写真⑬
「ママみて!あそこにお花が1個咲いてる」
「えー、どこ?」
「ほらあそこ」
「あ、ほんとだ。可愛いね」
並木道を歩く親子の視線の先で、早々と膨らんだ桜の花が口を開いていた。
「お花はね、1個じゃなくて1リンって数えるのよ」
「リン?」
「そう」
「1リン咲いてるー!」
寒と暖を送り返し人々がようやく春が来たと確信を持てるまでに落ち着いた日和、拓人は頭の後ろから聞こえてくる親子の会話をできるだけ遠ざけようと足取りを早めた。しかし、この時期はあちらこちらで親と歩く子供の姿がある。歩くつま先と地面だけを見て家まで辿り着く方法を覚えたのはこの頃だった。
自宅のドアノブを引いた時、曽根の家から同じくドアを開ける音がした。拓人は身を隠すように素早く玄関に足を踏み入れた。気付かれないようそろそろと扉を閉め、小さく溜息を吐く。靴を脱いで敷居を跨いだ瞬間、チャイムが鳴った。もしかしてドアを閉める音が聞こえてしまったのかも知れない。諦めた拓人は外へ返事をした。
「はい」
「たっくんか?」
予想通りだった。ドアを開けると曽根の主人が立っていた。手にスーパーの袋を下げている。
「こんにちは」
「こんにちは。お父さんは仕事?」
「・・うん」
「そうか。最近全然見ないけど元気にしてるかなと思ってね」
「お父さん元気だよ。仕事が忙しいだけ」
「たっくんも留守番偉いな。またうちにも遊びに来てくれよ、うちの上さんもうすぐ退院する予定だから」
「おばさん腰治ったんだ?」
「ああ。最後に検査があるからそれが終わったら退院だ」
「よかったね」
笑みを浮かべた拓人の顔にうっすらと哀愁が漂っていることに曽根は気が付いた。
「どうかしたのか?」
拓人は固まった。目を逸らしそうになるのを堪え瞬きをした。
「ううん、なんでもないよ」
その時、台所から物音がした。
「・・・誰か来てるのかい?」
「さっき、テーブルに荷物置いたのが落ちたのかも」
「今帰ったとこじゃないのか?」
拓人は自分がランドセルを背負っているのを忘れていた。
「とにかくお父さんは元気だから心配しないで。いつもありがとう、曽根さん」
曽根は不思議そうな顔で通路の奥を見ている。
「これ、お父さんに渡してくれるかな。ホッケの干物だよ。冷蔵庫で保存するんだ」
「ありがとう」
「お父さんによろしく言っといてくれ」
「うん」
思ったより曽根が引きずらずに帰ってくれたことに拓人はほっとした。預かった干物の袋を冷蔵庫に入れようとリビングに入った。
「お父さんただいま」
健司は台所に立っていた、レタスを持っている。
「お父さん」
拓人は健司の腕を掴んで揺さぶった。
「わかりました、すみません」
髭の生えた口元が力なく動いた。拓人がレタスを取り上げると健司は両手を下ろしそのまま立ち尽くした。
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