第27話 月花の覚悟

「はっは、では行ってまいりますぞ」


 武定城の南門。

 漢升殿は飄々ひょうひょうとした様子でそう告げると、一瞬にしてその姿がき消えた。


 本来ならば漢升殿が月城の状況を確認せずとも、その部下に任せてもよかったのだが、さすがにこの一大事、将軍の次に信頼のおける人物に任せたかったのだ。


「それで……僕達はどうしたらいい?」


 そう言うと、姫君は俺の顔をのぞき込んだ。


「はい……姫君と思文殿には、蘇卑にお戻りいただきます」

「ええ!?」


 俺の言葉に、姫君は驚きの声を上げた。


「だ、だけど! これから戦になるんだよ!? 少しでも戦力があるほうがいいに決まってるじゃないか!」


 納得できない姫君は、険しい表情で詰め寄る。


「だからですよ。戦になれば、この武定は大なり小なり被害を受けます。最悪、陥落してしまうことも」

「だ、だから僕達も一緒に!」

「いいですか? 姫君には蘇卑に戻られてから大切な役目があるんです」

「大切な役目……?」

「はい……姫君には戻られた蘇卑から、姜氏を牽制けんせいしてほしいんですよ」


 まあ、牽制けんせいといっても、定期的に小競り合いを仕掛けてもらう程度ではあるんだけど。


「そ、そっか……僕達が姜氏にちょっかいをかければ、蘇卑を警戒して姜氏は動きづらくなる……」

「そういうことです。ですので、姫君にはしっかり助けていただかないと」

「う、うん! そういうことなら任せてよ!」


 姫君は胸を強く叩き、嬉しそうな表情を見せる。

 その後ろでは、思文殿が深々と頭を下げていた。


 ……まあ、万が一のことがあってはいけないし、それに……この姫君は、亡くすには惜しいですからね。


「それと……月花」

「は、はい!」

「お主は黄さんを連れて、姫君と一緒に蘇卑へ向かうんだ」

「っ!」


 俺がそう告げると、月花が息を飲んだ。


「い、嫌です! 私はここに残ります!」

「駄目だ。ここは戦場になるんだぞ? それに俺達が勝ったとして、俺を補佐してくれる者がおらねば戦後の処理が大変になるだろう?」


 俺は、わざとおどけながら月花にそう諭す。


「……分かり、ました」

「うむうむ。では姫君、思文殿……そういうことでよろしいですか?」

「うん! 任せて!」


 よし。とりあえず、身近の者についてはこれでいい。


「子孝……我々はどうする?」

「あー……特にすることもないですから、大人しく漢升殿の帰りを待つとしましょう」

「う、うむ……」


 そう言うと、俺達はまた城の中へと戻った。


 ◇


「くそう……やはり人手が足りん……」


 姫君達が蘇卑へと帰ってから三日。

 俺は今、大量の仕事に追われている。


 あー……こうやって仕事を捌いていると、いかに俺が月花に甘えていたかがよく分かるなあ……。

 というか月花、この仕事を完璧にこなしていたんだから、文官としては俺なんかよりもよっぽど優秀だよなあ……って。


「はあ……ま、そうも言っていられないし、早く仕事を片づけてあの兵士の尋問もしないとなあ……」


 崔の軍勢が月城に攻め入ったとの報を受けた後、俺達はその報告をした月城の兵士を投獄とうごくした。

 というのも、ひょっとすればあの兵士が崔の手の者である可能性を否定できないからだ。


 もしあの兵士の言葉を鵜呑うのみにして、軍勢を引き連れて月城に向かってしまった場合、この武定は留守になってしまう。

 つまり、そのような状況を作り出すための策である可能性もあるのだ。


「ま、漢升殿が戻ればその真偽も分かるから、兵士には悪いがそれまでは辛抱してもらうしかないねえ……」


 などと暢気のんきに呟いてはいるが、さっきからやれどもやれども仕事が片づかない……。


 その時。


「子孝、すまんが戦車が二台壊れてしまったようなのだ。修理をするから、部品を持って来てくれ」

「は、はいい……」


 はあ……ここにきて、うちの将軍が仕事を増やしてくれたぞ……。


「全く……情けない声を出すな。我等がここで踏ん張らないでどうするのだ」

「そ、それはそうなんですけどねえ……」


 将軍にたしなめられ、俺は肩を落とす。

 ……確かに将軍の言う通り、俺達がしっかりしないと、だな。


 ということで、俺と将軍は倉庫から部品を持って戦車の修理に向かう。


「うむ、あとは兵士と一緒に修理するから、子孝は仕事に戻っていいぞ」

「そ、そうですか……」


 こうなったらこうなったで、もう少し怠けたいところだけど……仕方ない、戻るとするかあ……。


 俺は重い足取りで仕事へと戻ると。


「あ! 子孝様!」

「月花!?」


 なんと、執務室に月花がいた。


「な、何をしているんだ!? お主は姫君と共に蘇卑に行ったのではないのか!?」

「え、えへへ……やっぱりやめました……」


 そう言って、月花が苦笑する。


「全く……何を考えているんだ……下手をしたら、死んでしまうかもしれないんだぞ?」

「かも、しれませんね……」


 月花はうつむき、拳を握った。


「でも! ……でも、私はずっとこの武定で暮らしてきたんです。今さら他の土地でなんて住めませんし、それに……」

「それに?」

「わ、私だって、将軍や子孝様の部下の一員なんです! だから……私も、最後まで戦わせてください!」


 力強くそう告げる月花。

 その瞳に、覚悟と決意をたたえて。


「はあ……」


 全く……せっかく助けてやったのに、自分から台無しにするなんてなあ……。


「まあ、姫君ももういないし、今から蘇卑に向かうのも無理かあ……」

「! で、では……!」

「……俺はもう、お主の命に責任は持てない。それでも……いいな」

「はい!」


 はは……なんでこんな状況なのに、嬉しそうに返事するんだよ……。


 そんな月花を眺めながら、俺は思わず苦笑した。

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