1-4 けど歌でなら、つながれる

 入学式の翌日、新入生勧誘期間の初日。


「お願い結樹ゆき、編んで!」

「お前な、この忙しい時間に……」

 昼休み、私は結樹に頼んで髪を結び直してもらっていた。

 私は普段、長めの髪をシンプルにひとつ結びにしている。しかし今日は新たな後輩に会う日だ、気合いを入れるべく編み込みにしよう……と考えていたのだが、朝は時間を取れなかった。


 自分もできないことはないが、髪のアレンジなら結樹の方が上手い。それに二年生になってクラスが分かれてしまったのだ、こういう機会は逃したくない。

「分かったよ、ほら座れ」

「ありがとうございます結樹先生」

「そういうのいいから」

 

 結樹の席を借り、髪を結樹に預ける。

「あんまり凝った風にはできないぞ」

「結樹が普段やる感じで良いよ~、派手にしすぎても浮いちゃうし」


 結樹に髪やってもらうの、やっぱり好きだな……結樹に甘えようとしても大体はあしらわれてしまうとはいえ、髪となると雑に扱えないのは共通の認識である。結樹の綺麗な指先の丁寧な動きを一番に味わえるのは、髪や衣装を整えてくれるときだ。ちなみに結樹の目標は薬剤師である、実験とかも上手いんだろうな……


「そういえばさ」

 耳元で、低い結樹の声。周りに聞かせたくない類の話だろう。

「なに?」

「真田さんのこと。もう心配いらないから」


 真田さなださん。合唱部で新三年生の、真田先輩。去年から、結樹が惹かれていた男子だと聞いていた。しかし真田先輩には心に決めた人がいる、アルトの奏恵かなえ先輩で、結樹にとってはパート直属の先輩だ。


「大丈夫、ちゃんと諦めるだけだよ。ほらそんな顔するな」

「ひうっ」

 私の横顔が悲痛そうだったのか、頬をつねられた……自分が悩んでも仕方ないことは悩むなと、結樹からはよく言われている。今回もそう言いたいのだろう。

「もう、みんなの前で困るよ!」

「人いなかったらいいのかよ」

「むしろしてほしい」

「断る……ほら、できたぞ」


 結樹は手鏡で完成形を見せてくれた。結樹らしいシンプルかつ上品なアレンジ、理想通りで胸が高鳴る。

「これでいいな?」

「結樹が可愛いって言ってくれたらいい」

「はい、可愛い可愛い」

「棒読み!」

 中学の頃はもっと実感こめて言ってくれたのに……けど、時間を割いてくれたのは確かだ。

「けどありがと、すごい嬉しい!」

「はいよ、じゃあ後で部活で」

「うん、じゃあね!」


 軽くなった足取りで、自分の教室へ。午後のだるさも乗りきれそうだ。



 合唱部ではローテーションを組み、音楽室での練習や見学対応と、校内での勧誘を交替で行うことになっていた。

 今日の私は音楽室の担当だ。とはいえ、最初から見学に来る人もいないので、しばらくは普段の練習と変わらない。


 キーボードを使って自分のパートを確認していると、部長の鷹林たかばやし陽子ようこ先輩がやってきた。

「ねえ詩ちゃん、良かったらソロで合わせてみない? 自信ない所の確認にもなるし」


 私たちは主に混声四部で歌っている。高音部から、女声のソプラノとアルト、男声のテノールとバス。このうち私はソプラノで、陽子先輩はアルトだ。違うパートをひとりずつで合わせることで、自分のパートがどれくらい定着しているか確認してみようという練習だ。

「はい、お願いします!」

「おっけ、じゃあ……バスはいないか、ケイ! ソロ合わせやらねえ?」


 ケイ。テノールの真田さなだ恵一けいいち先輩……結樹の好きな人。彼は何も悪くないとはいえ、どうしても嫉妬してしまう。顔に出ないよう、深呼吸――大丈夫、きっと恋じゃなく尊敬の好きだ。私が結樹に向けるのと、そんな変わらない。

「いいよ、お前と……柊か、よろしく」

「よろしくお願いします!」


 三人で並ぶと、陽子先輩は「詩ちゃん、ちっちゃい……」と笑みを零す。

 陽子先輩は一七〇センチを越す長身で、男装が似合いそうなボーイッシュな人だ。なんなら普段の一人称も「オレ」である。

 真田先輩は一八五センチくらいあるだろうか、クール系イケメンとの呼び声が高いし、歌もすごく上手。

 とにかく二人とも、同年代の中では高身長である。そして私は、目指せ一五◯センチが悲願。つまり、身長差がすっごい。なんでよりにもよって男女ツートップに挟まれなきゃいけないんだよ、モデルさんにインタビューする子役みたいじゃん。


「お二人に挟まれて私の背も高くなってほしいです、オセロみたいに」

「その理屈だと、オレと詩ちゃんで挟めばケイも女子に」

「ならねえよ、あと女子の間に男が入るとキレるだろ陽子は」

「なんか本能的に許せねえんだよな、そういう構図……じゃあテンポ通りに、頭から」

 陽子先輩が軽口を叩きながらセットしたメトロノームに、意識を合わせていく。


「じゃあカウント……いち、に、」

 陽子先輩の指揮に合わせ、三人での重唱が始まる。


 ユニゾンから始まり、徐々にハーモニーを展開させつつ、一気にクレッシェンド。一転して静かに、リズムと和音を細かく揃えていく。最も低いバスが欠けているとはいえ、三声でもハーモニーは繊細だ。自分のパートの音を思い出しつつ、全体での響きを感じつつ、詩と旋律を紡いでいく。私の高音を、陽子先輩の豊なアルトが支え、さらに真田先輩のテノールが広い音域で彩っていく。

 涼しい部屋なのに汗が出るほど緊張して、けど一音一音を一緒に奏でているのが楽しくて。さっきまで抱いていた真田先輩への嫉妬さえ、音楽の中に溶けて忘れていった。ここでは何も関係ない、ただ歌に乗って共演するだけだ。


 最初のブロックを歌い終えたところで、陽子先輩が手を叩いて区切る。

「はいオッケー! 詩ちゃんいい感じ!」

「ありがとうございます!」

 後輩がいればまずは褒める、失敗しても労う。そうした明るい気配りが、陽子先輩が部長になった理由なのだろう。

 先輩ふたりは「縦?」「だな」と短く言葉を交わし、陽子先輩が話を続ける。


「まずは詩ちゃん、全体的に音は取れてきてるし、発声も好調だから、この調子で頑張って。ただ今回、明らかに課題だな~って思ったのが縦、リズムなのよね。特に楽譜の……このあたり。歌っててどうだった?」

「陽子さんの指揮はちゃんと見てた、つもりです」

「そうね、それはオレも感じてた……拍は?」

「拍……は、ちょっと怪しかったかもです」

 

 真田先輩が話に入ってくる。

「柊、入りはしっかりできてたぞ。ただ伸ばしがちょっと短い……多分、自分で気持ちいい長さになってる」

「そう……ですね、楽譜でってより、メロディーで覚える癖が出てたと思います」

 どこを間違えたか、どうして間違えたか、そこまで解きほぐしていく。少人数だからこその練習方法だ。

「ソプラノのこの辺は主旋律だから、耳で覚えると楽なのは分かる。俺たちテノールもそういう面あるし。けど、全体で合わせるってなると楽譜準拠にしないとズレてくるから、そこはもう一回注意してみてくれ」

「はい、気をつけます……」


 普段は話さない先輩に長く指摘されたせいか、思わず返事もすぼむ。それに気づいたのか、真田先輩は表情を緩めて付け足す。

「ただ、音程がしっかりしているのは自信持っていいぞ。一人でここまで出来れば、後輩も安心してついていけるだろ」

「ほんとですか? ありがとうございます!」

 ……ちょっと怖いけど、やっぱり良い先輩だ。結樹のことを思うと複雑だけど、決して嫌にはなれない。


 それから先輩どうしでも指摘を交換し、同じ練習を繰り返したところで。

「はいオッケー詩ちゃん、今のはバッチリよ。やれば出来る子~大好き!」

 陽子先輩に褒めてもらえた。頬をむにむにと撫でられながら……すらっとした女性に上から可愛がられるの、本能を刺激されているようで気持ちいい。ただ陽子先輩は女子部員に見境なくラブコールするので、遊ばれている気にもなってしまうのだが。


「へふっ……良かったです、ちゃんと先輩しないとな~って頑張ったので」

「成果出てるぜ、胸張ってニューフェイスお迎えしような!」


 陽子先輩とガッツポーズを交わした、そのとき。

 音楽室の入り口から、希和まれかずの声。

「お連れしました、見学希望者!」


 想定よりもずっと早い。先輩らしいカリスマ感が不安視されていた希和、まさかの一番槍だった。


「え、マジ!?」

 陽子先輩が歓声を上げながら迎えにいく。見学にきたのは男女ひとりずつのようだ。


「ようこそ、来てくれてありがとう!」

「はい、お邪魔します!」

 ――記憶を掠める少女の声に、体が熱くなる。落ち着こうと、とりあえず楽譜に目を落としてみるが。


「ねえ、詩葉さん」

 いや、待って……待ってくれる人でしょ君は……

 とはいえ、さすがに無視する訳にもいかない。息を吸って振り向く。

「うん、」

「ファンの子、来たよ」

「……うん」


 入り口へ歩いていくと、その彼女と目が合う。


「お久しぶりです、先輩」

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