第36話 これからの私

 



 あの姿は未だに目に焼き付いて忘れられない。

 顔は俯いて、死んだ魚のような虚ろな目。新しい制服に身を包んで初々しいはずなのに、そこに居たのは私の知ってる海じゃなかった。


 その瞬間心臓が締め付けられて、全身が悪寒に襲われる。そして頭の中を過ぎったのは……


 海がどこかに行っちゃう


 理由なんてわからない、それはただの直感だった。でも私はそう思ったら居ても立っても居られなくて……震える唇を噛み締め、思い切って話し掛けた。


『うぉ~い、元気ないなぁ。どしたのうみちゃん』


 もちろん反応は鈍くて、何かあったことはすぐに分かったよ。

 目の前の海に対してどうしたらいいのか分からない、でもなんかしなきゃ本当に海はどっかに行ってしまいそうな気がして……だから私は、いつもの湯花で居ることを決めた。


 いつものような雰囲気を、

 いつものような顔を、

 いつものような声を、

 自分でも思い出しながら、ひたすら海に話し掛けた。


 今思えば相当うざかったと思う。でもあの時の私は必死だった。気を抜いたら何も話せなくなるかもって怖かったんだ。そして、そんな私の言葉が引き金だったんだよね?


『さっき叶ちゃんから、様子伺いの依頼が来たのだよ? うみちゃんどんな様子? って』


 ストメ来てたの思い出してさ? 叶ちゃんの名前出したら少しは楽になるかな? そんな安易な気持ちだったんだ。まさか、


『今朝……叶と別れた』

『叶、浮気してた』


 その原因が叶ちゃんだとも知らずにね。


 本気で驚いた。叶ちゃんに限ってそれは有り得ないと思ったし、相手が田川なんてますます信じられなかったよ。

 けど、悲しい表情で淡々と話す海の姿は……嘘をついてるようには見えなかった。


 そして……渡されたスマホ。


『見間違いだったら良かった。でも、何回見てもあれは叶だった』

『動画……残ってる』

『なぁ、丁度良いから見てくれよ宮原』


 正直戸惑ったよ? 私なんかが見ていいの? って。 けど、


『誰にも言えなかった。誰にも見せれなかった。聞き出したのは宮原だぞ? だから……責任取って見てくれ。そんで、答えてくれ』


 その言葉こそ海が今、望んでいることだと思った。欲していることだと思った。

 誰にも言えずに1人で耐えて苦しんできて、それを吐き出して、楽になりたい。

 そんな助けを……拒否できる訳がない。これ以上海の悲しい顔なんて見たくない。だから私は……


 震える手で動画を再生した。


 もう疑う余地もなかったよ。ハッキリ写ってたんだもん……叶ちゃんと田川がキスしてるの。

 ははっ、それから海になんて言ったかな? とりあえずいつもの私が言いそうなことは言ったと思う。けどぶっちゃけ覚えてないんだ? 叶ちゃんとか田川とかどうでもよかった。だって、私は……


 目の前の海が、ただただ痛々しくて可哀想で……不安で仕方なかったんだから。


 ファイルに表示されてた日付は10月2日。10月だよ? 半年以上もこの苦しみを抱えていた。私達にそんな素振りすら見せずに1人でずっと……もし自分だったら? 考えたくもないくらい怖くて嫌だ。それを海は耐えてきた。だからこそ……なんとかしてあげたかった。


 どうしたらこんな苦しみを忘れられる?

 どうしたらこんな苦しみから解放される?

 どうしたら……いつもの海に戻れる?


 そんなの1つしかない。こんなこと忘れるくらい楽しい高校生活を送らせればいい。

 中学校よりたくさん友達を作って、笑わせたらいい。

 あんな苦痛を……塗りつぶしてしまえばいい。


 それからだった、私の頭の中は……常に海のことでいっぱいだったよ。


 1人で居る時間を減らそうと海のクラスに行ったりした。

 とにかく友達を増やしてあげなきゃって、一緒にお昼誘ったりもした。

 部活にだってめちゃくちゃ誘ったし、無理矢理遊びにも連れ出した。


 それができるのは私だけ。私が海をなんとかするんだ。海の為ならなんだってするなんて、後先考えずに突っ走っちゃってたんだよ。

 ふふっ、今考えたらヤバいよね? ホント空回りしすぎだし、やってることはただのお節介か、好きな子にちょっかい出す小学生の行動そのもの。それもそのはずだよ……


 常に海のことを考えて、常に海のこと見てて、知らず知らずの内に私は……


 海のことが好きになってたんだから。


 それを自覚したのは、あのさくらまつり。

 晴下先輩達のあとを追う時に、海の手が触れたあの瞬間だった。練習でも、手とか触れた時はあったのに……あの時は、大きな手の感触に温かい体温をめちゃくちゃ感じちゃった。

 そして強引に自分を引っ張る海の姿。そんな行動に驚いた途端、なぜか急に恥ずかしくなって……顔も熱くて心臓だって手を当てなくてもわかるくらいトクントクン鳴ってた。

 そんな経験今までなかった。したことなかったから、風邪でも引いたのかと思ったよ。でも、私を引っ張る海の大きな背中を見たら……納得したっけ。


 あぁ……私、海のこと好きなんだって。


 それに気付いたら最後。好意を抱いてる海にどう話していいのか、どう接していいのかわからなくなってさ? 本気でどうしようもなかった。顔を見るだけで、話をするだけで変に意識して……今までの行動全てが恥ずかしく感じるようになっちゃったんだもん。

 ふふっ、それからは色んなことがあったなぁ。


 それを隠す為に、適当な理由を付けて海から距離取ったり、叶ちゃんからストメ来たり、海に無理矢理連れられた先で美月達に遭遇したり……ドキドキの連続だったよ。


 ふぅ、いきなり叶ちゃんからストメが来た時は驚いたなぁ。

 呼ばれた公園。叶ちゃんはあのブランコに乗って待ってたよね? それでしばらく2人で月眺めてたっけ。まぁ、あんなことがあっても、私は叶ちゃんのこと友達だと思ってた。許す許せないとか……それは海と叶ちゃんの問題だから私がどうこう言うことじゃない。海がスッキリした顔して、決着つけたって言った時点でその話は終わりだと思ってた。


 どれくらい時間経った頃かな、叶ちゃんがゆっくり口を開いて……そして、話してくれた。

 どうしてあんなことしたのか。

 それからどんなこと考えてたのか。

 消えることのない後悔と、海への謝罪。

 まるで懺悔のように話す自分への戒めと固い決意。それは……紛れもなく叶ちゃんの本心。


 だから私も……本心を言った。あんな叶ちゃんの姿前にして、自分だけ嘘はつけないって思った。


『叶ちゃん? 私、海のことが好き』


 叶ちゃんは、怒りもしなかったし、驚きもしなかった。ただ私を見て優しく笑って……


『そっかぁ』


 短いけど、十分意味がこもった言葉を聞いた瞬間、少し気持ちが軽くなったっけ。


 それから、まさか海があんな大胆な行動をするとは思わなかった。試合終わって皆と一緒に行ったと思ったら、いきなり戻って来て1,200円返してって……しかも前に私が案内した場所そのまんま連れて行くんだよ? 


 それに返してって言ったくせに、結局自分でタピオカミルクティーとかゲームセンターとかでお金使ってて、可笑しくて可笑しくて、嬉しくて……気付かされちゃった。

 好きな人と近くに居て、話できるのはこんなにも幸せなんだって。そしたらさ? 自分が今までしてきた照れ隠しなんてバカバカしく感じちゃった。


 あぁ、でもそのあと美月達に遭遇したのはびっくりしたなぁ。叶ちゃんの話ししだした時は、私の気持ち叶ちゃんが美月に話したんじゃないかって身構えたよ。でもその矛先は海だった。あんまりにも身勝手な言葉に耐えられなくて……結構酷いこと言っちゃった。しかもあんな状態で海に距離取りだした理由聞かれたらさ……答えるしかないじゃん? だから大体のことは白状したよ? もちろん、大事なことを除いてね?


 それからは海とも普通に話せるようになったし、接することもできたよ。ただ前と違うのは、何気ないことでも何十倍もの幸せを感じられるようになったこと。

 黒前大学のサークルに誘ってくれて、一緒に練習できた。

 居残り練習に誘ってくれて、2人の時間が増えた。

 その全ての時間が嬉しかったし、遠足で助けてくれた時は胸がキュンってして、広い肩幅と引き締まった体の上でそのまま寝てしまいたかった。できることならずっとそうしていたかった。


 それに高校総体での海は凄かった、とっても格好良かった。最後にシュート外したとしてもそれは絶対に変わらない。

 全てが終わった後、あの公園で初めて見た海の涙は……何よりも綺麗だった。




 ――――――――――――




 目の前に広がる綺麗な花火。この場所で見るようになったのはいつからだっけ? この場所を見つけたのはいつだっけ?

 確か小学校の時だった気がする。そうだ、家に帰りたいお兄ちゃんと花火を見たい私は喧嘩になって、


『じゃあ1人で見るもんっ!』


 そう言って当てもなく走り続けて、気付いたらここに来てた。辺りを見渡すと、さっきまでと違って誰も居ない真っ暗な空き地が怖くて怖くて……そんな時ドンって音と、少しだけ見える花火の光が木の間から見えたんだ。そしてその光と音に引かれて見つけた……この場所を。


 それからここは私の大切な場所。花火を見るのは欠かさずここで、誰にも教えたことはない。もちろんお兄ちゃんだって、お父さんもお母さんも知らないと思う。けどそんな大切な場所に……



 海がいる。

 海と一緒に居る。



 そんな時、頭の中に蘇る、

『なんとなく気になり始めてた』って言葉。


 頭の中に蘇る、

『誰かに取られるのが嫌だった』って言葉。


 頭の中に蘇る、

『告白するなら今かなって思って……』って言葉。


 そして頭の中に蘇った、

『告白に正しいタイミングなんてない』って言葉。



 そうだよ、そうなんだよ。

 気が付いたら仲の良い男友達って感情を抱かなくなってた。

 気が付いたら好きになってた。


 話をするだけで楽しくて、近くに居るだけで嬉しくて、仕草の1つ1つに胸がキュッと締め付けられる。

 そして……真白さんにデレデレする海を見た瞬間、誰にも取られたくないって心から嫉妬した。


 こうなっちゃったら、もうそれを抑えることなんてできない。止めることなんてできない。


 溢れる思いを口にして、自分の気持ちを伝えたい。あなたにそれを伝えたい……それがきっと今なんだよね? だから後悔なんてしない、するわけない。

 そう。海を誘った時点で、私は決めていた。心に決めていたんだ。



 私は……私は……




「あなたのことが……好き」




 海のことが好き。



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