8‗彼女の機嫌が斜め45度

水族館を大股で出て行く湊川の荷物を持ち追いかける上沢は、彼女の背中から発せられる圧倒的な怒りの雰囲気に気圧されていた。

怒っている。とんでもなく怒っている。かつてない程怒っている。

怒髪冠を衝くどはつかんむりをつく勢いで怒っている湊川にかける言葉が見つからないまま、彼女の背中をすごすご追いかけていると、目の前に見知った人影が見えた。


長田と新開地だ。


思わず「助かった」と顔を緩める上沢に気付いたらしい長田が「おーい」と手を上げて、そのまま下ろした。湊川に気圧されたらしい。

「お前、それでも男かよ」という言葉は喉元で止まって出てこなかった。それは、俺だって同じだ。

すごすごと湊川の後ろを回って、上沢の隣まで来た長田は「何怒ってんだ?生理か?」と耳打ちしてきた。お前、そのうちその一言多い口、縫われるぞ。

湊川は、新開地の隣に立つと、大きく手を振りかぶってその柔らかそうな頬を思い切り叩いた。バチンッと小粋の良い音を立てて、頬を打たれた新開地の顔が歪む。


「何をしたか分かってるの!?貴方は、私とは違う!戦う力だってないのに!」

「だから長田君にお願いしたじゃないか。僕はあくまでサポートしかしてないよ」

「そういう問題じゃない!貴方に何かあったら私はどうしたらいい!?」

「それについては、悪かったよ……」


高度な会話を続ける二人を呆然と見ながら、長田と上沢は顔を見合わせた後慌てて二人を羽交い絞めにした。

放っておいたら、湊川が一方的に新開地をサンドバックにしてしまう。素敵な彼女が暴力事件を起こしたなんて話は、できれば流したくない。


「何々、何の話っすか?」

「雫さん落ち着いて!」


湊川を羽交い絞めにしたところ、身を捩られて直ぐに腕を取られた上沢は、綺麗に宙を舞って長田と新開地に背中から激突した。どうやら、柔道選手も吃驚する程綺麗に一本背負いをされたらしい。

思わず目を回している上沢を見て「ああ!ごめんなさい!」と湊川がその場にしゃがみ込む。物理的に全て重力を背負うことになった長田がぐうの音を上げた。重くて仕方がない。

上沢は、目を回しながらだんだん湊川の「清楚さ」というベールが剥がれ落ちてきているんじゃないか?と思った。もしかしたら、初めからただのハリボテだったのかも知れないが……。


「明くんには紹介がまだだったよね。この人は新開地充しんかいちあたる……私の星の王族だった人よ」

「王族!?」

「あー……うん、俺は知ってる」

「そうだよね。君は、ネヴァーウィッチーズだったわけだし」

「幼馴染って聞いてましたけど!?」

「何?話をしたことがあったの?」


首を傾げる湊川に新開地から聞いた話を掻い摘んで説明すると「言葉が足りないと思う」と湊川が顔を歪めた。


「まぁ、立ち話もなんですし?喫茶店にでも入りません?」


長田が親指で通りの喫茶店を指さし、二人に促した。湊川は新開地を一瞥すると「いいよ」と口角を緩めたが、その目はまだ笑ってはいなかった。彼女の怒りは割と持続性の高い物らしいと気付いて、上沢の肝が冷える。


こ洒落た喫茶店のドアを開くと、無垢の板張りの磨き抜かれた床面にお出迎えされた。思わず二の足を踏む上沢を押し込んで、長田は「4人いけますか?」とウェイトレスに問いかける。彼女は笑顔で「4名様ですね。こちらへどうぞ」と臙脂色のベルベット表紙が印象的なメニューを手に取り席へと案内を始める。通された窓際の席は、メニューと同じ臙脂色のベルベットで座り心地が最高だった。場違いな雰囲気に、視線を右へ左へキョロキョロさせる上沢の隣に座った湊川が小さくくすくすと笑う。

そういえばここにいる三人は見た目こそ高校生だが、中身は成人だったと思い出して顔を赤くする上沢の頭を、新開地の細い指がふわふわと撫でて行った。思わず顔を上げると彼は「つい」と、笑う。隣でまた眉を寄せている湊川の手を握り、メニューを開くと、上沢はコーラフロートを頼んだ。他三人はホットコーヒーらしく、また顔に熱が集まるのを感じて頭を垂れる。


「で?先輩は王族、湊川はその専属騎士だったって訳だ?」

「そう、私は彼と一緒に教育を受けてきた。そして、彼を守る騎士になった。しかし私達は、あの人達に敵わなかった」


湊川から紡がれる話はまるで、異世界ファンタジーの様だった。ある日突然UFOがやってきて、彼らは自分たちに降伏を迫ったのだという。戦う力が非常に弱かった湊川の惑星の人々は、必死に抵抗したがドンドン倒れ、やがて支配されていった。王族がいると分かれば命が危ないと、彼女は新開地を連れて星を飛び出し、移住できる惑星を探し続けて、やっとこの星、地球を見つけたのだという。それが数年前の話だ。その数年で彼女達は見事に地球に溶け込んだ。


「私達は、自分の惑星では力を抑制されていた。でも、地球の食物を摂取することで莫大な力を手に入れたの」


それが、ストロングリバーの起こりだと彼女は語る。カウンターの後ろでは寡黙な店主がグラスを磨いている。こちらの話などまるでファンタジーだと思っているのだろう、気にも留めていない様子だ。上沢は、状況を整理しようと、息をついた。





湊川の口から聞いた話はとてもじゃないが、はいはいと納得できるものではなかった。しかし、理解できないわけでもない。何故なら、今現実で起こっている事実だからだ。

上沢は溶けたコーラフロートのアイスを混ぜながら、頭を抱える。ここにいる4分の3が異星人だと誰が信じるだろうか。きっと、今この場にいる可愛いウェイトレスも、小難しそうなマスターも信じない事だろう。


「つまり、さっきの白髪の美少女は新開地先輩だったってことっすか?」

「そうだよ」

「夢が壊れるなぁ」


カランッと音を立ててコーラフロートのグラスが揺れる。新開地は「ごめんね」と笑った。色素の薄い髪が、窓際の光を浴びて輪郭を暈す。「儚いって。こういうことを言うんだろうな」と上沢は、溶け残ったアイスを口に含んだ。


湊川の母星と、ネヴァーウィッチーズの母星は、双子星だったという。しかし、ある日、ネヴァーウィッチーズ側の惑星に、かつて無い危機が到来した。巨大な彗星が惑星を直撃するのだという。その時、湊川の母星がとった行動は、双子星を住民もろとも犠牲にすることだった。自分の星に危害が及ばないことを考慮して切り離そうとしたらしい。それに怒ったネヴァーウィッチーズ側が反乱を起こし、惑星同士の戦闘が始まったのだという。しかし、元々戦闘民族でも何でもない湊川の母星の住人は結果的にドンドン倒れ、最終的に制圧されることになった。件の決定を下した王族のトップであった新開地の両親は、斬首されたのだという。


「危機的状況になったら、誰だって自分が一番可愛いってなるんだよ」


長田が遠い目をして窓の外を見詰めている。宇宙規模というとてもSFな話なのに中身は、ギリシャ時代の様な血生臭さで上沢は「うぇ」と舌を出した。「オリュンポスの神々も吃驚だろうな」と笑う上沢に長田は「ははは」と乾いた笑い声を響かせた。


「でも、さ。それなら惑星を制圧してそれで終わりじゃねぇの?なんで、ネヴァーウィッチーズは地球へ?」

「それはなぁ、結局双子星とも彗星に消し飛ばされちまったから移住先を探した結果、だな。移住先では大人しくしていたい穏健派と、同じように侵略したい過激派が、内部抗争してて……だな。俺は、穏健派代表だった訳なんだが……」

「穏健派が、侵略先の王族一行と同行してるってんで狙われているわけか」

「まぁ、簡単に言うとそんな感じだな。王族の生き残りが地球で学生として潜伏しているという情報は掴んでたからな」

「なーるほど」


妙に腑に落ちたのはゲームのし過ぎだろうか。納得して叩いた机がバンッと音を立てた。マスターと視線が合い思わず肩を竦める。「すみません」と小さく頭を下げる上沢を見て、湊川は小さく笑った。コロコロと鈴ような笑い声が可愛らしい。


「ところでさ、俺にとって最重要なこと聞いていい?」

「最重要?」

「いいけど、なんだい?」


首を傾げてなんだろうと顔を見合わせる三人に向かって、息を呑んだ様子の上沢は意を決したように声を上げた。


「今と、変身した姿、どっちが本当の姿なんだ?」


沈黙が流れる。なんだ?聴覚に反応しなかったのか?!と挙動不審になる上沢を視界に入れながら三人はプルプルと肩を震わせた。最初に噴出したのは長田だ。ゲラゲラと大声で笑い転げて床面に落ちていく長田を呆然と見つめる。何か、変なスイッチでも押してしまったんだろうか?壊れた長田を足先で突いていると、新開地と湊川も声を上げだしてしまった。


ええ!?よっぽど俺変なこと言った――!?


心の叫びは誰にも届かずマスターの咳払いの声で、みんなは何とか笑い声を止めた。一人笑いの原因が分からない上沢だけが、呆然と長田を踏みつけており、長田はそれを排していそいそと席に戻る。


「その質問には僕から答えよう。正しくは、どちらも正解ではないよ。僕たちは不定形宇宙人だからね」

「不定形……?」

「まぁ、簡単に言えばアメーバやスライムみたいなもんだよ。今は人の姿を取っているけど、これがこの星では一番楽だからさ」

「……聞きたくなかったです」

「聞いたのは君だよ?……まぁ、君の聞きたかったことを察するとすると、雌雄両性体。それが僕達の答えだ」


きっぱりと述べた新開地に他二人が「うんうん」と頷いているが、全く理解できない上沢は「そんな世界もあるんだなぁ」と考えることを放棄した。

これなら、湊川に「実は私、男だったの」と言われた方が1000倍理解できたかもしれないと思いながら、宇宙の広大さを痛感する。否、痛感したくはない。痛感したくはなかった。


つまり何か?あの惑星戦争の話はアメーバ同士の侵略戦争だったのか?


前提条件が崩壊して頭がクラッシュする感覚を味わいながら、上沢は残ったコーラを一気に飲み干した。理解するには時間がかかる。というより、人間の頭では到底理解できそうにない。

「ややこしいから、初めからそっちで現れてくれよ」という上沢の淡い期待は、目の前の三人の存在によってかき消された。

美男美女揃い踏みなのは、そういう理由なのかもしれない。


「顔がいいと、何かと便利だからね」

「初めは、地球人の顔の良さ、最初は理解できなかったから大変だったぜ」

「パーツが数ミリズレると終わりだもんね」


「うんうん」と、頷きあう三人を見て上沢は頭を抱えた。人体パーツの凹凸をパズルのように解説しないでほしい。持って生まれたものを模倣されたのだと言われると、不思議とざわざわを不穏な感じを胸の中で受け止めていた。

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