三十三 納豆

 正義と悪は相容れない。


 そんなまことしやかな迷信が、世間一般じゃ常識のように信じられているけれど、しかし僕らの場合はそうではなかった。組織が大それた義を掲げるその片隅で、僕らはただ、愛し合う一人の男と女だったんだ。



 僕が彼女と出会ったのは、彼女が悪の組織に入る前だし、僕もまた正義の契約社員・アクティブイエローに変身する前だった。僕らはそれぞれ別の納豆製造会社に勤めていて、初めて出会ったのは企業の合同ゴルフコンペの場だった。


 人懐っこい笑顔と、風に乗って届く彼女の髪の甘い匂いに、僕の目はすぐに釘付けになった。思えば一目惚れだったと思う。とにかく同じグループで回った僕らは、それから互いに惹かれ合うようになって行った。何度か食事をし、週末には一緒に遠出するようになった。


 だけど間も無く、僕らは離れ離れになってしまった。


 同じ納豆業界で、互いにライバル視していた僕らの会社は、ナワバリを取り合い次第に険悪なムードになって行った。やがて僕らの会社のバックには『株式会社アクティブ』がつき、彼女の方はまた、別の巨大組織に買収された。『坊主憎けりゃ袈裟まで憎い』と言ったところだろうか。お互いの陣営は、それぞれ相手の納豆を悪だと罵り合い、いつの間にか僕らは敵対する運命に巻き込まれて行った。


 納豆に善悪があるかどうか知らないが……たかが醤油の味付けで、対立できるのが『人間』である。僕は会社から正義の契約社員・アクティブイエロー25号に任命され、戦場に駆り出された。彼女もまた悪の怪人(僕ら側から見て、怪人という話である)・挽き割りピンクとして僕らの前に立ち塞がった。


 この戦いはテレビ中継され、毎朝会社のプロパガンダとして、全国の子供達に届けられた。お互いいかに相手が間違っているか、醜いかを喧伝し、自分たちの納豆がいかに正しいかを声高々に主張しあった。


 そんな中だったから、僕らはもう、大手を振って表で逢えなくなってしまった。


 僕の行動は毎日会社に監視された。万が一敵と密通しているのがバレてしまったら、どんな目に遭うか想像もつかなかった。彼女もまた同じ境遇だったのだろう。僕らはそれ以来、戦場でしか逢えなくなった。


 僕と彼女は、みんなが砂場で殴り合っている間、こっそりと手を繋ぎ合った。背景に巨大な爆煙が立ち上っている隙に、カメラに写らないようにキスをした。巨大ロボの影で抱き合い、将来を誓い合った。


 今思えば、相当危険な綱渡りだったと思う。もし戦場での逢瀬が少しでも視聴者に気づかれれば、たちまち僕らの仲は引き裂かれていただろう。だけど僕は、彼女に逢えるのが楽しみな一心で、そんなことすら簡単に忘れてしまっていた。

 

 あの時僕はまだ、この戦いは、”恋のスパイス”程度としか考えていなかったのだ。



「近々、総攻撃があるの」


 ある日の戦場で、彼女は僕の耳元でそう囁いた。


「ウチの会社が兵器と納豆を一箇所に集めてて……何だか秘策があるみたい。来週にでも、決着をつけるって」

「一緒に逃げよう」

 僕は彼女の目を見て言った。


「バカバカしいよ。納豆の味付けなんて、この世で一番どうだっていい。この契約が終わったら、どっか遠くの業界へ……君と一緒なら、僕はメロンだってハムだって構わない」

「だけど、どこの業界に入ったって競争でしょ? 結局は、誰かと戦わなくちゃならないんだわ」

「約束する。僕が君を守るよ。納豆のように、粘り強くね」


 最後の一言は余計だったかなと思いつつ、僕らはその晩、戦場でキスをして別れた。

 互いの会社に疑われないよう逢うには、やはり戦場が一番だった。総攻撃の日、僕らはいつものように戦場で落ち合い、戦っているフリをしてこっそり夜行バスで逃げることにした。行き先は別にどこでも良かった。ハムでも、メロンでも、とにかく互いを醜く罵り合わない業界ならば、そこで僕らは幸せになれると思っていた。



 それから数日後、彼女の話通り、総攻撃が始まった。


 相手の組織は、新兵器・殺戮挽き割りロボを投入し、僕らもまた全力で応戦した。その日の戦場は、いつにも増して激しいものになった。

「頭を狙え! ロボは頭が弱点だ!」

 遠くの方で営業部長が叫んだ。人型ロボットの装甲は硬かったが、残念ながら動きがあまりにも機械的すぎた。僕はロボの攻撃をかいくぐり、頭に一撃を喰らわせながら、必死に彼女の姿を探した。だけどその日に限って、彼女の姿はどこにも見当たらなかった。


「おぉい!!」

 僕が彼女を探し回っている間に、戦いは終わり、足元には無数のロボの残骸が転がっていた。ピンク色のロボの頭を踏みつぶし、立ち上る黒煙の中で、僕は眉をひそめた。今まで戦っていた、怪人たちの姿がどこにもない。ロボがやられたのを見て、敵前逃亡したのだろうか。そのまま勢いづいた僕らは、敵の中枢部にまで進撃し、相手組織を壊滅させた。


 勝ったのだ。

 なんと、勝ってしまった。

 長らく続いていた戦争は、僕らの勝ちで終わりを告げた。

 

 僕は心底ホッとした。

 相手には不本意かもしれないが、とにかくこれで、もう戦わなくて済むのだ。

 夜行バスにも乗らなくていい。堂々と彼女に逢うことができる。僕は笑みが止まらなくなった。僕らは敵を完全制圧し、悪の納豆に火を放った。怪人も、彼女もまだ見当たらないままだった。敵のアジトに僕らの旗を立て、僕はみんなと一緒に何度も何度も万歳を繰り返した……。

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