六十

色づく紅葉は見事に赤く染め上げている。

出仕が決まってから二度目の秋になり、はじめは右往左往していたものが、季節の移ろいにも目を向けられるようになったこの頃、冬野は両親とともに伊東家を訪れていた。


伊東家当主の左馬之介から直々に呼び出されたのだが、冬野にだけは用向きが伝えられていなかった。


高村家と伊東家は親子で交友があり昵懇じっこんな間柄で、気軽く出かけたのだったが、客室に入ったときの神妙な感じに、ただ談笑したいがために呼び出されたのではないと察した。


左馬之介は冬野の小さい頃から親しみやすい態度で接してくれていたが、今日の左馬之介は武家の当主然としていて、新之介までもがいつもの砕けた調子がない。

しかもひなまでもがこの場にいた。


「本日来ていただいたのは、冬野に大事な話があるからだ」


口火を切ったのは左馬之介だった。

話を向けられた冬野は、かしこまって左馬之介に向き合う。


「単刀直入に言おう。私の娘をぜひ妻に迎えてほしい」


冬野は思わずひなを見やった。

ひなは緊張した場に似合わずに、にこりと冬野に返した。


確かひなとは一回りほど歳が違ったはずである。

冬野が引っ掛かりを覚えたのは歳の差ではなく、ひなが婚姻するにまだ幼いからだった。


「これを機に、家督を冬野に譲ろうと思っている」


「父上が隠居をするのは早いかと……」


「旦那さまが家督を継がれたのは、冬野より一つ歳が下のときですよ」


やんわりと同意したのは蓮である。


「家格も人柄も問題はない。これ以上の良縁はないと思うが」


落ち着いている主計の様子からして、隣に座す連も、すでにこの縁組は知っていたようだ。

しかも了承しているのである。


狼狽うろたえているのは冬野だけであった。


「しかし……」


「私の娘では承服しかねるか」


いえと言ってしまえば、縁談を承知したことになってしまうのではと、さりとてひなに対して不服があるわけでもなく、冬野は何と答えたものか迷った。


「冬野、はっきりと申せ」


左馬之介の真剣な声音と目が、冬野に降り注いだ。

冬野も己の誠意を込めて見返した。


「なれば申し上げます。私には心に決めた人がいるので、この縁談はお断り申し上げたい」


二年前からずっと抱いてきた想いは変わらなかった。

何年かかってもいいから、そのただ一人を求めている。

たとえ伊東家からの申し出であろうと、受け入れることはできない。


「武家の婚姻は家同士が決めることだ。高村家に相応しい者しか、お前の妻としては認めん」


まだ主計は認めてはいなかった。

だがここで、屈することはできない。

どんなに世間知らずで幼いとののしられようと、捨てられないものだ。


「冬野、お主も出仕するようになって、武士の世界がわかったであろう。

身分が違えば、守りたくても大切な人は守れないというものよ。

改めて問う。娘との縁談、承知してほしい」


人に宿命というものがあるならば、自分は武士に生まれ武士の世界で生きていくことだと冬野は思う。

二年前にも嫌というほど身分の壁を思い知り、そして出仕を経験して、この世界に想い人を引きずり込もうとしているのかとも常に感じていた。

いざというときに、守り抜くことができるのだろうか。

その答えも定かではないままだ。


冬野はすべての想いを口にした。


「私が妻として迎えたいのはお千夜さんだけです」


ほっと吐いた息は、誰のものだったのだろうか。

左馬之介の強い視線は、いつもの穏やかな眼差しへと転じた。


「主計、蓮殿、聞いたか」


「しかと」


蓮もこくりとうなずく。


「冬野には言っていなかったのだが……」


左馬之介の声に合わせて、新之介とひなが立ち上がり、隣の部屋に面したふすまを開け放った。


血が逆流するような、金縛りにあったような、とにかく驚きのあまり冬野の身体が固まったのは、目の前に紛れもない千夜がいるからだ。


左馬之介の姉、富美に付き添われている千夜の身形みなりは武家の娘だった。

だが身形が代わろうと、他人と間違えるはずはない。


「姉の家に引き取られていた娘を私の養女とした。

名は千夜、れっきとした伊東家の、私の娘だ。冬野を見込んでぜひにと縁談を望んだのだが……」


「冬野はどうしても承知しないようなので、誠に残念ながら……」


「父上……!」


「お前は心に決めた者がおるからと、断っていたではないか」


「旦那さま……」


夫婦は笑い合って、息子を揶揄からかった。

そんな両親の姿を見るのもまれであったし、何よりいま起こった出来事に、胸は高まるばかりである。


「もう一度聞く。千夜との縁談、承知してくれるか」


つつしんで、お受けいたします」


うれしさのあまり、先に泣き出したのはひなだった。

それをたしなめる富美の目も赤くなっている。


静かな涙を流してきれいに笑った千夜と目が合って、今日までの想いが溢れ出す。

これからの想いは、毎年咲き誇る梅花の香りが教えてくれるだろう。

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