第37話 迷走コラボレーション②ー桜色セツナsideー
……どうしてこんなことになったのだろう。
アリスさんが虹色ボイス事務所のオフィスで逃げ回っている。
虹色ボイス事務所のオフィススペースはかなり広い。
デスクの間隔が広く取った間取り。最先端の技術スタッフ。様々な企業案件に対応するためのスタッフ。そしてデマや炎上対策のための情報スタッフも割と多いらしい。
少数精鋭が多い配信業の事務所としては異例の多さ。
配信業中心ならばここまで大きい必要はない。虹色ボイスは声優事務所としての側面もあり、各業界とのパイプもあるからこその判断かもしれない。
目で見てわかるほど実態。ちゃんとした事務所の存在は社会的信用となる。
社会的信用はバカにできない。
一過性ではなく、太く長く企業案件を得るうえで強みとなる。
なにより依頼人からの無茶ぶりや依頼料の踏み倒し、デマや誹謗中傷などの炎上案件の問題を起こりにくくしてくれるらしい。問題を未然に防ぐために体面を良くするのだとか。
世知辛い世の中だ。
閑話休題。
どうやってもアリスさんに触れることができない現実からの逃避だ。
せめてもう少しオフィスが狭ければと愚痴りたくもなる。
アリスさんを捕まえるための捕縛要員はすでに十人を切っている。
最初は二十人いた。全員女性。男性スタッフはオフィスの隅に集まって声援をあげている。なぜか逃走するアリスさんを応援している人が多い。
アリスさんが男性を苦手としているので、男性スタッフは近づかない。
なにより男性が逃げる少女を捕まえようとする構図はダメだ。犯罪だ。事件になる。実際にそう声にあげて、男性陣は積極的に逃げた。納得するしかない。
近くを走るアリスさんに男性陣がまた声援を送って、手を振っている。羨ましいことにアリスさんが戸惑いながらも手を振り返すので盛り上がっていた。
ここはアイドルライブ会場か! 振り返されるなんて羨ましい!
参戦した女性スタッフもイベント感覚で楽しんでいる人が多い。和気あいあいとしたアットホーム過ぎる事務所だ。
鬼ごっこのイベント化。
ドッキリは勘違いだと言葉で説得するのは難しい。
仮に成功してもアリスさんに責任を押し付ける形になってしまうので後味が悪い。
どうやってアリスさんを説得すればいいのかわからない。
「それだったら盛大に追いかけまわして、配信のネタにすればいいんだよ。終わり良ければすべて良し。最後に笑い話にできれば勝てる」
一期生の竜胆スズカ先輩の主張に、胡蝶ユイ先輩が呆れながらも賛同した。
そして生まれたこの状況。
そこには大きな誤算があった。
「さあ大捕物だ。といっても二十人近くいるんだし、すぐに捕まえられるでしょ」
と余裕の発言をしていた発起人の竜胆スズカ先輩。
盛り上げ役として開始早々にアリスさんを捕まえようと一直線に走っていき、一瞬で後ろに回り込まれて背中をタッチされた。
挟み撃ちをしようとしていた胡蝶ユイ先輩も同様に瞬殺。
さすがの竜胆スズカ先輩もなにが起こったのかわからない。唖然とした表情を浮かべていた。
「……アリスちゃんって一年間引きこもっていたんじゃなかったの?」
虚弱に近い身体能力を想定していたらしい。
一方的に狩る側。狩られる側になるなど想像すらしてなかった。
三期生ならばそんな甘い認識はない。
アリスさんが積極的に交流を持つのが、三期生とマネージャーに限られていたので知らなかったらしい。
私は残酷な現実を告げなければならなかった。
「本気でゴリラを倒そうと修行しているアリスさんが、一般人に負けると思いますか?」
「え? なにその素敵すぎるパワーワード。予想外の答え過ぎて、魔境の道化師と詠われたリンリン先輩もそれを超えるボケが思い浮かばない」
「そんな二つ名初めて聞いたよ。それにしてもゴリラを倒す。……前にアリスちゃんが配信で言っていたね。でも『ヒトは生身でゴリラには勝てない』と諦めてなかった? 大人になったって」
竜胆スズカ先輩が珍しく呆然としている。
アリスさんの配信を思い出したのか、胡蝶ユイ先輩が確認してきた。
「ヒトはそう簡単に大人になれませんよ。アリスさんが諦めたのは生身でゴリラに勝つことです。格闘戦ではどうやってもゴリラの筋肉の壁を突破できない。武器が必要だ。でも銃や弓などの遠距離武器はゴリラに失礼なので反則。扱うのは近接武器のみ。そう定めて修行していたらしいです」
「ぽかーん」
「……アリスちゃんは一体なにを目指しているの?」
「最初は刀。剣術と居合を習熟する。けれど、どれだけ極めようとも、あの毛皮を切断して一撃で仕留めるイメージが湧かない。巨大な獣相手に斬撃は無謀だ。先人の知恵に従い、最強近接武器の槍を極めよう。あといざというときの仕留めるためのナイフはとても重要。前にグループチャットで語っていました」
「本当になにを目指しているの!?」
「これがゴリラガチ勢の本気」
「それは違う。たぶん違う。うん違う。ゴリラに対してこんな殺意溢れたガチ勢はいない。どちらかと言えば、ハンターになってモンスターを狩るゲームのガチ勢の方が近い」
「なんにせよアリスちゃんが想像以上の逸材なのは間違いない」
「……想像を逸脱しすぎている人材ってことかな。本当にアリスちゃんを捕まえられるの?」
そうして発起人の二人はアリスさん捕縛隊から去り、なぜかオフィス内に実況席を設けて盛り上げ始めた。
アリスさんの捕縛は諦めて、いつ公式配信から連絡がかかってきてもいい体制を作るらしい。
その切り替えの早さはさすが一期生だ。
ちなみにリズ姉さんと何人かの女性スタッフはアリスさんの歩法にやられた。
アリスさんの身体能力に恐れをなして、五人で固まって壁を形成しているところを襲撃されたのだ。ゆったりと歩み寄ったアリスさん。そのまま集団の中に歩き回り、一切触れられることなく、全員の肩や背中を次々タッチしていく。
その光景には言葉を失った。
「……あれは無理。近くで消えるんだよ。手を伸ばしても、霞のように触れることができずすり抜ける。気づけば肩を叩かれていた。あたしは実況席の手伝いしながら自販機で冷たい飲み物の準備してくるね。みんな頑張って」
どんどん捕縛要員が減っていく。
現在アリスさんは一か所に留まらずオフィス内を走り回って周回してくれている。ルートも読みやすく、誘導してもらえれば待ち伏せもできる。
私も何度かアリスさんと対面して挑んでいるのだが
「アリスさん! ここは通しません!」
「……セツにゃん。やはりあなたが立ち塞がるんだね」
アリスさんの目に悲しみが宿る。
表情を変えず声色と瞳だけで感情をぶつけてくる。純粋に演技が上手い。絶対に悲しんでいないし、割とノリノリで走り回っている。
最初は状況に混乱していたみたいだが走っている間に考えるのを止めて、アリスさんは完全に悪乗りモードに移行している。
なぜ断言できるのかと言えば、このやり取りが三回目だからだ。
『セツにゃんいざ尋常に勝負!』
『セツにゃんに私が捉えきれるかな?』
と続き三回目だ。
今回の設定はかつての仲間を裏切り、悲壮な覚悟で戦いに臨む主人公だろうか。
考えてはいけないのだが、次の演技はどうなるか気になる。
気にはなるが次を考えるな。今回でアリスさんを捕まえる。決意を新たに突進した。
一回目と二回目はアリスさんの動きを捉えようと待ってしまった。待ちの姿勢ではフェイントに翻弄されるだけ。急な加速にも対応できず、伸ばした手がすり抜ける。
ならばぶつかる覚悟で前に出るしかない。そう切り替えたのだが。
「今! えっ?!」
「甘い!」
アリスさん身体が急に大きくなった。
伸ばした手の内側に一瞬で間合いに入られた。いつの間にかアリスさんの顔が目の前にある。このままでは本当にぶつかる。驚愕に身体が硬直した。
気が付けばアリスさんは私の脇の間から抜けていた。
やはり前に出ても通じなかった。でもそれはわかっていたことだ。
振り向くとミサキさんがカバーに入ってくれている。
作戦通りこのまま直線に誘導するのだろう。
その狭い直線の先に女性スタッフが二人で道を塞いでいる。これならばさすがのアリスさんも捕まるはずだ。すでにミサキさんが後ろからも逃げ道を塞ぐために動いている。
私もミサキさんの隣に並んで四人で挟み撃ち作戦だ。
数的有利を利用して作戦。
アリスさんには申し訳ないと思う。正攻法では触れることさえできないのだから仕方がない。
獲物は鳥籠の中。今度こそ捕まえた。
そう思ったのもつかの間、アリスさんが走りながら急に反転した。
視線は私とミサキさんを向けられている。
口元がわずかに動いた。
『本当に甘い』
耳まで届かない言葉。けれど確かにそう言われた気がした。
アリスさんはそのまま回転してしまう。
異質なアリスさんの動きに翻弄された女性スタッフの二人の陣形が少しだけ乱れていた。ほんの少しできた隙間。アリスさんには十分なのだろう。その間隙をくるりくるりと回転しながらアリスさんはすり抜けていく。
その光景をミサキさんと二人並びながら呆然と見送るしかできなかった。
しかもその抜き去るわずかな時間で女性スタッフ二人にタッチしていたらしい。
二人ともリタイアだ。
『誰がアリスちゃんに触れることができるのか! これは黒猫メイドロボ伝説! 今夜ここに黒猫メイドロボ伝説が爆誕したぁぁーーーーー!』
竜胆スズカ先輩の熱のこもった実況が鳴り響く。
黒猫メイドロボ伝説とはなんだろうか。
そんな疑問が頭の中によぎるがそれどころではない。
完全に決まったはず作戦が、真正面から力業で破られる。アリスさんの異常な強さに絶望感しかない。しかも明らかにまだ余力を残している。
さすが黒猫メイドロボ伝説。
意味はよくわからないがさすがだ。
果たして人類に太刀打ちできるのだろうか。
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