第439話 ルネ・デカルト
“実際に人々が何を考えているのかを理解するには、
彼らの言葉ではなく、行動に注意を払えばよい”
デカルトは合理主義哲学の始祖であり「近代哲学の父」と呼ばれたが、
彼の哲学論に対する非難の声も多かった。
しかし、この言葉はその通りである。
私はまだ幼き頃、母親の嘘に触れた。まだ本当の子供だった私は嘘という世界を
その時初めて知った。それからは、言葉では無く、人格やその人の性格、信念等から
何を考え、その口から出る言葉の真偽を、見極める事が出来るようになった。
人間は基本的に、その生き方や有言実行、それらの発言に対する行動により、
デカルトの言う通り、本当の姿を見極める事が出来る。
私の最も仲の良かった友人の父親は、市会議員であった。
私の家にも尋ねてきて、彼の父親だけでは無いが、投票のお願いにきていた。
私は、彼の父親と投票する事を約束し、投票日に彼の父親の名前を書いた。
ところが、私の母親は私の友人とも親しいのにも関わらず、他の人の名前を書いた。
母親は悪びれもせず私に言った。「当確だと思ってたのにギリギリ負けてたね」
他人事のように普通に言った。そして裏の世界は本当にある。この投票しなかった事
は、世間の知る所となり、私の友人の父親は、裏切られた事により落選し、その心労
の為、入院し、それから3カ月後に死去した。
友人の母親から私の母親に対して、断絶の電話があった事を私に言ってきたが、
「あいつとは仲も良く、わざわざ家にまで来て投票すると約束したのに、あんたが裏切ったせいで、俺まで断絶させられた。一体、その脳みそに約束と言う言葉は入っているのか?」と私は責めた。
しかし、母親は根から腐っていた。ある日、私と母親派閥のジュエリー経営者と、私の幼馴染の女性と、四人で出掛けた。
その時、私は母親のせいで断絶された事に対して、父親も死においやり、可哀そうだと言った。
母親は言った「他人の事なのに、自分事のように思う優しい子なのよ」と二人に話した。私はその言葉に対して「責任感の欠片も無い母親で恥じている」と話したが、
全てを知らない二人は母親派であった為、結局、私が母親に対して暴言を吐いているという形で幕を閉じた。
これらの事からデカルトの言う通りであるとも言える。
デカルトも私のように嘘にまみれた苦しい人生であったであろうと思う。
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