第7章:蒼の継承者(6)
小国が乱立する北方諸国にほど近いラヴィアナの、王都タイタロスは、堅牢な石造りの城から扇状に建物が建ち並ぶ、祖先ノヴァの生真面目さを表したような整然とした街並みを誇っていた。
だが、十七年前、最後の王ヴェルハルト・ガノッサ・フォン・ラヴィアナが狂気の内に死すと、彼の最期の命令に従い民を虐殺する兵と、ヴェルハルト王の良心を信じて民を守ろうとする兵が、城下街を巻き込んで激しく争った。王都を焼く炎は三日三晩天を明々と照らし、後には黒焦げの屍が累々と横たわる、死の都が残ったという。
聖王教会すら調査できなかった彼の地に、遠征軍は今、足を踏み入れた。
年月は、死都を風化させるのに充分だったのだろうか。炭や灰は砂の道を作り、通りの真ん中や建物の壁際などに、白骨が、あるいは倒れ込み、あるいはもたれかかって、滅亡当時の悲惨さを表している。
「で、出ないですよね。出ないですよね、お化け」
宿の主人の話ですっかり怖じ気づいてしまったクラリスが、不安げに周囲を見回す。
「幽霊というのは、死体が腐りゆく時に、生物の身体を構成している要素が空気と反応して燃えたものだと言います。人魂は顕著な例ですね」
お
「とにかく」そんな二人から視線を正面に転じて、エステルはタイタロス王城を見すえる。「城に向かいましょう。ヴェルハルト王が最期を遂げられたのは、城内のはず」
そうして仲間達を振り返った時、それぞれが表情を引き締める中、クレテスがあらぬ方向を向いて眉根を寄せているのに気づき、エステルは首を傾げた。
「どうしたのですか?」
声をかければ、少年は弾かれたようにこちらに視線を戻し、「……いや」ゆるゆる首を横に振る。
「誰かに見られてるような気がしたんだけど、こんな場所で、まさかな」
「君がそう感じたなら、場所柄もあるし、あながち『まさか』で済まないかもね。魔王教団が先回りしている可能性もある」
クレテスの勘を評価しているアルフォンスが、ロンギヌスを握る手に力を込め直し、周囲を見回した時。
不意に、道端にうずくまっている兵士の白骨の、落ち窪んだ目に、赤い光が灯った。かと思うと、傍らに落ちている錆びた剣を手にし、こきぽきと音を立てながら立ち上がったのである。
それを皮切りに、辺りの白骨が次々と、
『陛下ノ……ゴ命令ダ……』
『殺サネバ……我ラノ生命ガ無イ……!』
「こいつら、まだ狂った国王の命令に従ってるのかよ」
「死して尚、妄執に囚われるとは、哀れなものだな」
リカルドとユウェインが先陣を切って各々の武器を振り回し、骸骨兵の頭蓋を叩き壊す。動力の中枢を失った敵はその場に崩れ落ち、元の白骨死体に戻った。
倒せない訳ではない、今まで相対した不死者と同じく対抗できる、とわかった事が、戦士達に立ち向かう気力を与えた。あるいは刃で、あるいは魔法で打ち倒すが、不死者は次から次へと現れて、際限が無い。
「ここでぐずぐずしてても仕方無いよ。元を絶たない限り、こいつらは湧いて出るから」
音も無く近寄っていたアウトノエがエステルの裾を引く。無言の接近にぎょっと目をみはるこちらの反応も歯牙にかけず、少女はカデュケウスで城を指し示した。
「行かないの?」
たしかに、ここで足止めを喰らっていては、目的を達成する事は叶わない。エステルは剣を握り直し、「突破します!」と、自身に気合いを入れる意味でも檄を飛ばす。仲間達も後に続いて不死者を退けながら、タイタロスの大通りを駆け抜けていった。
だが、城へ近づく程に、空気は重たくなって身体にまとわりつき、暑くもないのに汗をかいて、すぐに冷えてゆく。これがただの気のせいでない事は、魔道に疎いエステルでもわかった。実際、セティエやティムが、明らかに気分が悪そうに顔をしかめ、他者の心を感じ取りやすいファティマに至っては、よろめいて通りの石畳に屈み込んでしまった。
「凄まじい悪意を感じます……城下の亡霊達とは違う、強い、怨念を」
その悪意と対面する前からこの調子では、戦力として数えられないだろう。エステルはファティマに、隠れて休んでいるよう促し、護衛の為にアルフォンスを残す事にした。
「すまない、エステル」武器を持っていない方の手でファティマの肩を支えながら、弟は頭を下げる。「ファティマの具合が良くなったら、すぐに後を追いかける。気をつけて」
二人が、比較的無事な建物の中へ消えるのを見届けると、一同は再び走り出した。
中途半端な位置で止まった跳ね橋を飛び越え、立て付けの狂った鉄扉を人数にものを言わせてこじ開けて、煤だらけの廊下を行く。城内でも激しい争いがあったのだろう。不死者が再び行く手を塞いだが、それで怯んでいる場合ではない。武器を弾き、頭骨を打ち砕いて、走り抜ける。
「こっち」
カデュケウスで敵から魔力を吸い上げて無力化しながら指差すアウトノエに従って、城の奥へ。
玉座の間と思しき部屋の扉を開けた瞬間、ぶわりと吹き出してきた、腐った血のにおいを伴う空気に、誰もが腕で顔を覆い、それから見た。
玉座の間一面に描かれた、明らかに血液を使った魔法陣。長い時間が経過しているのに、禍々しい紅に染まる、その奥に立っていた、長身の男が振り返る。魔王教団の黒服に身を包み、覆面で口元を隠しているので、正確な年齢をうかがい知る事はできない。だが、鋭く細められた青灰色の瞳は、憎悪の炎を燃やして、ただ一人を睨みすえている。
「お前は、誰だ」
視線の先にいる人物――クレテスが、クラウ・ソラスを構え直しながら、相手との距離を測る。男はそんな少年の様子を鼻先で一笑に伏して、憎々しげに地を這うような声で、言い放った。
「お前の命の代わりになった、ラヴィアナの犠牲者……と言えば、わかるか?」
経緯がわからずに、誰もがぽかんと口を開けて立ち尽くしてしまう。それが相手の苛立ちを煽ったようだ。腰の双剣を抜き、右手に握った片割れで、まっすぐクレテスを狙って指し示す。
「ヴェルハルトは自分の子供達を逃がす時、魔王教団に悟られないよう、身代わりを置いた。揺り籠に突っ込まれた、お前の乳母の息子。それが俺だ」
クレテスが衝撃に身を固まらせるのを、エステルは隣で感じ取った。すり替えられた子供がどんな末路を辿ったか。想像に難くない。
「嫌だとも言えない歳で殺されただけでも、迷惑な事この上無いのに、ニードヘグはお前が生きている事を知った途端、俺を蘇らせやがった。正直、うんざりなんだよ!」
眉をつり上げて、もう一人のクレテスは、憤怒を撒き散らすように我鳴る。
「だから、消えろよ! 今度は、お前が!」
彼の怒りに呼応するかのごとく、血の魔法陣が赤い光を放った。中心から、魔物が召喚されるのと同じく、魔法陣をくぐって現れる者がいる。その姿を見た途端、エステルだけでなく、誰もが息を呑んで硬直してしまった。
鍛え上げられた身体の手には、身の丈もあるだろう、赤い光を放つ大剣。首から上が無いと思ったが、頭はあった。身体の周りを、目玉の無い眼窩から血を流した壮年男性の顔が、本体を求めるように漂っている。
『ヲヲヲヲヲ……同ジ血ノ気配……帰ッテキタノカ、我ガ息子ガ……』
歯の欠けた口から、低い声が洩れる。一瞬、懐かしさに笑みを浮かべた口元は、しかしすぐに憎々しげに歪む。
『四英雄ノ血ヲ引ク者! 魔王ヲ滅スル使者! 全テ死スベシ!!』
ラヴィアナ最後の狂った国王ヴェルハルトの亡霊は、呪詛と共に、瘴気とも呼べる禍々しい風を巻き起こした。
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