三十四 PDCA殺人事件

「勘違い?」


 思わぬ返事に、刑事の荻原は声を上ずらせた。警部の猪本はゆっくりと頷いた。


「あぁ。典型的な部屋誤認トリックだよ。つまり具体的な手順はこうだ。まず犯人は被害者を廃墟におびき寄せ、脅迫した後、まずの空き部屋に監禁した……」


 トレンチコートを身にまとったマフィア顔の警部が、壁際に備え付けられたホワイトボードに図面を書き込んでいく。荻原はそれをぼんやりと眺めながら、呆気に取られっぱなしだった。まさか、そんな単純な方法で……。


 事件のあらましはこうだ。


 先週末、都内に住む50代の男性A(仮名)が廃墟になったマンションから飛び降り、病院に運ばれたが間も無く死亡した。良く晴れた朝のことだった。警察は当初突発的な自殺とみて捜査していたが、Aの人間関係を洗っているうちに、三人の女性と揉め事を起こしていることが分かった。


 メディアでは痴情のもつれが引き起こしたセンセーショナルな殺人事件として、主にワイドショーなどで大々的に報道された……。


「……それから犯人は彼が眠っている隙に、こっそりAを二階からに運んだのさ」


 マフィア顔の猪本がしかめっ面で唸った。

 猪本は仕事の的確さと同じくらい、人相が怖いことで有名な警部である。警察policeを志したのが不思議なくらいだ。きっと猪本警部が逮捕され明日の朝刊に載っても、署内の八割は「ああ、とうとうやったか……」程度の感想しか抱かないだろう。しかし付き合いの長い荻原は、猪本の内に秘めたる責任感や正義感がどれほど強いか知っていた。


「犯人はあらかじめ、二階の空き部屋と五階の空き部屋の内装をそっくり同じにしていた」

 猪本が続けた。

「廃墟だからそう手間はかかるまい。Aは起きた瞬間、当然自分が二階にいるものだと錯覚する。監禁されパニックになっていたAは、襲ってきた犯人からなんとか逃げ出そうと、窓から脱出を図り……自分から真っ逆さまに落ちて行ったんだ」

「なるほど……それでAは自殺に見えたって訳ですか」


 荻原は感心した。

 確かにそれならば、殺害現場に犯人がいる必要もない。被害者が自分から、勝手に死んでいってくれるのだ。その間にアリバイも作れるし、直接手を下した訳でもないので証拠隠滅も容易く、警察の捜査も行き届きにくい。猪本は肩をすくませた。


「これと同じような誤認トリックは、古今東西とある。階数が違った、場所が違った、時間を勘違いさせた……ま、知識問題だな」

「しかし、被害者も可哀想ですね。勘違いしたばっかりに……僕もうっかりしてるから、騙されそうだな」

「ふん。しかし奴の人間関係を洗ってみれば、どうやらそうとも言えん。奴さん、飛んだ食わせ者だったようだ……」


 猪本は不機嫌そうに鼻を鳴らした。

 警部が言っているのは、前述したAの女性関係のことだった。妻子ある夫のAは、奥さんと結婚当初から地方に愛人を持っており、さらにその愛人と娘まで作っていた。娘はすでに成人しており、Aとも面識があった。


 ここで仮にAの奥さんをB、

 愛人をC、

 その娘をDとしよう。


 捜査線上に上がっている容疑者は、正しくそのB、C、Dの三人の女性であった。BはすでにAの不倫に感づいており、三人は三者三様にAを憎んでいた。つまり全員に動機があったと言える。


「AとBのお子さんは?」

 荻原が尋ねた。

「五年前に事故で亡くなったそうだ。それも、AがCとの関係にのめり込み、夫婦関係を悪化させる一因だったようだな」

「三人とも、アリバイはあったんですね?」

「そうだ。だが三人は殺人罪で逮捕された……問題はそれからだ」


 猪本が眉間にシワを寄せた。元々ブルドッグに似た顔だったが、それがさらにしわくちゃになった。



 取調室にて、Aの妻であるBはこう証言した。


「確かに私は夫を殺すが、それももう十年以上前の話です。


 えぇ、プライベートのブログに日付が載ってるから、警察の方だってお分かりでしょう? 

 そんな昔のこと……。どんな家庭だって、パートナーに多少の不満は付き物じゃなくって?


 もちろんこの計画を、他に人に話したことなんてありませんよ。

 それに、計画ったって、素人に毛が生えた思いつきの類です。実行しようだなんて、とても……。

 それに個人の恨み辛みを綴った駄文を見て、誰かが実行に移したとしても、果たして私は罪に問われるのでしょうか? 


 だったらミステリー作家は、トリックが実際の殺人に使われたら、全員逮捕されなくっちゃいけないんじゃなくって?」


 Bはそう開き直った。

 さらに別室で、Aの愛人であるCはこう証言した。


「そうですね、確かに私は廃墟の内装を整えました。

 そういう意味では、私が殺人のとも言えるでしょう。


 しかしあの廃墟は、元々二階と五階に限らず、全部屋同じ内装にする予定だったのです。

 現に一階だって、三階だって同じ内装だったでしょう? 


 私の意思じゃありません。会社から、そういう指示が出ておりましたから。私はその指示に従ったまでです。だとすれば捕まるべきは私ではなく、指示した人間の方なのではありませんか? 


 Bさんのブログ? いいえ、見たことなんてありません。

 アクセス履歴を調べてもらえば、すぐ分かるでしょう。

 

 娘と連絡も取ってませんよ。本当です。

 ここしばらくは……彼女も成人して、都内に住んでますしね。


 とにかく、納得いきませんね。書いてある通りに建物を作ったら殺人罪で逮捕って、だったらミステリー作家は、今すぐ全員教唆犯として逮捕すべきじゃありませんか?」


 Cは髪留めの赤いリボンを指で弄び、へらへらと半笑いでそう言い放った。

 極め付けはCの娘、Dで、彼女は何故自分が逮捕されたのかも分からないようだった。


「私は何も悪いことしていません。


 ただパパに……Aさんに呼び出されて、あの日廃墟に行っただけです。

 えぇ、彼とは度々会ってました。

 だけど襲ったり、脅迫したりだなんて……そんなまさか。


 それから眠ったAのも、Aさん自身にそう言われたからです。Aさんがそう言ったんです。もちろん証拠なんてないですけど……彼はものすごく酔っ払ってました。


 私に殺す意思なんて、あるはずないでしょう。Aさんは、自分から飛び降りたんでしょ?

 私が飛び降りろとか、命令した訳じゃありませんよ。彼も、自分が今いる場所が五階だって知ってたはずですよ。それなのに私、何か罪に問われるんですか?


 彼が勝手に襲われると勘違いして自殺しただけなのに……だったらミステリー作家は、読者が残酷描写に耐えきれず、いもしない架空の犯人に襲われると勘違いして自殺を図ったら、それで逮捕されても文句は言えませんね?」


「やれやれ。死人に口なし、か……」

「三人が共犯である可能性は?」

「それもあるだろう。正妻と愛人……その娘か。中々考えにくいことではあるがな。しかし飛んだ悪女もいたもんだ」


 猪本はため息をついた。


「三人とも、何かしらの罪には問われるんでしょうね?」

「だろうな。俺はそこらへんの法律には詳しくないが……。しかしこうなってくると、主犯は誰になるんだろうな?」

「計画犯と実行犯ですか……」


 荻原は口元に手をやり考え込んだ。


 


「元はと言えば、Aが不倫しなければ良かったんですがね。一番悪いのはAでしょう」

「そりゃそうだ。だが残念ながら、今回Aは被害者だ。この場合……」


 猪本はホワイトボードに背を向け、難しい顔をして天井を仰いだ。


「一体誰が犯人なんだろうな?」

「身柄は抑えてあるんだから、後々はっきりしてくるでしょう。それに、三人のうち一人が、嘘をついている可能性もありますよ」

「何?」


 猪本が荻原に目をやった。荻原は少し気圧されたように背筋を伸ばした。


「いえ、ね。今の三人の供述を聞いてて、ふと気がついたんです。あれ? コイツおかしいぞって。三人のうち一人だけ、知らないはずの情報を知っている……」

「勿体ぶらずに言えよ。誰なんだ?」

「つまり、殺人事件として発表された訳でしょ? 三人とも殺人罪でしょっぴかれた。なのに、一人だけAを自殺と言い切った人物がいます」

「……そうか!」


 猪本は机を叩いた。それから急いで立ち上がり、飛ぶように部屋を出て行った。後に残された荻原は、その様子を呆然と見送りながら、やがて苦笑いを浮かべた。


「でもやっぱ、Aだよなぁ……」

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