エピローグ 代わりのない二人で、いつまでも変わらずに。
その日、グラナド城は、早朝からひとの出入りが途切れることなく、賑わい続けていた。
一般市民がほとんどで、中庭に並ぶご馳走を楽しみ、歌い、踊って楽しんでいる。
前回と違うのはまずその人数が何倍にも増えていること。そして、わたしの両親が不在であること。さらに諸外国の王侯貴族も多数、来賓席におられることだった。
夏――婚約式本番の日。
先日の『予行演習』では、急ごしらえだった装飾は何倍も豪華になり、グラナド城はヨハンの手により、色とりどりの花で彩られている。
この日のために用意されたご馳走は、先日とは比べ物にならない数で。料理長のトッポ率いる調理師達は、次から次へと皿を運び、来客たちのお腹と心を満たしていた。
百をゆうに超える来賓の受付として、正門に立つ門番、トマスは大忙し。
ミオも朝からずっと走り回っている。貴族たちはまず、城内サロンに鎮座するリュー・リュー婦人と、アルフレッド・グラナド公爵と挨拶を交わす。荷物や上着、贈り物をミオが預かって、希望する貴婦人には、チュニカが御髪(おぐし)を整えていた。
そのあと、彼らは中庭に進み……最奥、館の手前に作られた高砂席の前へ。
釣鐘の下に並んで立つ、純白の衣装を着た男女――今日この日、婚約を成立させた新郎新婦の前で、体をかがめ、王国式の御辞儀(カーテシー)を行う。
「本日はお招きいただき、ありがとうございます。キュロス・グラナド伯爵、マリー・シャデラン・グラナド伯爵夫人。お二人のご婚礼を、心よりお祝い申し上げます」
うっ、グラナド伯爵夫人……。
その言葉を言われるたび、わたしは一瞬ドキリとしてしまう。隣に立つ婚約者はそのたびにクスリと笑って、来賓が離れるとすぐ、わたしの袖を引く。
「これで何人目だよ。いい加減慣れろ、奥様」
「だって……まだちょっと、夢みたいなんだもの。わたしがキュロスと結婚だなんて――ねえ、あなた?」
わたしが拗ねたように言うと、今度はキュロスがわたし以上に赤面してしゃがみこんだ。どうしたのかと声をかけると、頭を抱えて呻く。
「敬語なしの呼び捨てはやっと慣れたが……あなたはまだ、反則だっ……」
おや? わたしはキュロス様の隣にしゃがみこみ、彼の耳元で繰り返す。
「どうしたのあなた。何を照れているの? わたしたちもう夫婦でしょ」
「いや、それは、うんそうなんだけど……」
「では顔を隠さないで、こっちを向いて? ねえあなた……キュロス。愛してるわ」
頭頂から湯気を出すキュロス。わたしは彼が可愛くて、愛しくて、笑ってしまう。クスクス笑う口元を隠す手、左手薬指には、赤い石を頂く指輪が填まっている。
わたしの髪と同じ色をした、レッドダイヤモンドの婚約指輪。そして右手の小指には、彼の目によく似たエメラルドの、小さな指輪が光っていた。
来賓が一通り迎えられたら、高砂席で挨拶をして……それからは、本当のお祭りが始まる。
新郎新婦は手を取り合って、ダンスを披露するのだ。
いっぱい練習した甲斐あって、躓くことなく、観客から拍手喝采をちょうだいできた。
そこから始まるダンスパーティーが壮観なこと! 何と言っても人数がすごい。貴族の紳士淑女だけで無く、民間人みんなが思い思いに踊り始めるのだもの。中庭と、お城のサロンホールを全部使っても足りなくて、お城のあちこち、廊下や階段、踊り場でもみんな踊りあかしていた。
それでも夜が更けてくれば、ダンスはムーディーなものに変わっていく。
夫婦やカップルだけでなく、その場で出会った男女が誘い合い、手を取り合って踊り始める。一通りの仕事を終え、食事を楽しんでいた使用人達も、時々誘われていた。
「そ、そこのあなた! そのアップルパイを食べ終えたら、あ、あたくしと一曲踊って頂けて?」
「もちろん、マダム。おれで良ければ」
「ああ……なんてハンサムなコックさん……」
「おねえさん、いい匂いだなあ。肌もすごく綺麗だし、一体何のファンデーションを使っているんだい?」
「うふふ、ファンデーションは使ってませぇん」
「おじちゃんがお花を育てたの? すごいね! ご褒美にあたちが踊ってあげるわ」
「…………どうも」
あはは、なんだかみんな人気ね。
そんな中……アナスタジアお姉様は、高砂席の後ろに一人、ぽつんと佇んでいた。職人の作業着ではなく、しかし白ブラウスにショートパンツ、少年用の礼装という姿である。アナスタジアは、ドレスが嫌いというわけではない。グラナド商会で用意すると言ったけど、彼女は嫌がったのだ。ノーマン爺も来ているかもしれないから、と。
あの後――アナスタジアは、やはりシャデランの家には戻らなかった。
シャデラン家が取り潰しになったから、ではない。もうあの家は自分の家ではない、と、ハッキリと絶縁をしてしまったのだった。
シャデラン家はひとまず、男爵位を維持することになった。実質の経営はグラナド家で、有能な経営人を派遣して行うことになるが、荘園の名義人はシャデランのまま。爵位としてはむしろ上がり、いずれは子爵の称号を戴くのだという。
ではお父様は以前の通り、シャデラン領の領主で居られるかというと……それはやはり叶わなかった。あの日のうちに、六歳の長男に継承されることになったのだ。とはいえもちろん、今のセドリックではお父様よりは頑張るというくらいで、領主の仕事が出来るわけもない。あくまで名前だけ。彼が十八になるまでグラナド家が仕切り、やがてはすべてを返還するという。
そのように相談が決まった時、セドリックに伝えてくれたのは、ルイフォン様だった。
「……ということで、セドリック君がシャデラン領の領主になりたいなら、僕やキュロス君が通ってた王都の学園へ融通してやることが出来るけど、どうする?」
「王子様が通ってたところ? 行く!!」
……と、いうことで。セドリックもやはり家を離れ、ひとまず王都の学生寮に入り、正式な入学の手続き中だ。
セドリックは楽しみにしているようだけど、やっぱり相当に厳しいそうで、キュロスは最初、難色を示した。精神的に負担が大きいのではないかって。
わたしもそれはとても心配だったけど――
「聞いて聞いてマリーおねえちゃん。ぼくもう今日だけで、お友達が八十五人、カノジョが七人出来たよ!」
……とのことで。
まあ……駄目になったらその時はその時、やはりシャデランはグラナド家のものになるだけだ。当人が楽しんでいる限りは、通わせてあげれば良いと思う。
そんな楽しそうなセドリックに対し、お父様はというと。
なんと、父もその学園、学生寮に放り込まれることになった。こちらはセドリックと違い、すでに学習が始まっており、泣いても喚いても退学は許されず、赤点を一つでも取ったらその学期は寮を出ることすらできない。
実は、これを提案したのはわたしだった。だってお父様ったら目を覚ました後、「グラナド家の傀儡になれと? 馬鹿にしおって、いっそ殺せ!」とか言うの。自分は娘たちを十何年も人形扱いし、役立たずだと罵り続けておいて……そんなの、本気で言っているわけがないわよね?
もちろん、無事修業し卒業出来たらシャデラン家に戻ることが出来る。セドリック子爵の執事としてだけど、とりあえず寝るところと食べるものは提供されるのだ。ものすごく優しい処分だと思うのだけど……。
そうわたしが言った時、キュロス様とアナスタジアとリュー・リュー婦人、ルイフォン様、ミオまでが全員一斉に「いやいやいやいや」と首を振った。
「無理に決まってるし」「最凶の拷問だろ」「マリーやっぱりお父様のこと恨んでるでしょ」「いっそ首を切ってあげた方が楽だねこりゃ」「マリーちゃんもしかして僕より性格悪くない?」「僥倖(ぎょうこう)です」
「そ、そうかしらっ?」
まあ、お父様は入寮三日目にして高さ十二メートルの壁を越え、八回目の逃亡を果たし現在行方不明――どうせ夜までには連れ戻されるだろう――なので、彼らの方が正しいのかもしれない。
お母様は……結局何のお咎めもないままだった。
法律で母を裁くことは不可能だろう、だって彼女は何もしていない。ただ、何もしていなかっただけなんだから。
あのあと……わたしはアナスタジアに、本音を聞いてみた。姉は母に卵をぶっかけた時と同じ顔で、当たり前のように軽く言った。
「被害者面してんじゃねーわよ、ってだけね。あのひとはね、結局ただの怠け者なのよ。自分に不満だらけだったのに、何の努力もしなかった。赤い髪だのなんだのはその言い訳――自分と同じ容姿なのに、『やればできる』マリーを否定し続けてたんでしょ」
「……お母様は、何も持ったことがないまま、生きてきたのね……」
「自業自得よ。憧れの他人(ひと)の、まねっこすら他人(あたし)にさせてたんだ。これから一生、自分が作り上げてきたものと向き合って生きていけばいいわ」
アナスタジアの言う通り……そうして一人……お母様は、あの広いシャデランの屋敷で何もせずに暮らしている。器ばかり大きくて、隙間風だらけのカラッポの屋敷に、たった一人。
たとえ数年後、家族や使用人が戻ってきたとしても……彼女が孤独であることは変わらない。
きっとそのまま、死ぬまでずっと。
その顛末に、アナスタジアは快活に笑っていた。笑いながら、その青い瞳から一粒だけ雫を落とした。
「……あたしも、似たようなものだけどね」
そして今、アナスタジアはこの城で過ごしている。ノーマンにはもう手紙を出したのに、どうしても顔を合わせづらいらしく、先送りにしていた。
このままじゃいけないのは分かってる、勇気が出るまで――と呟いていたけど、わたしはゆっくりでいいと思う。姉は、決して遠くない日に必ず、自分で動き出せるひとだから。
男装のまま、隅っこにいるアナスタジアに、一人だけが手を差し伸べる。
「夜が明けたら、僕の馬でノーマンの工房まで送っていってあげようか」
アナスタジアは彼を睨み、首を振った。
「いずれ、自分でちゃんと話しに行くわ。……それで拒絶されたって、自業自得だし」
「そんなに気負うことはあるまいよ。どーしても行くところがなくなったら、王宮(うち)に来ればいいし」
「……あんたさ。こないだからちょくちょくそういうこと言ってくるけど、不気味な冗談やめてくれない? 貴方様のご身分にあらせられれば、婚約者の一人や二人はおられやがるでしょう、王子様」
パシッと手を払われても、彼は笑顔のままだった。いつもの飄々とした、悪戯っぽい笑みを浮かべたまま、払われた手をもう一度差し出す。
「そう、完全無欠の政略結婚、顔も知らないひととの婚約が、生まれる前から決められてる。たっぷり五人」
「……五人?」
「といってもこの国じゃ重婚は出来ないから、五人の中からひとりを選ぶっていうことだけどね。――五人中ひとりも、六人中ひとりも変わりゃしないと思うんだ」
「…………あたし、あなたのことちょっと顔のいい変なやつっていう以外、何にも知らないんだけど」
「僕も君のことは、ずいぶんと顔のいいとても面白い女だとしか知らない。気が合うもの同士、一曲踊ろうじゃないか。これからお互いを知るために」
「…………。そうね。……今夜、自分の目で確かめた上で、しっかりフることにするわ」
そう言って、アナスタジアは王子様の手を取った。
夜が更けてなお、パーティーは終わることなく続いている。
わたしは館の、自分の部屋に戻っていた。鏡台に腰かけ、お化粧を直す。それですぐ会場へ戻るつもりだったけど、お尻に根が生えてしまった。ふう……と息を吐く。
――コツコツ。扉をノックされた。
「……キュロス様?」
呼びかけると、扉の向こうから思っていた通り、輝く緑の瞳をした婚約者――ごく近い未来の夫が顔を出す。
わたしの姿を見つけて、彼はホッと眉を垂らした。
「あぁ、良かった……。――マリー、疲れたか?」
わたしは反射的に首を振り――やっぱり思い直して、頷いた。
「ちょっとだけ……でももう大丈夫です。すぐに戻ります」
「いや、今夜はもう休んだ方がいい。様付けと敬語に戻ってる」
「ふぁっ!?」
慌てて口を手で塞ぐ。キュロスはクックッと笑いながら、わたしを撫で撫ですると、不意に横抱きで持ち上げられた。そのままベッドへ運び込まれる。
柔らかなマットに体が沈む。
「来賓の相手は俺や、リュー・リュー達に任せておけ。徹夜は肌に障るぞ」
それなら、化粧を落とさないといけないのだけど? ウェディングドレスも着たままだし、硝子の靴だって履いたままだわ。わたしは苦笑いしながら、彼の唇を受け入れた。ふと、気になることがあって彼に問う。
「ねえ、キュロス。さっき……わたしの顔を見て、『良かった』って言ったわね。ホッとしたような顔をして。何かあったの?」
彼は困ったような顔をした。
「いや……戻ってくるのが遅くて。……このまま帰ってこないんじゃないかとか、そもそも何もかも夢だったんじゃないかなと、怖くなっていた」
「まあ。それじゃあまるで、ここへ来たばかりのわたしだわ」
わたしが驚いて笑うと、キュロスは自嘲気味に笑い、眉を垂らす。しがみつくように抱き合い、お互いの髪を搔き混ぜる。
彼は目を閉じたまま、わたしに尋ねた。
「……マリー、本当にそこにいるか? 消えて失くなっていないか」
「ええ……いるわ。ずっとここに。あなたがわたしのそばにいてくれる限り」
「俺は一生、君を離さないと誓う。愛してる、マリー」
「わたしも……愛してる。あなたを、あなただけを」
キスとキスの間に囁き合って、言葉と唇を交わし合う。
可愛いひと。頼もしいひと。大切なひと。怖いくらいに愛おしくて、おぼれてしまうほど愛してくれるひと。
つんと伸ばした爪先から、靴が片方脱げ落ちた。でもそんなもの、わたしも彼も追いかけなかった。ただ夢中で、相手の手を握り、指を重ねていた。
わたしの名を呼ぶ彼の、掠れた声に耳を澄ませて……。
――と、その時。
ガラーン! がらんがらんがらん、ガラ――――ン!
「わぁあっ!?」
「なに!? 何の音!?」
闇夜をつんざく爆音に、わたしもキュロスも跳び上がった。衣服を直しつつ、慌てて窓の外を見る。
ダンスパーティーの中心部、婚礼の鐘がものすごい勢いで鳴らされていた。でたらめに撞きまくっているのはツェツィーリエ、鳴らせる高さに持ち上げているのはミオである。
ひええっ、うるさい! 時計を見ると、たしかにちょうど零時だったけど、教会の時報だってこんな大音量で鳴らすものじゃないわ!
さらに、古城の屋上からドパパパパパンと炸裂音。今度は花火だ。それも、『予行演習』で使った癇癪玉とは比べものにならない、巨大な打ち上げ花火である。火花に照らされ、窓辺に吊られた垂れ幕が見える。
『ご婚約おめでとうございます グラナド城使用人有志一同』
「……い、いつのまにあんな仕込みを。うちの使用人はどいつもこいつも……」
頭を抱えて呻く城主。
わたしも半ば呆れながら、だけど大きな声で笑ってしまった。
ロマンチックというには賑やかすぎる、大騒ぎの夏の夜。
きっとこれからも、たびたびこんな日が来るのだわ。季節が移り、年が変わっても――ずっと、ずっと。キュロスがわたしの、わたしがキュロスのそばにいる限り。
魔法みたいな現実は、終わることなく続いていく。
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