第30話 勝利報告生配信⑦ーマネージャーはモテますー

 孫子の兵法。

 ナポレオン・ボナパルトにスティーブ・ジョブズなど。数多くの偉人が感銘を受けた現代に通じる戦略である。

 ビジネス書はもちろん多くのゲームや漫画でも引用されており、誰もが一度は耳にしたことがあるだろう。


『勝負は戦う前に終わっている』


 戦いの勝敗は事前の準備で全てが決まっているという教え。

 この言葉の後半部分を知っているだろうか。前半だけでも十分に含蓄があり、意味も通じるために省略されることが多い。

 だが後半部分こそが本当の教訓となっている。


『敗者は戦いを始めてから、どうやって勝とうか考えている。だから負けるのだ』


 事を起こしてから勝つ方法を考える人間は敗者となる。

 考えなしに動き出す人間が負けるのだ。

 今の私のことです。


「……出ます!」


『――アリス! 生配信でなにやっているの! 収益化したらお金をもらう立場になる。ちゃんとしないと、ってこの前自分で言っていた――』


「――お客様のおかけになった電話番号は現在使われておりません」


『配信で一度やったネタが通じると思うな!』


 ――ブチッ。

 衝動的にネタに走ったうえに、痛いところをつかれて通話を切ってしまった。

 ……後悔しかない。


:切ったwww

:生配信でやりやがった

:直通の電話であの声真似は無理だろw

:VTuberのマネージャーのツッコミは厳しい


 弁解の余地なく私が悪い。

 マネージャーは確実に怒っている。

 焦ってはいけない。こういうときほど落ち着こう。冷静にいつも通りに。


「マネージャーにも困ったものです。いきなり大声出して。時間帯を考えてください。もう夜ですよ。そんなだから『出会いがない』『彼氏できない』とお酒に嘆く……ことに?」


 ……今なにを話した?

 いつも通りを意識し過ぎた。

 マネージャーの怒りの火に油を注いだどころの話ではない。

 配信中に流していい話ではなかった。

 案の定コメント欄が湧いている。


「……これ生配信ですよね。今の失言をなかったことにはできませんよね?」


:無理www

:悲報、真宵アリスのマネージャーが彼氏いないとお酒に逃げていた

:吉報だろ

:マネージャーに彼氏いないんだぞ

:アリスがこの手の失言は珍しい

:あ……セツにゃんが

:言っちゃダメだろ


 再び点灯する赤いベル。

 警告カウントは一秒で十の桁の数字が増えていく驚異の上昇速度。終わりだ。

 一周回って本当に頭が冷えた。戦況が見える。


 今の状況は危険だ。ここで冷静になれてよかったと考えよう。

 すでに私は致命傷。マネージャーからの雷を避けるすべはない。だがそれは個人の問題。致命傷で済んでよかった。これ以上焦って失言を重ねれば配信自体が致命傷を負いかねない。

 まず配信の空気を変えよう。やらかしたままではいけない。

 呼吸を整えて、落ち着きを持った大人の女性の声色を呼び起こした。


「先ほどの配信にあるまじき失言。誠に申し訳ありません。お耳汚しですが、三点ほど私の言い訳と訂正をお聞きいただけませんでしょうか?」


 今は向き合うべきはリスナーと心を定めた。

 配信を立て直すことに専念する。


:この声はガチ謝罪か

:聞こう

:マネージャーからの電話でなくていいの?


 マネージャーは無視する。

 これは逃避ではない。迂回だ。……戦略的撤退は許されるならしたい。


「一点目。先ほどの失言は陰口の類ではありません。もちろん私はお酒を飲みませんが、マネージャーとねこ姉の晩酌に同席した際には、本人にも直接言っています。それが口癖としてこぼれ落ちてしまいました」


 配信で他人を悪く言うことはタブーだ。

 少なくともアリス劇場には求められていない。見てくれる人を笑顔にする配信を目指している。あってはならない失言だ。

 悪口は人の心に残りやすい。言った方も言われた方もイメージを下げるだけ。当人同士は気にしない内容でも炎上の原因となるのだ。

 こういうときは即座に謝罪と訂正をするに限る。


「マネージャーはねこ姉の親友。VTuberになる前からの付き合いです。今回のような失言を避けるために今はマネージャーとしか呼んでいませんが、以前はねこ姉と同じように姉をつけて名前で呼んでました。もう一人の姉として慕っている相手との電話。口が軽くなってしまいました。けれど配信で他人を貶めるような発言は許されません。ご不快な思いをさせてしまい申し訳ございませんでした」


:本当に口からこぼれたって感じだったな

:メイド少女(未成年)と晩酌するマネージャー

:裏山

:どこの高い店かな?

:そういや以前接待技術を検索しすぎてWEB広告が水商売の求人で埋まったと話していたか

:もう一人の姉

:つまりさっきの電話も妹を叱るしっかり者の姉

:炎上どころかむしろてぇてぇ

:警告カウントの上昇が緩やかになったな……すでに四桁だけど

:どっちが勝つか壮絶な戦いだな


「二点目。マネージャーはモテます。ねこ姉と一緒にコスプレーヤーとして人前に立つぐらいですから容姿も整ってますし、スタイルもいいです。内面も面倒見がよくて少しおっとりした優しい性格です。電話でのお説教から怜悧な美人のイメージを持ってしまっているかもしれません。あれは全面的に私のせいです。どちらかと言えば可愛い系の美人です」


:美人マネージャー現る

:褒めちぎって怒りを和らげる高度な作戦

:確かに可愛い系の美人だな

:知り合い?

:知り合いじゃないがコスプレーヤーねこグローブの相方なら見たことある

:コスプレイベントでは有名な方だから画像探せば出てくるぞ

:配信終わったら探すか


「三点目。出会いがない云々はマネージャーが多忙過ぎるという意味です。演者のマネージメントに企業案件の営業。平日休日関係なく働きます。そのうえ休日の夜に行われることの多い配信のチェックまでしていたら、出会いの時間なんてありません。ちなみにマネージャーは現場の管理職で残業にはならないらしいです」


 しかもたまの休みの日も、うちに来て呑んでいる。出会いなんてあるはずがない。

 これ以上失言したくないのでこの情報は伏せる。


:なるほどな

:生活リズムから一般人と違うだろうからな

:それなら普段から言っているのもわかる

:管理職……それは社会の闇

:この首輪システムもお仕事だしな

:マネージャーが多忙の原因はアリスでは?

:千六百カウント達成おめでとう! 事務所から警告カウントが碧衣リンの記録を超えたぞ


 私の失言に対する空気は和らいだ。

 その代わりリスナーの関心がマネージャー本人に向いてしまっている。もうこれ以上の時間稼ぎはできない。


 ……そしてついに記録更新したらしい。

 すでに賽は投げられている。

 マネージャーとの直接対決は蛇足だ。私が引きこもれるかはマネージャーとは関係ない。先ほとのつぶやき便がどれだけフォローされるかにかかっている。本当の勝負は数の力で決する。

 無駄に損耗するだけの敗戦確実な戦いなどに挑みたくない。

 しかし、マネージャーからは逃げられない。


「釈明を終えたのでもう一度出ますね」


 ――ガチャ。


「マネージャー。先ほどは申し訳ありませんでした」


『――ふふアリス。私もさっきは大声出してごめんね。もう夜だもんね。ふふふ』


 ……ガチギレだった。

 マネージャーは一定以上怒ると微笑むタイプだ。

 かつてねこ姉は言った。


『笑っているアイアイが一番怖い』


 どんなゲームもマネージャーが笑い出したら勝負にならない。すぐに逃げろと。

 駄メイドロボごときが戦っていい相手ではないのだ。


「あの……お説教は太陽さんが顔を出す前に終わりますか?」


『なに言っている? 可愛い妹にお説教なんてするはずないじゃない』


「……さようでございますか」


 絶対に嘘だ。

 言い返すことができないほどの威圧が放たれている。

 この辺り一帯の動物が驚いて逃げ出したりしないだろうか。同じ小動物仲間として、このような事態を引き起こしてしまったことを大変申し訳なく思う。

 私の感じる恐怖はコメント欄にも伝播していた。


:――ゴゴゴゴォゴゴゴゴォォォォー

:てぇ……てぇ?

:こわい

:怒らせてはいけない人と怒らせたな

:アリス……無理しやがって

:あいついい奴だったな

:アリスのことは決して忘れない


 私が亡き者にされた!?




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