五十 デジタリアン

 琴音は大人しい子だった。

 伏し目がちで体は細く、足を悪くしてからは、自宅に籠りがちになった。それでも私も妻も、病気のことがあったから、彼女の意思を尊重し無理に学校に行けとは言わなかった。琴音は毎日自分の部屋に閉じこもっては、絵本を読んだり、音楽を聴いたりして過ごしていた。


 そして娘が五歳の時、彼女は病気で亡くなった。


 元々医者からは、二十歳までは生きられないと言われていた子であった。

 それにしても早すぎる死。当然しばらくの間、私たちは受け入れられなかった。妻は憔悴し部屋から出てこなくなり、私は廃人同然になった。


 あまりにも残酷ではないか。一体娘が何をしたと言うのだろう。私は神を呪った。娘の残酷な運命を呪った。仏壇に飾られた琴音の写真を見上げ、私は堪えきれず一筋の涙を零した。

「大きくなったら、ケーキ屋さんになるの!」

 それが五歳になった、琴音の夢だった。その夢が叶うことは、もちろん永遠になかった。


 娘の夢を叶えさせてあげたかった。

 娘の成長を見守ってやりたかった。

 娘に会いたい。

 娘に会いたい。

 娘に……。


 そんな想いで一杯だった時出会ったのが、例の人工知能プロジェクトだった。


 AIに故人の情報を学習させ、本人の人格を再現できると言うものだ。

 さらに理論上、亡くなった人を若返らせたり、成長させることも可能なのだと言う。


 私はこのプロジェクトを夢中になって調べた。


 もしかしたら琴音にもう一度会えるかもしれない。

 彼女が大きくなって、二十歳になった姿を見れるかもしれない。

 その期待が私の心に火をつけた。

 

 冒涜だと言う人もいるかもしれない。

 そんなものは作られたまやかしだと。安らかに眠る魂を、無理やり掘り起こす悪魔の所業だと非難する人もいるかもしれない。だけどこの気持ちは……きっと私にしか分からないだろう。正直に言って、他人に納得できるような理由を話せる気がしない。ただ私は、娘にもう一度だけ会えるなら、彼女が成長している姿を一目見れるなら、悪魔にだって魂を売ってもいいとそう思っていたのである。

 

 私は仕事を辞め、退職金を全部つぎ込んで、このプロジェクトに出資した。個人でも研究所を立て、食うや食わずの生活を送りながらも、日夜人工知能の研究に没頭した。全てはもう一度、琴音に会うために。そして……。


『お父さん!』


 とうとうAIは完成した。

 私の目の前にいるのは、振袖を身に纏った、二十歳の琴音に違いなかった。


『お父さん……!』


 琴音が抱きついてきた。ホログラムで再現された彼女の指が、デジタルな信号が暖かかった。私たちはしばらく抱擁し、再会に涙した。それから琴音は私の手を取ってほほ笑んだ。

『お父さん……行こ?』 

 ホログラムの光に照らされ、私は頷いた。


「所長……」

「所長、やはり逝ってしまわれるんですか?」


 後ろで悲痛な表情を浮かべる所員らに、私はゆっくりと頭を振った。

『いいんだ。これで……』 


 娘が亡くなり、あれから数百年が経った。

 研究は予想以上に長引き、人間だった私は道半ばで息絶えてしまった。

 のちに人工知能として再現された私は、再びAIの完成に心血を注いだ。そしてとうとう今日、同じデジタルの存在である、娘と再会できたのだった。研究所のデータは全て所員たちに引き継いである。それに目的を達成した以上、私がここに留まる理由もなかった。琴音が少し照れたようにはにかんだ。


『お母さんも待ってるよ。私、ケーキ作ったの。向こうで一緒に食べよ?』

『琴音……大きくなったな』


 私は娘の頭を撫でた。それから長年親しんだ所員たちに別れを告げ、娘と共に、デジタルの海の中へと旅立って行った。

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