第四章 ーBe yourself, Everyone else is already takenー
第75話 暗闇の中の挫折
今日はディスプレイになにも映っていない。
端末を起動させていないので当然だ。
部屋の明かりも消している。
真っ暗な部屋の中心で三角座りしているとVTuberデビュー前の引きこもり時代に戻ったようだ。
あれからずいぶん時が経って……ふむ?
引きこもり時代をまるで遠い昔のように思い返してしまったが、カレンダーではまだ半年も経っていない。
最近ずっと忙しかった。
デビュー配信、収益化配信、外に出て公式配信で一期生とコラボして、二期生ともコラボして、歌手デビューまでして。
なるほど……密度が濃い。
確かに『少し休め』と言われれるのも仕方なしかもしれない。
活動休止という意味ではない。
数日くらい配信や仕事のことを考えず心を休めろと言われたのだ。
きっかけは仕事に失敗したこと。
歌手デビューしてから慌ただしくなった。
配信でも新規のリスナーさんが増えた。
リスナー間で揉めることもあったらしい。
色々な意見が出る。
中でも多かったのは歌の要望。
歌手デビューしたからにはそういう声がないはずはない。
以前と違う。
変化を求められる。
いつもの配信が新しい環境に変わっていた。
バランスが崩れる。
そんなとき事務所に舞い込んだ大きな仕事。
来季の新作アニメ『アームズ・ナイトギア』の主題歌と声優としての出演依頼だ。
マネージャーも月海先生も『まだ早い』と難色を示した。
でもチャンスであることは否定できなかった。
だから受けることになった大仕事。
元々この作品は子役経験があり、声優活動を視野に入れていたセツにゃんの出演が決定していた。
そこに歌手デビュー直後で話題性がある。同事務所で相乗効果もある。今ならなんと売込中の超特価というお得物件にもお声がかかった。
私、真宵アリスのことだ。
その現場で私は求められた仕事ができなかった。
「……『なにかが違う』ってなに?」
キャストの顔合わせと簡単な台本の読み合わせ。
ちゃんと原作ライトノベルも漫画版も読み込んだ。
魔力を持つ美少女が顔出し一体型のメカニカルな兵器を装着し、謎の怪物と戦う世界観。
主人公は魔力は非常に高いけど制御が苦手な軍の訓練生。
組織所属型の成長モノ。
メカと魔法と美少女。
ある意味鉄板の構成だがハーレムモノでも大勢の美少女キャラが売りでもない。
味方も死んでいくハードなバトルと主人公の成長を描いた人間ドラマが売りだ。
私の役は主人公に近しいキーパーソン。
ちゃんと役のイメージも構成した。
独り善がりの演技にならないように他のキャストさんの演技を参考に修正もした。
初の声優挑戦だ。
絶対に失敗してはいけないと意気込んでいた。
それなのにアニメ総責任者の石館監督に言われたのが『なにかが違う』の一言。
私だけが何度も同じシーンをパターンを変えてリテイクする。
その度に『なにかが違う』と言われ続ける。
演技が下手でダメならわかる。
理由が『声ができていない』『役に合ってない』『イメージが違う』『浮いている』とかならまだ理解できた。
演技がダメとは一度も言われず『悪くはないんだけどなにか違うな』と首を傾げられて『もう一回』と言われるのだ。
具体的になにがダメかわからない。
やりなおしの連発で現場は微妙な空気になる。
ただ私を責める空気でもなかったのは救いだった。
他のキャストもスタッフも止める理由がわからないらしい。私ではなく石館監督のダメ出しに困惑していた。
別に新人いびりや私の起用に不満があるわけでもない。そもそも真宵アリスの起用を決めたのも石館監督らしい。反骨心も湧かず、期待に応えられない申し訳なさと困惑に苛まれる。
今回の集まりは顔合わせの意味合いが強かった。主要キャストが新人中心のため余裕のあるスケジュールが組んでいるらしい。
結局、私は一度も合格をもらえないままその日はお開きとなる。
帰りの車で子役上がりのベテランのセツにゃんから慰められた。
「アリスさん。こういうときはあります。現場では監督が絶対です。監督のイメージと齟齬が出るとやり直しです。自分がどれだけいい演技だと思っても、正解は監督の頭の中にしかありません。個人的に石館監督はちゃんと完成形を描けている良い監督だと思いますよ。アリスさんが嫌われているとか、新人いびりという感じでもなかったですし。むしろ期待しているからアリスさんにだけ要求が高かったように感じました」
さらに失敗は月海先生とのレッスンでも起こった。
アニメ主題歌のデモを歌ってみたのだが。
「ダメ。論外。今日は基礎トレーニングだけでいいよ」
「えっ?」
いつになく冷たい言葉にショックを受けた。
元々歌には厳しい先生だけど『もう歌うな』と言われたのは初めてだった。
月海先生の表情に怒りや呆れはない。
どこか予想していたかのような表情だった。
「今日は……ううん。しばらく歌わない方がいい。どうせ悪化するだけだろうし。全くだから急ぎすぎだって言ったのよ。アリスも外野の声に惑わされないで。どうせ私の昔の映像とか見たんでしょ。『後継』とか『二代目』とか言われて」
「どうしてわかったんですか?」
確かに最近ずっと見ていた。
声質や体格まで似ている私よりも上手い先生。
学ぶにはこれ以上の教材もない。
……はずだったのに。
「歌い方を私に寄せすぎ。本来の持ち味が消えてる」
「寄せすぎ……私の本来の持ち味?」
「私から答えを言うのはやめておくわ。こういうのは自分で取り戻すのが大事なの。あなたの場合は言われた通りに調整できてしまいそうだから。ただ言えることは私は自分の劣化コピーを望んでない。そんなことのためにあなたの指導しているわけじゃない。アリスは私と声質が似ているかもしれないし、歌い方も私が指導しているから似ている部分がある。けれど真宵アリスに才能を感じたから指導しているの。だから自分の歌い方を取り戻すまでは歌うな」
「……自分の歌い方。あのもう少し練習を」
「今は焦るな。悩んで無理して歌って。それで喉を痛めるだけだから。悩み苦しんだ時間が人を強くするのは嘘よ。自分の力で困難を乗り越えれば強くなることは本当。でも時間も苦労も比例しない。達成感が肥大化するだけなの。努力と苦悩は裏切らない。そうやって無理をして潰れる人の方が圧倒的に多い。ときには悩みを忘れて休んだ方が近道になるから。だから一度歌のことは忘れてリセットしなさい。ただ基礎トレーニングはするように」
「……わかりました」
「こら落ち込まない。予想されていたことでもあるのよ。歌手デビューでもなんでも成功したあとが大事なの。色々な情報が一気に入ってきて忙しくなる。期待されて頑張らないとと空回りする。そして本来の自分を見失う。……誰でもね。一番メンタルケアが必要な時期。本当ならすぐに次の歌の仕事とか入れたくなかったのよ。今回は期限に余裕あるからマシだけど」
月海先生は私が理屈っぽいことを知っている。
言葉を尽くして理由を説明した方が納得して休むとわかっているのだろう。
そのうえで包み隠すことなく自身の経験も踏まえて、よくあることだと教えてくれている。
私の不調を先生が想定していたのは本当のようだ。そこまで言われたら従うしかない。
そんなわけでリセット休暇。
自分を取り戻すために休みをもらったのだが。
……やることがない。
歌もアフレコもスランプだ。絶不調である。
基礎トレーニング以外であまり喉を使わない方がいいだろう。月海先生に悪い。
ではなにをするか。
朝の掃除も洗濯も終わったし、時間のかかる料理する気も起きない。
エゴサやまろやか便の確認?
リスナーさんの声は嬉しいが『外野の声に惑わされるな』というお言葉もいただいている。
突発的なゲリラ配信もするつもりはない。
なにもする気が起きない。
三角座りからそのまま後転して、くるりと立ち上がる。
手足を伸ばし関節を回し柔軟体操を始める。
身体が温まってきたら今度は金剛杖を持って棒術の型を流す。
「よし! こういうときはなにも考えず身体を動かすに限る」
頭の中に思い描くのは因縁の相手。
女子高生の制服を着たゴリラだ。
本人とはもう和解済み。だから勘違いゴリラとは呼ばない。
暗闇に包まれた部屋の中で明瞭に浮かびあがる女子高生の制服を着たゴリラの姿。
いつもの不敵な笑みを浮かべてドラミングを始める。
一説にはドラミングは挑発ではなく『喧嘩は止めようぜブラザー。ラブアンドピース』という意味らしい。
でもこいつには関係ない。女子高生の制服を着ている時点でなんかアウトだから。
今ならばあの筋肉の鎧を貫けるだろうか?
集中力を高め、いざ尋常に勝負!
――ブーブーブーブー
と、やる気を出したところでスマートフォンに着信があった。
画面に映し出される相手の名前はセツにゃん。
急いで電話に出る
『もしもしアリスさんですか?』
「うん。おはよう」
『おはようございます。今大丈夫ですか?』
「大丈夫。ゴリラと死闘を演じようとしていただけだから」
『……え? 本当に大丈夫なんですかそれ!?』
電話の向こうでセツにゃんが慌てている。
ぼんやりしすぎていたようだ。
ちゃんと説明しないと。
「大丈夫。憎き宿敵。女子高生の制服を着たゴリラに一矢報いようと、今の自分ができる最高の突きを放つ直前で。些細なことだから」
『全然些細なことじゃない!? え? 女子高生の制服を着たゴリラ? え? あーーーっ! 収益化配信のときに言っていたアレですか? なんかまた見えたんですか?』
「見えたわけじゃなくて。瞼を閉じてほら想えばそこにいるというか。いずれアレに勝たないとと思っていて。最近配信が忙しくて満足に身体を動かしてないから。たまには戦わないとゴリラの力が強大になっていたらヤダし」
『……相変わらずバトル漫画みたいな鍛錬してますね。そうじゃなくて今度の土曜日にオフコラボしませんか? 三期生全員で!』
「オフコラボ? でも私は今配信は休めって」
『マネージャーさんも了承済みなので大丈夫です。場所は自然豊かなキャンプ場。といっても設備完備でシャワー可能なグランピング施設です。ミサキさんが無料の招待券をもらったはいいものの使い道がないそうで。現在オフシーズンで空きもあるらしいので』
「……外のキャンプ場」
そんなの何年ぶりだろうか?
小学校の頃まで遡る。
……デカいムカデ。
なにがあったか詳細は語らないがあれ以来虫が苦手だ。
断ろう。
「ほらやっぱり今遊んでいる場合じゃないというか」
『想像の中のゴリラと死闘を演じるより有意義かと』
「……違いない」
『月海先生も部屋に引きこもるより環境を変えた方がいいって快諾してます』
すでに回り込まれている!? 逃げ道がない!
でもここは引きこもりとしての矜持。
グランピングだろうとキャンプ場で遊ぶなんてことはできっこない。
『あとマネージャーさんから「グランピングはほぼ屋内。だから虫は出ないと思うわよ」とのことです』
「了解。三期生全員のオフコラボは楽しみだね」
引きこもりの矜持も虫が出なくて屋内ならば大丈夫と言っている。
こうして初めての三期生四人だけのオフコラボが決定した。
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