第14話 収益化記念生配信③ー迫りくるヅラの恐怖ー
ストレス障害
ストレスと無縁の人はこの世にいないだろう。多くの人が実感はしているが、実態は把握していない心の負荷。心はカバン。ストレスを荷物。そう例えると少しわかりやすいかもしれない。
外出するのに荷物をなにも持たない人は珍しい。少なくとも服は着ている。容姿、年齢、性別、身分。それら精神的装いを脱ぎ捨てることは誰もできない。何枚も重ね着して、装飾品も身につけてしまう。オシャレや武装と捉えることができる人は強いが、人によってはそれさえも荷物だ。
荷物は軽い方がいい。背負い過ぎてはたどり着けない。
けれど多くの人が過ぎた重荷を背負って歩みはじめてしまう。
自分は大丈夫。身体は動いてくれている。身体は気づかうが、荷物で軋むカバンの状態まで把握できる人はあまりいない。
途中で荷物が軽くなったと勘違いして更に進むのは危険な兆候だ。
気づいたときには積載量を超えたカバンが壊れている。荷物はどこかに零れ落ちて見つからない。穴が開いたカバンに重みはないが運んでいた荷物もなくなっている。
もうなにを持っていたのかわからない。なんのために歩いたのかもわからない。
心だけが空っぽに。けれど無残に裂けている。
「男性嫌いと潔癖症をこじらせ、なにより真空飛び膝蹴りから離れたかった私は少し遠い私立中学校に入学しました」
:まあなw
:さすがにあだ名は嫌だよな
:真空飛び膝蹴りから離れたかったから受験しました
:面接官「採用」
:なんでだよw
「先に言っておきますと、その中学にはなにも問題ありません。あまり通えなかったのが心残りです。そしてこの話をする前に皆さんに改めて謝罪することがあります」
:学校の問題じゃないんだ
:あまり通えなかったね
:謝罪?
:聞いてないけどたぶんアリスは気にする必要ないぞ
「私は見栄を張っていました。……私の身長は百五十に届きません。悔しいですが平均より低身長であることを認めます。そして当時の私はもっと背が低かった。周りからは『制服ありの小学生かな』と思われていたでしょう」
:知ってたw
:そんな憎々しげにw
:頑張れば百五十に届くは届いてない
:平均よりも低身長は認めきれてない
「今からする話は私が自分で思うより小さく幼く脆い、なにより弱かった。それを認めようとせず無理に進み続けて、自滅してしまうお話です。あえて言いましょう。中学受験に合格した私は少しドヤってました」
:ドヤ?
:シリアスなのかドヤなのか
:どや〜
:微笑ましい
「電車通学というだけで大人になった気がしていました。けれど一日目で挫折します。まず吊り革が持てません!」
:なるほど
:笑いごとじゃないけどワロタw
:低身長あるある
:子供には辛い高さ
「私の乗車駅は人の乗りが多く、降りの少ないラッシュ駅でした。満員電車です。座れるはずもなく、座席の端の手すりを掴めないとふらついて体力的に厳しい。でもそこは満員電車の人気スポットでありながら、もっとも圧が強い場所でもある。座席前の吊り革エリアに流されたら一日中ふらふらです。運良く手すりを掴めても停止駅の乗り入れで潰されます。一番人気のドア横スペースはマシでした」
:……ああ
:大人でも辛いからな
:今電車のマナー良くしようと切実に思った
:俺子供見たら席譲ることにする
:鏡見ろ子供に声掛け事件です
:グサッ……おっさんは席譲るのも無理か
「周りは背の高い大人ばかりで圧があります。潰されないように庇ってくれる優しい大人もいて、私の周りにスペースができることも多かったです。けれど私に気づかず押し出す大人や、私の顔面にカバンがぶつけてしまう大人もいました。悪気はありません。ぶつけた大人はすぐに気づき、必死に謝ってくれました。でも私の心は重かったです。大人の社会に受け入れられていない。気を遣われている。迷惑をかけている。異物は私だ。通学で疲れて中学校どころではありませんでした」
:電車内で貧血で子供が急に倒れるのを見たことがあるな
:よくあるとは言わんが珍しくはない
:倒れたら駅で長く止まることになるしアナウンス流れるし
:当事者へのプレッシャーが凄い
「そこに想定外のことも起こります。知識も自覚もなく見た目も幼かったので、自分は完全に対象外と思い込んでいました。だから最初はなにをされているのかわかりませんでした。この大人グイグイ押してくるなとしか」
:……あ
:胸糞
:殺意覚えた
「下半身を押し付けられていたんですよね。成人男性から。直接触られたわけではなかったので気づくのが遅れました。相手が同じ大人だと気づいたときはパニックです。すぐに乗る時間、乗る電車を変えました。最終的には女性専用車両固定ですね。私の利用駅は改札から女性専用車両まで遠く、微妙に歩く必要がありましたが、そんなことは言っていられなくなりました」
:変態
:ロリコンか
:小学生ぐらいの見た目の子に
:見た目の問題じゃないけど胸糞悪いな
「そうして通学も安定し一ヶ月近く経ちました。油断か五月病があったのかもしれません。私は少し寝坊して、急いで電車に駆け込みました。いつもと違う女性専用車ではない車両に乗ってしまったのです」
:あー
:急いでいたらあるよな
:嫌な予感しかしない
「一ヶ月経ったから大丈夫だと思っていたのもあります。けれど気がつけば後ろに見たことのある男性がいました」
:警察なにやってんの?
:直接触ってないらしいからな
:満員電車だと身体が接触すること自体は珍しくない
:手口が悪質で陰湿
「話は変わりますが、その頃の私は格闘漫画にハマっていました。そして、とある技に中一心をくすぐられていました。寸勁です」
:唐突な
:オチ読めた
:憧れるよな
:やったれ
「寸勁。相手にほぼ接触した状態から体重移動と身体のバネだけで強い力を生む技術ですね。ちなみにマンガのように相手をふっ飛ばすような威力は出ません。普通に予備動作や助走で勢いをつけた打撃の方が強いです。変則的な攻撃で相手の不意をつける点で実用的な技術かもしれません」
:解説ありがとう
:強くはないんだな
:普通に考えればそうだな
「足は肩幅に開き、力の伝達を逃すことがないように足裏から根を張るイメージで……などという震脚はできません。両足の膝を柔らかく曲げて、左から右に体重移動を意識します。あとは腰を軸に身体ごと回転させて、全ての力を右肘に乗せて振り抜く。とにかく後ろにいる痴漢に当たればよかった。想定外だったのは回転により打点が下がったこと。綺麗に反転して真後ろに肘が放たれたこと。その結果はクリティカルヒット。会心の一撃でした。ちなみにこれはチンコロ事件とは別件です」
:……クリティカル
:なんかキュッてなった
:会心の一撃w
:むしろ急所突き
「痴漢は衝撃に悶絶して前かがみに倒れてきました。つまり私に覆いかぶさってきたんです。とにかく気持ち悪く痴漢の頭を突き飛ばすように払いのけます。……払いのけたんです。今でも思い出しますあのネチャとした湿った感触が手に引っかかりました。私は掴まれたと勘違いして手を振り回します。痴漢の頭から髪の毛を生やしたネット状の塊が私の顔に飛んできたのです」
:……それは気持ち悪い
:髪の毛を生やしたネット状の塊
:ヅラか
:たまにネットが見えてる人いるよな
「猛烈に臭かったのを覚えています。襲いかかってきたのは痴漢のヅラ。私はあまりの嫌悪感に電車内にもかかわらず嘔吐しました。中学生でゲロインデビューです。寝坊で朝ごはん食べてなかったのが唯一の救いでした」
:カツラって不潔なの多いよな
:汚な過ぎてヅラばれしてる人いるよ
:ゲロインw
:痴漢のヅラが襲いかかってきたw
「私が大変なことになっていると、電車内も騒然とします。男性が股間に押さえて倒れ込んだ。女子中学生がカツラに襲われ、嘔吐する。これだけでもパニックです」
:パニックだな
:遭遇したくない
:アリスは災難だったな
「しかも男性の股間が失禁とは別のもの濡れて異臭を放っているのがわかりました。もう事件です。電車内で液体をかけられたなどでニュースサイトに載ります。女性が嫌悪感あらわに悲鳴をあけて、誰かが通報するために『子供が変態に襲われた』と叫びます。電車は降りる予定のない駅に緊急停車して、女性の駅員が『大丈夫ですか』と必死に駆け寄ってきます。私はえらいことになったと他人事のように呆然としていました」
:……えらいことになったな
:悪質な痴漢が股間という物証付きで確保されたか
:本当に最悪だなその痴漢
:アリス頑張った
:えらい
ここまでできる限り私の主観で記憶していることを話した。嘘も誇張もなく本当のことしか言ってない。リスナーの反応を見る限り、痴漢が捕まり無事解決して終わったと思われている。
だから告げなければいけない。
これが暗黒の中学時代の始まりだと。リスナーが楽しめないとわかっていることを告げるのは気が進まない。けれどそれが現在にも繋がっているのであれば必要だった。
声から自然と感情が抜けていく。
「まあこの話自体、自覚のない私の主観でしかなかったんですけどね。全て強がりです」
:強がり?
:どういうこと?
:なんか暗い
:シリアスか
「私は本当に気にしてなかったんです。痴漢のことも終わったことと気にも留めてなかったはずなんです。けれどその日から今日に至っても私は電車に乗れません。駅に行くと足がすくんで動けなくなり、無理やり改札を通ると吐きます」
:……うわ
:ガチトラウマ
:余裕ありそうに話していたのに
:今もか
:そういえばこれ自滅してしまうお話か
:痴漢が原因だろ
「学校に行こうと駅に向かい立ちすくむ。無断欠席が数日続く。すぐに両親が気づき病院に行くと複雑性PTSDと診断されました。男性がダメ。駅がダメ。電車がダメ。人混みがダメ。自分より背が高い大人に囲まれるのがダメ。満員電車の環境ストレスで元々適応障害寸前の状態でした。そこに痴漢被害でトドメを刺された形です」
弱い自分を認めたくなくて、ずっと無理して潰れてしまった。
「中学生になったんだからと張り切って、他の人はできているからと空回って私は潰れました。せっかく受験して受かった中学も、通学できる状態にないので辞めることになました。徒歩で通える中学校に転校です。それが私の暗黒中学時代です」
:……これはシリアス
:割と重いどころかかなり重い
:複雑性PTSD
:なんか大人でも身につまされる話
:満員電車ストレスか
「ついでに私がショートカットになったのもこの日からです。微妙に濡れた痴漢のヅラの感触が本当にダメだったみたいで。腰まであった髪をバッサリ肩に切りそろえました。ある意味これが私が自覚できていた唯一の障害ですね」
:お、おう
:痴漢のヅラ
:無理してオチをつけなくても
「では暗い話はここまでに……とはなりません。次も†暗黒中学編†です」
:次も暗黒か
:口でダガーっていうなw
:†暗黒中学編†
:ダガーで†と変換されるのか
:まさかの中二御用達言語
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