真夜中の遭遇

 それから数日経った、ある日の深夜。


 司馬懿は、寝台に独り寝転び、小燕が冥界からやって来るのを待っていた。


 今のところ、ぎょう城は平穏である。悪鬼化した袁煕えんきが曹丕の前に現れる兆候は無い。


 司馬懿は毎晩、父と酒を飲み、皆が寝静まった深夜には、小燕が持って来る夜食のスープをがつがつ食べるという、胃の健康にちょっとよろしくない毎日を送っている。


 ちなみに、嫁の春華は、自分が殺した下女の亡霊が主人を慕って毎夜化けて出ることを嫌い、夫との共寝を拒絶していた。


 このまま寂しい独り寝がずっと続くのかと思うと、暗澹あんたんたる気分になる。しかし、健気な幽鬼メイドに「もう来るな」などと言えるはずがなく……。


「はぁ~~~。何とかして、春華に小燕を受け入れてもらう方法は無いだろうか。浮気をしたわけでもないのに、俺はなんで嫁と下女(死人)の間で板挟みになっているんだろ?」


 などとぼやいているうちに、司馬懿はほんの数分ほど微睡まどろんでしまった。




「……あなたは……ですか?」


「……我はこの屋敷の……」


 あっ、小燕の声――と思って覚醒した直後、司馬懿は異変に気づいた。


 寝台のすぐ横に立つ小燕が、部屋の中央の胡床こしょう(西域伝来のイス)に腰掛けている何者かと言葉を交わしているのだ。


 男の声なので、春華ではない。また、でんさんたち孝敬里こうけいりのおっさんズにしては、言葉遣いに品がある。ということは、父の司馬防だろうか。


(しまったな。幽鬼の小燕を見られてしまったようだ。どう説明しよう)


 下手な嘘で誤魔化せる父ではないし、思い切って本当のことを言ってしまおうか。


 そう考えた司馬懿は、上半身を起こし、「あの、父上。実は小燕は……」と話しかけた。


 しかし、燭台のが浮かび上がらせたその容貌は父ではなく、全く見知らぬ男だった。髭に白いものが混じった男は、兜と鎧を身にまとい、物憂そうな目をこちらに向けている。


「おまっ……! だっ……!」


 お前は誰だ、と叫ぼうとしたが、驚きのあまり声が上手く出ない。


 男が司馬懿をじっと凝視みつめながら「お前は誰だ?」と逆にたずねてきて、


「こっちの台詞せりふだッ! 誰やねん、お前ッ!」


 と、ようやく言葉が出た。どんなに動揺している時でも、ツッコミの精神は忘れないのが司馬懿である。


「旦那様。この御方は、死にたてほやほやの幽鬼さんみたいです」


 小燕が、ニコニコ笑顔で主人にそう報告する。


「ここはわしの寝室なのになぜ見知らぬ男が寝ているのだ、と私に訊くので、『この屋敷は私の旦那様のお家です。貴方はきっと家を間違えたのでしょう』と教えてあげていました」


「娘よ。儂は間違えてなどおらぬ。この張繍ちょうしゅう、生前は曹操殿を幾度も破った、天下の名将なり。死んでしまったからといって、ボケて自分の家が分からなくなるはずがない。たしかにここは儂の邸宅であった。そなたの主人のほうこそ、我が屋敷を無断で使っておるのだ。儂は、この屋敷にいた家族や召し使いがどこに行ったのか、そなたの主人に問いたださねばならぬ」


 死にたてほやほやの幽鬼は、小燕に厳粛な声で抗議した。


 司馬懿は(なぬ? 今さっき張繍と名乗ったな、こいつ……)と内心驚く。


 張繍といえば、曹丕の兄を討った男。そして、後に曹操に降り、つい先日、遠い戦地で陣没した将軍だ。


 幽鬼の言い分を鵜呑みにするつもりはないが――万が一、彼が本物の張繍の亡霊で、その主張が正しいのならば、曹丕は主が留守中の張繍邸を勝手に司馬懿に与えたことになる。にわかに信じがたい話だが、たちの悪い悪戯を好むあの公子なら、十分やりかねない。


「若造よ。おぬし、何故なにゆえ、我が屋敷を不法占拠しておる? まさか、我が身内を殺して、屋敷を奪ったのでは……」


 張繍が胡床から立ち上がり、疑わしげな目で司馬懿を見下ろす。


 これは対応を間違えると襲いかかって来るかも知れない、と司馬懿は警戒した。だが、恐れおののく必要は無い。こちらには、曹丕からもらった対怪異秘密兵器があるのだ。


「お……俺は名士司馬防の息子だ。そのような非道をするわけがない」


 司馬懿はゴクリと唾を飲み込み、傍らに置いてあった霊剣泰山環たいざんかんにゆっくりと手を伸ばす。


「俺にも事情が分からぬゆえ、明朝、公子様に訊いておく。だから、今日のところは出て行ってくれ。今は、この司馬仲達が屋敷の主なのだ」


「出て行けじゃと? 外は雨だぞ。濡れるから嫌だ」


「いや、幽鬼に雨とか関係無いだろ!」


「ありますよ、旦那様。私たち幽鬼だって、冷たい雨に降られると、悲しい気分になっちゃいます」


「小燕。頼むから、今は口を挟まないでくれ。……張繍将軍。どうしても出て行かぬと言うのなら、こっちにも考えがあるぞ」


 司馬懿は、鷹のように鋭い眼光で凄んだ。


 だが、張繍は歴戦の古強者ふるつわものである。わずかな所作だけで、司馬懿に武術の心得が無いことを看破していた。


 鎧姿の幽鬼は、「面白い。で、どうする気だ? やるか? 儂は絶対に出て行かんぞ」と言い、腰に帯びている長剣の柄を手の甲でガチャガチャ叩く。ちょっと威嚇したら簡単に降参するだろうと、司馬懿をめているのだ。


「俺を馬鹿にするなよ。返り討ちにしてやる」


「わ~! わ~! お二人とも、喧嘩はダメですよぉ~! 怪我をしたら大変です!」


「案ずるな、小燕。俺には、悪鬼馬超を圧倒した霊剣泰山環があるのだ。ちょえーーーい‼」


 間の抜けた掛け声とともに、泰山環を抜き放った――が、司馬懿の元気はそこまでだった。


 霊剣が、輝いていないのだ。



 曹丕曰く、泰山環はけがれたものに反応して光り、凶悪な怪異が接近すると五尺三寸(約一二一センチ)の大剣に変身する。曹丕はその大剣で、悪鬼馬超を撃退した。


 しかし、張繍の亡霊を眼前にして、泰山環は微弱な光すら発していなかったのである。剣の長さも、平時の三尺(約六九センチ)から一切変化していなかった。



「あ……あっれぇ~? なんでぇ~……?」


「司馬仲達とやら。そのほそっちょい剣で儂を倒すつもりか? もしかして、この張繍を舐めているのか?」


「い、いや、あの……」


「勝負を挑んできたのはおぬしのほうだ。かかって来ぬのならば、儂から行くがよいな?」


 そう言いつつ、張繍は長剣を半分ほど抜く。


 あっ、これはまずい、張繍にられる。司馬懿は、全身に冷や汗があふれ出るのを感じた。


(いや、落ち着け、司馬懿。俺は天才軍略家と呼ばれるようになる予定の男だ。最後まで諦めるな。そう、あの奥の手を使いさえすれば……!)


 意を決した司馬懿は、泰山環を放り捨て、素早く寝台から飛び降りる。


 そして、意表を突かれて驚いている張繍の前で膝をつき、床に頭を勢いよく叩きつけた。


「すんませんでしたぁーーーーーーッ‼ ほんっとうに生意気な口叩いてすみませんッ‼ 俺はこの屋敷をつい最近、曹丕様から頂戴しただけで、マジで事情を知らないんですッ‼ いったいどういうことなのか、ちゃんと確認してきますッ‼ だから、寝台はお譲りしますので、お願いですから祟ったり暴れたりしないでくださいッ‼ 嫁がいま身重なんですッ‼ 俺はどうなってもいいですが、春華ちゃんとお腹の子に何かあったらほんと困るんですッ‼ お願いしますお願いしますお願いしますぅぅぅぅぅぅ‼」


「えっ。ちょ……あの……」


 いきなりDOGEZAされ、張繍はドン引きしているようだ。


 小燕は、哀れな司馬懿の姿を見て、「だ……旦那様ぁ~……」と呟きながら涙ぐんでいたが、彼女はどこまでも主人に忠実な幽鬼メイドである。私も旦那様に付き合わねばと思い、一緒にDOGEZAを始めた。


「張繍さん! どうかうちの旦那様を許してあげてください! お願いします!」


「お、おい。おぬしたち。やめろ。これでは、儂が悪いことをしているみたいではないか」


「DOGEZAじゃ足りませんか⁉ じゃあ、DOGENEします!」


 そう叫ぶと、司馬懿は五体投地、DOGENEをする。


 小燕もそれにならい、うつ伏せに寝て、「旦那様をいじめないでください! 代わりに私をいじめてください!」と懇願した。


「も……もういい! 分かった、分かったから! 儂は幽鬼ゆえ、別に眠らなくてもいいのだ! おぬしはそこの寝台で勝手に寝ろ! そこの娘が一晩中、暇潰しに儂の話し相手になってくれたら、大人しくしている!」


 かくして、司馬懿は恐るべき戦法「DOGEZA」と「DOGENE」によって、幽鬼張繍の怒りを鎮めることに成功したのであった……。




 テレレレッテッテッテー! 司馬懿のレベルが4に上がった!

 武力は上がらなかった!

 知力が1上がった!

 政治は上がらなかった!

 魅力が5下がった!

 プライドが20下がった!

 特殊スキル「危機察知」がDからCに上がった!

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