第493話 親と子

親は子供の為と言って、幼く抵抗も出来ない子供に対して、


自分の意見を押し付ける。


子の為だと言うが、親として意見を言うのであれば、


当然、時代について行けている親でなければ成らない。


子供には選択権が無いように、親は子供の為という偽りの中で、


自分がそうだと思って行動に移す。


しかし、親として教えていくべき事は、出来るだけ少ないほうがいい。


そうしないと、それが当たり前になるからだ。


これらの事は、私の実体験から断言できる。


ある幼馴染の年齢は50歳近いが、食事に関して一切手伝おうとはしない。


食事を運んだり、果物の皮をむく事も、御飯を自分で盛る事もしない。


これは彼の家庭では当たり前だったから、大人になっても


それに対しては人任せになるのだ。


習慣がもたらすものになってしまっているのだ。


私は幼少の頃、何度も泊まりにいったので、よく覚えているが、


みかんの皮だけでなく、あの細い海綿までも全部綺麗に取ってから


子供たちに与えていた。


それ故、私の家に泊まりに来た場合、食事のテーブルに座ってただ


待っているだけだった。


子供時代に過ごした事は、大人になった時に、こうした問題が持ち上がる。


安易な意見で子供を束縛するのではなく、広い視野を持たせなければ


小さな世界しか知らずに生きて行く事になるだろう。


親とは子供以上に時代を知り、言い難い事も教えるのも教育としては


大切だと私は思う。私は東京生まれだが、育ちは広島だった。


小学生の時に、原爆資料館によく連れて行かれたのを覚えている。


最初はショックを受けた。まだ幼かった私は父親に、


原爆資料館を見た後に質問した。


アメリカは悪い国なのかと私は尋ねた。


曾祖父、祖父は政治家であり、当時の総理大臣とも親しかった為、


父親は政治に関しては詳しかった。だから尋ねた。


「戦争に関して、良い国も悪い国も無い。お互いの主張する意見が


違う結果が戦争なだけであって、そこに正義や悪の世界は無い。


日本も酷い事をしたが、日本ではそれを教えない事としている。


それは良く無い事だというのは分かる。真実を隠しているから、


お前のように、矛盾に感じる子供たちは大勢いる。


最終的には勝った国が正しいとされるが、


それもまた矛盾しているが、それが現実だ」



国も家庭も同じだと言える。規模に違いがあるだけでやっている事は


同じようなものだ。子供時代に精神が弱ければ、強制的に強くするのではなく


何かしらの達成感を味合わせ、自分に自信を持たせるようにするのが、


最善と言えるだろう。手直にある難解なパズルや知恵の輪などを与えて、


自分の力で成功させる事により、知恵も自信も身につけるのではないだろうか。

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