断罪式の時間です(後編)

 戦時中、時の辺境伯により要塞として建てられた古城と違い、館は新しく、純粋な居住空間だ。

 いつも花と工芸品で飾られ、暖かく居心地の良い家である。


 だが今日は、そのすべてを婚約式会場に運び出したせいで、がらんと殺風景になっていた。豪華絢爛な婚約式とは打って変わった冷たい空気に、床に放り捨てられた両親は、言葉を失くしていた。


 玄関ホールの奥……何もない、だだっ広いだけの空間に椅子がひとつ。そこに老人が一人、腰かけていた。

 彼の姿を確認し、キュロス様が苦笑する。


「父上。あなたまで来てくれるとは。お体は平気なのか」


「……グ、グラナド公爵……?」


 父がギョッと目を剥き、キュロス様と、老人とを見比べていた。


 アルフレッド・グラナド公爵は、息子にも男爵にも応えなかった。ただ、わたしと、キュロス様を順番に見つめると、穏やかに……キュロス様そっくりの、優しい笑みを浮かべている。

 グラナド公爵――王家の血を引き、この王国でも五指に入る、本物の上級貴族だ。わたしはもちろん、もとは一介の村娘である母は完全に気圧された。ミオに投げ落とされた姿勢のまま、その場に這いつくばり、動けないでいる。

 しかし、父はまだ震え上がってはいなかった。まさか相手が老人だからではないだろうが、恐縮することなく怒鳴り声を上げたのだ。


「グラナド公爵! この婚約はまだ成立していない、マリーは今日、こちらで連れ帰らせてもらう」


 ソレを受けて、ぼそりと呟いたのはキュロス様だった。


「……帰る家があるならな」 

「何!?」


 振り向いた父に、ぺらりと1枚の書を突きつける。父は一瞬だけ怪訝そうな顔をして、すぐに、悲鳴を上げた。


「あ……ああっ……!?」

「まさか王国語も読めないってことはないな、シャデラン男爵。これはおまえが本来やるべき領主の仕事一覧。チェックがついているところが、その報告書がお前の筆跡であったものだ。……たったのひとつもないがな」


 父はすぐに、それをひったくろうとした。しかし、父とキュロス様の間には膨大な身長差がある。キュロス様はヒョイと躱すと、高い位置に持ち上げた。子供のふざけ合いみたいな所作でも、彼の眼光は鬼のように鋭い。


「これこそが、おまえがいかに領主の仕事を放棄してきたかの明細だ。もちろん、マリーに代筆をさせた書類、押しつけてきた職務の数々も書面に取ってある。

 おまえは一家の主という顔をして、なにもかも娘に押し付けて、それでもどうしようもない借金を抱え、しまいには娘を売り飛ばそうとしたんだ!」


 キュロス様の言葉は――わたしすらも震え上がるほど、厳しかった。そして致命的だった。彼がもうなにもかも理解していることは明らかで、その紙はただの覚え書きに過ぎない。

 だが父は――まだ、飛び上がっていた。口を噤み、言い訳すらできず……ただ愚直に一所懸命ジャンプして。

 釜ゆでにされたカエルのように、紙切れ1枚を、奪い取ろうとしていた。


 ああ……。わたしは脱力した。

 本当に……もう。わたしの父は……。わたしが十八年間妄信していた、この男は。


 飛び跳ねすぎて息を乱し、父は呟く。


「それを……渡せっ……!」


 キュロス様は、もう声を荒げはしなかった。ただ静かに、グレゴール・シャデランに真実を告げた。


「――愚か者が」



「ははっ。やれやれだわね」


 リュー・リュー婦人が肩をすくめた。呆れたように笑い、公爵が座る椅子に肘を乗せ、さらりと言う。


「聞いての通りよ男爵。こんな仕事ぶりじゃ、領主の仕事は任せられないわ。――よって、グレゴール・シャデラン家は取り潰し、代わりに現シャデラン領は、以後グラナド家が管理することにしましょう」

「馬鹿な、一体何の権限があって!」


 父は叫びながら詰め寄って――ビクリと身を震わせ、停止する。

 老人が立ち上がったのだ。

 ――大きい。白い髪と白い髭を長く伸ばしたその老人は、ぎょっとするほど背が高かった。背丈だけでなく肩幅も肉の厚みも、一回りは年下であろう父よりはるかに大きい。

 彫の深い端正な顔立ち、加えて老齢ゆえの深い知性――いや何よりも、言葉にならない迫力がある。時の辺境伯、軍国ディルツ王家の血を引くひとりの男に、父は完全に委縮させられていた。


「あ……ああ……」


 公爵は、森のような髭の奥、ほんのわずかに唇を震わせて。


「マリー・シャデランは、我が息子の妻だ」


 父にそう伝えた。


「今日この日より、キュロスの家は、マリー嬢の家となる。そしてマリー嬢の家はキュロスの家だ。妻の家が取り潰しともなれば、助けるのは当たり前――それが世に言う『乗っ取り』という形であったとしてもな」


 それだけ言って、また二歩戻り、椅子に腰を下ろした。キュロス様とリュー・リュー婦人が同時に噴き出した。


「おお父上、久々に立ち上がったと思ったら、それだけ言いに立ったのか? ははは、体は大丈夫なのか」

「大丈夫じゃないのよこれが、あははは。実はその扉一枚向こうで医者が十人控えてんの」


 全く笑い話にならないことを、明るく話す妻子にグラナド公は無言のまま目を細める。キュロス様と同じ、甘く垂れた大きな目だった。

 ――お義父様の、ありがたすぎるお言葉に、わたしは深々と頭を下げる。実父は何か力が抜けたように、その場にへたり込んでいた。


「……わ……私は、私は男爵だ……。こんなことで、シャデラン家を他人に渡してたまるものか……」


 力を失くした父に、歩み寄ったのはキュロス様だった。


「男爵は男爵のまま居てもいいぞ。実質グラナド家が取り仕切ることにはなるが、あの屋敷と領主の肩書は残してやる。マリーを家に帰すつもりはないが、代わりに翻訳や経理を担当してくれる、有能な使用人が派遣される」


 父がハッと顔を上げる。


「では! 私はまだ、男爵としていられる!?」

「ああ。しかしそれには条件がある」


 キュロス様は言った。


「マリーに謝れ」


「……え?」


 ぽかんとする父。わたしも驚いてキュロス様を振り向いた。


 ああ、このひとは――このひとは本当に……嬉しくて涙が浮かびそうになる。それはわたしの気持ちを慮ってくれたからじゃない。彼はわたしのためにではなく、伯爵家当主として、この国の上級貴族として、父の本当の罪を正しく裁こうとしていた。わたしが望んだ、その通りに。彼もまた気付いていたことが嬉しかった。

 このひとと結婚できて、良かった。

 そう強く感じながら、わたしも、父に伝えた。


「お父様、わたしも彼に同意致します」


 父が顔を上げる。まるでわたしの存在など忘れていたかのように、キョトン、としていた。その顔つきに、もはや怒りなど感じなかった。ただ淡々と求刑する。


「謝ってください。……これまでわたしにしてきたことを、ごめんなさいと謝罪してください。わたしに長年に渡り領主の仕事を押し付けたこと、そのためにわたしを醜女で無能だと洗脳し続けたこと」


 リュー・リュー婦人がにやにや笑う。わたしはさらに言った。


「今まですまなかったと、謝罪してください。嘘ばかりついていたと、訂正してください。

 自分ひとりでは、シャデラン領を維持することが出来ないのだと、認めてください。自身の政策が間違っていたと理解をしてください。わたしにたくさん助けられていたことを感謝して……そしてこれからお世話になるグラナド家に、どうかよろしくと、助けを求めて、お願いするのです。

 ……口にしてください。『ありがとう』と『ごめんなさい』と、『助けてください』の三つの言葉を。……それだけが……領主の仕事に絶対必要で、あなたに欠けているものなのですから」


 そう……勉強は、これからだってできる。仕事は誰かと分配すればいい。一人で何でもできる必要はないの、必ず苦手なものがあるのだから。


 それはわたしもそうだし、キュロス様やリュー・リュー婦人、ほかのどの偉人でもそうなんだ。知らなかったことを教えてもらい、間違えてしまったら謝って、礼を言って直す。キュロス様は、わたしにも使用人達相手にもずっとそうやっていた。

 彼らと暮らすまで、わたしはそれがどれだけ大事なことか知らなかった。なんでもひとりでやろうとしていたわたしにも、お父様にも、何が足りないのか。

 わたしはこの城で暮らしながら、やっとそのことに気が付いたの。


 わたしたちシャデラン父子は、向き合わなくてはいけなかった。自分の弱さと――助けて欲しい、と、他人に期待する気まずさに。

 拒否されることへの恐れや、笑われてプライドが傷つくことから、逃げてはいけなかったの!


「……う……。ぐっ……。ぐ……」


 父は拳を握り、呻いた。父だって本当は分かっているはずよ。ただ「助けて」って、その言葉を口にするだけで得られるものが莫大だってこと。本当にそれだけ――それだけなのに!

 それだけで、何もかもうまくいくのが、分かっているのに!!


「ぐ……っぅ。ぐ……! ぐ、ぐ、ぐ……!!」


「お父様……謝って、お願い」


 わたしは祈る気持ちで、父の言葉を、待ち続けた。

 しかし――


「やめて! もうやめてちょうだい!」


 割り込んできたのは母だった。父の前に立ち、両手を広げて夫を庇う。背筋を伸ばすと、母は父よりも背が高い。俯いた父を見下ろして、母は必死でわたしたちに訴えかけてきた。


「うちは貴族なのよ。夫は男爵なの。シャデラン家の当主よ、そう簡単に頭を下げられなくて当たり前でしょ? ねえあなた!」

「……あ、ああ……」

「このひとを虐めないで。そうよ、愚かな男なの。何もできないひとなの。だけど――」


 次の瞬間、父は母の腕を掴み、ぐいと引いた。


「だまれ!!」


 ――妻を地面に跪かせ、父は母よりも高い位置から、怒鳴りつけた。


「お前こそ何様のつもりだ、エルヴィラ。私を庇うようなことして、見下しおって――」

「えっ……わ、わたくしはただ……」

「私に逆らうな! 出来の悪い、農家の小娘が――いったい何のために、私がおまえのようなものをもらってやったと思っているんだ!」

「――……!!!!」


 母の目が見開かれる。


 そのとき、わたしの横にあった、黒い塊が動いた。キュロス様だ。キュロス・グラナドの体は大きい。何の武器もなく、何か技を使うわけでもなく、ただ大きく振りかぶった拳だけで、父は吹っ飛んだ。両足が完全に宙に浮き、さっき入ってきたばかりの扉に激突する。

 そして床に落下……ピクリとも動かなくなった。


「あ」

「あっ」


 拳を振り下ろしたその体勢のままキュロス様。表情は、憤怒に駆られてはいなかった。ただ茫然というか、諦観というか。

 子供がいたずらを見つかったときの、「ああ、やってしまった」と後悔しているような顔で……彼は静かに呟いた。


「ああ…………やってしまった……」



「あーあ。これじゃもう話し合いはおしまいねー」


 なんだか棒読みでいうリュー・リュー婦人。もともと、もうどうにもならないのを分かっていたのだろう。わたしは改めて、グラナド家の三人に深く頭を下げた。


「お恥ずかしいところばかりをお見せして、申し訳ない限りです。その贖罪にもなりませんが、シャデラン家は男爵位と荘園を国に返上することになるでしょう」


「待って! それじゃあわたくしはどうなるの!?」


 母が縋り付いてきた。ここに来てやっと母も、自分の住む家が無くなるのだと気づいたらしい。


「夫の言う通り、わたくしは田舎の村娘で、馬鹿で、何にも出来ないわ。十六で嫁いでから働いたことなんてないの。シャデラン領から出たことも数えるほどしかないのよ、いったいどうやって生きていけばいいの!?」


 えっと、それは……。

 わたしはキュロス様を見た。キュロス様は、視線で「マリーが決めろ」と言う。わたしは少し迷ってから、ものすごく正直に言った。


「……なんかもう……勝手にして頂けたらいいかな……」

「ええっ!?」


 母はなんだか素っ頓狂な声を上げた。わたしは母に向き直り、ぺこりと一礼する。


「ごめんなさい。わたしはもう、お母様にも、お父様にも興味が無いのです。何と言いましょうか……殴られて育ったわけではないせいか。復讐してひどい目に遭わせてやりたいという、憎しみというのがありません。かといって、同情の気持ちも湧いてこなくて……。

 きっと私、本当に、ただただ、興味が無いんだと思います。お父様が断罪されようが、お母様が野垂れ死にをしようが……なるようになるかな、とだけ」


「そ――そんな。わたくしは、あなたを生んだ母なのよ……」


 言われて、わたしは首を傾げてしまった。うーん……あちこち姿が似ているので、生んでもらったことは間違いないと思う。乳をもらったのだろう、たぶん――だけど記憶にないことだ。衣食住の世話は、物心つくまでは侍女、それからは自分。本を読み聞かせてくれたのはアナスタジアとサーシャお祖母様だし、母には髪を梳かしてもらったこともなく。


 せめて恨んであげれば、愛して欲しかったんだと怒鳴りつければ、母娘の情と言えたかもしれない。だけどそれもない。母に対して思うことが、わたしにはもう、何もなかった。


「……ごめんなさい、お母様。やっぱりどうしてもわたし……あなたに育ててもらった覚えがないのです……」


 リュー・リュー婦人が大きな声で笑った。


「あははっ、素晴らしい! いいよぉマリーさん、大した娘だ! 良かったわねシャデラン夫人、あなたの子供は本当に親孝行だわ」

「親孝行ですって!?」


 その通りと頷いたのは、婦人ではなくグラナド公爵だった。やはり短い言葉で、ぼそりと静かに。


「子が自立し、親よりも大きく育ち、そして幸福になってくれたなら、親としてこんなに嬉しいことはない。息子も、娘も」

「……そんな……」


 母は膝をついた。


「……こんな、虚しいことがある……? ……憧れたひとは亡くなり、愛した夫には裏切られて……虐げてきた娘には、恨まれることすらなく。

 わたくしの人生は、なんだったの? 何も無い……もう、何も無いじゃない……」


 うなだれる母に、キュロス様が眉をしかめた。


「いいや、もう一つだけ、あなたの大切なものが残っている」


 キュロス様は無言のまま、扉のほうを指差した。失神している父の横に、いつの間にここにいたのか――少年のような格好をした、金髪の美女が佇んでいる。

 お母様は最初、状況が分からないようだった。いやもしかすると本当に、彼女が誰なのか分からなかったのかもしれない。

 だがアナスタジアがニッコリ、淑女の笑みを浮かべると、悲鳴じみた声を上げた。


「あ……あ、あ、あっアナスタジア!? アナスタジア!!」


 アナスタジアお姉様は肩をすくめ、おそらく両親は見たことないであろう、野性的で凄みのある笑顔になった。


「遅っせぇーわよ。何日も一緒だったのに。てめえらほんとに、あたしの髪しか見てなかったのね」

「アナスタジア。アナスタジア! ああっわたくしの天使!?」


 母は愛娘に飛びつき、思い切り抱きしめ頬ずりした。アナスタジアは今でこそ少年のような姿で、さらに短く切ってしまったとはいえ、人間が変わったわけではない。輝く金髪は健在だ。母は今更アナスタジアの前に跪き、愛してるわと三度囁いた。


「ああーっアナスタジア、あなたがまさか生きているなんて。あぁそんな無残な姿になって。でも大丈夫、髪はまた伸びるしのドレスもまだ家に置いてあるわ。良かった、わたくしのアナスタジア。わたくしにはもうあなただけよ。あなたさえ生きて帰ってきてくれたら、わたくしは、救われる……!」


 アナスタジアは目を細めた。

 どんな形であれ、と注釈を入れるのならば、母が姉を溺愛していたのは真実だ。わたしはお母様にもう興味が無いけれど、恨み憎んで復讐がしたいわけじゃない。お姉様が母を許し、ともに暮らしたいと願うならそれもいいかもしれない。

 そう、提案するより早く。アナスタジアは片手の平を空に向け、クイクイと指を動かした。そこへすかさず、ミオが卵を置いた。


 ――ぱきょっ、と軽い音を立て、アナスタジアは、自分のおでこで卵にヒビを入れ……。


「『ママのアナスタジア』が生きていたことなんて、一秒だってないわ」



 そう言って、母の頭頂部に生卵を割り落としたのだった。

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