第9話 貧民街

 真とリリーナ王女は、貧民街へとやって来ていた。王国には明確な身分制度がある。絶対君主の国王が最も偉く、どんな過酷な命令だろうと逆らえない。逆らえば、王直属の精鋭部隊とセバス率いる神聖騎士団が黙っていない。まず、この精鋭相手に逆らおうとする者はいないだろう。次に偉い順に公爵、侯爵、伯爵と続いていく。次に王に最も貢献している貴族が続く。そして、戦士長のワルドだ。なぜ、ワルドの身分がそれほど高くないのは、軍の反逆を防ぐためである。下手に軍事の最高者に権力を握らせるのは危険だからである。


 また、一般人にも身分が存在していた。一般人の中で最も身分が高いのは、最も多く税金を納めている財閥の者達だ。貴族に賄賂を送るなど日常茶飯事だった。次に王国のギルドに在籍する冒険者達。兵力補充のため国からギルドに要請し、傭兵として冒険者達を召集することもある。そして、普通に税金を納めている平民。それより下なのが、貧民街で暮らしている下民と呼ばれている者達だ。軍備増強のために、税金が上がり、より一層生活が苦しくなってきていて、貧しい暮らしを強いられていた。


 真とリリーナは、寂れた道を歩いていく。先ほどの賑わいのある活気とは違う。周囲に散らばったゴミの匂いが鼻につく。猫やカラスが、散らばったゴミを漁っていた。道端に痩せ細った男が、ぐったりと倒れていた。駆け寄ろうとするリリーナを真が、手を掴んで止める。


「止めたほうがいい」

「でも。放っておけません」


 真が、倒れている男にまとわりついているウジ虫を指差す。


「もう死んでいる。 見てみろ。あちこち腐敗しかかっている。下手に触れば疫病にかかる恐れがある」

「こんな酷い状況になっているなんて」


 あまりの惨状にショックを受けるリリーナ。二人は、その場を後にし、先を進んで行く。集合住宅へとやって来る。一つの大きな建物に部屋が数多くあり、そこに幾人もの家族が住んでいた。


 周囲の人間が、物珍しそうに真とリリーナを見ていた。平民が、貧民街に来ることなどないからだ。リリーナに後ろから薄汚れた格好をした男の子がぶつかる。男の子が、リリーナにペコリと頭を下げた。


「ごめんなさい。あまり目がよくなくて」

「いいのよ。それより怪我はない?」

「はい」


 そう言って、男の子は小走りで離れていく。真が男の子を呼び止める。


「スリはよくないぞ」


 真の言葉に、リリーナはポケットに手に入れ、金がないことに気づく。男の子は、慌てて走って逃げる。


「俺が追うから、リリーナはここで待っててくれ」


 そう言い、真はダッシュで駆け出す。その様子を物陰から窺っていた伊織と雫がリリーナに歩み寄る。


「あのいいですか?」


 伊織達の方に振り返るリリーナ。


「えっと、あなた達は?」

「雫ちゃん、お願い」

「もうしょうがないわね」


 伊織の手を合わせた懇願に、雫は、仕方なくリリーナに尋ねる。


「失礼ですが、渡部君とどういう関係なんですか?」

「え?」


 リリーナは、見知らぬ人物の突然の質問に驚く。


 男の子は、裏道など子供しか通れない場所を行き来し真をまこうとするも、真は持ち前の運動能力で切り抜け、男の子を行き止まりの通路まで追い込んだ。


「ここまでだな」

「くそ」

「なんでスリを?」

「この身なりを見て分からないのかよ! 金がないんだよ!」

「金か。随分と苦しい生活のようだな」

「同情なんかより金をくれよ!」

「理由はどうあれ、犯罪は犯罪だ。金は返してもらう」


 真は、男の子に近づく。すると、男の子はガバッと土下座した。


「お願いします! 見逃して下さい! 母ちゃんが病気なんだ!」

「病気?」

「働きづめのせいで、遂に過労で倒れてしまったんだ。薬を買おうにもお金がなくて」

「父親は何をしてる?」

「借金を作って家から出ていったよ」


 男の子は、吐き捨てるように言った。


「そうか」


 真は、くるりと踵を返す。


「おい、お金は?」

「いや、もういい。お母さんを大事にしてやれ。彼女には逃げられたとでも言っておく」


 そう言い、真は、リリーナの元に戻る。


「王女さん、すまない。見失ってしまった。ん? なんで二人がここに?」


 真は、リリーナに詰め寄っている伊織とそれを止めている雫に目が止まる。


「あの真さん。この方達はいったい?」

「名前呼び!? もうそんな仲に……」


 伊織の顔が青ざめていく。


「おい、篠塚。何か勘違いしてないか。俺達は只の知り合いってだけだぞ」

「え?」


 伊織が、リリーナの方を見やる。リリーナがコクリと頷く。


「そうですよ」

「なんだ。そうだったのか」


 胸を撫で下ろす伊織。なぜか雫も安堵していた。


 その様子を遠目から見ていた勇と孝太。どうやら、伊織と雫の行動が気になってついて来たようだ。


「あいつら楽しそうだな」


 孝太が、美女に囲まれた真を見て、羨ましそうに呟く。


「ふん。もういいから帰ろう」


 そう言って、不機嫌そうに勇は背を向けて、歩いていく。孝太は慌てて、勇の後を追う。


「おい、ちょっと待てって」


 その様子を、寂れた住宅の屋上から見ていた赤い髪をした妙齢な女とフードを被ったがたいのいい男、さらにチョコをかじっている子供がいた。全員肌が浅黒く耳が僅かに尖っており、人間ではない。薬の効果が切れているようだった。妙齢な女が、うっすらと小悪魔的に笑った。彼女は〝魔力感知〟で魔力の高い人物を見つけるために城下町周辺を探していた。


「み~つけた。この魔力の高さ。間違いないわ。勇者よ」

「やるか」

「もう一人いるけど」

「邪魔するようなら殺しても構わないわ」


 フードを被った子供が、無邪気に口元が歪む。


「OK。じゃあ行こうか」


 魔族の三人は、屋上から飛び去る。



 その頃、ランドルフ王子は、リリーナを探し回っていた。


「姉上、どこですか! ここですか!」


 ランドルフ王子は、メイドの更衣室の扉を開け放った。


「きゃー!?」


 下着姿のメイドらが、ランドルフ王子を見て、悲鳴を上げる。


「おー、スベスベの白い肌! いい! 実にいい目の保養になるのう!」


 ランドルフ王子が、メイドらの生着替えシーンをじっと見つめていると、背後からミザリーの声がかかる。


「殿下、ここで何をしてらっしゃるのですか?」

「その声……ミザリーか?」

「はい」


 ランドルフ王子は、恐る恐る後ろを振り向く。


 眉間にシワを寄せて、怒りの炎をゴゴゴ!と背後に燃やしているミザリーが、そこにいた。ランドルフ王子は、額に大量の冷や汗をかき、弁明した。


「ミザリーよ。これはだな。メイドの生着替えを覗いている者がいないかをチェックしていたのだ。決して、下心があって更衣室を開けたのではないぞ。うん、うん」


 ランドルフ王子の弁明を黙って聞いていたミザリーは、背中の腰に差していたムチを手に取った。それを見たランドルフ王子が、「ひぃ!」と顔を強張らせる。


「待て! ミザリー! ムチでお尻を叩くのだけは止めてくれ! 凄く反省してる! だから、その手に持っているムチをしまってくれ!」

「問答無用です。甘んじて罰をお受け下さい、殿下」


 ランドルフ王子の必死の言葉にも、ミザリーは耳を貸さなかった。


「ひぃ! 嫌だー!」


 悲鳴を上げて泣き叫ぶランドルフ王子の首根っこを掴んだミザリーは、懲罰室へと連行して行った。


 その晩、メイドは、風呂場にて、ランドルフ王子の赤く腫れ上がったお尻を目撃したそうだ。



 昼下がりの午後、王妃のルルペチカは、庭園で洒落たお菓子と紅茶を楽しんでいた。


 周りにはリリーナの植えた花が、咲き誇っており、ルルペチカの心を和ませた。


 複数人のメイドらが、ルルペチカの側に控えて、給仕に勤しんでいた。


「奥様、紅茶のお代わりをおつぎ致します」

「ありがとう」


 メイドが、洒落たデザインのティーカップに、紅茶を注いでいく。


 と、そこに愛人を引き連れたサルワ王が、現れた。


「おー、ルルペチカ。ここにいたのか」

「はい。あなたも一緒に紅茶はいかがですか?」


 ルルペチカは、夫のサルワ王が、愛人をはべらわしていても特に気にしていないようだ。


 王たる者、側室を持つのは当然と言えば当然だ。かつての日本もそうだったのだから。


「そうだな。一杯、もらおうか」


 サルワ王は、そう言い、椅子に腰かける。


 メイドが、ティーカップに紅茶を注ぎ、サルワ王の前に置く。


「どうぞ、陛下」

「うむ」


 サルワ王は、ティーカップの取っ手を掴み、口に運ぶ。


「ふむ。ルルペチカの推薦だけあって美味いのう」

「ふふ。でしょ」


 ルルペチカは、機嫌よく微笑む。


 サルワ王は、ティーカップをテーブルに置き、真剣な眼差しでルルペチカの方を見やる。


「ところで、ルルペチカよ。リリーナもそろそろ年頃だ」

「そうですね。それが何か?」

「いい相手がいてな」

「誰ですか?」


 ルルペチカの問いかけに、サルワ王は、自信満々に答えた。


「ヴィッセル帝国の第一王子カルロス殿下だ。どうだ? よかろう?」

「そうですね。あなたが決めたことならいいと思いますよ。リリーナも喜ぶことでしょう」

「そうか。そうだな。今度、帝国から使者として、カルロス王子が来るとのことだ。その時にでも、カルロス王子に聞いてみよう」

「それがよろしいかと」


 サルワ王は、グイッと紅茶を全部飲み干して、椅子から立ち上がった。


「そうと決まればカルロス王子をもてなすための料理を用意しなければな。コック長に伝えてこねば」


 サルワ王は、そう言って、小走りで去っていった。残された愛人らが、「陛下〜、お待ちになって〜」とサルワ王を追いかけていく。


 ルルペチカは、紅茶を一口飲み、呟いた。


「ああ、美味しい」


 庭園でのお茶会を十分楽しんだ後、ルルペチカは、大浴場で汗を流したのであった。


========================================


2021年11月5日。0時00分。更新。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る