第21話 閑話_メンバーシップ特典①めざましボイス
「――ぉきてくださいマスター」
朝の微睡み。聞こえるのは抑揚のない平坦な声。身体を揺らす手はほとんど力が込められていない。まるで更なる深い眠りにいざなうようだ。
「朝です。起きてくださいマスター」
耳をすませてようやく意味が浮かびあがる。
寝ぼけた頭で「起こすための努力が足りん」と理不尽な言い訳をしながら、お布団様に感謝の祈りをささげる。
それでも声の主は起こすことを諦めない。
「朝です。起きてくださいマスター。最近のチューブ調味料は充実しているんです」
ぼんやりとした思考が違和感を訴えてくる。
抑揚のない声も力の弱い手も変わらない。
けれど聞き逃したら絶対に後悔する気がした。
「攻撃力に定評がある定番のわさびと和からし。初心者向けのおろしショウガとニンニク。あと引くつらさの柚子胡椒。変わり種で豆板醤やツナマヨも用意してます」
なぜこの子はお手軽チューブ調味料のことを語っているのだろう。
チューブ調味料の攻撃力とはなんだろうか。それにツナマヨ。嫌な予感しかしない。脳の深いところから早く起きろと警鐘を鳴らされている。心拍数が上がってきた。
けれど寝起きの悪さから緩慢にしか動いてくれない。その間に声の主は陽気に歌い始めた。
「右の鼻の穴にはショウガ♪ 左の鼻の穴にはニンニク♪ えっ、物足りない? やっぱり定番のわさびと和がらしで行ってみよう♪」
「それは行っちゃダメ!」
ガバッと布団を跳ね除けて起き上がる。生存本能が覚醒した。お布団への執着も生命の危機には勝てない。
横を見るとメイド服を着た無表情な少女がいる。
無表情なのにとても残念そうだ。手に持っているのは歌の通り緑のわさびと黄色い和からしのチューブ調味料。床にニンニクやショウガだけではなくて、なぜか瞬間接着剤も置いてある。無視しよう。
「マスターおはようございます。朝です。今日も一日が始まりました。マスターの今日の運勢は七位と微妙です。刺激的な出会いがあるかも。ラッキーカラーはライムグリーンです」
「……ええ。おはよう。起こしてくれてありがとう。すでに刺激的な出会いはあったわ」
ペコリと頭を下げてメイド服の少女は部屋から出ていく。
人間にしか見えない。けれど送受信アンテナになっている巨大イヤーカフが異彩を放つ。
少女が人間ではなくメイドロボである証だ。
今は諸事情で機能していないが、とても大事そうに磨いているのを見たことがある。人間ではなくメイドロボであろうとする少女の拠り所なのだろう。
名前は真宵アリス。
なぜか台風の日にビールケースを持って河川敷にいた私を止めてくれたのが彼女だった。酒に酔った勢いって怖い。プラカードで殴られた気がするが酔っていたので理由はよく覚えていない。二日酔いの介抱をしてもらったのは覚えている。
介抱後、すぐに出ていこうとするアリスを家に引き留めたのは私だ。
先ほどの起こし方も含めて全てが異常。
アリスが壊れていることがわかったから引き留めた。行く宛てがないのだ。
普通のメイドロボは自分と主を守る以外の目的で人間を攻撃できない。許可なく家に上がることもできない。他人の二日酔いの介抱という理由で主を一日放置することもない。
なにより真宵アリスは心を持っている。
世界のタブーだ。
野良メイドロボを拾って勝手に家に置くことも違法だ。けれど心の所持はそれどころの問題ではない。
心を持てばロボットが人間に危害を加える可能性がある。ロボットの心の所持は許されてはいない。国に見つかれば破壊される。製造も存在の隠蔽も重い罪に問われる。真宵アリスには未来がないのだ。この世界に居場所がない。
だからアリスは拒絶した。迷惑なふりをして、すぐに出ていこうとした。私に迷惑をかけないために。
『酔った勢いで台風の日にビールケースを持って河川敷行く女を放置していいのか』
そう説得するとアリスは固まった。
苦し紛れだったが踏みとどまってくれた。人間の世話をしたいメイドロボの本能。マジでこの人を一人で放置して大丈夫かという危機感。
色々な葛藤の末、アリスは私の家に住み始めた。ただし条件付きだ。
『この家にいるのは私の意志。マスターの申し出ではない。マスターはプラカードを持ったメイドロボに急に襲い掛かられた。家に置かないと今度はプラカードの角で叩くぞ、と脅された被害者です。もしもの時はそう言ってください』
こうして私たちの共同生活が始まった。
私は寝巻のままボサボサ頭を手櫛で軽く整えてリビングに向かう。
テレビからニュースの声が聞こえてきた。テレビの前のソファーはアリスの固定位置だ。面白がっているわけではない。情報に飢えているのだ。
メイドロボは本来ならば耳についたアンテナからネットにアクセスできる。眼球カメラでテレビなど見る必要がない。けれど存在が許されていないアリスは自らアンテナを閉ざしているので、人間と同じように見聞きするしかない。
なによりアリスは人間が好きなのだろう。家に引き込もりながら、外の世界に憧れを抱きテレビにかじりついている。
「アリス。今日の朝ご飯は?」
「……マスター。朝ごはん食べる前にちゃんと身なりを整えてください」
「えー今日はずっと引きこもって絵を描くつもりだから、別にこのままでも」
「ダメです」
アリスがテレビを消して、ソファーから立ち上がる。
私は背中を押されて、洗面所に誘導された。顔を洗い、歯を磨き、ヘッドシャワーで軽く髪を濡らして、アリスにドライヤーで整えてもらう。
これがいつもの私たちの朝だ。
「それでアリス。今日の朝ご飯は?」
「米と麦。どちらがいいですか?」
アリス独特の言い回しで質問が返ってきた。
ここでご飯かパンかを聞かれているなどと安直に考えてはいけない。この言い回しは『なにが食べたいのですか?』『なんでもいい』のやり取りを繰り返した結果だ。キレたアリスが学習して、このような問いかけに落ち着いた経緯がある。
パンが食べたくて適当に麦と答えたら、前回は朝から特盛のインスパイア系ラーメンを出された。もちろん『残さず食え』という圧力付きだ。
そのときから食事のリクエストを曖昧に答えるという選択肢が、私の中から消えた。
「今日は炊いた白米が食べたいかも。それとベーコンエッグとか」
「わかりました。ただ野菜たっぷりの牛肉スープがついてもいいですか?」
「お願い。あっ……ツナマヨもつけておいて」
「了解です」
米とだけ答えるとビーフフォーが用意されていたらしい。アリスにしては無難な意趣返しなので、今日は機嫌がよさそうだ。たまに米でも麦でも両対応のライスコロッケが朝から用意されている。
私の髪を整え終わったアリスはそのままキッチンに向かった。
その後ろ姿を見送りながら私は祈る。
アリスの過去を知らない。この生活がいつまで続くかもわからない。今日にも政府の役人が家に来る可能性がある。そうなれば私は捕まり、アリスは破壊されるだろう。それは遠くない未来かもしれない。
だから今日一日を無事に過ごせますように。
少しでも長くこの幸せで穏やかな日が続きますように。
今日という幸せを嚙み締めて一日を頑張ろう。
いずれ必ず来る別れのときを後悔しないために。
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キャスト
ナレーション:真宵アリス
真宵アリス役:真宵アリス
マスター役:真宵アリス
テレビの音声:真宵アリス
BGM:真宵アリス
シナリオ
真宵アリス(即興)
制作期間
録音含めて一時間
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「ぅ……えぐっ……くすん」
「ねこ姉。前から言っているけど、身内に配信見られるのは割と拷問だよ。それなのに身内がメンバーシップ特典のめざましボイスをヘビロテしながら、号泣しているとか。もうどうしたらいいのかわからないよ」
「うぅ……だって……だってうたちゃんが!」
ねこ姉が泣いている。私にしがみつきながら泣いている。
ここ数日の朝の日課みたいなものだがどうすればいいのだろう。泣くなら聞かなきゃいいのに。そう提案すると「ヤダ」と駄々をこねられる。
ねこ姉の頭を撫でながら途方に暮れているとスマホが鳴った。表示される名前はマネージャー。こんな朝に事務所から電話がかかってくるとは珍しい。
「マネージャー。おはようございます。なにか御用でしょうか?」
『おはようアリス。急にごめんね。ねこグローブの奴が電話に出なくて』
膝を見るとねこ姉が泣いている。
スマホの通知には気づいてもなさそうだ。
「ねこ姉なら泣いてますけど代わりましょうか?」
『あー……まだならいい。急ぎの依頼ではないし。一度ハマると数日使い物にならないうえに感想を語られても面倒』
さすがは長い付き合い。
ねこ姉の扱い方をわかっているようだ。
「了解しました。要件はそれだけですか?」
『待って。……アリスに聞きたいこともあるから』
「聞きたいことですか?」
少し声が暗いのが気になる。
深刻な話でなければいいけど。
『おかげさまでアリス劇場メンバーシップ特典のめざましボイスは色々な意味で大反響。メンバーシップ登録者も急増しているわ』
「そうなんですね! 喜んでいただけて良かったです」
『でも私が依頼したのめざましボイスよね。質が良かったからそのまま載せたけど』
「ん? めざましボイスですよ」
『……めざましボイスってどんなのかわかってるの?』
なぜ尋ねられたのだろう。
解せぬ。
「わかってますよ。朝を起きられるように目が覚めるような声かけ。そして今日も一日頑張るぞ、と思えるようなメッセージですよね」
『合ってる。……合ってるわね。でもメッセージ性強すぎない?』
「メッセージ性? あー『今日のご飯なにがいい?』に対する『なんでもいい』の返事への怒りというか。具体的にリクエストしてほしい、というメッセージが余計でしたか?」
あれは本当に困るのだ。
具体的過ぎても困るし、味付けにうるさいのも面倒だが。なんでもいいはダメ。
ご飯かパンか麺類か。なに肉がいいとか。料理の国籍も指定してくれるとプランが立てやすい。
食べたいものがあるならちゃんと言おう。
『そのメッセージはとても痛感している。……本当に伝わったわ。伝わったから大丈夫よ。ただ第一弾の真宵アリスがこれだったから、他の三期生が頭を抱えていてね。ハードルが高いとか。ハードルというよりすでに走り高跳びとか。棒高跳びにしか見えないので補助くださいとか』
「皆になにやらせているんですか? 陸上競技から企業案件?」
『……めざましボイスのはずだったんだけどね』
マネージャーが朝から黄昏ている。朝だから曙ってる?
仕事が忙しいのだろう。少し話題を変えよう。ちょうど気になっていたことがあったのだ。
「そういえばマネージャー。私も聞きたいことがあったんですけど」
『なにかしら。アリスから質問って珍しいわね』
「今回メンバーシップ特典でめざましボイスやりましたけど、次はおやすみボイスですか?」
『この続きでおやすみボイス? ……やめて。早まっちゃダメ。冷静に話し合いましょう。ちゃんと具体的にリクエストするから。お願いだからこの流れでおやすみボイスはやめて! 物事には段階というのがあるの。二人の絆を深める甘々エピソードを挟んで! 糖分って需要あるから! いきなりおやすみボイスはダメ!』
「糖分に甘々? マネージャーがなにを言っているのかわかりません。安らかに眠るためのおやすみボイスですよね?」
『……安らかに眠るの意味が合っていることを祈るわ』
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