は考えていた。
やはり仲間は大切だ。一人ではどうしても引きこもってしまう。家に引きこもるのとはまた別。考え方が引きこもる。
視野が狭くなっていた。
「許可はもらっているので少し話しますね。リズ姉はコンプレックスに悩んだ過去があった。ミサキさんは無気力に過ごすことが嫌で自分探しを始めた。セツにゃんはいつの間にか惰性になっていた氷室さくら時代の自分が嫌いだったと言い切っていた。私だけじゃない。皆色々と悩んだり迷ったりして今があります」
悩みを聞くこと。悩みを話すこと。
それだけでいい。明確な答えが出なくても頭の中を整理することができる。
なにより自分以外の考え方を知ることが大切だ。
あのとき私の視野は広がった。だから私は自分を見つめ直すことができた。
「私はいつの間にか自分らしさを失っていたんです。初心忘れるべからず。先ほど自分の座右の銘を発表したのは自分への戒めでもあります。どうすれば上手くできるの。皆に合わせないと。皆が望む歌い方は……。そんな考えばかりが頭の中を支配していました。自分がどうしたいか。自分がいいと思うモノを否定していました。他人に迎合することを優先した。成功すること。失敗しないこと。そればかり気にしていました。自分が大事にしたい指標を疎かにしていたんです」
:てぇてぇ
:アリスは空を駆けながら悩んでいたのか
:スランプの中で命綱なしの高所アスレチック全力疾走か
:あのギリースーツの裏にそんなことが……
:……今回初見なんだがコメント欄おかしくね? VTuberだよな
:アリス劇場だからな……俺達はいつアリスがゴリラの件でワシントン条約と戦うことになっても味方する覚悟だ
:ゴリラ……?
:やべぇ奴らの集まりだったか
:嘘偽りなく話すだけでなぜかカオスに
:グランピング配信がかなりカオスだったからな
:悩みを話し合える仲間っていいな
:初心忘るべからずか
:大切だよな
:生きているといつの間にか上手くやることや失敗しないことが大事になる
「私は自分らしさを迷子にしていました」
今も自分らしさについては考える。
理想の自分についても考える。
難しい理想像は要らない。ただ楽しくて、ありたい自分を思い浮かべる。
「自分を見つめ直す。すると忙しさを理由に配信前にしていたルーティーンさえ杜撰になっていたことに気づきました。デビュー配信の頃は緊張でなにも考えられなかった。収益化配信のときは配信を続けようと決意表明した。その当時の気持ちを忘れていたわけではない。でも成功体験を重ねるうちに慣れと惰性が生まれていた」
だから一からやり直した。
基本に忠実に。
ルーティーンを守って。
なにを思い、なにを話すか。どう演じるか。どう歌うのか。
どこまで自分がどうしたいのかを追求した。
「歌は歌詞に込められた意味を忠実に。歌っている間も上手く歌おうと考えていた。歌唱技術を求めるのは悪いことではない。けれど表現のための技術です。技術を優先するあまり、表現を疎かにしては話になりません」
考えながら歌っている時点でダメだった。
反省して何も考えず心のままに歌う。気持ちよかった。
月海先生からも『ようやくマシになった。あなたはなにも考えず、ただ歌に想いの乗せなさい。技術面で改良する箇所があれば指導するから』と合格点をもらえた。
「演技についてはなにがダメだったのかわかりませんでした。だからセツにゃんから色々とアドバイスをもらいました。セツにゃんは年下ですけど芸歴が長いベテランさんですからね」
『演技の答えは監督が決めます。演者は答え合わせではなくただ全力で演技するべきです。ダメなら演技指導されるだけですから』
「そう教えられました。なるほどです。私は思い違いを正されました」
あれはとても助かった。
全力で自分が思い描いた演技をしていなかった。
ただ答え合わせを求めていた。私は周りから浮かないか。自分が周りからどう見られるか。それだけを考えて演技をしていた。
作品全体を見て演技の良し悪しを決めるのは監督だ。これが答えかなと顔色をうかがうような演技をされても監督は困るだろう。
そんな基本的なところが理解できていなかった。
「私はいつも自室で引きこもって一人全役でアフレコしていました。言い訳になりますが、他人と一緒に演技するのが初めてです。作品としてアフレコするのも初めてでした。収録現場がよくわからず、周りの目ばかりを気にしていました」
これは本当に言い訳だ。
自分の演技ができない理由にはならない。
「人見知りもあります。誰かの顔色をうかがってしまう。自分の演技を放棄して他人に演技を合わせてしまう。私は本当にダメダメでした。するとセツにゃんから提案がありました」
『他の人がいるとダメなら他の人を省きましょう。一人全役でやりきればいいんです』
「そんなことできるのか疑問でした。でも石館監督ならば大丈夫だと。より良い作品作りのためなら形式に囚われないタイプの監督だから、むしろ見たがるはずだと言われます」
無意識に他の人に演技を合わせてしまう。そのせいで自分の演技ができない。それならばいつも通り一人で全部やればいい。
ただ苦肉の策だった。
「そんな流れで私は一人全役アフレコを石館監督の前ですることになったんです。ネットなどで一人全役アフレコを凄いと褒めてもらえて大変恐縮です。けれど作品全てを自分で作り上げる一人全役アフレコが私のスタイルだっただけ。他の人と演技ができなかった。役に没入できる方法がそれしかなかった。だから褒められることではないんです」
:アリスはよく迷子になるな
:自分らしさを迷子か……俺もだよ
:自分を見つめ直したり初心に返ることがどれほど難しいか
:反省できてえらいよマジで
:……ごめん自分を見つめ直したら死にたくなったんだが?
:俺を含めてできない人間が大勢いるからな
:惰性と慣れはどうしても生まれてしまう
:これはセツにゃん大活躍!
:ぶっ飛んでいると思っていたセツにゃんが裏でちゃんとしていたなんて
:もしかしてセツにゃんって凄い奴なのか
:いや桜色セツナは普通に凄いだろ
:昔は子役第一線で活躍して現在はVTuberとして成功して声優デビューも成功して……そうか凄い奴だったのか!
:セツにゃんの残念イメージでバランス取っているだけ
:どうしてバランスを取る必要があるんですかね
:答え合わせの演技はダメか
:語られる一人全役アフレコの裏側
:その影にもセツにゃんが
:セツにゃん「……チラッ」
「一人全役アフレコを終えると石館監督は満面の笑みで迎えてくれました。聞けば顔合わせの日の演技にも特に不満はなかったらしいです。私の演技したあとの表情が気になったからリテイクになったと。どうも私は迷った表情をしていたらしいんです。演技の良し悪しの問題ですらなかった。顔合わせの読み合わせ。キャストととしての自己紹介。自分のできる全力の演技で表現しさえすればよかった。それだけなのに私は自分の演技をせず、答え合わせをしようとした。リテイクを食らって当然ですよね」
結局は私の独り相撲だった。
演技に正解なんてない。答えの決定権は監督だけにある。演者は全力で自分の演技に没頭するべきだった。
周りに合わせて上手くやるのは大切だ。でもそのために周りの顔色を伺うような演技していては認められるはずがない。自分も監督も視聴者も全力の演技を求めているはずなのだ。
「本当はそのあと私も他のキャストの方と収録日に望むはずだったんです。一度やりきったことでプレシア教官という役はつかめていました。石館監督からも認められています。もう他のキャストの前でもプレシア教官役の演技ができる自信がありました。けれど想定外のことを石館監督から聞かれます」
『アリス君はさっき以上の演技を収録日にできるの?』
「全力で演技したあとです。さっき以上の演技と言われると答えられませんでした。するとですね」
『だよね。先ほどの演技は素晴らしかった! あれこそが俺の求めていたものだ! そんなわけでさっきの音源は本採用で。あれをそのまま使うから収録日は来なくていいよ』
「と言われてしまいましてですね。……ポカーンでした」
あれには驚いた。
確かに全力の演技はすでにした。収録日にあれ以上の演技を求められてもできるかわからない。
でも他のキャストとの兼ね合いはどうするのだと。初心者でもそれぐらいはわかる。当日の微調整が必要じゃないのか。現場にいなくていいのか。
確認すると『俺が答えだ。さっきのアリス君の演技に他のキャストが合わせればいい』と返ってきた。
なるほどセツにゃんの言う通りだった。監督に決定権がある……だけではない。監督という人種は変人が多い。演技の答え合わせなど無駄という意味も含まれていたらしい。
「それ以後も私はボッチ収録で全話一人全役アフレコでした。私は人見知りですし気が楽ですよ? 元々作中歌で別スタジオ収録も予定されていましたよ。でもでも他のキャストまったく話せてません! いつの間にか現場で謎多き人物です。本当に収録に参加しなくていいのか何度か石館監督に確認したんですよ。それなのに」
『その方が面白い』
「と返ってきます。面白いってなに!? 現場の様子がわからない。困った私はティナ役として参加しているセツにゃんにも確認します」
『皆さんアリスさんに好意的ですよ。私がちゃんとアリスさんの魅力をバッチリ布教していますから!』
「不安しかない! セツにゃん布教ってなにしたの? 雨宮ひかりさんとも話す機会がありましたけど」
『……アリスさんも大変ですよね』
「となぜか深く同情されました。……そんなわけで私は現時点でも収録現場の様子を知らないのです。心細いです。以後ずっとハブられボッチです。いえハブられボッチは慣れているからいいんです。でも現場の状況を教えてくれるのが石館監督とセツにゃんだけなのはかなり不安です」
:スランプ脱出おめでとう!
:演技後のアリスの表情を見てリテイクされたのか
:ポカーン
:ポカーンwww
:それでいいんだw
:そりゃあすでに監督が納得できる声の音源が録れたならわざわざ収録日に改めて収録する必要ないか
:ハブられボッチ収録www
:気難しい性格難の天才肌なのかと思っていたら
:アリスは突拍子もないが親しみやすいぞ
:いつの間にか謎多き人物には草
:その方が面白いって絶対楽しんでる
:セツにゃんwww
:現場でも布教するなwww
:会っていないのに周りが好意的になっていく恐怖
:雨宮ひかりとはラジオや配信で共演していたな
:同情w
:同じくセツにゃんの奇行に振り回されている仲間だからな
:アリスって奇行が多いし周りを振り回すタイプに見えて振り回されていることのほうが多いよな
:実は今日の配信でもすでに一人六役やっているが自然と受け入れている俺がいる
:あのセツにゃんと石館監督の二人経由でしか情報が入ってこないのは怖いな
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