第三話
それから数日後。
孝志は加奈の叔父が営む古書店の前にいた。
隣にはふみは居らず緊張の面持ちで単身、店に入っていく。
店番をしていた加奈は、今日も入店してきた孝志の姿を見かけてどきっと肩を震わせる。
「大貫くん、今日はふみちゃんは一緒じゃないんだね」
「あぁ、そのふみのことでちょっと……鈴木さんにお願いがあるんだけどさ……」
彼がショルダーポシェットから取り出したのは、いくつかのチケット。
それは東京デスティニーランドの入園券。高校生が二枚、小児が一枚ある。
「ふみのやつがさ、遊園地に行きたいって珍しく言い出したんだけど、俺ひとりで面倒みるのも大変だし、なんか鈴木さんにも来て欲しいって言ってきかなくて……」
それは数日前のこと。
唐突にふみは図書館の雑誌にあった東京デスティニーランドの特集記事を指差す。
「たかにぃ、あたしもこういう遊園地に行ってみたい」
「おぉ、いいじゃん。なかなか子供らしい発言だな。でも遠いし混んでるから、くたびれっぞ」
「オバケだからだいじ。そいでさぁ、かなねぇちゃんにも一緒に来てほしいの」
ふみの要望には素直に同意しかねた孝志は、眉間にしわを寄せて腕を組む。
「あのな、鈴木さんだって都合があるだろうし、急に来てくださいってお願いするなんて脈絡なさすぎだろ。それになんか……アレじゃん」
どうみてもデートへのお誘いではないか。
「でも、あたしだけじゃなくて、たかにぃもうれしいでしょ?」
「まぁ、そりゃそうだけどさ」
「たかにぃはこういう遊園地って行ったことあるの?」
「家族旅行で大阪のユニバーススタジオには行ったな。あとは群馬にある小っさな遊園地とかくらい……たしかにデスティニーランドは直接見てみたい気もするし……」
ここ花の都で、いかにも学生らしい夏休みを満喫するのもよさそうだ。ましてや、ふみがいれば口実として加奈を誘いやすいかもしれない――との目算は彼にもあった。
「でも、あんまし鈴木さんのこと期待するなよ。ダメだったら俺とふたりで行くぞ」
「あ、そしたらいいや。でも、うまくいくよ、かなねぇちゃんは来てくれるから」
「なんだよ、それ……」
妙な自信とともに提案するふみに負けて、孝志はチケットの手配をすることになった。
後日、銀行にいくと祖母から小遣いが振り込まれていた。
「ありがてぇ。親父にはぜんぜんふみが見えてなかったけど、ダメ元でばあちゃんに相談してみてよかったな。小遣いをたかられたと思ってるかもしれないけど」
孝志はさっそく購入したチケットと共に、その足で加奈のバイトする店を訪問した。
「……って感じで、ふみが騒いでさ。もし、鈴木さんがよかったらなんだけどさ」
孝志はそれまでの経緯を簡単に端折って説明をした。
それを聞くなり、加奈は顔じゅうを真っ赤に上気させて硬直する。
「あ、あたしが……大貫くんと?」
「いや、俺って言うか、ふみもなんだけど。もし都合が悪いならしょうがないけど」
「ぜっ、ぜんぜん平気だよ! そうなんだ、ふみちゃんがあたしに来て欲しいんだ……だったら、ふみちゃんのために行こうかな?」
「ホント? 助かるよ」
孝志は両手を合わせて頭を下げて、平に礼を述べる。
「叔父さんにお店番を空けられる日を聞くから、決まったら連絡するね」
「あ、そっか……じゃあ連絡先も交換しないと。いまスマホある?」
加奈は震える指先でエプロンのポケットに入れたスマートフォンを取り出した。
孝志もスマートフォンを取り出し、互いの連絡先を送信しあう。
『どうしよう、大貫くんの連絡先もらっちゃった……』
「じゃあメッセージ待ってるから。ふみも喜ぶと思うよ」
「うん……じゃあまた」
手を振って孝志の姿を見送ると、すぐに加奈は手帳を取り出す。
『もしかして、これって大貫くんに告白されちゃうとかって展開なのかな……』
手帳とカレンダーを見比べ、さっそく叔父に店番のスケジュールを相談したのだった。
自宅では孝志の帰宅を今や遅しと待ちわびていた、ふみが駆け寄ってくる。
「たかにぃ、どうだった?」
「おう、鈴木さんも来てくれるってよ」
「やった、かなねぇちゃんが来てくれる! よかったね、たかにぃ」
嬉しそうに飛びついてくるふみだったが、どうにも彼女の発言が腑に落ちない孝志は、膝を曲げて互いの視線を合わせる。
「なんだよ。ふみが鈴木さんに
「なんで? たかにぃとかなねぇちゃんが仲良くなるために呼んだんだよ?」
きょとんとした表情で孝志の顔を見返すふみに、彼も思わず仰天する。
「はあっ? 大人をからかうなよ。お前に頼まれなくても鈴木さんと同じ学校のクラスだし、同じ委員会だし、いくらでもうまくチャンスはあるかもしれねぇだろ、世話ねぇっての」
ふみは先日、加奈の叔父の書店で購入した恋愛小説を手に取る。
「お兄さまが一生懸命ご商売をがんばっておうちを大きくしたのに、子供たちは男の子ひとり残してみんな戦争に行って死んじゃったの。その後の孫もひ孫も、男の子ひとり。たかにぃもひとりっ子。お兄さまが残してくれたおうちが無くなっちゃうでしょ!」
「それがなんだって言うんだよ。俺が将来、結婚できないっつうのか」
「ふみは、たかにぃが幸せになったら成仏できそうな気がするの」
先祖としてのふみの言い分も理解できるところはあるが、孝志にしてみたら後世の者として勝手な重圧を背負わされるのも不服であった。
「俺が生まれたのも、ご先祖のおかげってのは、そりゃわかるよ? でもちっと現実味なさすぎるんだよ。まだ高校生だし、いきなり鈴木さんとくっつけって、そんなこと言われても」
「自分ひとりでおっきくなったような顔しないで! お兄さまに失礼でしょ?」
「別にそんなこと思ってねぇって。ありがたいと思ってるよ。田舎だったけど生活には、なに不自由なかったからさ」
「ぜんぜんわかってない!」
ぷんぷんと腹を立てるふみの怒りがいまいち理解できない孝志は、ひょいと抱き上げると、あぐらをかいた自分の足元に座らせて、頭を撫でてみたりする。
「はいはい、悪かったって。これでいいか?」
「たかにぃが恋愛で苦労しないように、大貫家のためにがんばってもらわないと。それにふみも新しい物語が読みたかったの」
「また本を買ってこいってのか?」
「こないだ言った、まだ読んだことない恋愛物語のご本の主人公みたいにがんばってよ」
「俺が恋愛物語の主人公みたいに頑張る?」
ふみはくるりと振り返ると、小さな両手を孝志の頬にぺちっと当てる。
「……なんだ? いったいどうした」
「ねぇ、『牛肉とねぎ、しいたけ、えのき、春菊とかのお野菜や、しらたきをお醤油とお砂糖でぐつぐつ煮て、溶き卵につけて食べるお料理』ってなーんだ?」
「はっ? そんなん、わけねぇよ。『っ…やっ…』? ん、どうした?」
孝志は口を大きく開け、喉と腹筋に力を入れて再挑戦するも、声がでない。
「おいっ、なんだってんだよ、これは!」
ころころと笑うふみの前で、孝志は焦って自分の首元を撫でたり喉仏をこする。
「あいうえお、か…くけこ、さし…せそ、たちつてと……どういうことだ、俺の声が出ないぞ! いや、出てるんだけど、特定の音が出ないじゃないかよ!」
「うん、あたしのおまじないだよ」
「どういうこった?」
「たかにぃは『す』と『き』の音が出せなくなったの」
「冗談よせよ。はやくもとに戻せって。だいたいなんで、そのふたつなんだよ」
「『すき』って言えないでおたがいがすきになる、新機軸の恋愛物語を見せて!」
呆れたようにこめかみを押さえながら、孝志はぐったりと背を丸める。
「ふみ、お前ふざけてるのか? これじゃ授業であてられたら回答で…ないじゃないかよ。うーん、二文字だけなら、わりと喋れるもんなんだな」
「すきなきもちを『すき』って言葉に頼らずに、せいいっぱい伝えるの!」
「日常生活に支障がでるだろ。そんなムチャなことよせって」
乗り気ではない玄孫に腹を立てて、ふみはぷくっと頬を膨らませると、そっぽを向く。
「じゃあもう、よす? そのかわり、たかにぃのを一生使えなくしてあげる」
「待て、いったいナニを使えなく…るんだよ。それこそよせよ! 男の楽しみが!」
「これで大貫のおうちはたかにぃで断絶だね。イヤならそれでがんばってね」
「バカやってるな、ふざけるなよ!」
孝志は洗面台の鏡の前に駆けていくと、五十音の発声を繰り返す。
「『アレコレ』みたいな言い換えでしのぐか、もしくは他の音に寄せてみるとか……濁音がセーフなら、濁点をつけたら自然にならないか?『ずぎやぎ』……ちっと微妙か?」
さらに手元に用意したノートで五十音を書いていく。
「文字なら言葉と関係ないから、どっちも書けるんだな」
次にスマートフォンのメモアプリで、ひらがなを入力していった。
「メールもオッケーみたいだ」
ふみは、にこにこと無垢な笑みを浮かべながら、孝志の顔を覗き込む。
「かなねぇちゃんじゃなくてもいいよ。たかにぃと誰かがすきになって、女の子と付き合えたら、祟りを解いてあげる。そしたらあたしも成仏できるかも。だからかんばってね」
「ついに自分で祟りって言いやがったな。とんでもないご先祖だよ、まったく」
恐ろしい夏の怪談に、諦めたように膝を抱える孝志だった。
翌朝。
またもふみに催促されて図書館へと向かう孝志だったが、途中で道を逸れて大きな寺院へと入っていく。
「たかにぃ、なんでお寺にきたの?」
「ここはわりと有名な
彼は慰霊の地蔵尊のまえで賽銭を入れ、線香を用意すると一心不乱に祈り出す。
「お地蔵さま、どうかふみがさっさと成仏で…ま…ように」
「できますように」
隣で一緒になって祈るふみの姿に、効果なしと肩を落とす孝志。
「そんな簡単にあたし成仏しないよ。お兄さまののこした大貫家のために、たかにぃや子孫のために、ふみはがんばるんだもん」
ふみは着物の裾から華奢な腕を出して、ぐっと力こぶをつくるふりをする。
「ホントに勘弁してくれって」
すると、孝志のバッグに入ったスマートフォンがメッセージの受信音とともに細かく震える。
手に取るとそれは加奈からの連絡であった。
『大貫くん、こんにちは。デスティニーランドだけど、今度の金曜でもいいかな?』
「おい。よかったな、ふみ。デッティニーランドは今度の…ん曜だって」
「なんようび?」
「だから…ん曜だって。あーくそっ、フライデー! マネーの『かね』の音読み!」
地団駄を踏みながら髪の毛を搔き乱して叫んでいた孝志だったが、大きく肩で息をすると加奈に返信を打つ。
『ごめん鈴木さん。助かるよ。ふみも喜ぶから。それじゃ金曜九時に駅前でいい?』
文字ならばストレスなく流暢に喋れることに落ち着きを取り戻しつつも、孝志は実際に加奈と会った際のことを心配しはじめた。
「これじゃ、ちゃんと喋れないと…ず…さんに迷惑かけ……ってしまった! おい、あの子の苗字もぜんぜん喋れねぇじゃん!」
「がんばってね、たかにぃ」
「お前のせいだろ」
孝志にとっては先祖の幼女とはいえ、もはや彼女は座敷童ではなく、人に仇なす悪霊のたぐいにすら見えた。
「どうしたらいいかな。ずずぎさんに怪しまれるよ、これじゃ」
「かなねぇちゃんにひみつをバラしたり、ひみつが知られちゃったら、たかにぃはさらに罰ゲームだからね」
けらけらと笑い出すふみに、不満が蓄積していた孝志は怒りと共に強い目線で諫める。
「バカにして遊ぶなって。びょうぎ……病いで声が出なくなったり喋れない人だっているんだし、声は大事なんだぞ」
「でも、あたし死んじゃったもん。ずっと横になっててお熱がでたり、咳をして血をはいたり、息するのも大変だったんだから。声なんて痛くて苦しくて出せないんだよ? そういうの、たかにぃもちっとはわかったでしょ?」
ふみの独白に、孝志はあまり呼び起こしたくない『過去』の記憶が蘇った。
それに、ふみも大人になることなく生涯を終えたのは間違いない。
ずっと床に臥せたまま外で遊ぶこともできず、高祖父が読み聞かせる本だけが外界との唯一の接点であったと思うと、いまは苦もなく出歩いたり、ましてやこうして、霊魂の状態なのかもしれないが百何十年ぶりに外出や他人との会話ができるのは、ずっと実家の土蔵にいた頃よりはいいだろうとも思える。
「あぁ、そうかもな……」
孝志もばつが悪そうに頬を掻くと、ふみの頭に手をぽんと置く。
「そいじゃ、買い物に行くか」
「おかいもの?」
「さずがにその、ぎもの、アレだ、和服だとヘンだろ。デッティニーランドに行くなら、他の子と同じような洋服でも買ってオシャレしたいだろ」
ふみは、ぱあっと笑顔を浮かべて飛びついてくる。
「たかにぃはやさしい! あぶない、成仏しないように気をつけないと。あんまりあたしのこと大切にしないでいいよ。でもお洋服は買おう!」
ふたりは図書館ではなく駅に向かい、電車でショッピングモールを目指した。
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