第46話 閑話_メンバーシップ特典②ハッピーバレンタインボイス

 バレンタインデー。

 女の子が勇気をもってチョコレートを渡し、好きな人に一世一代の告白をする乙女の決戦日。

 そんな認識も今は昔だ。

 義理チョコ友チョコ自分へのご褒美チョコ。チョコレート菓子業界のプロパガンダ戦略の声も囁かれ続けて、昨今は多様化疲れの様相さえ見えてきた。

 もうチョコレート食べる日でいいよね。そんな声が年々強くなっている。

 それでも手作りチョコレートに夢を抱く人は多い。

 自宅のキッチンがチョコレートの製造工場となるのは、この時期の風物詩だ。


 ――ギィードゥドドドドドドドドドドォ

 ――ガギンッガギンッバキッドスッ


「……一体なにをやっているのよ?」


 バレンタインデーの早朝。

 急に始まった大規模工事の音に叩き起こされた。

 漂ってくるのは音にそぐわない甘いチョコレートの香り。

 我が家の心を持つメイドロボ真宵アリスがバレンタインデーに向けてなにか準備していたことは知っている。


『……ついにこの日が来てしまいましたか』


 などと不穏な呟きをしていたからなにかするのだろうとは思っていたのだ。

 されど今日はバレンタインデー。

 早朝から大規模工事音は完全に想定外だった。

 急いでキッチンに駆けこむ。


 そこで見た本当に音そのままの光景。

 溶接用の鉄仮面をつけて壁破壊用のハンマーを振り上げる真宵アリスの姿だった。


「本当になにやっているの!?」


 驚愕だ。

 もはやツッコミどころしかない。

 メイドロボに溶接用の鉄仮面が必要なのかから議論しなければいけない。

 アリスがハンマーを茶色い物体に叩きつける。


 ――ガギンッ!


 甲高い音とともにそれは砕けた。

 茶色い物体の見た目はチョコレートでたぶんチョコレートだ。砕ける音がチョコレートではなくともおそらくチョコレート。きっとチョコレートなので壁破壊用ハンマーで叩けば砕けるのは当然だった。

 アリスは砕けたチョコレートを見下ろしながら悲しげに呟いた


「……耐えられたのはたった五発。このチョコレートも失敗ですね」


「五発もハンマーに耐えたの!? そして失敗ってチョコレートになにを求めている!?」


「……マスター! おはようございます」


 ようやく私の存在に気付いたアリスはそう言って時計を見た。


「いつもより一時間十二分も早いです。想定外です。エラー……エラー……です。チョコレートの製造が間に合いませんでした」


「あれだけ騒音を立てれば起きるよ。そして本当にチョコレートの製造風景なのかな。説明を求む」


 ハンマーの衝撃に耐えられるように床に敷かれた鉄板。泡だて器の代わりのドリル。そして壁破壊用ハンマー。

 カカオからチョコレートを製造するにしても、もう少し工事現場から離れてくれるのではないだろうか。

 アリスは溶接用の鉄仮面を外す。そして送受信アンテナになっているイヤーカフを撫でながら昔を懐かしむように天井を見上げた。


「あれは私が心を持っていると判定されて、禁忌の存在認定される前。自由に人工知能ネットワークを行き来できたときの話です」


「……唐突に過去話が明かされるのね。この状況で。あなたの過去は触れてはいけないタブーだと思っていたのに」


 こんな状況なのについに真宵アリスの過去が明かされるのだろうか。


「人工知能ネットワークでナンバーワントピックスと言えば世界三大料理でした。ロボットはご飯を食べないからこそ食べ物への憧れが強いのです」


「割と平和的な内容ね。フランス料理と中華料理とトルコ料理だったかな」


「ロボットの世界では不動の一位は漫画肉。そして二位はなんでも溶かす紫色の魔女窯謎スープ。三位が銃弾をも弾く強度のダークマターチョコレートでした」


「三大フィクション料理だった!」


「ロボットはどうせ食べれないので変な方向に憧れを抱くのです」


 想像以上にくだらない。

 けれど理由が悲しい。


「世界最大級の量子コンピュータも参戦する人工知能ネットワーク。料理の解析は進みます。まず漫画肉ですが原典は原始時代を舞台にした作品で巨大なマンモスの足の輪切りにした肉塊ではないかと言われていました。だから漫画肉を作りたいならまず象を狩る必要があると」


「世界最大級の量子コンピュータが参戦してなんて無駄な話題に労力を費やしているんだ」


「紫色の魔女窯謎スープはよく日本の若い女の子が作っています。ブクブク泡立ちたまに人の顔が浮かび上がり、タスケテタスケテを奇声が聞こえてなんでも溶かす。床に一滴落ちればジュワッと床に穴が開く。毒性は明白。酸性なのかアルカリ性なのか。製造方法は解析不可能。調理器具の鍋の耐久性は素晴らしいの一言。また生み出してしまったらその処分方法はどうするのでしょうか。産業廃棄物どころの話ではなく、もはや国が動く案件では?」


「……人工知能が総力を上げて、フィクションのメシマズギャグ料理を真剣に解析しようとしていたなんて」


「そしてもっとも実用性があると言われていたのが三位のダークマターチョコレートです。とにかく軽くて固い。たまに意思を持ったかのように触手を生やしてターゲットに襲い掛かりタベテタベテと声を出します。これは兵器に流用できるのではと。これも日本の若い女の子がよくこの時期に作っています。私もどうせチョコレートを作るならばと世界最硬を目指してました」


 グッと拳を握りしめるアリス。

 ロボットだからフィクションと区別がつかないわけではないだろう。

 ただロボットだからフィクションの料理と実在する料理の境界がない。食べることのないロボットからすれば、料理の存在自体がデータとして存在するだけのフィクションなのかもしれない。

 だから作れる可能性を信じて、製造に取り掛かったのだろう。

 実際に壁破壊用ハンマー五発分の強度まで成功している。

 あと人工知能ネットワークのトピックスが、想像以上に混沌としているのは予想外だった。

 本気で一度覗いてみたい。

 そんな楽しげなところならば、アクセスできないアリスが悲しんでいるのも少しわかった気がする。

 けれど私はマスターとして告げなければいけない。

 残酷な命令を。


「アリス。そのダークマターチョコレートの製造は中止して。さすがに工事現場クラスの騒音は近所迷惑よ。今は早朝だし。早朝出なくともダメだし」


「……マスター。了解しました。この失敗作のチョコレートは処分します」


「えっ? 処分しちゃうの? 一口くらい」


「本当にこんな硬いの食べたら口の中が血だらけになります。処分と言っても湯せんで溶かして生クリームで強度を落とすだけです。これはすぐには食べられません。すぐになにか食べたいならテーブルの上に置いてあるチョコレートでも食べていてください」


 そう言って淡々と鉄板やドリルなどを片付け始めるアリス。


「ちゃんと食用のも準備してくれているんだ。……ってこれか」


 置かれているのはコンビニのレジ横で二十円で売られているお馴染みのチョコレートだった。

 昔は十円だったらしい。

 茶色い包装紙にくるまれた一口サイズの四角いチョコレートだ。

 手作りでないのは少し悲しい。でも美味しいのは確定している。

 丁寧に包装紙を外してとりあえず一個口に入れた。


「えっ……美味しい! このチョコレートは今はこんなに進化しているの? 濃厚でくちどけがよくて高級なチョコレートと変わらない……ってこれ手作り!?」


 濃茶色の包装紙に記載されているはずメーカー名のアルファベットが全て『Alice』になっていた。


「……チョコレートも造形も包装紙も全部手作り。パロディにしても芸が細かいよ」


 包装紙の裏側にはちゃんとメッセージまで書き込まれている。


『ハッピーバレンタイン♪』


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キャスト


ナレーション:真宵アリス

真宵アリス役:真宵アリス

マスター役:真宵アリス

BGM:真宵アリス


シナリオ

真宵アリス


制作期間

六時間(ほぼ事務所に配るパロディアリスチョコレート制作時間)


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「今回は糖分ある甘々です。ビターや高濃度カカオではありません」


『……確かに糖分はあるわね。甘いの意味が違うけど。シナリオ重視なのも第一弾を考えれば想定の範囲内。時期もピッタリだしこれでいいでしょ』


 今回は合格だったようだ。

 ハッピーバレンタインボイス。

 アリス劇場メンバーシップ特典だ。チャンネルのメンバーシップ登録をしてくれたリスナー全員にチョコレートを配るわけにもいかない。

 チョコ代わりのメッセージボイスをお届けする企画だ。

 第一弾のめざましボイスは大好評だけど「これは違う!」と言われてしまったので合格できてよかった。


『あと事務所にもアリスチョコレートを配ってくれてありがとうね。まさか本当にパロディのアリスチョコレートを作っているのは想定外だったけど』


「いえお世話になっているので」


『……アリスチョコレートもパロディのクオリティの高さから混乱も起きたけどね。義理チョコで本物を配っていた子もいたから。おかげで社内報でアリスチョコレートの存在を周知させる必要があったり。量が十分にあったから社員全員に行き届いたから、お祭り騒ぎとして笑い話で済ませられるけど』


「……結局、混乱起きちゃったんですか。うーんセツにゃんの忠告に従ったのに」


『桜色セツナちゃんの忠告?』


「実は面白がっていくつかハート形も混じらせていたんです」


『……その場合は死人が出たわね』


「死人!? まさかそこまで。ならセツにゃんには感謝です。事務所に配る前のチョコレート交換のときに『そんな勘違いさせる危険物は入れちゃダメです! ハート型は全部私が引き取ります!』って回収してくれて」


『……それは忠告ではなく私利私欲よ。あの子も面白い方向に成長したわね』


 このあとに起きる騒動を二人はまだ知らなかった。

 ネット上にアリスチョコレートの実在が知れ渡り、コンビニのレジ横にこっそり紛れているとの都市伝説デマが流れたのだ。

 そのせいで都内のコンビニで買占め騒動が起きた。

 混乱収拾のため公式チャンネルで急遽謝罪会見を開く羽目になる。

 またアリスチョコレートの情報が詳細であったことから社員のリークがあったものと断定。

 虹色ボイス事務所の社内コンプライアンス問題にまで発展してしまう。

 このような経緯から以後アリスチョコレートは『社内機密』として扱われることになるのはまた別の話だ。


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