第50話 休憩室の攻防④
さて自己紹介は終わった。
これからどうするのだろう。
衝突事故のような二期生との邂逅。
なにか目的があって集まったならば話すこともあっただろう。
だが不意に出会ってしまったらなにも思い浮かばない。
気まずい。コミュ障にはつらい展開だ。
三期生の中だとセツにゃんが積極的に話題を振ってくれる。
リズ姉もミサキさんも乗ってくれるので話題が尽きることはない。こういうアウェイ空間になるとコミュ障には打破不可能だったりする。
今からでも呼んだらセツにゃんは来てくれないだろうか。
そんなことを考えていると碧衣リン先輩が口を開いた。
「カレンのはともかく。私の『とても残念な波動を感じる』は冗談だから気にしないで」
「冗談?」
「私はそれを知っていただけ」
碧衣リン先輩が私の持っている黒猫パーカーを指さす。
「新進気鋭のアパレルブランド『ファンタジックわん』の商品コンセプトナンバー十七。これであなたも偽装スキルを習得できる隠者の黒猫パーカーだよね」
「『ファンタジックわん』を知っているんですか!? しかもコンセプトナンバーと正式な商品名まで!?」
「ん。私はあそこの商品は毎回確認している常連だから」
碧衣リン先輩が自慢気に胸を張る。
果たして下がジャージの女性に常連と言われるのはアパレルブランドにとって名誉なのだろうか。
「有名なブランドなの?」
「とてもマイナーです。コスプレーヤーの方が立ち上げたアパレルブランドで販売は専用サイトの通販のみ。全て個数限定販売。サイズ条件が厳しくて大衆向けではない。自社の動画配信チャンネル以外で宣伝もしない。本当に知る人ぞ知るです」
「へぇ。よくリンちゃん知っていたね」
「ネットサーフィンで面白い動画を探していたら見つけた。どこかの会議室でレンジャーもののピンク五人がゲンドウスタイルで次の商品をどうするのか話し合っていたのが衝撃的だった」
「……え? なにそれ」
ヴァニラ先輩が本気で困惑している。
動画配信チャンネル『ファンタジックわん』で行われる商品会議は完全にコント形式なので衝撃的かもしれない。
「『ファンタジックわん』は元々コスプレーヤー集団がやっていた動画配信チャンネルでアパレルブランドではなかったんです。コスプレショーやコントをしていて。その中で『こんな服あったら面白いかも会議』という人気企画を博して本当にアパレルブランドを立ち上げちゃったんです。その流れがあって『ファンタジックわん』の商品会議は参加者全員コスプレしながら動画配信するという決まりがあります」
「えらい面白そうなことやっとるな」
「面白い人たちですよ。今も本業は動画配信とコスプレらしいです。でもアパレルブランドの方も好調で。広告費いらず。個数限定数でしか作らず全商品がほぼソールドアウト。受注生産もなし。作る商品も面白いと思わないと作らない徹底ぶり。製品全てコンセプトがしっかりしていて凝っているんです。隠者の黒猫パーカーもリバーシブル構造で裏側は着るためではないんです。頭から被さってファスナーを閉めると外からは黒猫リュックサックに見えるように偽装できるスキル機能付きです」
黒猫パーカーを裏返して渡すとキツネ先輩が手に持って確認した。
「よくできとるな。アオリンが置かれているリュックサックを勝手に開けようとしたときはさすがに引いたけど、これ知ってたんか」
「ん。さすがに私も知っていなければ他人のリュックサックは触らない。私も欲しいと思った商品。サイズ制限があってパーカーとしてはともかく偽装スキルは使えなかったから諦めた。実物見るまで本当に偽装スキルの使い手がいるとも思わなかったけど」
「……本当によくできてる。私は至近距離から見たのに全然気づかなかった」
「ちょっとやってみたい」
「試してみますか?」
黒猫パーカーはカレン先輩の手に渡った。
至近距離で見て偽装できていたならば私の偽装スキルに問題はなかったようだ。
碧衣リン先輩のように知っていなければ見破れないなら安心かもしれない。
「それにしてもアリスちゃん。私よりも『ファンタジックわん』に詳しい」
「ねこ姉とマネージャーの受け売りです。かつてコスプレ業界を二分した勢力。犬派猫派論争の果てに対立するチームわんとチームにゃんの争いがありまして。ねこ姉たちはチームにゃんでした。そして『ファンタジックわん』はチームわんのメンバーの動画配信チャンネルから発展したのだとか」
「犬派猫派論争でコスプレーヤーの勢力争い。なんや知らん世界やけど凄そうやな」
「実際は仲が良くてイベントを盛り上げるためのパフォーマンスだったらしいですけどね。ねこ姉の伝手で『ファンタジックわん』の方々にはお世話になっています。私はメイド服しか着ないので隠者の黒猫パーカー以外持ってないんですけど。耐斬性能のある布地など強化素材を融通してもらったり、いかにして防御力を上げるか改造メイド服の相談に乗ってもらったりしてます」
「アリスちゃんにそんな伝手が」
「強化素材の融通。改造メイド服の裏側が明らかに」
「……人の繋がりって凄いんやな」
初対面の先輩方と配信外でもちゃんと一人で話せている気がする。
一期生の先輩方とはいきなりの配信。しかもドッキリだと勘違いしていた。ずっと真宵アリスのお仕事モードだったのだ。
その流れでいつの間にか話せていた。三期生の仲間がいたのも心強い。
だが今回は一人だ。
これはコミュ障としては快挙だろう。
もちろん二期生の先輩方の人柄が大きい。
「あれ? これってどうやって閉めるの?」
声につられて視線を向けるとカレン先輩が面白い恰好をしていた。
二期生の中では一番背が低い。
それでも百五十の大台を優に超えている。
先ほどからテーブルを離れて偽装スキルチャレンジを行っていたのだが。
「ぷっ。笑わせるなやカレン。エスパーになっとるやん」
やはりサイズが厳しかったようだ。
下はパンパンに膨らんだリュックサックに見える。だが上のファスナーが閉まらなかったらしい。
その結果、リュックサックの中から顔を出すカレン先輩という珍妙な姿になっている。
偽装失敗だ。
上手く身動きが取れないカレン先輩をキツネ先輩がからかいに行く。
テーブルには私とヴァニラ先輩と碧衣リン先輩が残された。
少しの沈黙。今度はあまり気まずくない。
「……実はアリスちゃんと出会ったら託そうと思っていたものがあるの」
「私に託すですか?」
「うん。アリスちゃんは前に配信で言っていたよね。私が活動休止している時の応援のメッセージを見てVTuberを始めようと思ったって」
「はい。そうです」
そういう意味ではヴァニラ先輩は私がVTuberになるきっかけの人になる。
アバターデザインもねこ姉ことねこグローブ作なので姉妹と言ってもいい。
そう考えると黄楓ヴァニラと真宵アリスは深い関係だ。
「私はアリスちゃんの配信を見て、活動を再開しようと思った。だからずっとありがとうと伝えたかったの」
「いえ。私なんか」
「私からもありがとう。これは二期生全員が同じ想い」
碧衣リン先輩が静かに頭を下げた。
お礼や感謝の言葉を素直に受け取らないのは失礼だ。この場合の謙遜は美徳ではないと思い直す。
だからできる限り真摯に。
背筋を伸ばして笑顔で受け止める。
「私が力になれたのであれば身に余る光栄です。私が最初に見たVTuberが二期生の皆さんでした。VTuber黄楓ヴァニラの復帰を願った一人のリスナーとしてもこれほど嬉しいことはありません」
「ん。やっぱりアリスちゃんはいい子」
碧衣リン先輩から頭を撫でられる。
話している限り残念さはあまり感じない。打ち解けてきた。出会ったときから気になっている下がジャージの理由を聞きたいのだが、聞ける空気でないのが口惜しい。
ヴァニラ先輩も暖かい笑みを浮かべている。
「ロリコーン事件が起こった直後、実は引退を決意していたの」
「……引退を決意ですか」
不思議ではない。
少なくとも当時の空気はそうだった。
三期の募集時期だったためマネージャーは直接は関わっていない。でも『二期生の黄楓ヴァニラはもうダメかもしれない』との愚痴っていたのを聞いている。それだけヴァニラ先輩は精神的に追い込まれていたのだ。
それでもリスナーの熱い声援で踏みとどまったと思っていたのだが。
「でもできなかった。引退宣言する直前にリンちゃんから衝撃的なモノを渡されてね。頭が真っ白になってタイミングを逃したの。タイミングを逃している間にリスナーから復帰を願うメッセージが来るし、事務所は誹謗中傷に対して法的措置を取ると大々的に動いて私を守ろうとしてくれていた。だから余計に迷って動けなくなった。その間にアリスちゃん達三期生がデビューして勇気を貰って。今は毎日が楽しくて復帰できたことが本当に嬉しいの」
ヴァニラ先輩がカバンから封筒を取り出す。
いつ私に出会ってもいいように準備していたらしい。
これが託したかったモノのようだ。
「開けていいんですか?」
「ええ……思えば誰かとこの衝撃を共有したかったかもしれない」
「……え!? えっ? うん?」
理解できなかった。
思わず視線がヴァニラ先輩と碧衣リン先輩の顔を何度も行き来する。
ヴァニラ先輩の視線はとても遠くを見つめている。
碧衣リン先輩はなぜか誇らしげだ。
確かにこれを渡されれば引退も踏みとどまるかもしれない。
「念のために言っておくとこの書類に深い意味はないの。深い意味があったらこんな風に渡せないし。ロリコーン事件の発端がリンちゃんの投稿した写真だったからその責任を取りたかっただけ。……どうしてリンちゃんがこの発想に至ったのか理解に苦しむけどね。本来ならシュレッダーにかけて廃棄するべき。でもこの書類が私の引退を防いだのもまた事実。なんとか供養できないかと思ってね」
「供養ですか?」
「ええ。配信者なんだからこんなに面白いネタも他にないでしょ。でも私がすると変に勘繰られるしネタにならない。そこでアリスちゃんの出番なわけ」
「なぜ私ですか!? こんな危険な書類を渡されても困ります!」
「私が踏み止まれたのはこれのおかげ。つまりこれが間接的な真宵アリス誕生の秘話と言ってもいい。そう思ったらアリスちゃんに託すしかないと」
もっともらしいことを言っているが。
「……処分に困っただけですよね」
「処分に困らないと思う?」
「思いません!」
ヴァニラ先輩は常識人と聞いていたのに。
色々とタフになったのかもしれない。
「やっぱりこの書類を面白おかしく配信で流してシュレッダーできるのはアリスちゃんしかいないと思うの。闇に葬るのはもったいないし、さすがに一期生の先輩方にも手に余ると思うから」
「……私にも手に余りますよこれは」
もう一度封筒の中にあった書類に目を落とす。
こんな形でこれを受け取るとは思っていなかった。
確かにネタになるかもしれない。
『この衝撃を共有したかった』
この言葉に嘘偽りなくヴァニラ先輩は驚く私を見てとても楽しそうに笑っている。
いたずらが成功した子供のようだ。
なんとなく抗えない。
仕方がない。
「はぁ……わかりました。当時の状況を再現するためにお話を聞かせてください」
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