第42話 アビ・ヴァールブック
”神は細部に宿る”
哲学の面白い所は同じ哲学者でも意見が全く違うことがあることだ。
それぞれの理論をぶつけ合い持論を持って生きている。
当然時には、相手の意見のほうが正しいと理解を示す人もいれば
頑なに持論を信じている人もいる。
そしてそれは決して悪い事ではなく一つの議題を何十人、何百人と取り巻くこともあり、それこそが哲学の基礎であるからだ。
自分の意思や意見、思想、や神に至るまで議論されている。
日本人は島国なせいか心が狭い人が多い、他人を受け入れる姿勢も低く
私は自国民としてもっと広い目で見て欲しい。
”神は細部に宿る”
この意見は真逆に近い意見ではあるがそれも大事だと私は思っている。
時と場合によって意見も変わる。よく「木を見て森を見ず」と大局観ない人、ある視点からしか見ない人などに使われる言葉であるが私は第3視点まで見る事は容易に出来る。
勿論、相当な訓練をした。今は病気のため第3までしか見れないが第4視点まで見ることは可能だった。これが誰かが過去に実践しすでに答えが出ているのかもしれないが、それはあまり考えなくていい。
自分自身で考え、そして答えまで導き出すことが大切であるからだ。
まず一人称・自分の目線、二人称・相手の目線、第三視点は映画やドラマをイメージしたらいい。簡単に言えば箱の中にあれこれ入れてそれ見る。どこに何があるかなど。人であれば外見や言葉それを総合してみる
のが第三視点で第4視点では、第三視点の自分を含めてみることだ。
ハンターハンターで幻影旅団のノブナガとマチをキルアとゴンが追跡した時、フィンクスとパクノダは両方を見ていた。第三視点の状態であり、ノブナガの台詞で「絶の使い手が多すぎると思ったんだよな」みたいな発言をする。これは実際は見えてはいないがある種の第4視点と言える。
このように”神は細部に宿る”という短いフレーズの中にも多くの意味を持たせることが出来る。知っていればの話になるが実際、漫画などでも哲学の理論やフレーズを変えてよく書いている人は多い。知らない人は感心する。知っている人はそれはそれで面白い。
哲学は教えることが出来ないと言ってた人もいたが、創造力豊かで、人の意見も受け入れ、考えてそれを否定し、さらに自分の意見を考えるような人には教える事は可能ではあるが、やはり自分自身でそれを見つけるのが一番いいだろう。
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