第523話 人生とは苦悩との戦いだ

人間は皆、人間として生まれたからには苦悩する。


それは人間を成長させる為でもあり、試される時でもあるからだ。


一概には言えないが、苦悩を克服した時ほどの喜びは少ない。


ソクラテスのように苦悩を克服できなかった人物もいるが、


彼の場合は仕方ないと言えば、仕方ない。


天の下には彼の求める賢者が居たかもしれないが、


賢者はなかなか存在しない。


私もあの一件以来、賢者を探し求めたが、居なかった。


ソクラテスと同じように、逆に色々教えてほしいと言われた。


哲学というものは、時代に関係なく、一応の情報では4千年前からあると


されてはいるが、それ以前からもあったかもしれない。


最低4千年前からあった事だけは確かだ。


この哲学というものを、不思議と思う人もいるだろう。


普通は時代に左右されるものが多くを占める中、哲学という分野においては


今も昔も変わらず、人間には必要なものであり、自己啓発には欠かせないものだ。


そして自ら、その苦悩の中に飛び込む。当然、答えを求めて飛び込むのだが、


答えを得れるとは限らない。己の知識が足りないか、運も左右するものだ。


哲学とは難しいとされてきたが、私にとってはそう難しくない。


その理由も自分で歩いてきた道を探してみたことがあるが、


英才教育を受けていた私は、人間とは呼べなかった。


習い事や塾、家庭教師、夏休みは30日間離島のホテルで早朝から夜まで


勉強し、全くゆとりも無く、言われるがままに生きていた。


当時は勉強の成績もトップクラスだった。


しかし、たったひとつの小さな疑問から、全ては崩れ去った。


当時の記憶はあまり思い出してはいけない記憶なのであまり書けないが、


幼稚園の頃から当然、すぐに帰る訳で、更に医者の息子であるが故、


7,8人から集団いじめにあいながら、家ではテーブルマナー等で殴られ、


更には塾に体罰を親が許可していた為、顏などだと警察沙汰にもなりかねないと


毎週テストのマイナス分だけ、太くて長い定規で太ももを叩かれた。


80点なら20発叩かれた。


ある時、叩かれ過ぎて定規のほうが折れたことがあったほどだった。


私と弟は辞めたいと懇願したが、無視された。


小学校でも同じだ。誰も友達が出来ないまま、誰にも相談も出来ず、


親の権力が強い為、誰も助けてくれず、孤独だった。


それは今だから分かる事だが、絶対にあってはならない事だらけだった。


馬鹿が金を持つとろくなことにならない。


うちは元々は財閥であった為、資産はあった。


家庭教師に科学研究を大金を積んで実験させて、離島から帰ってすぐに


その家庭教師が書いた科学研究を書き写す作業も大変だった。


200ページほどのものだったからだ。絵も描かれて全てを丸写しして


学校に提出させられていた。


今考えれば、学校の先生は何故、何も言わないのか、言うべきことが


仕事ではないのか? と過去に戻れるなら問いたいし、父母も殴りたい。


家庭教師にも暴力を母親は許可していた為、私の家は広く、


日本で最初にデザイナーが手掛けた家であった為、特殊な構造をしていたし、


防火扉も警報装置も最初からあった。


長い廊下を引きずられながら、無理やり何もかもさせられた。


他人からは裏事情を知らない為、羨ましがられ、家では暴力は当たり前で


ある日、門限の五時を少しだけ過ぎた時、真正面にある安アパートの人が


危ないからうちに来なさいと言われてたほど、何時間も外に出されていた。


それを知った母親は教育だとか何とか言っていたが、やり過ぎだと言われていた。


幼少の哲学というものがあるが、私は色々な事が重なって目覚めた。


消して幼少の哲学に目覚めてはいけないものだが、自問自答し、誰一人味方もおらず


そんな世界にいたから目覚めた。本人の意志などで哲学に目覚めることは無いが、


過剰なほどの苦悩を幼少期に体験する人は、現代では少ないから滅多にいないのだろうと私は思う。


間違っても目覚めてはいけない。本当にそれは言える。


塾仲間が中学1年生で首吊り自殺をした。当時は伏せたままだったが、


後に分かった。何故なら、その子の弟もきっかり

一年後全く同じように首吊り自殺をした。


これらは全て真実であり、私の世界は外から見れば何不自由なくと言うが、


私は産まれてから、一度も親の愛情というものを味わったことがない。


母親は非常に重症な精神病だ。しかし、私の家は医者の一族が多い為、真実が口にされる事は無い。


医者同士の世界とはそういうものだ。


私は今でも賢者を探している。色々教えを乞いたいが、現れる事は無い。


哲学者は哲学者をすぐに知ることが出来る。過去から学ぶ事は多い。


漫画やアニメなどでも、すぐに哲学を学んでいるかどうかわかる。


武田信玄の風林火山も孫子の兵法から学んでいた。

毛利元就の三本の矢も同じく中国、春秋時代に言われたものだ。


有名な人物の多くは哲学を学んでいる。


私は首吊り自殺をしたまだ子供だった事を、よく書いているのは


どうしても頭から離れないからである。他にも死んではいないが


非情な事は多数あった。彼らは皆、戦えずそのまま敗れた。そして壊れた。


私は彼らの無念と自分の信念を貫く為に戦った。


ある日、母親が警察を呼んだ。私と父親が口論していたからだ。


うちは広いため、三人とも別々の場所で個人個人が話しを聞く事になった。


私は、一階の病院で一応来た警官の中では上司に当たる人と話した。


今もため息が出たが、あの時も同じだった。


信じてもらえないような話をした。そして私一人が白いのは私が狂っているからかとも尋ねた。皆、日本を動かしている人たちと、関わりのあるのが私の親族だ。


そして本来は答えを求めてはいけないであろう警官に対して私は尋ねた。


「私は裁判を起こそうと思っていますが、陪審員は一般の人です。それに比べて私の世界は誰それが簡単に理解できるものではありません。

特に父親は末期ではないけど癌で、父親の命令通り動く父の兄弟は皆、それぞれの住む地では有名な名士です。

中には政治家とも付き合いのある叔父もいます。

その叔父は日本で1,2を争うほど有名な手術の腕で、予約で埋まり続けています。

そんな状況の中、私が真実を言った所で、誰が信じてくれますか? 逆に私が侮辱罪や何かしらの罪で訴えるはずです。父親は非情な人間です。弟がいますが、本気で殺そうとさえしました」


「非常に賢いが為、私どもには理解の範疇を越えている話で、予測されてる通り裁判を起こしても結果は仰る通りになるでしょう。私には生きて下さいとしか言えないのですが、この事は全て警察署に保管させて頂きます」


私はお礼を述べた。父母は私が恐ろしいと警官に言い、ホテルに泊まると言った。

正に弱いフリをした悪魔のような奴らだった。


父母ともに黙秘を貫いた。当然である。自分たちが悪いため何も言えなかった。


父は死んだが、最期まで私を追い詰めた。医師会の保険は掛け捨てであるが、死亡時には6千万入る。


死を直前にして、解約したと言われてはいるが真実は分かってない。


母親も遺書があった事を三カ月隠し、弁護士ではなく税理士から連絡がきた。


遺産分配はされないまま終わった。


私はもうその時は、今では信じられないような恐怖にうなされていた。

今はそれを思い出すと、非常に危険な為、思い出さずにいるが、


私のような運命を辿った人間は、全員精神が壊れてしまったのが現実だ。

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