第7章:蒼の継承者(7)
自分だけが狙われている。それを確信したクレテスは、クラウ・ソラスを青眼に構え、吹き荒れる瘴気を断ち切ると、エステル達を振り返り、声を張り上げた。
「手を出すな! これはおれの戦いだ!」
途端に少女の顔に不安が満ちる。トルヴェールを出て以降、自分は彼女にこんな顔をさせてばかりだ。彼女が最後に笑ったのはいつだっただろうか。考え至るより先に、ヴェルハルト王の亡霊が、大剣を振りかぶって斬りかかってきた。咄嗟に後方に飛び退れば、があんと大きな音を立てて、重たい刃が焼け焦げた床を穿った。
仲間達から敵を引き離す為、続く二撃目をかわして背後に回り込む。宙に浮かぶ顔が苛立たしげに自分を
『滅ビヨ……滅ビヨ……ソレガ、ヴァロール様ノ望ム世界!』
この男がニードヘグに何を吹き込まれたか。自分には計り知れない。しかし、狂気に駆られて国をひとつ滅ぼした事は確かだ。同情の余地を挟んではいけない。何とか大剣を押し返し、鳩尾に蹴りをくれてやるが、不死者は痛覚など麻痺しているのか、怯んだ様子も見せず、得物を振り回す。刃はかすりもしなかったのに、大剣を取り巻く赤い光が触れた瞬間、見えない衝撃波に吹き飛ばされて、クレテスは血染めの床をごろごろと転がった。
立て 未来の英雄よ
振れ 手にした戦具を
その身に力満ち
心は折れず
切り
進むべき道を
エシャラ・レイの歌が聞こえて、全身が熱を持つ。フォモールの王の力は、戦意を高めるだけでなく、黄泉返りし怨念に対抗する
「ああーもう! 見てるだけなんてさせるなよな!」
リタの声が耳に刺さったかと思うと、トルヴェールの幼馴染達がヴェルハルトに飛びかかる。しかし。
『邪魔ダ!』
一声と共に暴風が駆け抜けて、仲間達は壁際まで吹き飛ばされた。クレテスは咄嗟にクラウ・ソラスを正面の床に突き立て、嵐が刃を避けていった事で、かろうじてその場に踏みとどまる。
だが、友人達の加勢が好機を与えてくれた。唇の動きだけで感謝を告げて、大きく踏み込む。ヴェルハルトが武器を振り上げるより速く懐に飛び込み、白銀聖王剣を振り抜く。
『グオオオオオ……ッ!』
亡霊が、初めて苦悶の叫びをあげた。斬り裂かれた場所から、血ではなく、黒い霧が吹き出してゆく。巨体がよろめいて、武器を取り落とす。そして両膝をつき、どう、と倒れ伏す。周りを浮遊していた首も、糸が切れたように床に落ちて転がった。
感慨も、心苦しさも、湧いてはこなかった。実の親を討ったというのに、何の感情も覚えない。ただ、彼も魔王教団の被害者だったのだろう、という哀れみに似た思いが、頭の片隅に、他人事のように浮かぶだけだった。剣を握る手をだらりと下ろし、両目をきつく瞑って、大きな溜息をついた時。
ぱん、ぱん、ぱん、と。
ゆったりとした拍手が玉座の間に響き渡った。
「お見事」もう一人の自分が、嘲るように目を細めて手を叩く。「父親は国を殺し、息子は親殺しか。似合いだな」
嘲弄に対し、半眼になって睨みつければ、男は肩を揺らして嗤い、片手を突き出した。
「その図々しさを讃えて、贈り物をしてやろう」
言うが早いか、クレテスの足元に帯電した魔法陣が出現し、「『死』と言う名のな!」雷が全身を駆け巡った。痛い、とも熱い、ともわからぬ衝撃に、言葉にならない呻きをあげ、クラウ・ソラスを取り落とす。
「クレテス!」
遠のきそうな意識の中、エステルの声が聞こえる。
「邪魔だ、小娘!」
男の声に続いて少女の小さな悲鳴が届いたので、必死に頭を巡らせれば、敵に斬りかかろうとした彼女が雷球にはね飛ばされて床に叩きつけられるのが見えた。気を失いかけているのとは別の理由で、頭から血の気が引く。最も、自分の為に傷ついて欲しくなかった相手に、危害が及んでしまった。後悔をしようにも、雷の檻は思考さえ奪ってゆく。
「……やっとだ」
かすむ視界の中、男がゆっくりと歩み寄ってきて、クラウ・ソラスを拾い上げる。正式な主ではない者の手に収まった白銀聖王剣が、不服の唸りをあげるが、敵はお構いなしだ。
「十七年越しの復讐を、俺は果たせる!」
狂喜の笑みを浮かべているのが、覆面越しにもわかる。銀の輝きが振りかぶられ、今にも死の一撃が降らんとした時。
「がっ!」
男が苦悶の声を零して右肩をおさえた。深々と矢が突き刺さり、黒服にも血が滲んでいるのがわかる。
「もう、やめろ……!」
ケヒトだった。矢を放った体勢のまま、憐れむような眼差しを男に向けて、きかん坊に言い聞かせるように口を開く。
「復讐だなんて、そんな事をして、お前の親が喜ぶと思うのか!?」
男はぎりぎりと歯噛みして、痛みを堪えているようだった。だが、ケヒトの言葉は、矢ほど深く刺さらなかったらしい。
「知った風な口を利くな!!」
激昂と共に、エステルを傷つけたものより一際強力な雷球が、ケヒトを襲った。避ける暇も無く兄の身体が宙に浮き、何度も床を跳ねて、壁に激突する。ラケの悲鳴が響いて、ロッテがリカルドと共に駆けてゆくが、ケヒトはうつ伏せに倒れたまま、微動だにしない。
「兄貴!」
「赤の他人のくせに、こんな時まで兄弟面かよ。反吐が出る」
クレテスの叫びを、男は憎々しげに切り捨てて、矢を無理矢理引き抜き投げ捨てると、再びクラウ・ソラスの切っ先をこちらに向けた。
「そのうざったい口、永遠に利けなくしてやるからな!」
今度こそ鈍い輝きが振り下ろされる。恨みを込めた一撃が、クレテスの肩に食い込む直前、今度は大柄な体躯が、二者の間に割って入った。
『ぐっ……』
深々とした一撃を肩に喰らって呻いたのは、先程討ったはずの、ヴェルハルト王の身体だった。首を己の脇に抱え、苦痛に耐えるように表情を歪めている。その顔には、ついさっきまでの狂気は感じられない。
『我が子に、手出しはさせん……!』
「このっ……死に損ないがあッ!!」
男が吼えて、何度も白銀聖王剣を振り下ろす。だが、どれだけ傷ついても、よろめいても、ヴェルハルトは
一体何があってこうなったのか。理解が及ばないまま、「ああ、畜生!」男が毒づいて一段と高く剣を振りかぶる。
「二人まとめて真っ二つにしてや……」
しかし、言葉はそこで止まった。雷も途切れる。
何が起きたのか。くずおれそうになる身体を叱咤して膝に力を込め、ヴェルハルトの肩越しに見れば、男の胸から銀の輝きが突き出していた。
「もう、いい加減にしろよ、馬鹿野郎……」
いつの間にか背後に回っていたピュラが、『
「あ、ああ……?」
鮮血が溢れ、男がクラウ・ソラスを手放し、がくりと膝を折る。倒れたその場から、血染めの魔法陣に更に赤を付け足す。
「母さん……俺は……」
ごぽり、と。血の塊と共に小さな思慕の言葉を吐いて、死後も残酷な運命に翻弄された哀れな亡者は、それきり動かなくなった。
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