第76話 かつてのライバルの転生に困惑しかない①_side雨宮ひかり
数年前に子役ブームがあった。
個人的には子役時代は忙しかった記憶しかない。
当時は学校行って、現場で演技して、褒められて、また次の仕事に行っての繰り返し。言い方が悪いが可愛がられるのも仕事だった。可愛がられなければ態度が悪かった。叱られる。そう思っていた。
現場で可愛がられるように振る舞うのが義務。そうしないと次の仕事がなくなるとも教えられてもいた。
人気者なんていう自覚はない。
仕事が楽しいとも思わなかった。
そんな私に三つの転機が訪れる。
一つ目はまず演劇の舞台の主役をやったこと。
ちゃんと役を理解する。その舞台で求められる表現をする。そんな指導を受けたのは大きかった。
ここで求められるのは役であって私ではない。演技ができる子役でもない。私は役を勝ち取ったのだと実感できた。
本当の意味で芝居の世界を意識したのはそれが最初だ。
言い方は悪いがテレビドラマ撮影は芝居のできる子役が必要だっただけ。子役に役者であることを求めなかった。そのうえ人気が出ると私のイメージにあった役が用意された。私というキャラクター以外の演技が必要なかったのだ。
だから芝居を楽しいとも思わなかった。
二つ目は劇場映画の声優の仕事に挑戦したこと。
声だけで全てを表現する。
演技と声以外は求められていない。カメラの前では可愛がられなければいけない。そんな意識があった私には息苦しさから解放された気がしたのだ。
収録現場には子役だし下手でも妥協しよう。そんな空気もあったが無視した。
声が固かったり、自分の演技に納得できなければ何度もやり直させてもらった。周りの声優さんにも教えを乞う機会もあった。快く教えてもらったし、芝居に熱心だと好意的に受け止めてもらった。
実際は子供のわがままだ。迷惑だったと思う。
ただ『もっとやりたい』とわがままを言いたくなるほどに、役に没頭することが楽しかったのだ。
そして三つ目は氷室さくらと出会ったこと。
同い年の子役。演技が上手くて落ち着いた子という評判で現場で一緒になった。大人はなにかと私達をセットにしたがり、同世代子役コンビ『ひかさく』結成することになった。
一緒にいて楽。嫌う要素はない。でも嫌いだった。たぶん唯一ライバル視していたから。氷室さくらには負けたくないと思っていた。なによりちゃんと勝負してほしいと願っていた。
第一印象は大人っぽくて要領のいい子。空気が読めて役を掴むのも早い。
でも次第にわかってくる。氷室さくらは天才肌だ。私よりも演技ができるのにしない。可愛がられようとも思っていない。仕事を失うことも恐れていない。
つまりやる気がない。熱意もない。冷めていた。
そのことを理解して嫌いになった。もっと真面目に打ち込んでよ。我ながら理不尽な憤りを覚えていたものだ。氷室さくらからは相手にされていなかったけど。
例え演技が上手くても本人のやる気がなければ消える業界だ。
氷室さくらは次第に出番を失くして消えていった。
子役ブームも過ぎた頃。
私は舞台を中心に活動する舞台少女となり、現在は声優に転向した。
ネームバリューは強みであり重荷でもあった。
順風満帆ではない。現在の若手声優の登竜門となっているアイドルアニメのオーディションには落ちている。子役時代の印象が強すぎて箱売りグループ売りに向かないからだ。
それでもいくつか名前ありの役をもらって認められた。そしてようやく主役の座を勝ち取ることができた。
初主演アニメ『アームズ・ナイトギア』。
まさかこの作品でかつてのライバルの名前を見ることになるとは。
運命を感じずにはいられなかった。
「氷室さくら……じゃなくて今は桜色セツナか。今更あの子とまさかアニメで共演することになるなんて」
VTuberになったのは知っていた。
あちらの業界用語では転生。氷室さくらは桜色セツナに転生したのだ。
かつては一方的にライバル視していた相手。現場では仲良くしていたが心情的に友達ではない。幼馴染ではある。ずっと特別であり続けた存在だ。
共演者の今を知るのは大切なこと。
そう自分に言い聞かせる。
実は桜色セツナの存在を知っても動画を見るのを避けていた。成功しているとは聞く。それでもかつて消えて行ったライバルだ。
現在の姿を確認するのには勇気が必要だった。この機会に今の氷室さくらの姿を見てやろう。
そう決意して桜色セツナのチャンネルを再生する。
「……誰だこいつ?」
面白おかしい配信を見終えた私の感想だ。
あの物静かで冷めた美少女はいずこへ?
一言で表せばバカっぽい。
でも見返せば盛り上げるために計算された言動だとわかる。……たぶん。私がそう信じたいだけかもしれない。
三十秒に一度は『アリスさん』という人物名が出て、早口でエピソードトークが繰り広げられて、コメント欄が『てぇてぇ』で埋まっていく。なんと計算されたトーク技術なのだろう。感心するしかない。……本当に?
こんな氷室さくらを私は知らない。
信じたくない私は桜色セツナのアーカイブを掘り返し始めた。
デビュー配信のときは面影がある。そして全て見終えて悟った。
「なるほど……氷室さくらは死んだ。ううん転生して桜色セツナになった。転生とはよく言ったモノね。理解したわ。氷室さくらは桜色セツナではない。桜色セツナは氷室さくらではない。二人は別人なのね。……氷室さくらは元気にしているかな? 久しぶりに会いたいな」
天才肌の嫌いな幼馴染に思いを馳せる。
恋しい。
そして受け入れがたき初対面の相手との共演に気が重くなる。
「会ってどう接すればいいんだろ……私にこの喪失感と困惑を受け入れられるかな」
かつてのライバルが手の届かない世界に旅立ってしまった。
戸惑いと悲しみが消えない。
そこに私の心を更にかき乱すニュースがマネージャーから伝えられる。
『ひかり。今度のアニメの主題歌を歌ってもらうかもって話が流れたわ』
「……え?」
『やられた。いえ正直あれは仕方がないわね。虹色ボイス事務所の子が採用されたの』
「まさか桜色セツナですか!?」
こっちは元舞台少女だ。ミュージカルも経験している。歌には自信があった。だからアイドルモノのアニメのオーディションも受けていた。
うん……アニメでアイドルしたかった。未練だ。
だから主題歌を歌うという話は楽しみにしていた。
それなのに桜色セツナに取られるなんて。さすがかつてのライバル。今ここで立ち塞がるのか。
そう思ったが違った。
『桜色セツナじゃなくて、同じ事務所で最近歌手デビューした真宵アリスって子。ネットに動画上がっているから聞いてみなさい』
「真宵アリス! まさかあの『アリスさん』!?」
『あれ? 桜色セツナが子役時代の友達なのは知っているけど、真宵アリスとも知り合いなの?』
「……名前だけです。会ったことはありません」
桜色セツナの配信を視聴しているうちに洗脳されてしまっていた。
勝手に見知った相手のように錯覚を抱いている。
まさか会ったこともない『アリスさん』に胸躍ったとは言えない。
『その割には反応がよかったわね。まあいいわ。準主役級の役で声優としても参加するらしいの。共演者として仲良くしなさい。主役は雨宮ひかりだし、虹色ボイス事務所とは仲良くしておいて損はないわ。あそこはあなたが目立つようにお膳立てしてくれるはずだし』
「お膳立て? どういう意味ですか」
『虹色ボイス事務所はそういう立ち位置なの。業界の不文律ね。自分たちのチャンネルで宣伝もするから主役はやらない。メインキャストを立てる。役をもらっても二番手か三番手。今回みたいに準主役級の役を二つと主題歌まで取るのは珍しいわね。新人二人のデビュー作だからでしょうけど』
「へぇーそういう事務所もあるんですね」
『……本職はあくまでVTuberってことよ。発足当時は声優活動の風当りが強かったらしいわ。だから主役をやらないの。宣伝してアニメの盛り上げ役に徹する。そうすれば他の事務所もキャストも受け入れるし協力しやすくなる。仕事も舞い込みやすくなる。あそこは一期生が元から声優として活躍していたけど、VTuberデビューしてからは色々徹底しているわね。同じアニメに出演するのも二人までとか。オファーがあっても四人共演はしないとか』
「……それって言っていいことなんですか? 役の談合みたいですけど」
『問題ないわ。大事なのは良い作品を作って成功すること。全ての役が厳正なオーディションで決まるわけもない。事務所枠があるのも珍しくないし。ただ虹色ボイス事務所が一つのアニメでここまで仕事取るのは異例ね。こちらとしては助かるわ。虹色ボイス事務所の全面バックアップなら話題になるだろうし。主役のひかりも虹色ボイス事務所と関わることになると思うから覚悟しておきなさい』
「覚悟?」
『番宣のために虹色ボイス事務所のチャンネルにゲストとして呼ばれたりとか。VTuber化してね』
「私がVTuberに!?」
『過去事例から言えばあり得ない話じゃないの。ちゃんとトーク技術も磨いておきなさい。固定ファン獲得のチャンスよ』
そう告げられて仕事の話は終わった。
共演するのは桜色セツナと真宵アリス。
主題歌は真宵アリスで決定した。私の歌の話は流れてしまったようだ。悔しい。
最近はずっと桜色セツナの配信を追っていた。真宵アリスの配信までは見ていない。実は何度も『アリスさん』の実在を確認しようか迷っていた。その度に踏み止まっていた。もし氷室さくらのようになってしまったらと思うと怖かった。
でも共演するなら見るべきだ。
マネージャーの『仕方がない』という言葉も気になる。
桜色セツナの配信を見ている限り『アリスさんは真面目で小さくて可愛くて優しくて凄くて可愛くて……』という美辞麗句がループしていく印象しかない。思い返してはダメだ。かなり中毒性があって『アリスさん』が頭から離れなくなる。
果たして本物の真宵アリスは一体どんな存在なのだろう?
氷室さくらを桜色セツナなどという面白おかしい存在に覚醒させた怪物。
未知との遭遇に対する恐怖心を抑えつける。
私はついに真宵アリスの歌手デビュー配信とミュージックビデオを再生した。
「……これが真宵アリス」
呆然と。
気づかないうちに天を仰いでいた。
「ああもう……本当に仕方ないじゃん」
単純に歌が上手いというレベルではなかった。
ステージが違う。
歌は先天的な才能が大きい。もちろんトレーニングを積めば上手くなる。けれど声質。特に高音のノビや声の厚みなどはどうしてもトレーニングではたどり着けない部分がある。
まさに天性の歌声だった。
心の底から真宵アリスと歌で争うのは避けたい。
うちの事務所があっさり引いた理由もわかる。
大事なのは作品の成功だ。
事務所は私の歌活動のチャンスより、初主演作の成功の方を優先したのだろう。
真宵アリスが主題歌を歌えば話題になる。注目を集める。成功する。そう期待してしまうだけの力があった。
こうなると他の動画も気になってくる。
手が自然と真宵アリスのアーカイブを追っかけようとしていた。
「……また寝不足になりそう」
その三日後、二人のチャンネルのメンバーズ登録をした。
投げ銭はしていない。
年齢認証の壁が正気に戻させてくれて助かった。
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