第34話 姫殿下③


 王都はすっかりお祭り騒ぎであった。

 まだ王国祭まで1ヶ月以上。それに運命厄災の傷跡が残る箇所も多い。


 祭りの色に染められた市場通りの隣では、王国祭にあわせて各地からやってくるだろう来客を受け入れるための宿が建築の最終段階に入っている。

 人々の喧噪と、宿建築の音が合わさり、王都はかつてない雰囲気に包まれていた。


 王都には幾度か訪れているシニカも、この人だかりと喧噪は初めてで、目を回しながらなんとかジルロッテに手を引かれてお祭りを巡っていく。


「王国祭ってこなに人が来るんですね」


「今年は特別ですよ。

 皆さん、やっと平和な暮らしが出来るとあって羽目を外しているのでしょう。

 それはわたくしもですけど」


 ジルロッテはにっと笑う。

 人混みも喧噪も、彼女は楽しんでいるようだった。


「そうですよね。

 普通に生きていられるって、凄いことですよね」


 ほんの数年前まで大陸は飢餓と疫病に覆われていた。

 リムニ王国王都はユリアーナ湖の蓄えた魔力によって事なきを得ていたが、ほとんどの地域ではそうではなかった。


 シニカの産まれた港町もそうだ。

 孤児達が生きるには厳しすぎる環境だった。

 それが今では、疫病は消えてなくなり、人々は十分な食事をとることが出来る。

 たったそれだけのことがどれだけ特別か。

 平和になると忘れがちだが、決して普通のことではないのだ。


「だからこそ、この平和を楽しまなくては罰が当たります。

 向こうの通りは少しばかり人が少ないです。

 まだ姫殿下が大通りを通るには早い時間ですし、寄り道していきませんか?」


「はい!

 ジルテさんが案内してくれると心強いです!」


 ジルロッテに示されるまま、シニカは彼女に手を引かれて隣の通りへと向かった。

 そこは一般の市場通りよりも価格帯の高い、貴族や裕福な商人向けの市場だった。


 こちらも各所に国旗が掲揚され、お祭りの雰囲気を多少なりとも感じるが、人々はあふれかえらず、普段よりは多いものの、シニカはジルロッテに手を引かれずとも歩くことが出来た。


「ここって来ても良い場所です?」


 富裕層向けの綺麗に整った町並みを見て、ふさわしくないのではと不安になるシニカ。

 されどジルロッテは涼しい顔だ。


「ふさわしくない場所などありませんよ。

 シニカさんは王都を救った英雄ですから」


「救ったのは騎士団のみんなです。

 お手伝いはしましたけど、とても英雄なんかじゃないです」


 シニカは否定するが、ジルロッテは「そうでしょうか」と懐疑的に、されどさらりと流して通りを進む。


 ジルロッテはふと立ち止まり、豪奢な店舗を構えた書店の前で立ち止まった。


「少し良いですか?」


「はい。

 本屋さんですか?」


 店の中に入ると、一番見栄えの良いところに女神教会の聖書。

 そしてその隣には、王国に関する書籍が飾られていた。

 本は高級品で1つ1つが宝石のように飾り付けられて展示されている。


 王国に関する書籍の1つ、『ベイルモアの騎士』を見つめるジルロッテ。

 シニカは目を細めてタイトルを読み上げた。

 彼女はユキから教育を受けたため、文字を読むことが出来たのだ。

 

「べいるもあのきし――お兄ちゃんが好きなお話です」


「カイさんがですか?

 確かに、先ほども気にしていましたね」


 ジルロッテは店主に言って、本の中身をさっと見せて貰う。

 『ベイルモアの騎士』は有名な騎士物語だが、その内容は様々だ。

 版元やその時々の流行によって内容が変わる。


「これだとベイルモアは王家直属の騎士ですね。

 最近は王家の人気が高いですからそれに対応したのでしょう」


 ジルロッテは価格を尋ねる。

 店主から示された額は、ジルロッテの今の手持ちではとても手が出ない額だったので、またの機会にしようと店から立ち去った。


 通りを歩きながらシニカが言う。


「お兄ちゃん、ベイルモアの騎士に憧れて騎士になろうとしたんです。

 それで法石を盗んじゃったんですけど、ミト様が許してくれて、騎士団に入れました」


「そうなのですか? 初耳です」


 カイより後に騎士団に入ったジルロッテはその辺りのいきさつを知らなかった。

 それ以上に、カイがベイルモアの騎士に憧れていたと言う話に興味を惹かれる。


「カイさんは何処でベイルモアの騎士を知ったのでしょう」


「たまに町で吟遊詩人の方がお話を聞かせてくれたんです。

 流れ者だったベイルモアさんが、小国のお姫様の騎士になって活躍するんですよね」


「そういう話のところもあります。

 このお話は語り手によって内容が変わってくるので」


「へえ、そうなんですね」


 シニカはちょっと驚きつつも、ジルロッテが取り出した『ベイルモアの騎士』の表紙を見て尋ねる。


「ジルテさんも『ベイルモアの騎士』がお好きなんです?」


「好き、なのかも知れません。

 仕事上知っておきたいとあれこれ調べているうちに、いろいろな種類の物語を探すようになってしまいました」


 買いあさるほどお金はないのですけど、とはにかむジルロッテ。

 シニカが微笑んで返すと、ジルロッテは大きな通りの方を示した。


「さて。

 そろそろ姫殿下の馬車が通る頃合いです。

 良い場所を抑えておきましょう」


「はい!」


 2人は大通りへと向かい、そしてジルロッテが案内した宿の前に陣取る。

 町の人々はシャルロット姫が通るなどとは知らなかったため、普通にお祭りを楽しんでいた。

 しかし近衛騎士団がやって来て道を開けるように指揮を執り始めると、何やら重要な人物が通るらしいと、付近の通りからも野次馬が押し寄せてきた。


 ジルロッテとシニカが陣取った場所は宿の看板が出ていた。

 ジルロッテは宿の主人に銀貨を握らせて、看板を立てかけている箱の上に立たせて貰う。

 正式な許可を得て掲げている立て看板だ。

 近衛騎士団にも動かすことは出来ない。

 それに、町の人々がどれだけ押し寄せようとも、箱の上は早い者勝ちの聖域だ。


「凄い良い場所です!」


「でしょう?

 前にこの場所に陣取った人が居て、これは良い考えだと使わせて貰いました」


 ジルロッテは狭い箱の上でシニカの身体を抱き寄せるようにして、遠くの方に見えてきた掲げられた国旗を示す。

 シャルロット姫の乗る馬車を先導する騎士が、国旗を掲揚しているのだ。


 民衆はそれを見て、やって来たのが王族の誰かだと知る。

 そして馬車を目撃した人が「姫殿下だ」と声を上げると、情報はあっという間に伝播していく。

 シャルロット姫を一目見ようと人々は次々にやって来る。

 通りの脇が人でいっぱいになっても、2人の聖域だけは無事だった。


 やがて2人の目にも、純白の美しい2頭の馬に引かれた、装飾の施されたシャルロット姫専用馬車の姿が映った。


 近衛騎士団に護衛されながら大通りを進む馬車。

 シャルロット姫は馬車の窓を開けて、通りの人々へ微笑みを向け、優しく手を振っている。

 歓声が通りを包んだ。


 そしていよいよ馬車は、シニカとジルロッテの居る宿の前までやってきた。


 シャルロット姫。

 触れがたい美しさはそのままに、民衆へと慈愛を込めた微笑みを向けている。

 その視線が、宿の立て看板から顔を出している2人の人物へと向いた。


 お姫様と目が合った。

 シニカは声を張って何かをシャルロット姫に伝えようとしたのだが、その声は民衆の歓声にかき消された。


 隣でジルロッテは優しく微笑む。

 その表情を見たシャルロット姫は、微笑んでいた顔を硬直させ、手を振るのも忘れてジルロッテを凝視した。

 馬車が進むと、シャルロット姫は慌てて柔らかな笑顔を作り直し民衆へと手を振る。


 通り過ぎていく馬車。

 近衛騎士団に護衛されたシャルロット姫の馬車は、人々が詰め寄せた大通りをゆっくりと進んでいく。


 シャルロット姫が通り過ぎると民衆は大通りから去って行く。

 2人はそんな人々の流れが収まるのを待って、落ち着いてから箱を降りた。


「やっぱり素敵な人です。

 ああいうのが大人の女性なんですね」


 シニカは憧れで目を輝かせて、シャルロット姫が向かった先。純白の王城を遠目で見る。

 ジルロッテは微笑んだ。


「そうかも知れません。

 とにかく久しぶりに顔を見られて良かったです。

 変わらずお元気そうで」


「知り合いなんですか?」


 シニカの問いかけにジルロッテは頷いた。


「長いこと王城で働いていましたから」


「そうなんですか!?

 普段のお姫様にもお会いしたことが!?」


「ありますよ。

 でも普通の女の子ですよ。

 ところで、シニカさんは何を姫殿下に伝えようとしていたのですか?」


 先ほどシャルロット姫が目の前に来たとき、シニカは何か声を張っていた。

 その声は歓声にかき消されていたが、何か伝えようとしていた様子はしっかりと見て取れたのだ。

 シニカは照れたように頭をかきながら答える。


「えへへ。

 素敵なパーティーに招待してくれてありがとって。

 田舎の孤児には絶対に縁のない場所でした。

 お姫様が招待状をくれたから、あんな華やかな場所に行けたので」


 顔をほんのりと染めたシニカ。

 ジルロッテはそれを母親のような優しげな笑みで見て、それから王城と反対側を手のひらで示した。


「少し歩きませんか?」


「はい! 今度は何処に連れて行ってくれるんですか?」


 ジルロッテに先導されて歩くシニカ。

 すっかり大通りからは人が少なくなっていた。


 リムニ王国建国より200年以上の歴史がある古びた石畳。

 だがしばらく進むと、真新しい石畳に切り替わる。

 ちょうどその切り替わる場所でジルロッテは立ち止まる。


「この場所を覚えていますか?」


 シニカは頷いた。


「はい。

 運命厄災の時、みんなで戦った場所です」


「そうです。

 あの時、王城を、国民を守ったのは紛れもなくシニカさんです」


 大通りの向こう側には純白の王城。

 運命厄災で、王都にも巨大な魔獣――ドラゴンが姿を現した。

 その攻撃から王城を守ったのはシニカの能力だ。


「あっちなんてなにも。

 ジルテさんやリアナさんが一緒に戦ってくれたから」


「わたくしにもオリアナさんにも、ドラゴンの突撃は止められません。

 ご存知でしょうか。人間は決してドラゴンに敵わない。

 だからこそ、ドラゴンを倒したティアさんは天使の称号を得たのです。

 あなたは特別な存在です。


 姫殿下があなたに招待状を送ったのは、あなたがユリアーナ騎士団の協力員だからではありません。

 王都を守った英雄だから。

 あなたがいたおかげで、今年の王国祭が開催できるから。

 この場所でシニカさんがドラゴンを止めなければ、王都は復興不可能なほどの傷を負っていたでしょう。


 もっとご自身の成果を誇っても良いのですよ。

 姫殿下も、あなたから申し出があれば喜んで王城へ招待なさるでしょう」


 シニカはやはり照れくさそうに笑って、ジルロッテの背後に見える純白の王城をちらと見る。

 それからはにかんで答えた。


「お姫様には憧れます。

 憧れますけど、やっぱりキラキラした場所は合わんです。

 手の届かない場所を遠くから見ている方が、あっちには向いてる気がします」


 ジルロッテは少し残念そうに微笑む。


「シニカさんは大人ですね。

 わたくしは憧れた先が手の届かない場所でも、無理矢理向かってしまいますから」


 シニカは「ジルテさんらしい」と笑った。

 それから問いかける。


「ジルテさんの憧れる場所って何処です?」


 ジルロッテはほんのりと笑みを浮かべた。


「わたくしは、シニカさんのようになりたいです」


 シニカは首をかしげる。

 これまでのシニカの人生は、あまり楽しいと呼べるような代物ではなかった。

 でもジルロッテの言葉に少しばかり喜びを見せる。


「でしたら、今度港町まで遊びに来ませんか?

 年の変わる前にちょっとしたお祭りをやるんです。

 王都みたいに人は集まらんですけど、町のみんなにとっては大切なお祭りです」


「それは面白そうです。

 是非、遊びに行かせてください」


「はい!

 来てくれたら、今度はあっちが案内しますよ!」


「ええ、お願いします。

 約束ですよ」


 ジルロッテの差し出した手を、シニカはぎゅっと握り返す。


「はい。約束です」


 2人は手を繋いだまま大通りを歩いて、賑やかな市場通りへと向かう。

 王国祭まではまだ1ヶ月以上。

 だが人々のお祭り騒ぎは、夕方になっても収まることはなかった。


    ◇    ◇    ◇


 市場通りの小さな公園で、ベンチに腰掛けるジルロッテ。

 隣には露天で買い込んだお土産。

 反対側にはシニカ。

 遊び疲れた彼女は、ジルロッテの膝を枕にして寝息を立てていた。


 その幸せそうな寝顔を見て、ジルロッテは微笑む。

 そんな2人の元へと、真っ直ぐ、長身の男がやって来た。


 彼――カイは眠っているシニカの姿を見てため息を吐くと言った。


「やっぱりこうなったか」


「こうして見るとまだまだ子供ですね」


 眠っているシニカは実際の年齢よりも幼く見えた。

 彼女はストラやスミルより1歳年上の14歳だが、幼少期の栄養状態が悪かったため身体は小柄でどうしても幼く見えてしまう。

 それが子供のようにすやすやと寝息を立てているのだから、幼女にしか見えない。


「あんたもな」


 カイはぶっきらぼうに言うと、ジルロッテは顔をしかめて彼の顔を睨む。


「何が不満ですか?

 どうぞおっしゃってください」


「別に」


 カイは否定するがジルロッテは納得しない。

 彼女ははっきりしないのが嫌いだった。


「わたくしはあなたのその態度が不満です」


「知ったこっちゃない。

 だが妹が世話になった。悪かったな」


「いいえ。

 わたくしも楽しめましたから。

 ――『ベイルモアの騎士』に憧れていたそうですね」


 ジルロッテは『ベイルモアの騎士』の本を取り出した。

 カイは目を逸らしつつ答える。


「昔はな。

 お姫様を守る騎士になりたいと思った」


「今は違うと?」


「昔は小国が林立してたから小国の姫様の騎士にもなれただろうが、今じゃ無理だろ」


「シャルロット姫殿下では不満ですか」


「大いに不満だ。

 守るに値しない」


 ジルロッテは苦笑した。

 確かにそうかもと笑って、手にした本を差し出す。


「差し上げますよ。

 もうこれは読み終わったので」


「受け取らない」


「どうしてです?」


 理由を求めるジルロッテ。

 カイは応じた。


「以前は文字が読めなかったから、町に来る吟遊詩人から『ベイルモアの騎士』を聞いた。

 本の内容が、子供の頃に憧れた話と違ったら嫌だ。

 だから受け取らない」


「なるほど。

 では渡さない方が良いですね。

 騎士団の図書室に寄贈しておくので、もし気が向いたらどうぞ」


「気が向いたらな」


 本をしまうジルロッテ。

 その間にカイはシニカの身体を揺すり起こそうと試みたのだが、彼女はぐっすりと寝入っていた。

 仕方なく彼女の身体を担ぎ上げて背負った。


 ジルロッテも買い込んだお土産を両手に抱えて立ち上がる。

 2人はようやく人通りがまばらになった市場通りを並んで歩いて、騎士団施設へと向かう。


「妹と遊んでくれて感謝してる。

 こいつ、女友達が少ないんだ。

 たまに遊んでやってくれると助かる」


「あら、わたくしでよろしいのですか?」


 問いながらも、嬉しそうに表情をほころばせるジルロッテ。

 彼女の何も考えてなさそうな無邪気な笑顔を見て、カイは素っ気なく返した。


「ああ。

 精神年齢が近いからちょうど良い」


 その言葉には、ジルロッテは歯を見せて笑った。


「あはは。

 面白いことを言います」


「不満か?」


 尋ねるカイ。

 それにジルロッテは首を横に振って、満開の笑顔で答えた。


「いいえ全く。

 確かにおっしゃるとおりですから」

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