第8章:黄金の都にて問う(2)

 埃のうずたかまった王城の一室を即興で掃除し、何とか見られる形にして、作戦会議は始まった。

 アルフォンスが、国王の部屋から見つけてきたという地図を広げる。そこに刻まれた内容に、居合わせた誰もが眉をひそめた。

「細かすぎないすか?」

 リカルドの発した言葉が、皆思った事だ。地図には、ラヴィアナと周辺国の地形が明瞭に描かれ、フィアクラ王都フィルレイアへ向かうまでに、どこに集落や川や森があって、どこで補給を行えば良いかまで、詳細に記されている。

「それに、巧妙に古い紙のように見せかけていますが、十七年放置されていたにしては、傷みが少なすぎです。最近作られた物だと思います」

 クラリスが軍師の観点から指摘して、「決まりだな」テュアンが肩をすくめる。

「魔王教団の仕掛けた罠だろう。乗ってやる筋合いは無い」

 それが総意とばかりに、エステル達もうなずいた時。

「あ、あの!」

 部屋の隅で手を挙げ、緊張した声を放つ者がいて、皆の視線がそちらに向いた。注目を浴びて明らかに表情を強張らせるのは、ノクリス・バートンという青年だ。解放軍がムスペルヘイムを発つ時から従軍してきて、この遠征にも名乗りをあげた、最早古株の方になる戦士だが、あくまで一兵に徹して前線を走ってくれた男である。エステルが首肯で促すと、ノクリスは「ありがとうございます」と軽く頭を下げてから、無精髭の目立つ口を開いた。

「俺の故郷の村では、鹿狩りをする時に、餌を撒いたり、鹿の足跡を模したりして、獲物を誘き寄せるんです。だけど、奴らって結構頭が良くて。あと一手で囲い込めるってところまで踏み込んでおいて、罠を壊して逃げるんですよ」

 どうして今、狩りの話が出てくるのか。誰もがぽかんと口を開けてしまうと、ノクリスは「あ、ええと、だから」と口ごもった後、身振り手振りを交えて先を続ける。

「罠なら罠で、ひっくり返すつもりで乗り込んでみるのも、ありじゃないかな、って事です。この遠征軍の戦力なら、できるはずです」

「成程。虎穴に入らずんば虎児を得ず、ですね」

 クラリスが顎に手を当ててひとりごち、うなずいた後、エステルに向き直る。

「わたしより長く、それも最前線で解放軍を見てきた方の評価なら、信用に値するでしょう。聖王教会では不意打ちでしたが、今はアウトノエさんもいらっしゃいますし、魔族の罠を見破る事も、前より容易いはずです」

「あたしは便利屋じゃあないんだけど」

 オディナを伴って壁にもたれかかっていたアウトノエが、面倒くさそうに首の後ろをかいて嘆息し、「でも」と不敵な笑みを向けた。

「頼ってもらえるのも、案外悪い気分じゃない。何より、外の世界に連れ出してくれた恩もあるし。その分のお返しはしてあげるよ」

「ありがとうございます、アウトノエ。助かります」

 エステルが微笑を向けたところ、アウトノエは途端に黒い目を見開き、わずかに頬を紅潮させて、しばし硬直する。だが、はっと我に返ると。

「か、勘違いしないでよね。あたしの得になる事しか、しないから」

 わざとらしく視線を逸らし、尖った耳介をいじりながら、しどもどと語を継ぐ。淡々としているだけかと思った少女の意外な一面を目の当たりにした戦士達は、あるいは顔を見合わせて口元をゆるめ、あるいは顔を伏せて肩を震わせた。

 そんな光景を見て、エステルは確信する。

 母の目指した世界は、きっと実現できる。母が生きた時代には夢物語だったとしても、こうして、人と魔と竜の血を引く者達が集って、言葉を交わし、支え合える。三つの種族が手を繋いだ時に生まれるのは、破壊の権化ヴァロールだけではない。希望の光を生み出す事もできるのだ。

 その為にも、ニードヘグを、そしてレディウスを必ず止める。この大陸に芽吹くのは絶望だけではないという事を、証明してみせるのだ、と。


「レトは敗れ、タイタロスに展開していた呪詛は、ヴェルハルトごと浄化されました」

 決して多くはない本数の燭台が薄暗く照らし出す祭壇の間。ニードヘグは腕組みしながら、魔王教団の証である黒地に赤い獣の爪の意匠を施した彫刻を見上げて、背後に控える教団員の報告を聞いていた。

 深々と頭巾をかぶったこの部下の素顔は、ニードヘグしか知らない。『呪いカタラ』という名を魔王支配の頃から代々受け継ぐ隠密は、男か女か定かではない体格を黒装束の下に隠し、やはり男女の区別がつかない声で、「しかしながら」と、言葉を継ぐ。

「我々の仕掛けに、彼奴等きゃつらは乗る様子」

「勝算がある、と思っているか」

 ニードヘグはフードの下でにやりと笑い、懐刀を振り返った。

「良いだろう。その思い上がりを粉々にしてやれ。エステルの首をアガートラムに送りつけて、残りは我らが王の前に揃えて並べ、供物としてやる」

 それから、良い案を思いついたとばかりに、手を打ち鳴らす。

「そうだ、『あれ』を連れてゆけ。貴様と『あれ』さえいれば、半端者の竜と有象無象の人間共など、赤子の手を捻るより容易く仕留められるだろう」

 その言葉を符丁にしたとばかり、カタラは「は」と低頭し、瞬時にしてその場から姿を消した。影に潜む術を得意とする密偵頭は、このニヴルヘルでもほとんど存在を知られていない。知るのは、ニードヘグにかなり近い地位の者か、既にこの世にいない、刈り取られた邪魔者かのどちらかだ。

 これまで開示せずにきた切り札を相手に、エステル達がどこまで抗しきれるものか。勝利の確率に口元の皺を深めた時。

「ニード……ヘグ……!」

 祭壇にかけられた緞帳どんちょうの向こうから、地を這うような声が響いてきた。

「ヒルデは……ヒルデは……どこだ? まだ、目を……覚まさないのか……?」

 喋るのが苦手であるかのような、喉に絡みつく、ごわごわした唸りにも似ている声に、魔族は一瞬、侮蔑の視線を、緞帳の先を見通すかのごとく向ける。しかしすぐに改まって膝をつくと。

「レディウス様」

 と、つい数週間前まで大陸の覇者だった皇子の名を呼んだ。

「ブリュンヒルデは、いまだ不安定な状態にございます。エステル達の命を狩って、その肉を食わせれば、精気も戻りましょう」

「エステル……? ああ……『姉上』……か!」

 到底少年のものとは思えない声が、わずかに喜色を帯びる。

「『姉上』が……役に立つなら……その命を……取れ! 周りの連中を……丹念に……叩き潰してから、な!」

 ごぽごぽと。濁水が湧くような笑声を洩らして、レディウスと呼ばれた緞帳の奥の誰かが宣う。その様子を満足げに眺めながら、『怒りに燃えてうずくまる者ニードヘグ』の名を持つ魔族は、歯を見せて嗤い、拳を握り締めた。

 やっとだ。

 己が復讐はやっとここまで来たのだ。成し遂げる為には、どんな犠牲も厭わない。誰にも邪魔はさせない。

「見ているが良い、聖王ヨシュア、四英雄。そして世界アルファズルの神よ」

 拳を震わせ、ぎりぎりと歯噛みしながら、過度な祈りにも似た呪いの言葉を、竜の炎の代わりに吐き出す。

「貴様らが見捨てた者達が、この世界のことわりを破壊し尽くしてみせようではないか」

 そして彼は両腕を広げ、哄笑しながらその場で回転を始める。そこにごぽごぽと、緞帳の向こうの笑いが混じって、まじなうかのごとき不協和音を奏でるのであった。

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