夏侯流星雨

倉舒そうじょ(曹沖のあざな)、待たせたな」


妙才みょうさい夏侯淵かこうえんの字)おじさん! 援軍感謝します!」


 夏侯淵は、邪神軍の包囲陣を外から破ると、曹沖たちと合流した。そして、部下の騎兵たちを敏速に動かし、円を描いたような形の方円ほうえんの陣を作って曹沖らを守った。


「ちょっと拉致らちされていた間に、何じゃこのありさまは! わしの屋敷がメチャクチャではないか!」


「おおっ、華佗先生ではありませんか。よくぞご無事で」


 夏侯淵の傍らに華佗がいることに気づいた司馬懿は、そう言いながら老医者のそばに駆け寄ろうとする。しかし、華佗は、


「どうせお前さんじゃろ! 儂の命よりも大事な薬草園を荒れ果てさせたのは!」


 そう怒鳴って、馬上から司馬懿のあごを蹴った。


 司馬懿は、蹴られた顎をさすりながら「ち、違いますよ。これはみんな、邪神度朔君どさくくんのせいで……」と弁解する。


「だったら、あそこで燃えておる牛たちも度朔君の仕業なのか」


「いや、あれは俺がやりました」


「ほら見ろ! このあほんだらが!」


「ふんぎゃ⁉」


 今度は鼻を蹴られ、司馬懿はひっくり返る。


 華佗は、追い打ちの蹴りを加えるために馬から飛び降りようとしたが、「華佗殿。いまはそれぐらいにしておくのだ」と夏侯淵がいさめた。


「まだ遠くにいた我らの部隊が『すでに戦闘が始まっているらしい』と警戒することができたのは、あの牛たちが黒煙を上げて燃えていたおかげだ。その者の手柄ゆえ許してやれ。……それよりも、貴方は子桓しかん(曹丕の字)の息子の治療をせねばならぬのではなかったのか」


「お……おおっ。そうであった。何たる不覚じゃ。儂としたことが、取り乱したせいで、患者のことを一瞬忘れてしまっていたわい。家の中にいる嫁の安否も心配じゃ。一刻も早く屋敷の中に入らねば……」


「案ずるな。屋敷への道は俺が開く。倉舒たちも、建物の中に避難するのだ」


 夏侯淵はそう言うと、行く手をさえぎる神兵たちを眼光鋭く睨み、弓の末弭うらはず(弓の上端)を天に突き上げた。それを合図にして、夏侯淵隊の騎兵が一斉に矢を弓につがえる。


「夏侯淵将軍。奴らは草の怪異、傷つけても近辺の草花を吸収してすぐに肉体を再生します。草花の多い場所では非常な強敵です。お気を付けください」


 曹真がそう忠告したが、夏侯淵は特に驚く様子もない。「心得ておる」と視線をそらさぬまま答えた。


「心得ておる……とは?」


「三十年以上前、孟徳もうとく(曹操の字)の馬鹿が、ある里の人々が度朔君に捧げた美女を袁紹えんしょうと共謀して盗んだことがあってな。怒った度朔君は、孟徳と袁紹を追いかけて捕えようとした。俺と元譲げんじょう夏侯惇かこうとんの字)は、二人を助けるために邪神の手勢と戦ったのだ。だから、奴らの弱点はよく知っている」


「と……主公との(曹操)と度朔君の悪縁は、そんな昔から始まっていたのですか……」


 張繍だけでなく神との間でも、曹操は女をめぐるいさかいを起こしていたらしい。曹操崇拝者の曹真も、これにはさすがにやや呆れてしまったようだ。一方、司馬懿はというと、(女癖悪過ぎだろ、あの奸雄かんゆう……)と心の中で悪態をついていた。


「要するに、一撃必殺の技を繰り出して、肉体の再生が不可能なまでに粉々にしてやればよいのだ。……よ! 俺が血路を開いたら、倉舒と華佗殿らを守って正房せいぼう(表座敷)へ駆け込め!」


 夏侯淵がそう叫ぶと、二十一、二歳ぐらいの凛々しい顔つきをした若武者が「はい! 父上!」と言い、馬上から曹沖に手を差し伸べて自分の前に座らせた。


 この若武者こそ、夏侯淵の次男、夏侯覇かこうは。はるか後年、クーデターで魏王朝を牛耳った司馬懿に反発し、蜀へ身を投じることになる三国志終盤の重要武将である。



「では、参る。……あと、華佗殿。庭をもっと荒らしてしまうことになるが、事前に謝っておく。すまん!」


「へっ?」


 華佗が素っ頓狂な声でそう言った直後。夏侯淵は勇躍奔駛ほんしし、前方の邪神軍にたった一騎で突撃を開始した。


「そ、そんな無謀な!」と司馬懿は驚き叫ぶ。


 夏侯覇は司馬懿をギロリと睨み、


「無謀ではない。よく見ていろ、我が父の武勇を」


 そう言いながら父の背中を指差した。


 その直後――夏侯淵の愛馬が、荒々しくいななきながら地を蹴り、背中に翼を生やしたように高々と跳躍した。


 さらに、夏侯淵は馬上から鳥人のごとく飛翔、地上より遥かに離れた天空の真ん中で弓を構えた。



「奥義……夏侯かこう流星雨りゅうせいうッ‼」



 大喝一声、眼下の邪神軍へ一の矢を放つ。間髪入れず二矢、三矢、四矢、五矢と立て続けに射て、あっという間に背中の矢筒は空になった。


 夏侯淵が最後の矢を放ったのとほぼ同時に、夏侯覇が父めがけて素早く矢を射る。それを皮切りに、部下の騎兵たちもやじりの切っ先を天へ向け、わずかに間をずらして次々と矢を放った。


 空中の夏侯淵は、体を烈しく回転させながら息子の矢を素手で受け止め、一弾指いちだんしの間を置かずに強弓を引いて矢を飛ばす。続々と飛来する部下たちの矢も、手に取った次の瞬間には彼の元から離れ、無数の矢が流星雨のごとく度朔君の神兵たちに降り注いだ。


 典軍校尉てんぐんこうい夏侯淵の矢の腕は、曹軍随一と言っていい。一矢いっしたりとも外すことなく、正房への道を塞いでいた神兵ら百数十人の脳天に直撃した。肉体を一直線に貫き、凄まじい矢の勢いは草の兵士を跡形もなく木っ端微塵にするだけでなく、大地を穿うがって周辺の草花を一瞬で吹き飛ばしてしまった。


「こ、これが夏侯淵将軍の奥義……! 曹家の宴会芸の水龍酩酊すいりゅうめいていとは違い、ガチの必殺技ではないか!」


 大量破壊兵器かよとツッコミたくなる一個人の武に驚愕きょうがくし、司馬懿はそう叫んだ。


 夏侯淵が軽やかに地面に着地した時には、華佗邸の庭先はまるで月面のように小さなクレーターが二十、三十とできていた。草や花はどこにも見当たらない。これでは、度朔君もすぐには新しい兵士を生み出せないだろう。


「わ……儂の薬草が……。どいつもこいつも、ひとの庭でやりたい放題しおって!」


 ダイナミックすぎる庭の荒らしっぷりに華佗はブチ切れてしまった。


 若年のわりにはしっかりとしている夏侯覇が、「華佗先生。お怒りはごもっともですが、邪神の手勢を無力化するには我が父の奥義が最も有効なのです。どうかご理解ください」と怒れる老医者をなだめる。


「いまはとにかく正房まで駆け抜けましょう。後日必ず、庭を元に戻すお手伝いを父と一緒にしますゆえ」


 この若武者の言う通り、前方の邪神軍は奥義夏侯流星雨で全滅、後方の神兵たちも夏侯淵の騎馬隊による突撃で壊滅に近い状態となっている。屋敷内に駆け込む絶好のチャンスだった。


 華佗はチッと舌打ちし、「ええい! 分かったわい! もうヤケクソじゃ!」と叫びながら馬の尻に鞭を当てる。夏侯覇も馬腹を蹴り、五人の騎馬兵を従えて中庭を疾走した。


 夏侯淵の息子である夏侯覇は当たり前だが、華佗もなかなの馬術で、穴ぼこだらけの地面を巧みな手綱さばきで駆け抜けて行く。


「私たちも行くぞ! 遅れるな!」


「お……おおッ!」


 曹真と司馬懿、それに孝敬里こうけいりのおっさんズは徒歩である。豚の賈詘かくつを守りつつ、全速力で走っている。



 ――司馬懿の馬鹿め。余は曹丕を殺すつもりはないと言っているのに……。曹叡はそんなにも守らねばならない命か? あんな優柔不断な偽善者の孫を生かしておいても、天下のためにはならないと思うがねぇぇぇぇぇぇ!



 度朔君は、奇跡的に生き残っていた前庭の神兵八人をたか変化へんげさせ、空から司馬懿たちの背後を襲おうとした。


「当たらなくてもいいから、がむしゃらに放て!」


 首を百八十度回転させた司馬懿は後方上空を睨み、おっさんズにそう命令する。司馬懿の指示でいつでも撃てるように準備していたでんさん・ちょうさん・がくさんは「あ……あいあいさー!」と叫びながら火矢を放った。


 司馬懿の思惑は当たり、急降下タックルを狙っていた草の鷹たちは火矢にひるみ、空中でいったん停止する。


 が、ここでおっさんズの矢が尽きてしまった。


 農夫らの背に矢がもう無いことを見て取った鷹たちは、すぐに急降下を再開した。


「あの者たちを支援せよ!」


 夏侯淵がそう下知し、麾下きかの騎馬武者たちが再び弓を構え、一斉射撃しようとする。


 しかし、それよりも早く司馬懿を助けたのは、思わぬ方角から飛んで来た十数本の飛刀だった。


 猛烈に回転しながら飛来した刃は、瞬く間に鷹の翼を切り裂いていく。両翼を失った鷹たちは真っ逆さまに墜落し、体はバラバラになった。復活した費長房ひちょうぼうが、念力サイコキネシスで飛刀を飛ばしてくれたのだ。


「ひ……費長房……! お前……」


「司馬ちん! ワタクシの心配はいいから、早く子桓様のところへ行ってあげてください!」


「お前…………なんで全裸なんだ⁉」


「度朔君の神兵たちに衣服をがされたんですよ! 本当にワタクシのことは放っておいてくださいってば! じろじろ見ずに、さっさと行って!」


 かくして、夏侯淵隊と費長房の助けによって、司馬懿たちは正房にたどり着くことに成功したのであった――。








<夏侯覇の年齢について>


 夏侯覇というと、三国志終盤に蜀の姜維きょういとともに活躍するため、かなり世代が下で曹丕や司馬懿よりもだいぶ年下のイメージがあります。


 しかし、史実における彼の生没年はハッキリ分からない……(^_^;)


 ヒントになると思うのは、張飛の奥さんです。

『三国志』の注で裴松之はいしょうしが引用している「魏略」によると、張飛は建安五年(二〇〇)に夏侯覇の族妹にあたる十三~十四歳の娘を拉致って結婚しちゃった(!?)とのこと。


 夏侯覇がこの族妹(張飛の奥さん)とほぼ同世代で、仮に一歳年上としたら、建安五年の時点で彼は十四~十五歳。この小説の現時点――赤壁の戦いの前年である建安十三年(二〇七)では、二十一~二十二歳ということになります。


 つまり、曹丕(二十一歳)とはほぼ同世代。司馬懿(二十九歳)ともそんなに年が離れていないという計算に……。(ちなみに、荊州では三顧の礼イベントが発生中ですが、諸葛亮はこの時点で二十七歳。後に夏侯覇の戦友となる姜維は六歳です)。


 魏の嘉平元年(二四九)に司馬懿がクーデターを起こして曹爽そうそう(曹真の息子)を殺すと、夏侯覇は蜀に亡命します。前記の計算では、亡命時の夏侯覇の年齢は六十三~六十四歳。蜀の延熙十八年(二五五)に姜維とともに出陣し、狄道てきどうで魏軍と戦った際は六十九~七十歳。


 蜀軍で頑張っていた頃、夏侯覇ってそんな老将だったんだ……と改めて計算したら意外に思う自分がいました(汗)


 ただ、あくまでもこれは「張飛の奥さんよりも一歳年上」という前提がもとの私の勝手な推測なので、実際には違う可能性があるので悪しからず( ̄▽ ̄)


 いちおう、曹丕や司馬懿とどれぐらいの年齢差があるのか、小説を執筆するうえで自分なりのキャラ設定をしておきたかったもので……。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る