第4話 アタシは灯

 ぐうたらぐうたら寝てしまう。

 間抜けな顔を水で洗い流す。

 はっと鏡を見て自分と見つめあう。そして気付く。

 私が洗い流したいのは、もっと違うことなのに。過去をそそぐ。

 外に出るとね、自分にまとわりついている悪意とか、不必要にまとわりつく汚れが目立ってしまうの。そうやって、あなたも失った。

 男女平等とか、機会均等とか、本来はあり得ないことだとうがった見方を突き付ける。だってアタシには平等も何も一つもない。一個一個考えてみても、何もかもが不平等で、それが現実だと受け入れざるを得ない。

 つまりね、アタシは今もがいているの。

 安定している人たちが恨めしいわ。あの人たちは、利益を享受したうえで、幸せまで手に入れている。こんなにアタシは頑張っているのに。

 多くの人の物差しっていうものがあるけれど、その測りからは外れている。私の苦労も、苦悩も執着も。全部、測ってはもらえない。

 アタシは今、何をしてるかって?

 空を飛んでいる。空を飛び回っている。

 後ろ暗い気持ちをここでこうやって飛ばしている。ここはどこだかは分からない。でも気付いたら行きついていた。気付いたらって?ある日目を開けたら、そう、いつもと同じように目を開けたら、そこは空だった。

 でもちょっと違うんだよね。アタシはいつも通りに寝たわけじゃない。その時だけは違った。ぐるぐるぐるぐる、動き回ったの。何でかって、苦しくて。傷ついた心をごまかすように、見もしない知らない場所へ走り出す。何かをしないと収まりがつかないのだ。

 それは欲求なのだと思う。何かをしたいっていうこと、アタシはそう感じたら実行する。そうしてきたから。

 正直摩訶不思議ってやつなんだけど、まあいいか。眠ると、目を閉じるとやってくる世界。その間だけは、なぜだか空を飛んでいる。空を飛んでいるのだ。


 「カンカンカン」不意に音がする。

 究極まで突き詰めたこの思考をまたすり減らす。

 ある日楽屋での出来事だった。おもむろに訪ねてきたのは友達のA。いや、あかりというんだけれどね。僕はウィットが好きなんだ。ちょっとこじゃれたというか、あえて変な風にかき混ぜて印象に残るようにするというか。

 とにかくでも、その日は舞台が忙しくて、いや僕はミュージシャンなんだ。シンガーソングライターだね。

 現実と離れた場所に行きたかった。もうぐったりと、優しく包み込んでくれるならだれでもよかった。こういうのを自暴自棄っていうのかな。

 だから眠ってしまったんだ。彼女の隣で。灯の隣で。灯はとてもかわいいんだ。誰が見ても美しいと口に出すほど。だけど僕は初めて灯を見た時、恐怖を感じる。きれいすぎる生き物に恐怖を感じる。そういう体質なんだ。

 僕は灯を見て、確信する。

 灯はとにかく性格のいい子だった。僕にとっては。実はほかの人から見ればいじらしいほどしゃべらない。彼女は歌手なんだ。歌がとてもうまい。だが他人の歌しか歌えない。自分の曲は持っていない。

 僕はシンガーソングライターだから彼女に曲を提供することになった。けれど、正直彼女のきれいすぎる部分に苦手意識があって、戸惑っていた。

 だが、だが。灯は言う。

 「ありがとうございます。曲、くれるんですよね。」

 あまりにもきれいな女が近づいてきてそういうもんだから、どぎまぎして、そのまま、なぜだか知らないが体中がどぎまぎという感じ。

 「はい。」かろうじて出した声は、うまく発音できていただろうか。そんなことを思いながら、会話を重ねていく内に、親しくなっていった。

 そうだ、灯とは親しい友人であったはず。なのに僕らは一緒に奈落へ落ちてしまったらしい。

 気が付けばスキャンダルの束になっていて、うまく何事もかわせない。人を傷つけることに躊躇ない人々は、ただ醜いだけなのに。

 そんなことに気付けない人々にまかれながら、灯はどこかへ行ってしまった。腑といなくなっていて、誰も居場所を知らない。彼女は弱い女なんだ。僕にしか心を開けない、繊細な人だから。

 そんな灯がひとりでどこへ?

 僕は必死に探し回ったけど、見つからない。見つかりっこない。

 そう思えたのは、灯が死んだと知ったから。大スキャンダルという感じではなく、小見出しにひっそりと書かれていた。灯はそこそこ有名な歌手で、テレビなどにも出演していた。だけど、スキャンダルを経て誰も関心を抱かなくなったらしい。

 あの灯が、あのむき出しの鎧の中に縮こまっていたような灯が、僕より若い灯が、死んでいなくなってしまったなんて信じられない。

 ひどく感情が揺さぶられるのが分かる。

 俺は、怒りに満ちていた。

 昔使っていた一人称なんだけど、今の自分にはしっくりくる表現だと感じている。

 世間に殺された。灯は。

 でもそいつらは何の責任も感じていない。こんなことがあっていいのだろうか、と純粋に疑問を抱く。

 そしてそのまま溶けてしまったらしい。まともなふりをした自分が。


 

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