第501話 孔子

“義を見てせざるは勇無きなり”



多くの弟子を持ち、多くの手本となった人物である。


まずは、“義を見てせざるは”の意味は、義とは正しい道や道理や人道の事である。

つまりは、「人として成すべき事と見、知りながら、それに対して正しき事を

行わないのは」


“勇無きなり”


勇気がないためであるということである。


人は心では分かっていても、行動に移せる人は数少ない。


普通は年齢とともにその強さを失っていくものだ。

私はそう思っていた。


先月の末頃、東京は大雨が降った。

私は世田谷区の成城にいた。帽子をかぶり、フードも被っていたが

タクシー乗り場で、雨に打たれながら並んでいた。


後ろの人が、私に自分の傘をさしてくれた。

自分の背中のほうは雨に打たれていたが、無言で傘をさしてくれた。


私は振り向き、お礼を言った。言葉は無かったが、お辞儀をされた。

タクシー乗り場の雨避けの所まで、高齢な紳士は私に傘を差し続けてくれた。


行為からでは無く、人の心の優しさに触れた気がした。

実に久しく感じた事のない、心地の良い気持ちになった。


人の心を感じた。私は返礼のため、先にタクシーを譲ろうと身を退いたが、

その老紳士は、それに対しても無言でどうぞと手を差し出した。


私はお礼を言ってタクシーに乗った。


年齢を重ねても、正しいと思う行動をする事を、

大切にしている人だからこそできる行動だ。


自分もああなりたいと思った。


ただそれだけの行動だが、そうする人は少ない。

それが現実だ。


だからこそその思いを受け継ぐ事が大切なのだ。


勇気を誤解している人も多いが、戦いだけが勇気ではない。


自らの意志を貫く事にも、勇気は必要だ。

何かを成すには大小はあるが、勇気が無ければ何も出来ない。


臆病にならず、必要な勇気を持って生きることが大切だ。



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