五十八

秋はあっという間に過ぎて、年の暮れも迫りつつある師走しわす

吐く息が白くなるほどの冷気が押し寄せる中、満月屋の厨房には熱気が満ちていた。


三人総出でいそいそと調理にあたっているのは、今日は貸し切りで祝宴が開催されるからであった。


先日、満月屋に訪れた冬野と新之介が、年明けから出仕が決まったと報告したのである。

それでぜひ懇意にしている春日屋にも声をかけて、内輪でお祝いの膳を囲もうと決まったのだった。


もちろん会場は一膳飯屋の満月屋で、今日は昼の商いを早々に打ち切り、祝い膳を丁寧に一つ一つ、真心を込めて三人は調理する。


はじめに満月屋の暖簾をくぐったのは春日屋の一行で、つゆが千夜に聞いた。


「荒木さまはいらっしゃるのかしら」


「お声はかけたんですけど、御用繁多な方ですから……」



音十郎が満月屋を訪ねてきたときに、千夜は祝宴に来てほしいと誘っていたのだが……


「せっかくの門出に不浄役人がいたんじゃあ悪いだろ」


罪人を捕らえる同心は不浄役人とさげすまれている。

ことに大身旗本ならばなおのこと、同心と好んで懇意にする者はいないに等しい。


けれど冬野と新之介は違った。

家の石高は二人の方が上だというのに、身分を笠に着ることもなく、音十郎を差別したりはしないまれな旗本と言える。


音十郎がなんやかんやと言いつつ二人に甘いのは、二人の心根を気に入っていたからだった。


「荒木さまが来てくださったら、お二人も喜ばれます」


「ふん、変わった坊ちゃんたちだ。お役目があるから行けるかは約束できねぇよ」


それでも行けないとは言わない音十郎であった。



春日屋の後には冬野と、新之介は妹のひなを伴って、一同は座に着いた。


膳の主役はぶり大根である。

ぶりは成長と共に名を変える出世魚であるため、武士の世界では愛される代物であった。

二人のための膳には、春日屋の差し入れであるぶり以外は質素な品で、それは冬野と新之介はいつもの満月屋の料理をと所望したためだった。


この日のために間に合わせて作ってくれた権六の器には、飛び跳ねる兎が描かれていて、千夜は言わずもがな、ひなと君も気にったようだ。


「今日は私たちのためにありがとうございます」


冬野と新之介は改まった態度で頭を下げた。

が、それも一瞬、目の前にある料理に鼻腔はすでにやられてしまっていて、すぐにその場は無礼講と化した。


年長者の太一が杯を取り、

「お二人の門出を祝って」

宴は幕を開けた。



「君、もっとお行儀よく食べなさい」


母にたしなめられている君の口周りには、ご飯粒やらたれが付いている。

美味しい美味しいと、一生懸命にかき込んだ証左だった。


隣に座っているひなが、そっと手ぬぐいを差し出して、君の口周りを拭いてあげた。


「おひなお姉ちゃん、ありがと」


武家の娘に口を拭いてもらって、内心あわてたおつゆだったが、ひなの方は気にしていない様子である。

普段は年の離れた兄に甘えるひなは、すっかりお姉さんをしていた。


「ひなもお君ちゃんと同じ歳くらいに、兄上に拭いてもらってたんだ」


「懐かしいな……もっと小さいときには、私の膝の上で食べさせてあげていたが、ひなは覚えていないだろう」


「お武家の方も、左様なことを……」


武家とは格式ばった作法にのっとっているという印象を抱いていた喜左衛門が、意外に思って尋ねた。


「私の家は特別です。父上のおかげで、堅苦しくない家風なのですよ」



宴が始まって四半ときは過ぎたというとき、役目を終えた音十郎が皮肉たっぷりで姿を現した。


「酒の飲めない坊ちゃんたちがいたんじゃあ、退屈だろうよ」


「俺らは先にいただいておりやす」


酒を好まない冬野と新之介は、特に冬野は二度と千夜の前で失敗はしないと、もっぱらお茶をたしなんでいる。

太一と喜左衛門はすっかり出来上がってきていた。


「さあこちらへどうぞ。お千夜ちゃん……」


かやが音十郎を席にうながして、千夜は徳利とっくりを音十郎の杯にかたむけた。


「今日も町廻り、お疲れ様でした」


千夜に注いでもらった酒を、音十郎は美味そうに飲み干す。


多忙な音十郎が宴の席に来てくれたことは感謝するし、うれしい気持ちもあるのだが……


「冬野、顔に出ているぞ」


「何のことだ」


むきになって答える冬野の様子に、かやとつゆは忍び笑いをした。

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