第15話 感情(アネモネ)


 覚醒剤の製造場は、かつて名の知れた傭兵団に所属していたレイダーギャングによって管理されていて、厳重な警備が敷かれていた。それにも拘わらず、拠点の守備隊は数時間で壊滅させられ、覚醒剤を製造するための設備も破壊されてしまう。


 襲撃者たちとの交戦は激しく、戦闘音に引き寄せられた人擬きの群れによって拠点は完全に支配されてしまう。そうしてメタ・シュガーの一大生産拠点となっていた基地は失われた。けれど拠点に残されていた監視カメラの映像を入手したことで、襲撃犯は特定される。


 銃弾や砲弾が飛び交い、武装した無数の多脚型車両が拠点を制圧していく映像の中には、白い大蜘蛛を連れた人間の姿が確認できた。


 組織の諜報員によって青年の名前が『レイラ』だと突き止められたが、スカベンジャー組合に所属する人間だと言う。


「ありえない」

 それが青年に対してアネモネが抱いた最初の感想だった。廃品回収を生業にしている一介のスカベンジャーに、レイダーギャングの拠点を襲撃するなんてだいそれたことはできない。たとえ〈姉妹たちのゆりかご〉に所属する警備隊の支援があったとしても、拠点襲撃の際の激しい戦闘を生き残れるはずがなかった。


 けれど青年は白い大蜘蛛と助け合いながら戦闘を生き延びた。

 青年はまるで大樹の森からやってくる蟲使いたちのように、大蜘蛛に指示を出し、会話を楽しむように笑っていた。


 蟲使いたちが使役している昆虫と話が出来るなんて聞いたことがない。仲間たちは青年の映像を見て、彼は狂人なのだと笑った。けれどそれは事実ではなかった。どうやら青年は本当に大蜘蛛と会話をしていたようだ。


 ハクと呼ばれる深淵の娘の声を聞いたとき、アネモネの心を支配していた恐怖が、すっと消えていくのが分かった。その理由は分からなかったが、身体が震えるほどの恐怖心や威圧感は消えてなくなり、途端に白蜘蛛が無害な存在だと認識させられた。


 そう、無害な存在だと強制的に認識させられたのだ。


 偵察ドローンのビーが言うように、その白蜘蛛が噂に聞く恐ろしい『深淵の娘』だということは理解していた。けれど薄いベールで真実を覆い隠すように、白蜘蛛に抱いていた恐怖心だけが、ぼやけて曖昧な感情に変化する。それはドラッグでも味わえない類の奇妙な感覚だった。


 アネモネが白蜘蛛の触肢を握ると、ハクは空色の鮮やかな頭髪を持つ女性にパッチリした眼を向けて、彼女の様子をじっと観察した。


 略奪者たちを襲っていた機械人形を処分して、その場から立ち去ろうとしたハクは、女性から不思議な気配を感じて立ち止まる。


 女性が〈レイラ〉の名前を口にしたのも、ちょうどそのときだった。

 レイラのことを知っていて、敵対的な意思を見せない人間なら安全だと思い込むことにしたハクは、好奇心を抑えきれなくなって彼女と話をしてみることにした。


『なまえ、おしえる』

 幼くて可愛らしい声が聞こえると、アネモネは咄嗟に自分の名前を口にした。


『あねもね』

 白蜘蛛は繰り返して地面をベシベシと叩いた。


「……私たちを助けてくれたのか?」

 アネモネが訊ねると、ハクは腹部を震わせた。

『ん、たすけた』


 大きな眼に見つめられてアネモネは思わず後ろに下がるが、すぐに感謝を口にした。

「ありがとう。助けに来てくれなければ、ヤバいことになっていた」


『ヤバい?』

「ああ、ヤバかった」

 ハクはクスクス笑って、それから地面に転がっていた機械人形のそばに向かった。


 アネモネの側にいたケンジは、強靭な精神で深淵の娘からの呪縛を解くと、警戒を緩めることなく言った。


「姉さん、大丈夫なのか?」

「ああ。それに理由は分からないけど、あの子は私たちと敵対していない」

「なぁ、姉さん。ドラッグに手ぇ出してないよな」


「まさか」アネモネはメタ・シュガーの注射器を隠すように、ベルトポーチに手をのせる。「なんでそんなことを気にするんだ?」


「なら、とうとう頭のネジが飛んだんだな。蜘蛛と会話するなんて正気じゃない」

「蜘蛛じゃない。ハクって名前だ」


「本気で言ってるのか?」

 ケンジが顔をしかめると、ひし形の小型ドローンが飛んでくる。


『深淵の娘と会話が出来たというのは、本当のことなのでしょうか?』

 ビーの言葉にアネモネはうなずいた。


「本当だ。頭の中で声が聞こえたんだ。私が嘘をついていないってことは、ビーには分かっているんだろ?」


『たしかに嘘をついていないようですね。しかしそれは奇妙なことです。軍の記憶によれば、特殊な装置を用いて〈深淵の娘〉の思念を受信することは可能とされています。しかしそれは承諾と拒否を示す簡単な意思表示で、たとえば念話のような、特殊な能力をつかった会話ができるという記録は残されていません』


「軍って、どの軍のことだ?」

 ケンジの問いに、ビーのドローンはカメラアイをチカチカと発光させる。


『現在の人々が旧文明と呼称する時代に存在していた組織のことです……それにしても、とても幸運なことでした。近くに深淵の娘がいなければ、アネモネさまの部隊は全滅していたかもしれません』


「逆に深淵の娘に殺されていたかもしれないけどな」

 ケンジの言葉にビーは疑問を持つ。

『どうしてでしょうか?』


「深淵の娘にとっちゃ、人間は餌でしかないからな」

『餌……ですか? 人間と深淵の娘は同盟関係にあるので、人間が攻撃されることはないと思っていましたが、私は間違っていたのでしょうか?』


「……同盟ね。にわかには信じられないが、それは大昔のことなんだろ? 時代は変わったんだよ。俺たち人間は奴らの餌でしかない」

『そうでしたか……』


「ケンジ!」アネモネが浮遊していたドローンを両腕で抱きながら言う。

「あまり私のビーをイジメないでくれ」


「そんなつもりはねぇよ。それより、これからどうするんだ?」

「どうするって?」


「エムの部下がまた大勢死んだ」

 ケンジの視線を追って道路に目を向けると、機械人形の攻撃で死体になった仲間が転がっているのが見えた。アネモネは溜息をついて、それから機械人形の残骸からガラクタを集めていたハクに注目する。


 白蜘蛛は綺麗に切断されていた回路基板を拾いあげると、しげしげと眺めて、その場に適当に捨てると倒れていた略奪者の側に向かう。


『ねむい?』

 ハクが訊ねると略奪者の女性はビクリと驚いて、それから瞼をゆっくり開いた。

「眠くない、死んだフリをしてたんだ」


『どうして?』

 桃花色に染めた髪を砂埃で汚した女性はひきつった笑みを見せると、跨がるようにして自分自身の身体に覆いかぶさっていた白蜘蛛を見つめる。


「食べられるかと思ったんだ」

『たべないよ』

 ハクは無邪気に笑うと、別の機械人形の残骸を漁りにいった。


「大丈夫か?」

 アネモネが手を差し出すと、女性は彼女の手を取って立ち上がる。


「わたし、ドラッグのやりすぎかなぁ?」間延びした口調で女性は言う。

「あの蜘蛛から子供の声が聞こえたんだけど」


 アネモネは肩をすくめて、それから白蜘蛛を見つめた。

「あの深淵の娘は、ハクって名前だ」


「ハクぅ?」

「そう。それより、あんたは無事なの?」


「もちろん」女性はトロンとした顔でアネモネを見つめる。

「わたしを誰だと思ってるの?」


「さぁね」


 ハクは適当な装甲板を拾い上げると、糸を吐き出して、お腹にペタペタと貼り付けていく。


『ん。これで、よし』

 白蜘蛛がそう言ってトコトコ歩き出すと、アネモネは慌てながらハクに声を掛けた。


「どこに行くんだ?」

『おうち、かえる』


「そうか……」

『バイバイ』


 ハクが近くの建物に向かって飛びついて、あっという間に姿を消してしまうと、それまで深淵の娘の気配に圧倒されて、恐怖で動けなくなっていた仲間たちが息を吐き出しながら座り込むのが見えた。


 白蜘蛛に対して抱いていた恐怖心は、ハクと会話することで消えてなくなるのかもしれない。もしもまたどこかで会えたら、ケンジとも会話してもらおう。


 アネモネはつらつらと考えながら、ハクが消えていった廃墟の街を見つめた。

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