第485話 哲学の境地

私は哲学の境地には達した。それは目にも見える程のものではあるが、


難関だ。いつも言っているが、哲学とは人間社会や実生活の中に存在する。


境地に達していたのだが、暫くそれが境地だとは、気づけなかった。


ちなみに境地に達してもそれは永遠に死ぬまで続く。


終わりは無い。それこそが哲学の境地である。


言葉では決して理解できない。その理由も分かっている。


私は昔から不思議だった。


私の持論では“人間は進化しないが、文明は進化していく”他にもあるが、


何故、こう思ったのかは、ソクラテスより始まった哲学と呼ばれる世界。


実に不思議なのは、ソクラテスも弟子のアリストテレス、その弟子プラトン


それらの意志を継いだ者たちも全員では無いが、境地に達している言葉を


言っている。そう、言葉では途方も無い程の人が言っている。


私が知るあらゆる哲学的思想を持つ人たちの殆どが、その言葉を口にしている。


しかし、これは決して言葉で理解できるものでは無い。


自分が矛盾している事を、言っている事は重々理解しているが、


私は最近、病気になり、今までと違った視点でものごとを見た。


病気中は、それどころでは無かったが、治りかけてきて、過去を思い出した。


普段は思い出さない事が、頭をよぎった。


そこからは、すぐに見えた。


最初は、いや、厳しい……確かに皆が言うはずだと再認識した。


私の行きついた流れを追ってみよう。


前文の過去の話から、私は友人を思い出した。彼は一生感謝すると言っていた。


自分でも立場が逆なら、当然そう思うだろう。


しかし、私は水に流すように、忘れたように振る舞った。


彼が忘れる事は決して出来ないだろうが、感謝の気持ちは要らないと。


問題はそこでは無い。問題は誰もが見ているだけだった事だ。


全員が見ている中で、お前らは土下座を見る気か? 


その中にはKの友人も多数いる中で黙ってみていた。


もし仮に、私も見て見ぬふりをしていたら、逆に一生後悔しただろう。


そこが始点になった。そう、ある哲学者の言葉でその通りの言葉では無いが、


“嘘の世の中だからこそ、真実を語るのは革命的だ”と同じように、


誰もが黙っている中で行動を起こす事こそが、大事であり、


昔から言われているが、見過ごすのも同罪だ。


そして、ここから小さな哲学の卵が産まれた。


あの時、自分が取った行動は間違いでは無い。


しかし、誰もが出来なかった事であったが、私はそこまでさせる気か? と


思って動いただけだ。この時にした行動は自分としては当たり前だ。


しかし、周りからしたら出来なかった事と言う事になる。


同じような状況なら同じ行動を私は取るだろう。


しかし、それだけでは無いのだ。私は別にアメリカのヒーローじゃない。


刺されれば痛いし、場所によっては死ぬだけだ。


アベンジャーズたちはアメリカのヒーローだ。命懸けで人を助ける事に意義がある。


私にも私の道があるはずだ。自分の道を進み続ける事こそが、哲学の境地と言える。


これをただの言葉として見ずに、自分の人生と照らし合わせてくれ。


真面目に本気に、甘く見ず、しっかりと見れば分かるはずだ。


私は今、自分が如何にダメな人間かを悟った。

仮に死ぬのなら、相応以上の何かの役に立って死にたい。


それが自分の進むべき道にあるのなら、

自分の道を命懸けで進む事が大切な事になる。


欲求を満たしても満足するな。つまりはそういう事だ。



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