第4章:緋翼(12)

 帝国の魔物部隊が王都ノーデを強襲する様は、バスク台地からでも嫌というほど良く見えた。

「どういう事だ?」遠眼鏡を覗き込んだテュアンが訝しげに声をあげる。「帝国と組んでこっちを襲うにしては、魔物の動きが完全にカレドニア側に向いてるしな」

 それを傍らで聞いていたエステルは、はっとして、ジャンヌ王女と対面した時の言葉を思い出す。

『貴女達に事態が有利に運ぶように事を進めておくわ』

 彼女はそう言った。

『貴女のまっすぐさは、きっとこの大陸を救うわ。何があっても、くじけないで』

 あれはまるで遺言めいていたし、そういえば彼女は、再会を示唆する旨の台詞を一言も口にしなかった。

「ジャンヌ王女は……」

 最初から、全てをエステルとアルフォンスに託すつもりだったのだ。カレドニアの因習を己が抱えて消え、エステルが解放の救い主として民衆に受け入れられる道を開く為、犠牲になる道を選んだのだ。

 気づいてしまえば、身体にすさまじい悪寒が訪れた。両腕で身を抱えても震えは治まらず、吐き気すら覚える。

 だが、ここで弱味を見せる訳にはいかない。ジャンヌ王女と手を取り合うと決めたのだ。彼女を失わせる訳にはいかない。

「――アルフォンス!」

 上空の弟に呼びかける。流石は双子、彼も既に同じ答えに至っていたようだ。返答代わりに聖王槍ロンギヌスの青白い光が振られると、ガルーダを先頭にして、魔獣騎士グリフォンナイト魔鳥騎士アルシオンナイト達がノーデ目指して飛んでゆく。

「私達も行きましょう。決してカレドニアの人々を犠牲にしてはいけません!」

 エステルの宣言を鶴の一声にして、馬に乗れる者は次々騎乗し、飛行部隊の後を追ってノーデを目指した。


(違う、こんなやり方は)

 キマイラの吐き出す炎をかわし、ロンギヌスで急所を貫きながら、アルフォンスは歯噛みした。

(こんなやり方で、カレドニアが救われるはずが無い!)

 雄叫びをあげながら地上へ急降下する。森林地帯に隠れていた召喚士を見つけると、闇雲に槍を振るい、何人もの首をいっぺんに薙ぎ払った。

 国を離れて尚、アルフォンスの心はいまだカレドニアにあった。自分を育んでくれたこの国を守る事が、彼の使命であり、存在意義であり、生命そのものだったのだ。

 森に潜む召喚士をあらかた片付けて、再び空に舞い上がる。カレドニア兵で魔物との乱戦に参加しているのは、『緋翼隊』だけのようだ。ジャンヌ王女の率いる選りすぐりの精鋭といえど、その総数は自分の『銀鳥隊』より更に少ない。彼らだけで獰猛な魔物を相手にして、勝ち抜く確率は、果てしなく低かった。

 味方の飛行騎士達が加勢する中、アルフォンスはガルーダを高速で飛ばす。唯一人の面影を求めて。

(ジャンヌ王女さえご無事なら。王女がいらっしゃれば、カレドニアは生き延びる)

 目の前を塞ぐキマイラを、「邪魔だ!」の一閃で翼を切り落とし、きりもみしながら落下してゆくのに一瞥をくれる。再度前に向き直った時、アルフォンスの視界に入ったのは、一騎で奮戦する、緋色の翼であった。

「ジャンヌ王女!」

 背後から飛びかかろうとしていた魔物の首を撥ね飛ばせば、緋翼の背に乗る騎士が、驚き入った表情で振り返った。ガルーダで飛び出して槍を手元で一回転、前方を塞ぐキマイラの心臓を抉り取る。周囲の敵がいなくなって、奇妙な沈黙の訪れた空の上で、幻鳥騎士と緋翼は向かい合った。

「アルフォンス、まさか最後に貴方に会えるとは思っていなかった」

「最後だなんて、馬鹿な事をおっしゃらないでください!」

 諦観の入った笑みを浮かべる王女に対し、アルフォンスはいつもの冷静さも失って、声を荒げていた。

「カレドニアは貴女を失ったら滅びてしまう。どうか生きて、生き延びて、民を導いてください!」

 必死の訴えに、しかし、ジャンヌの顔から一切の表情が抜け落ちた。息苦しいほどの沈黙が流れる。すぐ向こうでは、『緋翼隊』や解放軍の戦士達と魔物の戦闘が繰り広げられているはずなのに、この空間だけが、世界から切り離されたかのように、静けさに包まれている。

「それは違うわよ、アルフォンス」

 静寂に耐えきれなくなった頃、それを破ったのは、いやに穏やかなジャンヌ王女の声だった。

「国を国たらしめるのに真に必要なのは、何だと思う?」

 それはいつかの頃、彼女がアルフォンスに発した問いだった。まだ騎士になりたてのひよっ子だった自分は、『民を治めるべき優秀な王族です』と馬鹿正直に答えて、王女がやけに曖昧な笑みを返した事を、昨日の事のように鮮やかに思い出せる。だが、今再びそれを問うという事は、彼女の持つ答えは、違うのだろう。

「国というのはね、王族だけで成り立つものではないわ、絶対に。指導者を信じ、ついてきてくれる民があってこそなのよ」

 遠い日の答え合わせのように、ジャンヌは教師が生徒に教えるかのごとく語る。

「カレドニアを愛する民がいれば、カレドニアは蘇る。何度でも」

「でも、それでは……」

 アルフォンスは聞き分けの無い子供のように首を横に振る。それでは、代々のカレドニア王が治め、バルトレット王が過激ながらも導いた歴史は、どのように評価されれば良いのか。これだけ国を憂いて、自分達に後事を託そうとしている目の前の女性は、愚かな反逆者として史書の片隅に追いやられるだけではないのか。

 それでも、全てを受け入れたような凪いだ表情で、ジャンヌ王女はアルフォンスを見つめるのだ。

「治めるべき民の無い王なんて、導く者無き民衆より、ずっと滑稽で、ずっと哀れなもの。あなたもいつか国を負って立つ身なら、それを覚えておいて」

 一言一言が、重く、鋭く、アルフォンスの胸を突く。返す言葉も思いつかずに歯を食いしばって呻く彼の視界に、話の時間は終わりだとばかりに向かってくるキマイラの群れが映り込む。応戦しようとロンギヌスを握り直したが、目の前にかざされた銀の槍が、動きを遮った。

「ここは私に任せて」

 背を向けたまま、ジャンヌ王女が告げる。こちらを見てくれないので、どういう顔をしているかはわからない。

「貴方ともっと話したい事はあるし、伝えたい事もあるわ。だけど」

 ――さよなら。

 最後の一言は、緋色の翼の羽ばたきにかき消された。

「ジャンヌ王女!」

 呼びかけにも答えず、グリフォンが夕暮れ時の空を舞いのように飛んで、距離が離れてゆく。槍を振るう度に赤い血が花のごとく散り、魔物の爪がかする度にグリフォンの羽根が散り踊る。

 やがて、全てのキマイラが地上に落ち、戦いは終わったかと思われた。途端、ぐらり、とグリフォンとその背に乗る騎士の身体が同時に傾いで。


 赤い空の下を緋翼が墜ち。

 声も嗄れよとばかりの少年の絶叫が響き渡った。


『緋翼隊』の決死の活躍と、解放軍の素早い合流で、帝国軍の召喚士と魔物は撃退され、ノーデの街は被害を被る事が無かった。だが、カレドニアには、王族を失うという哀しい結末が訪れたのである。

 エステルは、その事に関して、自分達が民衆から猛烈な非難とそしりを受けるだろうという覚悟で、王都に足を踏み入れた。

 しかし、事態は予想とは裏腹に進んだ。『緋翼隊』の生き残りと、街の人々は、好意的に、しかもかなり熱烈に、解放軍を受け入れたのである。

「エステル様、アルフォンス様。私達をお助けください」

「『優女王』のお子様方なら、きっとカレドニアを救ってくださるはず」

 取りすがるように集まってくる民衆に双子が戸惑っていると、返り血と自身の血に塗れたアレサ・セディエルが、片足を引きずりながら進み出てきて、頭を垂れた。

「お二方。これが、我が主の残された遺産です」

 緋翼が墜ちるのを、彼女も見届けたのだろう。目が腫れぼったいので、人知れず泣いていたに違いない。それでも彼女は、己の務めを果たそうと、気丈に言葉を紡ぐ。

「解放軍がカレドニアを救った暁には、生き残った兵は全て解放軍に協力せよと。それが私が王女から託された、最後の主命でした」

 エステルは驚きに目をみはる。ジャンヌ王女は本当に、カレドニアの全ての業を背負って消えゆくつもりだった。エステルとアルフォンスが、英雄としてカレドニアの民に受け入れられる布石を、全て打って逝ったのだ。

「アルフォンス様がカレドニアの王になってくださいよ」

 誰かが言い出したのを皮切りに。

「そうだ、グランディアの王子様なら、王になったって不自然じゃないはず」

「アルフォンス様、この国を助けてください」

 皆が口々に、アルフォンスに救いを求める。その様子を見て、エステルはどう口を挟むべきか迷ってしまったのだが。

「ま、待って、待ってくれ、皆」

 エステルが何かを言うより先に、アルフォンス自身が手を突き出して人々の言葉を遮った。

「僕らはまだ、正式にグランディア王族の座を取り戻した訳じゃあない。それに、僕はバルトレット陛下に背き、大恩あるジャンヌ王女を救えなかった。カレドニアの民として、最悪の罪を犯している」

 人々が不安げに囁き合う。アレサも心配そうに眉をひそめて、アルフォンスを見つめる。彼らをぐるりと見渡した後で、「でも」と、アルフォンスは先を継いだ。

「それでも、この国の人々が僕を許してくれるなら。まだ、僕を必要としてくれるなら。全てが終わった後、僕は必ずカレドニアに帰ってきたい。僕を愛し育ててくれた故郷に報いたい」

 しん、と静まり返った民衆を見渡し、彼はしっかりとした声色で問いかける。

「それまで、待っていてもらえますか」

 しばらくは静寂が落ちた。が、最初に拍手をしたのは、人々の先頭に立つアレサだった。それは細波のように広がり、やがて誰もが、精一杯の拍手を送る。双子の王族を称える声が響き渡る。

「……ありがとう」

 アルフォンスの呟きは、面を伏せていたので、彼らには届かなかったかもしれない。だが、エステルはたしかにその言葉を聞き、弟の頬に流れるものを見届ける。つられて姉の目からも温かい水分が伝ったのに気づいた者は、興奮に包まれたその場には、いないかもしれなかった。


 はらり、白い天の遣いが空から舞い降りる。

 その日、カレドニアには、初雪と、新たな希望の種が、同時に訪れたのであった。

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