第113話 哲学の門
以前から話している通り、哲学を教えることは
できません。
私が書いていることは言わば哲学の門までの
道しるべでしかありません。
自分で考えることが大事であり、自分自身で答えを出し
それが他人と相対する答えであってもよいのです。
問題は自分の知識や思念、想像力などを身につけていく
過程が大事な訳です。
哲学者は皆、過程を体験し、そこから考え、悩み、それが
日常になっていき自己哲学として活きていくのです。
この世界には抜け道はなく、ただひたすら思念し続けるしかなく
だからこそ考える過程にこそ意味があります。
言葉を覚えたり、考えずに引用することに意味はありません。
それでは真に理解することは出来ないからです。
真に理解できていなければ砂で作った城のように
そして記憶からも消えていきます。
私はバスや電車に乗る事はあまりないので
そういう時は外を眺めています。
他の人は何かに取りつかれたように携帯ゲームをしていて
その光景はある種の変な宗教的な怖さを感じます。
自己啓発を求めているのであれば、それがある程度の域まで
達すると哲学の門は開かれるでしょう。
真の意味を解せずして哲学の本などを読むのは
遠回りになってしまいます。
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