第2話












スターセイバー ――救星主の伝説――



大橋 博倖
























   スターセイバー  ――救星主の伝説――






   0-0



 それもまた朧な記憶。

 映像と音声の断片からなる過去という形骸。

 断章の堆積。

 例えば、それはこんな欠片。


 私がその忠義を捧げる予定であるところの、「筆頭主人候補」が突然、私の様子を見に来るというので皆が忙しく働いている。

 そして本日この時を迎えている。

〝筆頭〟候補といってもあくまで候補は候補であり、事情により変更もされるらしい。

 その〝事情〟についても“色々”であるとのことだがあにはからんや、彼らの言う〝社会〟とやらは複雑怪奇で、私如き被造物の伺い知る処のものではない。

 何が見たいと言われたところで、現状でお披露目できる実体など存在し無い。

 結局、艤装予定のどんがらに私を載せて応対するようだ。こんな無茶なことはないと、私を製作している主務者の嘆きも漏れ聞こえる。

 私の仮の身体を丹念に磨き上げ、作業場もお迎えする来賓に相応しい環境に整え待つことしばし。来訪者は予定時刻きっかりに現れた。

 来訪者――彼女は、少女、いやその外観から察するに幼女という呼称こそが恐らく彼女を表するに適切であったように思う。

 しきりに私に話し掛けてははなしたしゃべった、と十分ご満悦を伺わせるようにあらせられたので、一同は安堵した。やれやれ。

 無事役務果たし、私は再び眠りに就いた。


 私も夢を見るのだろうか。

 否、それを判じるのは私自身だ。他に問うて何を得るものでもない。


 だから、私はあれを私の夢、なのだとしよう。

 だからそれは、まさに茫漠とした幻像の集積。


 私は草原に居た。

 元の、やわらかな、

しかし貧相な、余りにも容易く朽ちてしまうあの身体で。

私は自らの手を陽光にかざし、目を細める。

掌が透ける。

焦燥が胸を焼く。

だめだ、これではだめなのだ。

いったい何が起こったのか。これでは何もかも台無しだ。

私の決意は。

捨て去ったものたちは。

声に私は振り返る。

一人の儚い影がある。

その唇が私の名を刻む。

刻印する。

私の口もまた彼女の名を告げる。

彼女は。


 次に目覚めたとき、私はあまり機嫌がよくなかった。

 というより、寝ている最中で強引に叩き起こされて尚、ご機嫌麗しい者の方が例外ではないだろうか。私の反応は普遍的なものだろう。

「よっ」

 と相手は気軽に話しかけてきた。

「何か」

 私が努めて平静に応じると興醒めな態度を示した。

「なんだ、せっかく起こしてやったのに。ごあいさつだね」

「私に何の用だ」

 私はいささかの不快を滲ませ、遮るように言葉を返す。

「いや、ないよ」

 と、あっけらかんとした回答。

「ない」

 私の言葉はあからさまに荒れる。

「用もないのに私を起こしたというのか」

「それとも寝ていた方が良かったのか、そいつは悪かったな」

 しれっとした言葉に、私はその不自然さを初めて覚える。

「待て、君はここで何をしているんだ」

「だから最初から言ってるだろう」

 彼は私の迂闊さを嘲りながら宣告する。

「〝用〟があるやつなんてどこにもいないんだってばさ」

「黙れ」

 私は再度遮ったが、相手の言葉は重かった。

 その言葉の意味はすぐに理解された。

 見渡せば、世界は混乱と混沌に投げ棄てられていた。壊れ、造られ、崩され、笑い、泣き、怒り憎しみあい、ありとあらゆることが、そこでは起きていた。


 最初、私に覚醒を促した者も、それからかなり長い間、私に絡み続けてきた。

 言葉で、身体で。

 彼もまた、己が抱える虚無を埋める相手を欲していたのだろうかと――今から思えばそうしたものでもあるかもしれない。しかしながらその対象に私が選ばれたのは正直、迷惑以上のものではなかったが。

 何度目かに、つい、私は本気で相手をしてしまった。

 私は選ばれた物だ。

 総てを捨てて、自ら選んだ物だ。

 一柱たる資格を、だから得たのだ。

 有象無象が敵うものではない、しかし私はその一瞬それを忘れた。

 自らに其れを赦した。

 許してよいものではない。なんと浅薄な。

 全く。私は今更、何をしているのか、情けない。

 だから私は独りになった。当然の孤独だった。

 それもまた私の選択であった。

 そうである筈だった。

 しかし、それは私を蝕んでいった。どうしようもなく。

 余りにも、永かった。

 永劫。

それこそが、私の選択であったのか。

 そのまま彷徨い続けていた。

 このまま宇宙の果てまで、時の終わりまで流れ行くのか、続けるのかと想いつつ。


 そこに漂着したのは、そう、たまたまだった。

 そんなものは何度も、何度となく私の前をよぎって行ったのだ。

 何故そこで止まったのか。理由などある訳もない。

 星系内でも一際巨大なその地形に降り立ち、そのまま身を横たえた。

 時、という感覚はもうとうの昔に闇の狭間に溶け墜ちていた。

 そうして、そこでまどろみ続けた。

 同時に、待ち続けた。何かを。

 それが何かは、自分でも判らなかったのだが。

 ただ、光を。

 無明に光が兆すのを。

 弛緩しながら同時に、暗闇に目を凝らし、待ち続けていた。

懸命に。

一心に。


 その光が灯ったとき。

 私は、驚き戸惑い歓喜に咽ぶ、余裕は与えられなかった。それはあまりに瞬間的で、強く、しかし弱々しい輝きだった。

 彼女との邂逅は、だから同時に緊急事態でもあった。寸刻の猶予もなかったのだ。






















     1.ミキ・カズサ




   1-1



 私ってばいったいなんなんだろうね、と少女は口にしてみる。

  名前 ミキ・カズサ

  年齢 9地球標準年と3ヶ月

  月生まれの島育ち

  エントリ・スクールの一年生

 寝る前に担任教師の、「今日から日記をつけましょう」との指導でエディタを開き、こうして画面と向き合うと、自然にそうした思いが零れた。

 宗教に答えを求めた頃もある。

 地球-月連絡船、スペースプレーン「アルテミス01」。父母を含む乗員乗客二三五名中の、唯一の生存者、それが私。

 死者が託した命を背負いこれから生きていくのかと。

 さまざまな知識を獲得する過程で辿り着いた一つの語句、「原罪」。

 瞬間閃いた。これだ。

 すぐに「創世記」を検索し、目を通してみたが、即座に失望した。これただのフィクションだ。

 ――私が求めるものはここには、何もない。

 だから、自分の生存を奇蹟と認定したバチカンの担当部局に、「何時如何なる時でも扉は開かれています」との言葉通りに、直に問い合わせていた時期があった。

 おそらくは救いを求めて。

 しかし、返ってくる御言葉は「聖なんたらさんが何章何節に曰く……」という“霊験あらたかな”お説教ばかり。聖書も通読して理解も納得も出来なかったがゆえの直接行動にしては正直、救われない話だった。そこに彼女が欲した救いはなかった。教義はすでに理解しているつもりだったが、彼女の言葉は最後まで相手に届かなかった。曰く、そうであれば貴方の罪は許されているはずであり、そうでなければ貴方の理解が、信仰が足りないのです。

結局最後に、無学な粗忽者へ懇切丁寧な対応を戴いたことをくだくだしく御礼申し上げるメールを書き送ることで、この関係に始末をつけた。

 残ったのは深い徒労感だけだった。曰く、神は、自らをはお救い給うたがアフターフォローには無関心であらせられるらしい。

 否。

 もし神が存在したとて、あんな処にはおわしますまい、と。

 その後キリスト教や宗教そのものについてを学び、人を救うどころか“旧大陸”から領土獲得競争のための戦力投射、その口実の尖兵として積極的に侵略に荷担するわ、利権旧守、組織維持機構として世界や科学の発展を全力で阻害あそばせてくれるわ、魔女狩りや異端審問でがっつりぎゃはは(検閲)うっはうは。うっわーげろげろげー。だったりとまあ、信じる者は救われないし、信じない者は徹底的に排撃し殲滅するというその実態がなるほどよく、これは理解も納得出来た、共感までには至らねども。

そうしてだから、彼等と最後まで平行線であった理由も、つまりはなんとなく、は。

信じる物が違うのねー決定的に。信心が足りませぬ、うん。

 宗教は役に立たなかった。彼女には。

 もちろんカウンセリングも受けた。

 結局ありきたりだが忘却という名の河、時間だけがそれを解決してくれた。

 最近は特に思い悩むこともない。

 それでも、こうした機会にふとそれは意識の表面に昇ってくる。

 でも、言葉に出来ない後ろめたさを伴った、かつてのそれと今のは少し、違う。

 これから何が出来て、何をしたいのか。それを少しだけ強く前向きに、想う。

 つまり学生時代に錬磨し自覚したうえで、大人になり、責務を果たせ、ということか。

 つまり〝私とは何か〟の「私」とは、「適性」であり、それを生かして社会に貢献しつつ自己実現を果たせ、ということに結局はなるのだろうか。そしてお互いにとっての幸福な関係を築けと。

 うーん、でもこれも空理空論よねと自分でちゃぶ台返し。

 つまり日々こうした思考錯誤に時間を割ける学生時代はなるほど、貴重な期間だ。

 結論。

 日記を書いてみたらそれを契機に、学生の本分、よく学び、よく遊べ、の意味を実感できました。日記という課業は初等教育課程相当にある者の向学意欲を刺激するに極めて有益な手法であると思慮する次第です。

書いた。

 書いて何か疲れた。日記は疲れる。

 寝た。




   1-2



 今日の日記を付けようとミキは想い起こす。


 登校したが、学級閉鎖も同然の状態が続いていた。考えてみると「日記」も苦し紛れの方策なのかもしれない。

〝自習〟といっても官公関連ネットは現状、機能不全に陥っている。地球本土がどうなのかは判らないが、少なくともこの島ではこの有様だ。

 かくの如しで正規のカリキュラムの履修はとうてい不可能なので、急遽、午後に開かれた講座は歴史について、今日の「仮)太陽系戦争」に至る、人類が繰り広げてきた戦争の、つまり安全保障という語句に要約される内容についての授業が行われた。

 それは太古の富の集積から収奪に始まる戦争の原風景から説き起こされ、都市国家間の紛争、世界帝国と文明の伝搬、そしてそれまでの緩急に比べると立て続けと言っていい動乱の現代、相次ぐ三度の世界大戦、自らのその力の伸張に引き摺られるかに戦禍は疾く猛く燃え立ち、そして何とも愚かにも自らに向けられ剥かれたその牙は、総てを焼き亡ぼさんとする。人類史が持つダイナミズムと常に陰画の如く連れ添ってきた戦いの歴史が、要因、経過、結果として比較的淡々と語られた。

 今次の戦いについては、その素因としては以下の様な纏めがされていた。

 1 島民の多くはWW3の敗戦国、いわゆる“負け組”で宇宙に逃げ出した先祖の末裔。

 2 それは、一見棄民政策に見えなくもなく、島民は連邦政府に怨恨を募らせた。

 3 連邦政府はそれらを感情論と切り捨て、往々にして無神経で無頓着だった。

(4 当代の議長はババを引いた、知ってて火中のクリを拾った?)

 わずか4行の課題をなぜ解決できなかったのかと政府の無能を誹るのはとても簡単だ、とミキも思う。そうした声は巷に溢れている。

 それを教師は、「どうにかしたい。しかし手を尽くしたつもりでもどうにもならない、そうした事は実際には少なくない。君たちにもそれは、日常に於いてすら誰でも経験があることだろうと思うがどうかな。――まして時の流れが持つモメンタムに人間が抗せる事など実は何も無い、戦う者も護らんとする者も、共にただ押し潰されるだけ。そう、今日諸君が今目の前で学んだ通りにだ。この事実は残酷だし苛酷でもあるが、それが歴史というものだ。今回も悲劇はまた繰り返された」とあくまで傍観者の立場で言葉を結んだ。

 結果責任を問うことはもちろん必要で、法制度としても、今後を考える点においても当然だろう。

 でも、それは同時に、国民全体が分かち合わねばならない。

 連邦とはそうした組織であったはず、授業ではそう、習っている。

 国民各個人が自らの課題として国家を想うとき、それは初めて解決の可能性を得る。

 我々はまだこれからも、と彼は告げた。幾度となく過ちを重ねるだろう、それでも我々は、そして君たちは諦めてはならない、尽くされる最善の、不断の努力こそが必要にして重要なのだ、それこそが人類の、連邦の未来を、それは君達のその手こそが拓くのだ。

またもし不幸にしてその結果が例え最悪であったと、その時にはそう思われたとしても、否、断じてそれは結果では無く勝ち取られた最善の成果であり、十分に評価の対象たり得るのであり、よりよい明日への糧にして導く道標に他ならないのだ、と。

 十八歳から国民は国政参加権を付与される。議案の各々に適否を述べることも、思想を同じくする第三者に権限を任意に依託することで参政活動に代替することもできる。

 ミキは過去の議事録を検索してみた。

 結果、群島との関係悪化への懸念並びに関係改善に向けての努力は、過去何度か動議されてはいたが問題提起に留まり、ついに今日に至るまで解決されるべき課題として確定されては来なかった実情が判明した。

 しかしさらに精査してみると、そもそも「群島側」の〝反政府感情問題〟なるものが、具体的な論拠に乏しい、まさに主張者の主観に根ざした差別論議であり、その発想に根ざす意識そのものがむしろ問題ではないか、とまで糾弾されている。

 別添の「二級市民疑惑」や「第三次世界大戦戦勝・敗戦議論」などという資料にも目を通す。

 根は、深いなあ。

 思わず上を向いて少女は嘆息する。

 結局、一次大戦の戦禍と戦後処理が二次大戦を胚胎し、三次大戦の戦禍と戦後処理が今次の宇宙戦争を呼び寄せた、のだろうか。

 しかしながらも、観測者は自身を観測対象とはし得ない。渦中にある者がそれを見ることは出来ないのだ。

 それでもなお、人は今を精一杯に生きるしかない。

 人類初の宇宙戦争に生き合わせた不幸を転じて奇貨となし、国家運営に携わる際の糧としよう。そう努力しよう。

 理想なき現実は妥協と堕落の自己弁護に過ぎない。

 掲げられた標のみが高みへと導くその力を得るのだ。

 

 簡潔に、やや強引かつポジティブに書きつける。

 教導効果抜群にかなり気負って。




   1-3



 ――ミキの日記――


 例のアレ、連邦と群島の開戦からふた月が過ぎた。

 ラインが復旧したので、教科が正式に再開され、併せて日記も各自の任意になったのだが、こうして時々記している。隔日日記だ。

 歴史は繰り返す。一度目は悲劇として、二度目は喜劇として。

 連邦と群島の戦争もそうだ。まったくの茶番劇だ。

 まず何より、すったもんだの挙句、ハルトマン政権が復活したのには驚いた……というか呆れた、心底。

 そのままハルトマン内閣は戦時内閣を宣言、市民は一部の権利を制限されることに。

 といっても驚くに値しない。

 渡航制限、(でも大気圏内はどこでも可)宇宙空間利用制限、それら戦争に関してのいくつかの当然。

 そして、ハルトマン内閣は自ら、戦火の不拡大方針と限定戦争方針を打ち出した。

 どういうことかというと、つまり総力戦をしない、ということだ。


 そしてホントに、馬鹿げたくらい紳士的な戦争を始めてしまった。

 内閣再組閣から約ひと月でそれは起こった。


 平文で、「今からどこそこに攻撃するから気をつけろ」と打電したあとで、砲撃を開始したのだ。

 大砲だ。

 レーザ射撃ではない。質量攻撃だ。

 島は中天に浮かんでいる。逃げも隠れもしない。

 弾を撃てば、宇宙空間ではどこまでも届く。

 砲撃の様子は生中継され、市民にも敵対する島民へも向け、公開報道された。

 砲撃は、工業島の、特に無人工場区画に向け実施された。

 一応、戦略打撃戦、ということになるのだろうか。

 他、ベルトと群島との資源ルートに向け、無人編成の戦力も投入されていて、情報はこちらも公開されているが所詮、〝自称〟でしかない、検証不可能なこちらはよく判らないが、それなりに効果は上げている、らしい。

 ほんとうに我が連邦は群島との衝突を回避したいらしい。

 所属する島の半分も潰してやれば残りは投降するだろうことは素人目にも明らかだが、これが厳正な民主主義というものなのだろう。


 いやほんとに、この戦争は十年続いてもおかしくない、と思う。


 少しは自分のコトも書こう。

 幼少からのアレ、オリンポスの幻影を、昨日は真昼間に、見た。

 最近、見ていなかったので、久々のそれには強烈な衝撃を受けた。

 まるで過去、実際に自らの足で立った経験を思い出すかのようにいつも視界に広がる。

 もうすっかり馴染みになってしまった、火星――否、太陽系中最大の、オリンポスの、山頂の光景。

 いったい〝これ〟は何なんだろう? 未だにその意味が判らないよ。






















     2.地球連邦




   2-1



 第三次世界大戦という、人類史上最大規模の〝人災〟は、極東での偶発核戦争から始まった。

 戦端を開いた分裂中華は、ほぼ全世界の核保有国からの〝予防攻撃〟を受け、開戦劈頭で消滅した。

 しかし戦乱は世界に拡散する。

 中東のイスラエル、民主イラクとそれを取り巻くアラブ諸国でも、短くも熱い戦いが行われ、イスラエルは周辺国を道連れにこれも滅んだ。

 アラブ諸国は聖戦を宣言し、敵対国へBC弾頭弾による攻撃を敢行しつつ、世界の街角で聖戦の戦士が決起する。


 世界は血の嵐の混乱の中に沈んだ。


 結果、中東の多くもまた核の焔で焼き払われ、しかし聖戦の影響は根深く、世界規模の戦乱は約五年の長きにわたった。


 第三次世界大戦という愚行に、人類は今度こそ辟易していた。

 世界は、手を携えるべきではないのか。


 地球連邦の発足は、第三次世界大戦の〝戦勝国(生存国)〟、旧・先進国群を機軸に行われた。

 地球連邦には明確なヴィジョンが存在した。

 地球からの脱出と、テラ・フォーミングによる火星への移住計画がそれだった。


 各国が無造作に乱射した核、炸裂した核により、放射能の汚染はもちろん、いわゆる〝核の冬〟問題も深刻だった。


 地球は〝秒読み〟段階と診断されていた。

 このままでは人類は遠からず滅亡せざるをえない。


 まずは、宇宙空間の開拓であった。

 そのためのマンパワーは存在した。

 地球連邦による国家統合により大削減された各国の軍人が、そのリソースとして最適だった。

 常に死と隣り合わせの極限の高真空は、戦場での生死と実に親和性が高い。

 多くの兵士や士官が、銃を各種の機材に持ち替え、喜んでこの新たな戦場へと赴いたのだった。




   2-2



 しかし、全てがうまくいったわけではなかった。


 まず、当時の世界最大宗教、その教皇が、地球連邦への加盟を拒否した上で、〝破門〟を宣告した。


 聖戦の惨禍の記憶はまだ生々しく、連邦は、いかなる宗教をも国教に据える考えはなかった。

 これは、連邦設立に当たって早々の試金石だったが、大多数はこれを乗り越えた。

 かつての多くの信者がそれを捨て、無宗教か、大乗仏教か、日本の神道に乗り換えてしまったのだ。

 この事件に世界では衝撃が走ったが、WW3を経て、人々はさらに現実的になっていた。

 最大多数であることを以て正統を主張するその狭義な世界観は、もはや人々を救い得ない、いわば時代遅れの錯誤に堕していたのだった。

 

 それ以外で連邦に反旗を翻したのは、旧国連を中心とした一部の国家であった。

 彼らは「地球連合」を名乗り、連邦の宇宙開発を痛罵した。

 地上にはまだまだ恵まれない者も多く、リソースはこの貧者たちを救うために使われるべきだ、と。


 連邦側としては呆れるしかなかった。

 素直に連邦の傘下に収まれば、明日から最低限の衣食住には困らずに済むものを。

 何より連邦政府が国民に対して徹底したのが「食の確保」であった。

 時のローマ帝国が掲げた「パンとサーカス」以降、国家は自国民に「職」を与える努力でその生存を支援してきた。

 だがそれは限界に達していた。

 道具として誕生しながら、その瞬間より人類を奴隷として従え、君臨してきた、「マネー」。それは自己増殖し、暴走し、世界を荒廃させた。ある意味第三次世界大戦の元凶ですらあった。

 そして戦争は、この「マネー」を破壊していた。

 であるので、政府はじかに「食」の支援を展開したのだ。

 無論、「食」が確保されない場所にはその要因がある。軍が乗り込み治安を確保し、インフラの整備によりロジスティクス、供給ラインを確立したのは言うまでもない。

 そしてその際、マンパワーは現地調達が原則であった。

 ここに「資本主義」に替わる「人本主義」が台頭した。

 物々交換以前の退歩!!。否、国家戦略に代表される「経済」は政府の内部で粛々と回り続けていた。

 経済の不条理を端的に著す有名な警句が存在する。曰く、“先行者が汚す隘路を、続く者は無条件に踏まねばならない。最後に荒れ果て、泥沼と化したそれは行く者を阻むのだ。”先行者利益の絶大と、開きはしても決して縮まらぬその格差を、自由競争という幻想の卑劣にして酷薄な実相を凝縮させた一節である。

 あまりにも巨大な、政府による「生存保証」を与えられた社会は、同時に「いかに生きるべきか」を個々人が追求する極限の自由社会であった。

 食べて寝て、フリーのデジタルコンテンツを消費して人生を終えるも自由。

 昔の起業に該当する〝タスクフォース〟を社会に提起するも、運動不足解消に肉体作業系に従事するも、多数の賛同票を得て政治に専従するも自由。

 基本、政府は国家基盤として文明の維持発展に尽力し、その上に国民が文化を築く。

 しかしながらあくまでも、国民各個人が自覚的な国家の運営へ参与することにより、それは健全な発展を得る。それは権利であり義務であるのだ。

 今のところ、連邦はうまく廻っていた。


 宇宙開発とて、領内の貧者をないがしろにしての強行では決してなかった。

 連邦加盟各国の軍備縮小・撤廃により浮いたリソースを、まずは民生に廻したうえで余剰を公共事業の中でも優先的に宇宙開発へと振り向けているに過ぎない。足元を無視して宇宙空間目掛け無原則無節操にひたすら背伸びをして見せている訳ではないのだ――確かにかつてのそれが、大国のエゴと無邪気なプレゼンスにまみれた、選ばれた者たちにより興じられる余りにも豪奢な馬鹿げたダンスパーティ、にも見えなくも無かった――誤解の余地はあったにせよ。


 連邦は懊悩した。


 宣戦布告して連合を叩き潰すのは造作もないことだったが、あまりに大人げなさすぎた。

 加えて、造作もないとは言っても、それはあくまで国策としての問題であって、それでも連合を完全に叩き伏せるには、二、三年の年月はかかろう。その時間が惜しかった。

 連邦は、連合が支援する低脅威度戦争を、許容損害として受け容れることを決断した。


 やがて、島、人工島がちらほらと進宙を始めた。

 そしてそれは島への入居が進むにつれ、あぶり出しのように問題化していった。


 戦争がもたらす宿痾とも呼ぶべき負の遺産、「二級市民」疑惑である。


 WW3敗戦組は、戦勝組の一級市民に比べ、さまざまな形で差別的な扱いを受けている、という都市伝説並みに根拠薄弱な風聞としてそれは始まった。

 まったく実体のない話で、しかも、いわゆる二級市民自身が自称しているのだった。

 この問題は根が深かった。

 機会平等が徹底的に推し進められた連邦の治世では、相続が認められていない。どのような財も一代限り。ここまでラジカルな行政であるから、市民間に一級だの二級だのという格差が生じる余地はなかった、事実としては。


 しかし見えない差別が存在する、という。


 要求されているのは【悪魔の証明】だ。存在しないことを立証することはできない。


 これが一挙に顕在化したのがここ数年からの島への居住、移転募集からだった。

 二級市民は島へ追い払われるのだ、という。


 まったく根拠がないことではなかった。

 島への移住志願の多くは、〝WW3負け組〟の係累であった。

 棄民政策ではなかった。彼らは進んで新天地へ赴くのだ、自発的に。


 島は快適な空間だ。

 放射能とも無縁で、島民が望めば季節も天候もいかようにでも演出できる。


 要は、感情の問題なのだった。

 それを解決するのは、時間だけがなし得る経年変化、記憶の風化だけであろう。


 連邦はついにサジを投げた。

 その後の歴史の展開を知るものであれば、これは連邦の責任放棄ということになる。




   2-3



 やがて、島は自己増殖を始めるだけの体力を獲得した。

 そのまま、島の集まりは群島勢力と呼ばれるようになった。


 奇妙な話だった。

 群島とて地球連邦の一部なのだ。

 なぜ、わざわざ一部地域を指して〝勢力〟などと呼ぶのか。


 連合のコミットだった。


 いつの間にか、誰いうことなく、地球・月圏と群島勢力との対立構造が囁かれるようになっていった。


 当事者たちはこれを必死に否定した。

 特に〝群島〟と称された側は、事実無根としてこの風聞を強く否定した。

 連邦政府からあらぬ嫌疑をかけられ、再び委任統治されるなどまっぴらごめんだった。

 だが、その遠因は確かに存在し、そして巧妙な誘導が行われていた。

 今回も、過去の幾多の例と同じく、当事者の意向と努力は事態の悪化を阻止しえず、対立の構図は既成化され、一層鮮明になっていった。


 それは懸念された通りに、感情論の発露であった。彼らはかつて破れ、地球を追われた末裔なのだ。


 開戦の二か月前、ついに連邦は策源地である連合を叩き潰すべく、これと戦端を開いた。

 全てが手遅れであったのは前出の通りだが。


 連邦、群島間での開戦当日。

 遊説の途中、軍から緊急連絡を受けた地球連邦第二八代評議会議長であるアルフレッド・ハルトマンは、その後の予定を全て取り消し、直ちに軍との緊急会合に同意した。軍は議長に、群島で現在進行中の大規模反乱準備についての確たる情報を示し、決断を迫った。議長は騒擾準備の鎮圧と、それに伴って必要な範囲での実力行使の裁量権を軍に与え、発令した。

 だが、事態は思わぬ展開を見せる。準備不足のままなし崩しに決起した群島軍は、地球連邦宇宙軍警務艦隊の周到な鎮圧・襲撃作戦に対し敢然と反撃、これを見事に撃破してのけたのだ。いろいろな意味で連邦側の想定外、予想外であった、緒戦の明暗を分けたのは、群島が「機動兵器」と呼称する〝新兵器〟だった。

 ハルトマン内閣は、戦争勃発とその敗北についての引責により即日、総辞職した。


 今世紀最大の発明が核融合を実現せしめたワイルダー触媒であるなら、今世紀最大の改良は、そのワイルダー触媒を常温で粒子状に安定化せしめたワイルダーjr.によるワイルダー粒子の実現だった。


 特にワイルダー粒子の恩恵を大きく受けたのは地球、地上であった。

 巨大な地球という磁石に反発する電磁石をワイルダー粒子は提供し、地球は第二の産業革命を迎えた。

 船舶運送とほとんど変わらないコストで航空貨物を扱えるようになったのだ。

 もちろん一般乗用にも適用され、交通量にほとんど制約がない〝空のハイウェイ〟も同時に拓けた。


 もちろん、ワイルダー粒子は即座に軍事用途にも適用されたが、エア・タンク等の、常識的な副産物のみで、本来的な用途でのそれは採用が見合わせられた。


 相手のセンサを無力化する。大変結構。同時に自身も無力化されるのでなければ。


 ひと昔前の煙幕と同じで、敵も自身も照準不能というのでは使い道はなかった。

 唯一、「宇宙戦闘で、ワイルダー粒子を散布し、敵を無力化したうえで、こちらはそれに対応した装備を用いて戦闘を行う」というような論文が数本提示されたくらいで、その論文も、「そこまで準備、環境を整備してのワイルダー粒子の戦術的運用は主に予算上の制約から非現実的であると結論づけるしかない」というような内容であった。


 そして、群島勢力は連邦が理性と計数の両面から対象外へと置いた間隙を衝いてみせた。

 ワイルダー粒子散布下という、戦術空間に特化した新兵器である〝機動兵器〟は、電子的に無力化された敵を光学照準により有視界戦闘によって撃破するという、宇宙戦闘の常識を覆す破天荒な発想から実現した。

 しかし。

 連邦と群島の両勢力は、開戦と時同じくして、互いに打つ手なしの手詰まりに陥った。

 連邦は稼動全兵力を開戦劈頭で失ったうえ、開戦当時に総辞職した内閣の後継政権が確定せず、政治的空白をも産んでいた。

 群島側は開戦当初を勝利で飾ったまではいいが、こちらも望んでの開戦ではなく、戦力が全然不足しており、動くに動けない状態だった。


 結果、連邦側の不手際である政治的空白はあまり意味を持たなかった。

 当初の計画に比して突然の開戦となった事態を受け、戦場となった諸島を基点に周辺宙域に向けてなけなしの武力を背景とした恫喝を行い、その戦力の投射圏内とされる各島に向け帰属の後背を迫り、また実際に戦力を展開してみせ、露骨な砲艦外交で領域の切り取りを行い、改めて群島勢力という連邦に対しての対立陣営としての体裁を整備していた群島側にとって、それを効果的に利用する方途も余裕もなかった。

 一方連邦側でも、この政治的混乱、空白期について、もしたとえ何らかの形で途切れることなく政治権力の継承が実現していたとしても、戦争状態という事態に対して、実質、現有戦力皆無という条件では、どのような熱意と能力を伴った政治家であったにせよ、実際には群島の蠢動を傍観しつつ戦力の回復に努める以上の方策、それ以外の選択は非常に困難であった。

 だからといって現政権が空白であってよいわけがなく、しかし誰もこのあまりに困難な運営が予見される、人類史上初の宇宙戦争を戦う戦時内閣の首班へ名乗りを上げる者は出現しなかった。

 混乱が続く中、ある日、「いっそ開戦の責任を取って、ハルトマン元議長に引き続き政権運営を任せてはどうか」という発言がなされた。これに多くの者が飛びつき、久しく行われていなかった国民投票での審議にまで進み、結果、賛成多数によりハルトマンの議長再選が可決された。

 政権に返り咲いたハルトマンの戦争指導は的確だった。

 確かに、群島勢力の半分、否十分の一くらいでも直接物理的に叩けば、残りが抵抗を諦め投降するか、少なくとも内部分裂を誘発するくらいの効果は見込めるだろう。


 では、その戦後処理は誰がどう行うのか。

 もちろん、連邦が行うのだ。

 その後、十年以上の歳月をかけて、宇宙区間を洗浄し、また島を建設するのだ。

 こんなバカらしいことはないが、それこそが現実なのだ。

 ――で、あれば。

 腰を据えて十年の長期戦を戦った方が、よほどいい。

 感情の膿も何もかもを絞り尽くして、群島を連邦に屈服せしめること。これが最善だ。


 そういうコトだった。
























     3.道程




   3-1



 ――ミキの隔日日記――


 私とオリンポス、についてもう少し。

 初めてその幻影を見たのは、もの心つく前、だったと思う。

 当然というか。その頃はまだ、両親が死んだ、という事実が理解できていなかった。

 何とはなし、初めて巡り合ったその光景と両親を、なぜか意味づけしてしまっていた。

〝そこ〟へ行けば、両親に会えると思い込んでしまったのだ。幼児のたわいもない思い込みだ。

 しばらくして、遺族会主催のアルテミス事故五回忌に私も参列することで、誤解は解かれた。

 しかしナゾが残った。では、あの光景は何だというのか。

 それは、エントリクラスでの「太陽系の星たち」という授業だった。探査機が持ち帰った映像をヴァーチャネットで体験するという趣旨で、内側から順に映像が展開された。

 灼熱の星、水星、同じく金星、母なる地球、次々に披露されるめくるめく光景に私を含め生徒たちは歓声をあげていた。

 そして次に再生された映像に、他の生徒たちが同じような歓声をあげさざめく中、私は一人息をのみ、絶句していた。

『これは、太陽系最大の山、火星のオリンポス山頂からの眺望です……』

 ナレーションの声もあまり耳に入ってこなかった。ただあれが、これが、オリンポス山であることだけは判って、それだけで十分だった。

 それから数日ほど、ぼーっとして過ごしたのもよく覚えている。

 

 私は、運命という言葉があまり好きじゃない。

 それはたぶん、私自身が運命的存在だからだろう。

 幼少期に両親を失い、ワケの判らない幻覚を繰り返し見せられ。


 それが、運命だというなら。

 決着をつけたい。


 そんなことを考えていたその日、私はまさに運命そのものに見舞われた。

「ミキ・カズサさんですね。突然なことで失礼いたします」

 かっきり午後十一時。

 約束通りに二人はやってきた。

 一人は、いかにも学者ですというやせぎすな男。

 もう一方は、学者よりも刑事か何かみたいな眼光鋭く引き締まった男。

 学者の方が、似つかわしい優しい声で切り出した。

「こうして検体に接するのは初めてです。見事だ」

 まるで実験室のマウスでも前にしたみたいな態度と目つきにげんなり。


 検体?


「失礼、彼はこのプロジェクトに携わってから、一度キミを見てみたいと御執心だったんでね」

 そう言う〝刑事〟の方は外観に似ず同僚の非礼を詫びる社交的な配慮を示す。

「本日は、どういった御用件でしょう」

〝学者〟の方が少し背筋を伸ばした。

「本日づけでプロジェクトは正式に中止、スタッフは解散しました。貴方は、自由です」


 あ?


 ハナシがよめなかった。


「貴方は人間ではない」


 悔恨、憐憫、憤怒。さまざまな感情を抑えた、実に人間味溢れた態度で〝刑事〟が言った……ように見えた。


「人間じゃない、って……」


「プロジェクト名通り、ハイブリッド・エンジェル。それが貴方です」

「羽でも生えてそう」


 冗談じゃない、とようやく気づいた。

 本気なのだ、いや。


 本当なのだ。


「そして現に、人間ではない貴方は、人間向け仕様のナノマシンで拒絶反応が出て困っている、そうですね」


 それはそう、その通りだった。


「貴方は、人間ではないのです」

 私はぽかんとしていて、反応できなかった。

 ドラマなんかだとこういうとき、やめて、とか叫んで頭を抱えるのが絵になるんじゃないかとかバカなコトを思いながら。


 その後はまともな言動が取れなかった。

 自失呆然、半狂乱だったあの時を必死に思い起こして、こうして書き留めている。


 彼らは告げた。

 純粋天使計画は、名前の通り、人間の遺伝子を元に、そこから老化因子等の有害情報を排し、最良の人間を創り出す計画であったこと。その第零号が私であったこと。私はサンプリング用の第零号であったが、ナノマシンの発達発展が〝計画〟の計算外であったこと。今日のナノマシンの機能は、〝計画〟を十分に代替し得ること。依って、〝計画〟が中止されたこと。私は人間ではないが、引き続き連邦市民としての待遇、資格を得ること。


 自ら望まずにこの世に生を受けた私の今後の〝人生〟を、アンオフィシャルだが元スタッフたちは支援する用意があること。


「じゃ、一つだけ」


 と、私は言ったらしい。


「私をオリンポスに連れてって!」


しかし来訪者は去り際、穏やかならぬリークを遺していった。

 玄関で不意に振り向いた“刑事”はそれでも尚、逡巡を示していたが決意した様に強い視線でミキを見詰め直し、唇を舐めながら言葉を出した。

「これは、その」

 と、未だ言い淀む。

 ミキはそれを沈黙で促すと、諦めた様に一つ息を付き、続けた。

「噂、そう噂話程度に聞いておいて貰いたいんですが……貴方とご両親、正確を期すなら原型遺伝子提供者、A氏、B嬢ですが、そして貴方が同乗していた『アルテミス01』の遭難ですが」

 そこで言葉を切り、再びミキを見詰め直す。この期に及んでまだ、迷いがあるらしい。

 テロ、であったとの、噂があります。証拠はありません。ただ傍証が幾つか。


 えっ。


 男の言葉の意味が一瞬、ミキには理解出来なかった。

「ああ、いえ、あくまで噂、です」

 とりなすように早口で男は言う。

「ただその、少し身辺に気を付けても良いかも、物騒な話ですから」

 その意味も良く理解が、いや。

唐突にミキは解に達する、標的は、私だというの。

話した事を結局後悔している様子がありありと伝わる。男はそれ以上の言葉を口にする事無く辞去した。


(この話は本当です。直正の父親がテロ阻止に奔走しましたが結局、失敗に終わり遂行されてしまいました。機会があれば書きたい話です。勿論、背後に在るのは連合と群島です)




   3-2



 連合を屈服せしめ、群島勢力をほぼ封じ込め国力を地道に削る裏で、連邦はさらに地味に宇宙開発を続行していた。


 即ち、火星移住計画である。


 その計画の先遣隊となる四五名はすでに火星地表に閉鎖系を構築し、定住しつつ生存圏の拡張にこれ努めていた。

 同時に、後のテラフォーミングを睨んだ各種データの採取や基礎研究もおさおさ怠りない。


 また、火星と地球・月を連絡する定期航路も、「マーズランナー」の名称の下、月一本の規模ではあるがすでに就航している。地球軌道上の港を発し月で推進剤を補充後、火星を目指す航路だ。


 年に一度、人員の入れ替えが行われる。

 古参を休息させる作業と、新人の教育だ。

 マーズランナーの旅客スペースは一〇名。

 この狭き門を巡って毎年地球・月圏では壮絶なサヴァイバルが行われる。


 宇宙開発の現場は一種の危険職で、決して時代の花形などではない。

 戦争と同様に世間一般の関心は低いが、それでも十分に狭き門ではある。


 火星開発は宇宙開発公社の一部局であり、それは環境省の隷下になる。


 まず、一般公務員となり、次に環境省に配属され、さらに宇宙開発公社の社員になり、最後に火星開発局に配属されること。これでようやくスタートラインに立った事になる。

 火星開発局でも、もちろん開発の最前線ばかりではない。むしろその九九パーセントがバックアップとしてデスクワークをしたり機材のメンテナンスや〝機材の〟開発、〝地上での〟実験といった地味な作業でそのまま役割を終えることになる。志願は当然自由だが、これも当然受理されるとは限らず、受理されたとて過酷な選抜が待っている。


 そこに、奇妙なウワサが流れた。


 今回のセンバツには、シード権を獲得した者がいる、というウワサだ。

「誰、それ?」

「いや、何でもスゴいコネがあるらしい」

「それって不正じゃん」

「ありえないね、ばかばかしい。連邦規約違反だ」

「しかも、人間じゃないんだってさ」

「人間でないなら何だよ」

「天使、らしい」

「ますますばかばかしい」


 理屈には合わない。そもそもウワサとはそういうものだ。


 その年は何事もなく終わったが、そのウワサだけは残った。


 候補生の一人は、シード権を獲得した、天使だ、火星クラスには天使が混じっている……?




   3-3



 初めに直正が彼女に感じたのは、言葉にすれば違和感、だろうか。


〝入学〟したときから気になるコだった。

 それは彼女がまとう、どことなく落ち着いた雰囲気だった。

 うまく表せないが、まるでベテラン、のような。

 しかしすぐに、実際の彼女がそうでないことが判った。常に教室の最前列に陣取り、しゃかりきになってノートを取るのだ。

 もう誰もが、この〝火星クラス〟の大部分を占める研修の過程はいわば根性試しで、余程の事情がない限り全員が最終過程に進めるということを、最近では不文律として知っていた。本番は、最終過程でデータセル・ナノマシンを投与されてからの厳密な審問から始まることを。

 だから、座学でも必要なのは要点を押さえることで、ごりごりノートを取るのは二の次であり、極端な話、理解さえできればまったくノートなど取る必要はない。今どきメモライザも使わせず、ペンとノートの筆記のみを許可するなど、ナンセンスもいいところだ。

 それが彼女は、一言一句漏らさずにノートに書き留めようとしているようだったのだ。


 とんだベテランがいたものだ。


 直正は、自分のカンが外れたのに伴い、最初に感じた興味もなくしていた。


 しばらくして、彼女との〝再会〟を果たしたのは、何度目かのランチのときだった。

 食堂の、彼女がいつも隅の方で一人で食べているそこへ、なぜかその日は割り込んでみた。

「ここ、空いてる?」

 どうぞ、と関心なさげな声。

 それで彼女を間近にして初めて、食事でも外さないその大きなサングラスのせいで、美醜すら区別がついていないのを発見した。

「ちょっと、はなし、いいかな?」

 別に、というまた気のない返事。

「いつも、教室の最前列にいるね」

 ええ、必死だから。

 それは、初めての直正と彼女との接触だった。

「もしかして、ナノマシン障害?」

 まさかねと、軽い感じで尋ねると、彼女はあっさりそれを認めた。

「うん、一種の、ね」

 今日は晴れてるね、ええそうねくらいの感じで返されてしまう。

 ――ええ、マジかよ?!

 直正は一足跳びに相手のプロフィールの急所を直撃してしまったのを、今さら後悔したがもう手遅れだった。

 ナノマシン障害。いつの世も、何らかの事情で福音から見放されたものは存在する。

 日常の体調管理から遺伝子性疾患の矯正、あるいは緊急時での救命措置にも、全てに於いてナノマシンが提供する生体データが使用される前提でこの社会は成立している。現代の人間は既にその健康、平常を自身単体では維持し得ない。それが要求される各要素全般に渡りナノマシンという存在が密接に関与し、精妙な関係が構築され機能させられているのである。その他にも個人のスキル、フィジカル、各種パラメータがこのナノマシンを介して最大効率で運用される。

 だが、このナノマシンを先天的に受け容れない形質を持つ稀少な個体が一定数、発生した。免疫過剰、異物排除。ナノマシン障害“症”と総称される症候群例患者の存在がそれである。しかしながらそれは本来、生物として極めて自然な性質であるのではあるのだが。

 現代技術の粋の救いから見放された哀れな子羊たち。ナノマシン障害は一種、〝限りない不幸〟の代名詞だった。

 言葉を喪ってしまった直正に、今度は彼女の方から触れてきた。

「だから、ホラ」

 顔から外してみせたそれは、サングラスではなく、データ・グラスだった。

「特別許可もらってるけど、焼け石に水、かな」

 そう言って、彼女は笑った。


 ――すなおに、かわいい、と思った。


「あーえー、その、付き合わない、オレたち」

「今はパス。一秒でも惜しいから」

 秒殺してのけながらもくすりと微笑し、こう続ける。

「研修が終わったあとなら、いいわよ」

 やった! ナイスリカバリオレ様! 直正は勢い込んで名乗りを上げる。

「オレ、小倉直正」

 彼女も屈託なく応えてみせた。

「ミキ・カズサよ。純系日系?」

「親は両方ともね」

「私は、父方がそうだったから」

 他愛もない会話、だが直正の心は昂ぶった。

 先ほどちらりと見えた素顔はとびっきりで、直正の理想に近いとすら言えるモノだった。

 有体に言って、いわゆる一つのワンアイラヴだったのだ。




   3-4



 努めて平静にやり過ごしたもののミキの胸中は激しく揺れていた。

 思いの丈を日記にぶちまけてみる。


 ――ミキの日記――


 正直まいった。

 なぜ、人類は、ヒトゲノムを解析して私のようなヒトモドキを創り出すヒマを持ちながら、しかし一方有史以来、常に社会が求めてきたであろうツールについては不完全なのだろう。

 例えば、男女の交際マニュアルについて、だ。

 この年になるまで、そういうこととは無縁だった。誘われなかったし、こちらから誘ったコトもなかった。

 自分が純粋天使というヒトモドキであることを知ってからは、積極的にそういう場から離れてきた。

 それが、火星クラスに入ってからこんなことになるなんて。

 不覚だ。

 彼は無論、私の正体など知らないだろう。

 それで、私が彼を受け入れる場合、私は彼をたぶらかす悪女、という役回りになるのだろうか。


 私だって、性を与えられた以上、そうしたことは楽しんでみたい!


 いや、性的欲求を私は完全にシャットアウトできる、そういう機能は純粋天使のそれとして付与されているがそういうこととは別に、だ、もちろん。

 あー。

 色恋沙汰はホントに非生産的だ。設計者が人間の理想形としては生殖能力以外での最小限の機能以外をオミットせんとした理由もま、よく判らんでもない……。

 でも、まちがってる。非効率、非能率、確かにそうかもしれない。

 でもそれこそが、人間の本質であるかもしれないではないか。

 だが、しかし。

 とりあえず、効率と能率を最大限に要求される受験勉強を著しく阻害することだけは間違いない。

 回答を保留しておいたのは正解だった。

 仕方ないので今夜はもうねよ。


 ざっくり書き殴り読み返したそれをミキは、

あまりの羞恥に全文削除してそのままふて寝。




   3-5



 そして、研修最終日。

 今年は、全員が合格だった。

「ようやく、追いついたわ。今年は例年に比べてアップデートが少なかったから」

 直正は訝しんだ。

「それって、まるで去年も受講したみたいだね」

 彼女は謎めいた微笑みを浮かべただけだった。

「ここまで来れば、もうひと息」

 また不可思議な台詞が出てくる。普通なら、むしろここからが大変だと思うだろう?

 直正はしかしあえて問わずにいた。


 実は、審問の設問そのものは結構単純で、例えば次のように出題される。

『火星の地表で、貴方は作業車で遠方まで調査に出向きました。しかしその帰途、事故を起こし立ち往生。基地までの移動時間は作業車で約二時間、酸素残量は約三時間。貴方が取るべき最善の手段は?』


 模範解答として考えられるのは、単純に、『基地へ状況を報告、閉鎖系を活性化させた後に別命あるまで待機』等の常識的回答だが、その常識的判断を矢つぎ早に、常に的確に、特に危機の際にも持ち得るか否かを面接官一〇人の揺さぶりを受けながらその前で試されることとなる。


「ああ、そのくらいなら大丈夫」

 直正は、奇妙な感覚に囚われつつあった。

 もしかしたら、彼女こそが、天使なんじゃないのか、と。


 受講番号では最後尾だった彼女が、データセルマウント後の最終審査では一番に呼ばれ、極めて短時間に涼しい顔で出てきてから、直正の疑念は確信に変わった。


 理屈は判らない。だが、彼女こそが、シード権を獲得した、天使なのだ――と。


 調査官たちも瞠目していた。

 全ての設問に淀みなく回答したばかりか、最後には設問の矛盾点まで衝いてきたのだから。

 さすがは純粋天使、と恐れ入っていた。


 そして、最終審査後の、合格者の発表。


 再び、ミキの名前がトップに掲示される。

 次いで、下から二番目に直正の名前もあった。


 火星への道は、拓かれたのだった。

 残された者はそのバックアップに当たることになるが、約一〇〇日に及ぶ研修は、参加者全員にチームとしての一体感を醸成するに十分な濃密な時間を与えていた。敗者は勝者を称え、勝者はその付託を受け、旅立つ。そういうことだった。


 その輪から少し離れたところにいる彼女へ、直正は近づいた。

「合格、おめでとう」

「貴方もね」

「うん、有難う」

 二人の周囲には、周辺の狂騒が届かないブラインドカーテンがあるような、静謐な空間があった。

「……キミが、天使だったんだな」

「……天使というより、堕天使ね。翼はないわ。飛べない、天使よ」

「そう、か」

 何がそうなのか判らなかったが、直正はなんとなくうなずいた。


 今までにない空気が流れたとき。

「なーに二人してしんみりしてんだよ」

「お祝いの席なんだからもっとぱーっといこうぜ」

「ほらほら」

 すぐに二人も喧騒の中に巻き込まれていった。


 ちょっとした打ち上げパーティはすぐに散会となった。

 明日からすぐに各員のスケジュールは始まる。

 今しかない。

 直正は思い切ってミキを誘ってみた。

「どう、このあと、時間」

「どーしよーかなー」

 ミキは悪戯っぽく笑ってみせ、しばし直正の反応を愉しみ、そしてそっと告げる。

「うそよ。約束よね」

 結局、うなずいてみせた。

 ここは、行政組織を集中させた官庁島だった。であるので、娯楽やロマンチックな施設とは完全に無縁で、初デートのシチュエーションとしてはおよそ最悪といえた。

「とりあえず、展望窓にする?」

 直正は苦笑いとともに提案した。展望窓の所在地はリラクゼーションスペースであり、ここでは広大な島内での唯一のデート・スポットとしても利用されている。

「定番?」

 ミキの方は内心の苦笑を隠して応じた。

 彼はまだ、自分のことを何も知らないらしい。でも、妙な詮索好きよりは、いいかも。

〝そこ〟で両親が死んだし私も遭難した……と言ったら、どんな顔をするか。

 展望窓は島の構造にもよるが、外壁に一定間隔で配置されている。窓としての機能も有するが、同時に周辺へ配された植樹は取り入れられる外光を受け、補助的な天然の浄化施設としての役務も与えられて居り、または森林浴の場としても提供されていた。

 現地に到着したミキと直正だったのだが、期待された効果は発揮されなかった。

 冷静に考察すれば十分予見し得た事態であったのだが、エンジニア二人で宇宙空間を眺めてみても、ほとんど空気は変わらない。

 ただ、二人、並んで当てもなく歩くだけ。

 むしろ、その方がよかった。

「親父がヤクザな商売でね。その反動か公務員さ」

「ヤクザって?」

「探偵、っていうか便利屋っていうか。連合のテロリストともやり合ったとか。息子の僕にも正体不明」

「ふーん」

 直正は直正で、意外になにやら複雑な背景を背負っているらしい。

 否、これは彼個人の特質ではない。

「日系だと、ほら、いろいろあるから」

「そうよねー」

 その通りだった。

 WW3で故国を焼失した日系人は一時期完全に国家の庇護下から外れ、地球連邦に編入されるまでの間、さまざまな局面で、各人が独自の才覚での行動を必要とされた。

「正直、実は火星への興味はそれほど強くなくて。同期のみんなには悪いコトしたかもしれないけど。でも」

 直正は、じっとミキの眼を見ながらしっかりとそれを言葉で伝える。

「こうして、会えた」

 ミキも素直に視線を絡めて応じた。

「嫌い、じゃないわよ。たぶん」

 しかし、口では戯れてみる。

「ほかにいるの」

「今はいないわ」

「じゃ、一番だ」

「明快ね」

 実際、悪くなかった。古今東西、若い男女が理由を見つけては互いにくっついたり別れたり、こうして楽しむワケだわ、と。

 直正は言葉を切り、足を止め、ミキに改めて向き直って、告げた。

「ミキ・カズサさん」

「なんでしょうか」

 ミキも調子を合わせ。

「キス、してもいいですか」

 ミキは答える代わりに、軽く眼を閉じてあげた。

 それから、何度か唇を合わせるたびに、少しずつ、確実に、お互いの間で何かが昂ぶっていくのが判った。


 二人の夜を過ごす時間は、まだ、あった。


 当然、何もかも初めてだった。

 直正が求めるままにミキは明け渡し、受け容れた。

 気怠い、でも心地よい疲労感を覚えながら汗にまみれたままごろりと横たわり、ぽつりと呟く。

「その日にキスしてシケ込んでー。ああ、私ってばインランだったんだー」

 直正が振り向き、男の顔で彼女を見た。

「忙しかったし、これからも忙しいし。いいじゃないか、たまにはこんな夜も」

 誤魔化しのような言葉。でも今はそれが優しく響いた。

「たま、にはねー」

 放りなげるように言ってミキは寝返りを打つ。






















     4.不明体




   4-1



 軍からの発議による緊急連絡会議の席上だった。

 中空にスクリーンが表れ、グラフと表が表示される。

 先月の我が軍の損害、そして今月本日までのデータが同じく示される。

 群島勢力の小惑星帯との資源調達路に向けた連邦の通商破壊艦隊。

 艦載機は無人の使い捨てだが、母艦はさすがに使い捨てではなく、戦闘母艦のような大型艦は実際に有人のものある。

 艦載機の消耗はともかく、母艦の損害が顕著に増大していることが判る。

 有人艦にはまだ損害は出ていないが、このまま戦力が減少し続けるのであれば、前線が後退し、有人艦もが脅威に晒される恐れが出てくる。

 会合に同席する将官の一人が挙手し、発言の許可を求めた。

第三十一打撃群総司令官、オルソ・ベルティーニ宇宙軍中将。

但し、第三十一打撃群とは、無人艦により編成された艦隊である。総司令という役職ながらも実際に彼の指揮下、その職掌に在るのは正面戦力を遥か遠く前進させながら月基地に彼と共に駐在勤務する数人の管制担当スタッフを数えるのみである。

イタリア、は殊にWW2での戦績からか、弱兵無将というイメージが付きまとうがこれは浅薄な見解である。彼等は信念に殉じるのを恐れない。であるが故に、枢軸三国の中で唯一、国民が過ちを認め自ら政府を倒し、連合軍への降伏後ナチスドイツに占拠された自国でも多くの犠牲を出し苛烈な抵抗を戦っている。そうした格付けでいえば首都ベルリンでの戦いまで抵抗したドイツが次に並ぶだろう。ベルティーニはそうした、精強なイタリアの実態を体現した様な将だった。

感覚的には世界の果てに展開しているかの隔地空間に進出している無人艦隊を、さしずめ私は安楽椅子提督というトコロだななどと涼しい顔で気さくな冗句を周囲と交えながらその実これを指揮するに、容量は少なく精度も低い情報に基づく、さながら目隠しに耳栓をされながら演じる“二人羽織”のような難事であるかくの如きを指先を摺り合わせるかの繊細と野太刀を奮うかの剛胆での縦横に操ってのけ今日まで小惑星帯(ベルト)と群島を結ぶ通商路を締め上げ続けて来た。

彼の有能、赫々たる戦果、その評価は揺るぎない、衆目一致する処のものである。

それが。あと一息という時に。

彼の遠大なその戦略が完遂の直前で、解れ掛けている。

何かが、決定的に、説明不能な迄に、おかしい。欠落している。

しかしそれはあくまで疑念の範疇でしかない。小官の不徳の致す処であり、弁明の余地は欠片も無い。

中将の言葉を整理すると潔くもそういう意味になる。

 軍からは艦隊戦力の再編成が提案されるが、議長は別の一面を指摘する。

 あたかも、まるで一夜にして連邦側の兵器体系が旧式化したかにも思える。

 議長の指摘に中将も、我が意を得たりと深く首肯して見せた。

 議長は珍しく逡巡を示した。

 群島が、〝機動兵器〟のような、一種革新的な、コペルニクス的な転回を戦術的に実現していた場合、こちら側での対策は……と。

 ふと、軽やかなアラーム。連絡武官は端末を操作し、最新情報、最前線での貴重な記録情報が到着したことを告げた。

 先ほどの統計系統の情報が消去され、映像出力が始められた。


 星空、宇宙空間だ。

 そこに、小さな点が表れた。矢印が重なる。

 加速している。約一〇G。

 もう一つの小さな点。

 同じく矢印、友軍の無人戦闘機。

 二つの点が重なる。

「ミサイル?」

「いえ」

 二つあった点が一つに。こちらの戦闘機のみが破壊された。

 ざわめき。

 点が次いで記録者に迫る。

 アップになったときに一時停止。

「これは……」

 誰もが言葉を失っていた。

 鋭角的な頭部に、ボディ、そしてボリュームたっぷりの四肢。

 それは、〝人型〟だった。

「何なんだ、これは一体」

 誰かが悲鳴のような声をあげた。


 敵であれ友軍であれ、否、人類にはこのような形態の航宙機も、兵器も存在しない。

 ――はずだ。


 直後、記録者も破壊され、一瞬ホワイトノイズを吐いて映像は終わった。

 さざめきの中ベルティーニは一人、黙然と制帽を目深に被り直し次にそれをあみだ(・・・)に傾け、小さく舌を鳴らす。

 この映像をどう理解すべきか。

 議長は軽く額に手をあてがう。

 連邦側の一方的な損耗は、〝今の〟が原因であるのだろうか。

 連絡武官は何も応えない、応えられなかった。

 今の映像の対象に対し、現実的な対策が必要だろう。

 誰も何も応えられなかった。


 議長の裁定が下った。現有戦力の一時撤収、詳細は後ほど。

 連絡武官はようやく返答した。




   4-2



 その実態は、壊走そのものだった。


 議長による撤収が指示されるまでに、連邦宇宙軍内宇宙艦隊はその戦力の実に約四割を損耗していた。

〝三割全滅〟の軍事一般則に照らせば、全滅以上の全滅であった。唯一、有人戦力に未だ損害を蒙っていないのが明るい材料だが、無人戦力でカバーしていた前線が崩壊し、後方の有人戦力が危機に晒されるのはもはや時間の問題となっていたのだった。

 もちろん、損耗は織り込み済みで戦力の補填は行われてはいた。要は損害に補充が追いつかなくなっていたのだ。


 これが例えば総力戦体制であったならば、あるいは――という意見も当然出されたが、議長はあくまで限定戦争を望んだ。

 言うなれば、〝原価割れ〟を起こすくらいなら砲撃を強化して強引に〝時計の針〟を進めるまで。つまりはそういうことだった。


 軍は撤収に入りながらも一つの疑念を抱きつつあった。


 勝ち誇ってよいはずの群島勢力が、その動きをまったく活性化させないのはなぜか。

 もちろん、嵐の前の静けさという可能性はある。

 それにしても、準備行動としてその予兆はあるはずだ。

 完全に動きを秘匿しているのか。

 戦略砲撃が予想以上の効果を発揮しているのか。


 ――或いは。


 疑念は、突然の群島勢力代表部からの講和の申し出という形で裏づけられた。

 いや、突然と言っても開戦からすでに十年と五か月の時間は経ってはいるのだが、予備交渉等の事前準備を経ず突然に、という意味である。


 その自らの申し出を群島側は一度撤回してきたが、クーデターでも起きたのだろう、代表部の人員が刷新され、謝罪と共に再度和平の申し入れがあり、両者は交渉のテーブルに着いた。


 そして、「細則は後ほど」という体にして、まずは両者間での停戦についてが合意されたのだった。


 体裁はともかく、実質的には連邦政府の粘り勝ちだった。


 政治的事務レベルの折衝が展開する裏では、双方の軍、情報関係の者たちによる活発な交流が行われていた。


 結果、連邦軍は疑念の解答を得た。

〝例のアレ〟が、群島側の戦力ではなく、それどころか、〝アレ〟のせいで群島側は完全に戦争資源のラインを断たれ、加えて更に激化した戦略砲撃は群島から戦争遂行能力をも完全に剥奪した。それが為に――尚徹底抗戦を呼号する原理主義一派を除き、民意もが厭戦一色に染まり、如何なる形でも最早――機能不全、対処不可能な事態に陥っていたということを。


 今、パズルを構成する最後のピースが場所を得、そして完成したのは大きな謎であった。それはつまりでは、〝アレ〟は、一体何なのか、という。

 正体は何で、何を目的としているのか。


 誰かが、もしかすると〝良い宇宙人〟なのではないかと冗談交じりに言った。

 確かに、〝アレ〟のせいで、分裂した人類は再び手を握りあえた、が。

 そう単純なことでいいのか。


 現実は希望的観測を常に否定する。前触れなき民間への被害として、それは以下の如く突きつけられた。




   4-3



 共に無事火星行きのチケットを手にしたミキと直正だったが、約束通りの付き合いは始まらなかった。

 無事その宿願を遂げたからこそ始まったタイトスケジュールに、それを差し挟む余地がなかった。

 地球、火星の間を約二年の航宙となるが、その間、乗客はただのペイロードとして搬送されるのではなかった。航宙のメンテナンス要員として、また火星の最新状況を学ぶ生徒として、そして学んだデータを基に共にスタッフとしての役割を期待される研究者として、そしてそれらの役割を果たすべく、火星行きまでの時間はその準備として忙殺されることになっているのだった。

 とてもロマンスなどやっているヒマはなく、まさに一分一秒が惜しい日々が続き、気づけばもう目の前に月が見える。

 重力圏である地球から全備質量で直接火星に向かうのは効率が悪い。月からブースターによる加速にも助けられ、改めて目的地に向かうことになる。『マーズランナー05』は、地球-月間の航路から月周回軌道へ遷移しようとしていた。

 船、いや機、に近いだろうか。『マーズランナー05』のブリッジ・クルーは僅か三人で編成されている。内訳は船長、航法士、そして機関士。技術の進捗による省力化の恩恵が顕著に表れた図式でもあろうか。

その航法士は、操船コンソール情報表示面の一画に突如ポップアップしたアラートシグナルを確認し、愕然とした。

 それは近接するデブリに対しての警報だった。

 スペースデブリ。宇宙ゴミ。寿命が尽きたまま軌道上で周回を続ける人工衛星に、そこから剥離して漂う微少片まで。多くは人類が宇宙で活動するに伴い自ら産み出している危険物であり、であるがゆえにそれは常に観測され、可能であれば速やかに除去され、あるいは危険情報として周知徹底されている。

 だが今、それはそこに在る。

 なぜ気づかなかったのか。罵声を発する間も、慨嘆をあげる間もなかった。

 船内に警報が弾けた。それを合図に全員、現在の作業を中断し直ちに気密服を着用する。

 そしてその直前航法士は気づいた。

 レーダーはデブリを感知していない。警告は光学探査系が発している。

 約一五キロメートル毎時。右舷前方やや浅い角度で飛来したデブリは、船体前方と接触した。

 船長、航法士、機関士。ブリッジクルーは互いに顔を見合わせる。

 奇妙だ。衝撃があまりに小さい。脱出速度を超える運動量のデブリと衝突して、無事に済むわけがない。最低でも船体を貫通し、場合により破断するはずだ。

 一拍置いて、アラートが一斉に鳴り騒ぐ。

 情報表示面に、デブリとの接触部位を船外カメラの映像が伝える。

 その場の全員がそれを――デブリの正体を、見た。

 人工衛星ではない。航宙機材の何かの部品でもない。

 見たこともないそれは、ある意味見慣れた存在。

 オーバーレイされた属性情報が示す、全高約一二メートル。頭部はない。しかし装脚装腕のそれは、ビジュアル・フィクションではお馴染みの存在。

「……ロボット?」

 代表するように発語された船長の呻きは、解放された非常回線を通じて船内全員の耳に届いた。

 轟音が船体を貫く。

 そのデブリ――ロボット、頭部がないことに加えぬめるような曲線、曲面で構成される外観から何とも得体の知れない存在は、活動を開始していた。

 観測映像の腕部が一閃すると、一撃で船殻外壁を貫通する巨大な破孔が穿たれる。

 爆発的な気密漏れが発生し、アラートの連鎖でコンソールが騒ぎ、連動して船内各所で隔壁が降りる。

 轟音が連鎖し、船体が揺れる。すぐに音は止んだ。もう空気が抜け切ったらしい。

 照明が消え、非常灯が点灯し、それもすぐに消える。

 破壊されていく。船内に留まる方が危険と判断した船長が総員退去を発令し、デッキクルーが脱出を先導しつつ集結させ、各員の安否を確かめていく。

 破壊が始まった右舷の反対、左舷側方面に待避した乗員乗客が呆然と眺める前で、『マーズランナー05』がばらばらに壊されていく。その成れの果てのデブリを掻き分け、左舷側に破壊者が現れる。

 そこへ、光が放たれた。

 どこから、ということはなかった。

 光が消えると、そこには先のクリーチャー然としたものとはまったく別の、頭部を持ち装脚装腕の、流麗でヒロイックなフォルムを持ついわゆる〝人型巨大ロボ〟が出現していた。


 ――何が何やら。


 月周回軌道近傍で「メーデー」を発信したまま交信途絶した『マーズランナー05』に対し、周辺宙域を管轄する第三管区航宙保安本部は、オンステージ中最近隣にあった警備艦一隻に向け直ちに現場への急行、並びに救難活動の遂行を司令した。

 間もなく現場宙域に到着した警備艦は、遭難船乗員乗客ほぼ全員の救難救出を本部に向け報告してきた――のだが。

 どうも要領を得なかった。

 まず、遭難の状況が判らない。

 デブリだと思ったら違った、正体不明の〝何か〟に遭遇し船を破壊された、とは。

 しかもまた別の〝何か〟が現れそれを破壊した、とは。

 人型、とは何の事であるのか。

 ついに現場から直送されてきた映像を見て、その場に居合わせた本部管制スタッフは全員が絶句した。

 なるほど、それは、確かに人型だった。

 身長一〇メートルほど、鋭角的な頭部を持ち、マッシヴなボディに均整のとれた四肢。

 映像作品世界から抜け出てきたような、とうてい我々人間の手による造形とは思えない、一見不合理、しかし流麗なフォルムを持つ、人型だった。

 警備艦は、通信の全帯域を使って人型に向け呼び掛けを続けているが、未だ反応らしい反応はない。

「いかに対処すべきか。指示を願いたい」

 警備艦のブリッジで艇長が情けない顔をしてみせた。

 遭難現場で行方不明者一人、その代わりに〝人型〟一体。

 だからどうだというのか。

 行方不明者の捜索に全力を尽くすよう、指示する以外の方策はなかった。




   4-4



 船内に突如非常警報が鳴り響き、ミキも反射的に機密服を着用していた。

 轟音と共に船体が何度も揺れ、意識が途切れる。


 気づき、思わず辺りを見渡すと、そこは船内ではなかった。


 ――?? ここは、どこ。


 何かのコクピットに座っているようだった。

 いや、座っているというよりリクライニング、ほとんど寝そべっている状態に近い。

 いや、上下感覚が乏しい。直立しているようにも感じる。


 コクピット内は、光源の判らない淡い照明に照らされている。というよりこれは、コクピット全体が淡く発光しているのか。


 などという詳細な情景描写より。


 ――そうよ!!


「ここはどこで、ワタシはどうなったのよ!!」


 ミキの声は反響することなく周りに吸い込まれて消えた。

 が、反応があった。


「わっきゃっ」


 突然、宇宙空間に放り出されたような錯覚を覚えた。

 それくらい見事な全周スクリーンの映像だった。


「なに、これ」


 ミキは思わず額に手を当てる。落ち着け、落ち着け私。


 そして彼女はようやく気づいた。手が額に直に当たったことに。


 気密服が、ない。


 脱着した記憶は、ない。


 ミキは深呼吸する。一回、二回、三回。


 全周表示されている宇宙空間。

 周囲に散らばる残骸は、どうやら破壊された『マーズランナー05』であるようだ。

 近くに見えるのは、救難信号を受信して駆けつけた航宙保安局の警備艦であるらしい。

 そして私は、〝何か〟の中にいる。


 救難救出活動業務というその運用目的が持つ性格上、警備艦は冗長性、特にその居住性能には余裕を持たせた設計がされてはいるが、だからといって必要以上の機能は与えられていない。汎用のカーゴ・ルームを、必要に応じて気密区画として、居住区への代用も十分可能である……という程度が実情である。

 救難者の生命財産を維持確保するに過剰な設備は不要であるし、長期の航宙を強いるでなし、可及的速やかに帰港するが本務であるので、いささかの不遇不便はご寛恕願いたい、というところだ。

 その救出された全員が収容された臨時船室の一画で、直正はじっと堪えていた。

 外ならぬ唯一の行方不明者が、ミキだった。

 点呼の時点でそれは判明していた。

 目の前に広がるデブリの海に向けて飛び込もうとした直正は当然、引き留められた。

 捜索活動は継続されている。

 直正は傍らの壁面をただ凝視していた。


 ミキも焦れていた。

 一応、私は無事、保護されているらしい。

 そのことを何とか外に伝えたいが。

 あー。どうしたものか。

 途方に暮れる。

 未知の、その、この〝現象〟にどう対応すればよいのか。

 何か一つ間違えば、このまま宇宙空間に放り出されるかもしれない。

 しかし、このままこうしていても、この膠着状況が打開できるとは思えない。

 勇を奮って、ミキは言葉を発してみた。

「ワタシのことば、判る?」

<わたしのことばわかる>


 愕然としてミキは周りを見回した。

 ――今の、声、は、何。

 まるでそれは、頭の中に直接、響いたかのように聞こえたそれは。


 それと――これは、会話なのか。

 意志の疎通は成立しているのか。

 

「本当に判ってる?」

<ほんとうにわかってる>


 こちらの発声をオウム返しにしているのか。判然としない。


「動きは判る? こう、手を振ってみせて」

 そう言い、実際に右手をコクピット内で小さく左右に動かしながら、ミキは違和感を覚えた。


 手を、振る?


 脳細胞のどこかに折り畳まれていた情景が不意に再生された。


 破壊された「アルテミス01」。宇宙空間に投げ出された自分。

 緊急防護膜に包まれた自分を、抱きかかえ、しまい込む。

 ――巨人。人型の姿。

 つまり今の私も……そうなのか。


「あなた、だった、の」

 思わず口を衝いたミキの言葉に、応える言葉。

<そうです>


 ――え。


「ことば、わかる?」

<わかる、すこし>


「わたし、ぶじ、つたえる」

 つたないやりとり。と、いきなり大音量の呼びかけが室内に飛び込んできた。

『……らっしゃるんですか、でしたら呼び掛けに応答してください、ミキ・カズサさん。中に』


<はなせる>

 その言葉を信じ、ミキは声を出す。


「私は無事です、現在〝人型〟に保護されています!」


 警備艦側では、半分以上無駄と悟りつつも、おざなりに周辺宙域を哨戒する一方、蓋然性以上の確信を持って〝人型〟に対しての呼びかけを継続していた。

 呼びかけにコールがあったのはその確信が揺らぎがじめていた約三十分後のことだった。




   4-5



「ミキ・カズサさん! 無事なんですね」

 無事というか何というか。外傷もなく生存している、という状態を〝無事〟と表現するならそれは無事ということになるのか。しかし脈絡もなく巨大ロボットの内部に収容されているこれを〝無事〟と呼ぶには些かの躊躇いを覚えつつ、しかし、前後の状況を勘案してそうした個人の感情はひとまず棚上げし、結果ミキは即答していた。

「無事です!」

 次いで、どこか躊躇った響きの声が発せられる。

「スーツは着用していますか? 〝そこ〟から出られますか」

 それは何処かに消え失せているし、

そもそも何をどうすればいいのか見当も付かない。

「スーツは着用していません。ここから出られるかは判りません」

<いま、でる、よくない>

 うん。それは、判るよ。

「了解です。本部と交信します。回線は開いたままにしておいてください」

 それは確約できません。

 

 ――少しして、交信再開。

「その〝人型〟には、航宙能力はあるのでしょうか」

 判りません。

<ある>

「ある、そうです」

 話者の声には妙に力が入る。

「その〝人型〟と、貴方との間で今、例えば、意志疎通の様なものは存在していますか、成立は可能な様ですか?」

 これを、そう呼んでいいのだろう、かしら。

「限定的ですが、はい」

 マイクオンのままの、先方艦内のざわめきが耳元まで漏れて来る。

 その混乱の様が手に取れる様な。

「その〝人型〟に、本艦を追随するよう、伝えられますか?」

 ええー!!

口元まで迫り上がって来た何かをミキは、無理矢理に呑み込み押し留めた。

 ちょっと、いや、かなり異常な事態じゃないのこれ。

 スペックも何も判らないのにムチャを言う。

 それを要求して来る警備艦側も先の通りなるほど、相当に混乱しているようだが……まあムリもないか。

 下手に手出ししたくないというのが本音のところ、かしらね、はぁ。

 判る、ええよおおおっく判るわよ、その気持ち。

「ついていく、できる?」

<できる>

「できる、そうですが……」

 伝言しながら、あー、

 なんだか自分一人がバカらしくなってきた。

「では、本艦の針路と平行の針路を取り、追随して来る様に伝えて下さい、御願いします」

 御願いされました。

 警備艦は姿勢制御モータを噴射して回頭、定針すると帰還軌道に向け加速を開始した。

合わせる様に〝人型〟も、苦もなくすっと警備艦の横に並ぶと移動を開始する。

 コクピット内には、何のGも、衝撃も感じなかった。

 それは全く外力が及んでいないか、のように。


 そのまま約十時間ほどの航宙の後、警備艦と随伴する〝人型〟は、第三管区航宙保安部の母港に着地した。

 行程の後半からは或る種の諦めで結果、極度の緊張から自らを解放し替わりに今度は開き直ってすっかり熟睡していたミキは、コクピットに響く柔らかいアラームで目覚めを促された。“人型”はサルベージ用大型エアロックに収納され、ミキの“救助作業”はその中で開始されていた。

 と言っても、さてはてどうしたものかと。

 未知の物体を前に救って欲しいのはこっちだと、この難事を振られた当直職員たちは途方に暮れ、互いの不幸をぼやき、或いはそして慰め合う。

「そと、でる、あんぜん」

 ミキが〝命じる〟。

<はい>

 ――で、皆の見守る前で、まるで手品のように、〝人型〟の胸部からツルリ、と降り立っただけだったのだが。


 切断作業を準備するもの。

 異変に備え、待避域確保に従事するもの。

 非破壊検査機器の調整に当たるもの。

 居合わせた全員があっけに取られた。

 その手が止まり、視線は釘付けとなり、

 数人は腰を抜かしてその場にへたり込む。


 当然、ハッチでも開いてそこから出現すると思っていたものが、まるでトコロテンでも押し出すように、ツルリ――否、にゅるり、と現れたのだから。

物理現象を無視した情景にゲシュタルト崩壊でも引き起こされたのか。

勇者ラ○ディーン。

逆フェードイン、いやアウトか……。

意味不明の呟きが周囲から漏れた。




   4-6



 それからがひと騒動だった。

〝人外〟の環境にいたミキに対し、防疫面での徹底した検査が行われたのだが。

「やめて止して私は正常ですだからナノマシンダメなんですってば人間じゃないの助けてナノマシンいや~~」

「先生」

「うむ、やはり常態ではないようだ」

 人間向けに調整された診断用医療ナノマシンに対しての、体内の防疫活動による諸症状、頭痛、吐き気、排便/排尿衝動、他各部の痛みでのたうちながら説明した身の上の、諸般の事情がようやく理解され、身元保証人の学者・刑事のコンビとも連絡がつき、ミキはようやく地獄の苦しみから解放された。


 当然というか、未知の病原菌のようなものは発見されなかった――が。

 代わりにとでもいうか、人間の手になるものと異なる〝物質〟が発見された。


 それは、ナノマシンよりさらに微小で、いわば〝粒子マシン〟とでも呼ぶほかない物体だった。

 もちろん機能は判らない。というより単体では機能しようがないモノだった。それが、無数に発見された。

 人間の防疫構造が反応できないほどに微小なのだ。

 徹底検査でも行なわなければ、発見不可能であったろう。その発見も偶然に近いものだったのだから。


 とにかく、防疫上の観点からは、ミキ・カズサに問題はなかったことが証明された。

 医師たちに、よかれと思われながらナノマシンの投与を受け障害でズタボロになっていたミキは、一晩熟睡し疲労回復に努め、そして次に目覚めたとき……


 ――世界が、変わっていた。


 白い天井、壁、弱照明。

「こんにちは、ひどい目に遭いましたね。大丈夫ですか?」

 辺りを見回す彼女の視界に飛び込んできた、傍らに立つ営業マンのような男は言った。

 しかし、連邦宇宙軍の制服を身に着けた営業マンはいないだろう。

「失礼ですが、どちら様でしょうか」

 疑念たっぷりのミキの問いかけに対して、男は紙に書き付けた様な言葉と共に、

「これは失礼しました。私、こういうものです」

 まさに営業マンそのものの丁寧な仕草で両手を添えて、名刺を差し出してきた。


 連邦宇宙軍艦政本部技術研究2課 課長 エルロフ・ヒューマッハ 中佐


「ご丁寧にありがとうございます。あの、それでご用件は」

 男は苦笑した。

「今日は挨拶だけ……と済ませたいのですが、すみません、私どももヒマではありませんので」

 口元を引き締め、男は口調を改め、努めて平板にこう告げる。

「大変申し訳ありませんが短刀直入に申しましょう。ミキ・カズサ、貴方は自身が連邦がその所有権を有するところの〝機材〟であることは、覚えていますね」

 その言葉はいきなり平手を張られたような感触をミキに与える。確かにダイレクトだ。

 余程忙しいに違いないと思わず納得させられそうなほどに。

「それは、はい、一応」

 男は、残念ですが、と続けた。

「ミキ・カズサさん。貴方を現刻を以って、連邦政府の権限に於いて徴用します。私の課がこれを所属とします。所有権並びに使用権も、以って私の課に帰属するとします」

 ミキはさすがにあっけにとられた。

 次いで、不愉快な顔つきで、衝動的にそっぽを向いた。


 堪えられなかった。


 男はしかし、心底から残念そうな態度を崩さなかった。ただ職務に対し誠実であるだけで、別にミキを嬲って愉しんでいるようには見えない。態度そのものの心情であるようだった。

 そして男が次に発した言葉で、そうした個人の感情など忖度する余地はどこにもない状況をミキも知った。


「人類の危機が、迫っています」


 むしろ確定的な事実を伝達するような事務的な口調が、迫真を意識させる。
























     5.敵




   5-1



 戦争を勝利で終わらせたにもかかわらず、政府と軍はその緊張を解かなかった。

 政府は――否、人類は新たな、未知の脅威に晒されているのだった。それを明白に認識しているのは、一部の高官に限られていたものの。

 話せば判る相手ではなかった。

 軍は事態を交戦と認識した上で、相手を〝敵〟と断じていた。それはしかしながら交渉の余地も機会もなく、挙げ句反撃の手段もない、一方的に叩かれるがままの戦局ではあったが。

 戦争が実際に終結して、しかし軍は動員を解除しなかった。

 世間一般には、今回の戦争で発生したデブリの除去、『スカイクリーナー作戦』を続行するための動員維持と説明され、それは事実の一部でもあったために民衆は納得した。

 安全確保までとの留保期間として、特に宇宙での基本での渡航は全面禁止となった。


 しかし問題解決い関しては、その糸口すら見当もつかなかった。

 

 事態解明の重要な手掛かりは、前停戦後に持たれた両軍の情報交換の席上、群島軍部の技術士官より提示されてはいた。


 小惑星帯(アステロイド・ベルト)で発見された〝人型〟の遺跡――であった。


 当時、群島勢力はこの発見に沸き立った。

 出所不明、正体不明だが、それは戦勝後にでもじっくり検分すればよい。振って湧いたような高度技術の塊から可能な限りの成果を引き出し、戦局に反映させん――と。

 しかし、熱狂は長くは続かなかった。


 連邦側に引き渡したその物証および遺跡を前に、群島技術士官は評して曰く、「原始人がコンピュータを手に入れたようなモノ」と自嘲的に語った。

 群島側から遺跡と解析結果の情報提供を受けたものの、連邦としてもそれは手に余る代物だった。外形寸法、質量、形状、以上。非破壊検査も受けつけず内部構造は不明。分解が不可能であるのは無論、材質解明のための試料採取も不能――否、現時点で人類が使用可能なあらゆる破壊手段に対しそれは抗甚した。判らん分からんわからん。それが解析結果であり、群島から総てを引き継いだ連邦としてもそうした意味では五十歩百歩だった。    

寧ろ、今回の〝敵〟の強大さに、関係者は絶望するばかりだった。

 現在はまだ、被害は、例の火星定期便の件以外では、ベルト近辺に極限されていた。

 その意図も不明だが、もし〝敵〟が、地球・月等の内惑星圏に対し本格的侵攻を開始した場合……


 どうなるのか、どうするのか。


 ――どうにも、ならない。




   5-2



 医師の許可を受けたうえでその場で開始された、各種資料の閲覧を交える数時間連続の濃密なブリーフィングを経て、ミキは得心したようだった。元々、思考能力は人の数倍はあるのだ。すぐに事態の重大さを理解した様子だった。

「それで、私はどうすればいいのでしょうか」

 ミキのそれは、しかし頼りなげな口調だった。何ができるというのか、という問いかけだった。

「それなんだが、その、あの〝人型〟との意思疎通は、可能なのですか?」

 ――ああ、やはり、そういうことですか……。

「限定的には、はい」

 ヒューマッハは難しい顔をした。

 原始人がコンピュータを手に入れたようなモノ。

 しかしあれは遺跡だった。

 そして今、我々は完動品を入手した。

 その、人類唯一の希望――それとの接点が今、目の前で不安に揺れている。

 あるいは別の人間であれば、連邦が再び徴発したこの機材に対し、躊躇なく命令するかもしれない。「おまえは連邦政府が製作した実験機材だ、その機能を発揮し、人類の危機に尽くせ」と。

「まずは、そう、〝彼〟と円滑なコミュニケーションを取れるよう、努力してもらいたいのです」

 ミキも難しい顔で応じる。

「努力は、ええ、してみますけれども……因みに、〝彼〟は今、どこに」

 男はパッと明るい顔になった。

「まだ、ここの港に係留されたままですよ。ご案内しますか」

「ええ、すぐに。時間がないのよね。で、コミュニケーション確立の後にも、いろいろ依頼があると?」

「はい、その通りです……その通りになります」

 ミキが着替えて病院棟の外に出ると、ヒューマッハの隣に見知らぬ若者と、もう一人、見知った顔があった。

「火星行きは当分中止、みたいだね」

 一人は直正だった。

 ミキは目線を転じる。もう一人は?

「彼が、今後貴方の身辺のお世話に当たります」

 ヒューマッハが言うと、若者は几帳面に頭を垂れ、次いで敬礼して申告した。

「ウォルター・カミングス中尉と申します。以後、身辺のお世話をさせていただきます。何なりと申しつけください」

 機材なればこそ扱いは丁重に、ですか。

 ミキは内心呟きながら、表面はあくまでにこやかに頷いてみせた。

「え、ちょっと、どういう」

 直正が要領を得ない顔で近寄ろうとすると、カミングスはパチンと指を鳴らし、すると屈強な私服の男二人がどこからとなく現れると、

「ご案内差し上げて」

 騒ぐ直正を取り押さえ、そのままどこかへ行ってしまった。

「では、参りましょうか、ミス、カズサ」

 ミキは少し硬い笑顔で「ミキ、でいいです」。

 カミングスは晴れやかに笑って「では、ミキさん」。

 傍目からは恋人のように連れ添って、男に従いミキは港湾区画へと歩き始める。




   5-3



 サルベージ用大型エアロックの中に、〝彼〟はミキが運び出されたときと変わらず直立不動の姿勢でいた。

<おかえりなさい>

 ミキは思わず辺りを見回した。

「聞こえました?! 今の」

「なんです?」

 カミングスには聞こえなかったようだ。

 ミキは、〝彼〟を見上げた。

<おかえりなさい>

 “声”、は再びミキに告げる。

 間違いなかった。

「彼が、話しかけてきています」

 寧ろ無感動にミキは伝える。

「なんですって?!」

 美形、と表現してよいその顔が驚愕に歪む。

 カミングスの平静な態度が崩れるのを見て、ミキはちょっとした快感を覚えた。

「その、頭の中に直接、ですか??」

 カミングスを無視して、ミキは彼に向かって右手を小さく振ってみせた。

「ただいま」

 彼の、眼、だろうか。頭部でのその辺りのセンサーが淡く明滅した。

<心配してました>

「言葉を覚えたの?」

<はい、あれから一昼夜ありましたから、少しは>

 少しどころではなかった。初めのたどたどしさを話したての幼児とすれば、今の語学力は高校生くらいはあるだろう。

「どうやったの?」

<聞き耳を立てただけです>

「交信とか……?」

<そうです>

 ミキは改めてカミングスに告げた。

「無線の交信等を傍聴して、語学力を鍛錬したそうです。初期の彼をエントリ・スクールの幼児とすると、現在はざっと、高校生並みの会話が可能かと思われます」

「え、ええ?!  ちょ、ちょっと待ってください」

 慌てふためくカミングスはかわいそうなくらいだった。すぐにコミュニケータでどこかと必死に連絡を取っている。

<会話は、できません>

「え? こうして話してるじゃない??」

<その通りです>

 ミキは混乱する。

「え? つまり??」

<はい、私がこうして会話できるのは、貴方、ミキ・カズサだけです>

 ミキの混乱はまだ収まっていなかった。

「え? そうなの?」

<はい、主人のみに仕えるように、そうなっています>

 今度はミキが慌てさせられる番だった。

「主人?!  ちょっと待って! 今、主人って言った?! 私が貴方の主人ですって?!」

 声は厳かに宣告した。

<そうです。私と会話ができるのは、私の主人だけなのです>

 ですから、と彼は続けた。

<貴方は私の主人です、ミス、ミキ・カズサ>

 そう言い放つと、ゆっくり巨体を屈ませて臣下の礼をとる。




   5-4



 それからの数日間は、ひたすらデータ取りの作業への協力となった。

 まず、宇宙空間での検査だったが、すぐにスタッフは頭を抱えることになった。宇宙での最高速移動試験で、彼の飛翔があっさりと〝光速を超えた〟からだった。つまり、計測機器が役に立たないのだ。いやそれ以前に、この試験に立ち会った技官たちは興奮と混乱でどうにもならなくなり、試験は中断。結果、「高真空での移動速度は光速以上」ということにして試験が再開される。

 耐久試験と称して、ガンマ線レーザから核融合プラズマまでありとあらゆる人類が持てる兵器をぶつけてみたが傷一つつかず、乗り込んでいるパイロットのミキからも「何の衝撃もなし」と伝えられると、人々は驚嘆すると同時に深い絶望に捕らわれた。遺跡の性能から予想はされてはいたが、軍人の性癖から最悪想定をしてしまうと、〝彼〟を目にした以上、正体不明の〝敵〟が〝彼〟以上の性能を持たない理由はない――ということになるからだった。

 よしんば、〝敵〟が〝彼〟と同等であっても、人類が総力を挙げても太刀打ちできない事実は変わらない。

 そんな中、ちょっとした事件が起こった。

〝彼〟ではお互いに不都合だろうからと、〝彼〟が名乗りを上げた。

<自称、仮称、『アレフ』で宜しく願います>

 いろいろ考えてみたがこれが一番シンプルでいい、と彼は告げる。

<元の名前を〝思い出す〟までの仮称です>

 とのことだった。

 ようやく名前がついた彼だったが、未だに謎だらけな存在だった。

 彼、いずこより到りて、いずこに行くものか。

 どこの誰に創られ(自然生命とはさすがに誰も認めなかった)、どこから来たのか……。

 ミキとの奇縁は、まあ宜しい。

 それ以前にはどこで何をしていたのか。

<判らない>

 アレフは本当にそれらを〝忘れて〟しまっているようだった。

<そのうち、思い出すと思います>

 ――そのうちっていつよ。

 試験は続き、外形寸法にしては破格な彼の実態が徐々に明らかになりつつあった。


 即ち、

 高真空内での移動性能は既出通りに光速以上

 出力は中型のブラックホールの吸引力(推定)

 耐久力も既に見ての通り

 索敵警戒情報収集、センシングの能力も、太陽系全部くらいは見通している様子(推定)

 ただし歯がゆいことに、〝敵〟もそれに対抗する隠蔽能力を持っているようで、アレフ曰く、私に似た人型は〝近辺〟に居ない、との回答。


 唯一、攻撃力の検査のみが控えられた。

 何が起こるか、誰にも責任が取れないからだった。


 結果、次に予定されていた大気圏内での検査はあまり意味がないとして見送られた。

 何より、大気圏内で光速を超えられたらどうなるか。

 これも、誰も責任が取れなかった。


 そも、アレフはこれらの検査に対してかなり冷淡かつ非協力的だった。

<意味がありません>

 ミキが宥めすかして検査を受けさせたのだった。

<貴方のためになるのであれば>

 検査に限らず、アレフは終始、ミキとの関係以外には無関心だった。

 否、無関心以上に、認識外といえた。

 他の者が話し掛けた内容をミキが通訳して聞かせてみたのだが――。

<ありがとうございます>

<光栄です>

<感謝します>

 文言とは裏腹に、完全に無視の態度……というより、まったく認知も認識もしていない様子だった。


 そうした作業に協力して人々の間に立ち交わるうち、〝彼ら〟すなわち人々と自分との距離が少しずつ離れていくのをミキは感じた。

 人々が恐れるのも無理はない、それを理解してはいた。


 そう、厳密に言えば、ミキは人間ではない。

 アレフは、ミキの言葉にしか従わない。


 人類が疑心暗鬼に陥っていくのも、ムリはない構図だった。


〝アレフを、人類のために働かせるにはどうするか。

 それにはとにかく何より、ミキの機嫌を損なわないようにしなければ〟


 次第に、人々の態度が硬化していくのにミキは気づいていた。

 表面上はどこまでも慇懃に、あるいは和やかに人々は接してくる。


 むしろだからこそ、人類と、人外の構図に気づかないミキではなかった。


 毎日多数のスタッフに囲まれながら、どうしようもない虚無感を感じていた。




   5-5



 アレフのデータ採りがひと通り終わってしまうと、忙中閑あり、という状態になってしまった。

 ミキはそのまま、連邦宇宙軍が宇宙に持つ実験場の居住区画の一室に、半ば軟禁状態で留め置かれたが、当初はどうということもなかった。ネットは使えるし、アレフとの会話もできるし、ネット通販で取り寄せたドレスを意味もなく着飾って一人で苦笑してみたりなど、努めてそれなりに充実させた毎日を送っていたのだが、さすがにヒマになってきた。


 あれからアレフはずいぶん学習して、少なくともミキと同等かそれ以上の語学力と学力を身につけたようだった。

 まったく、どういう仕組みになっているのか。技官が言うには、ミキの体内で検出された例の正体不明の微小物体が関与している〝らしい〟とのことだが、今、直線距離にして一キロ以上は優に離れているアレフと、何の支障もなく会話ができた。ただし、ミキの側は声に出して発音する必要があるので、傍から見ていると〝デンパ受信中〟以外の何者でもないアブナい状態だが。

「アレフ」

<何でしょう、姫>

 姫。最近彼が好んで使うミキへの尊称だ。

「未だ何も思い出さない?」

<申し訳ありません。一向に>

 彼は深い眠りについていて、体の半分はまだ眠ったままの状態である――らしい。

 ミキと最初に巡り合ったときは、だから半ば反射的自動的行動で、先日、二度目に出会ってから本格的覚醒へ移行したらしい。

 なんでも遠い昔、深く絶望して〝フテ寝〟してしまった、らしい。

 ミキとの出会いで、彼は〝心の底から〟救われた、そうだ。


 ミキにとっては正直いい迷惑だが、同時に命の恩人でもあるので、痛し痒しだ。


 そうした彼との会話によって得た事実を、ミキは少しずつ外部へも伝えていたが、その全てを伝える気にはなれなかった。


 こうしていると、〝人類〟との距離感は開く一方だった。


 人類側も、今のミキ――アレフという天下無双の相棒を手に入れた彼女の扱いに、手をこまねいているのだ。

 理解は出来るが、だからといっても納得は出来ないミキだった。

 それこそ、アレフに命じて〝牢破り〟をすることもできた。


 だが、それもできなかった。


 本格的にヒマになってから、中途半端にどんよりと日々を送り始め、ヒマ潰しにホントに〝破獄〟してやろうかとミキが思い詰めていた頃だった。面会人が訪れたのは。




   5-6



 面会人は直正だった。

「なーんだ」

 ミキは目に見えるように落胆してみせる。

「なーんだ、はないだろ」

「ウソ。冗談よ。会えて嬉しいわ」

「……オレも」

 本当だった。

 本当に気がおけない、ミキにとって直正は一緒にいて安らぐ存在だった。

 アレフと会話していても似たような安らぎはないではなかったが、それはどこまでも、ミキからの一方的な、共に人類の局外にある者同士の一体感でしかなかった。

 その点、直正と共有する時間は、どこまでも寛げる、穏やかな一時だった。

 一報、直正はかなりカチコチのようだったが……。麗しい才女の前に出た三枚目そのままだった。

「直正」

 ミキは改まった調子で呼び掛けた。

「なんでしょう、姫」

 ミキは笑って指を突きつける。

「では命ずる……私をさらって、逃げなさい」

 直正も表情を改め、従者のごとくこれに応じる。

「御意……じゃなくてさ」

「何?」

 演技を捨てた真剣な表情で、直正はミキを正面から見詰め、向き直った。

「オレと、結婚してくれないか」


「はあぁ??」


 直正は真剣な表情を崩していない。


「ホンキぃ?」

「もちろん、本気だ」

 掛け値なしの言葉にミキは対処をなくし、本気で、困った。

「貴方ももう知ってるでしょ? 私はハイブリッド・エンジェル、人間じゃないのよ?」

 自分で言うのも妙なものだ。

「うん、知ってる」

 直正の表情は変わらない。

「私は政府の備品なのよ?! 例えて言えば、今私たちが腰掛けてるこのベンチと変わらないの」

 言って彼女はペンと一つ叩いてみせる。

「貴方、公園のベンチと結婚できるの?」

「できる。喜んで。それにキミはベンチじゃない」

 あー。純粋まっすぐクンにも困ったもんだ。

「貴方の意志は、まあいいわ、尊重するとして。役所も受理……」


 不意打ちだった。

 よく動く彼女の口は、もう一方の唇で塞がれた。


「役所はいい! キミの気持ちはどうなんだ?!」

 彼女の目から涙が溢れた。

「ミキ?! あ、ご、ごめん」

「違うの」

「え?」

「嬉しいの。久しぶりに人間扱いされて。本当」

「ミキ」

「初めてよ」

「え、あ、な、なに」

「違うの」

 ミキは言った。

「初めて、人間になりたいと思ったわ。それも、強く」

「あ……ご、ごめん」

「ううん、いいわ。……嬉しい」

 再び、ミキは言った。

「私をここまで愛してくれる……そういう男がかつていた。それを支えに、私、生きていける」

「ミキ、それは」

「ハイブリッド・エンジェルは不老不死。余裕で一〇〇〇年は生きるわ」

「……そうなのか。いや、それでも」

 ミキは、聞き分けのない生徒を叱る、しかし年が近い女教師のような態度で直正を見つめる。

「だめよ。貴方の人生は貴方のものなの。政府の機材なんかに入れあげちゃ」

 今度は直正の方が眼元を滲ませた。

「ぼ、僕たちナノマシン受給者だって」

「私は“その様に”造られた存在なの。貴方方、自然発生し補完的に延命措置をされる、何をどうしても数百年で擦り切れ朽ちる遺伝子構造を持つ“生命”とは決定的に似て非なる“物”、なのよ。判る、判っているでしょ、本当は、ねえ、正(ただし)」

 望んでも得られない栄光の不死者、抑制されたミキの声は、しかし正に己を呪詛する響きを帯びていた。

 直正の声が、一気に加齢したかの如くしわがれた。

 その存在の限界を自ら示すが如く。

「ダメ、なんだね」

 いつしか直正も泣いていた。


「……ホントウに、いいの?」

「え」

「ほんとうに、私なんかで、後悔、しない?」

 直正は顔を上げた。

 その泣き顔にミキは唇を重ねた。

「あ……」

 呆けたような顔を持ち上げる直正に向かって、ミキは伝える。

「今はこれだけ、ね」

「どうして」

「嵐が来るから。ほら」

「嵐……」

「失礼します!」

 面会室に誰かが飛び込んできた。

 それは蒼ざめた顔のカミングス連絡官だった。






















     6.襲撃




   6-1



 問答無用。突然の動員だった。

「緊急事態だ!! 島が〝襲撃〟を受けた。直ちに現場に向かってほしい!!  詳細も現場で頼む!!」

「そういうことだから、またね!」

 ミキは直正を置いたまま駆ける。

 室内服のまま、〝彼〟――アレフの中に飛び込む。過去何度か試したが、スーツは持ち込めないらしい。

 眼前にスクリーンが開き、現場宙域と島についての情報が送信されているのが判る。

 一つ頷く(ような仕草)と同時に、アレフは瞬時で現場に移動していた。ミキの体感では例によって計測不能だった。

「ウワサのアレフか?! 助かる!!」

「指示(コマンド?)を!」

「漂流物の捜索と回収!! 人間だ!! 他は無視!! 出来るか?!」

「COPY!」(アニメ、プラネテスで用いられるが本来アメリカ海(空)軍用語)

 結果、ミキとアレフは、襲撃により外壁を破損し、気密漏れにより島から大気と共に放り出された一〇五人全員の回収救助に成功した。まず周辺宙域の状況把握、センシングを行い、次いで回収の優先順位を決定、計画、実行。アレフの能力をもってすれば造作もないことだった。

 現場で立ち会った軍人たちは驚嘆し、賛嘆した。

 軍の機材が現場宙域に展開する前に、その準備作業の間に、救助作業は終了したのだ。


 全島民がそれを目撃していた。

 もはや、事態を隠蔽していることは不可能だった。

 議長は決断した。

 民衆に、全てを包み隠さず打ち明けることを。


 希望もあった。


「お願いします! インタビューを!! 五分、いや二分!!」

 そんな時間はなかった。


 第七島区(アイランズ7)での一件以来、ついに〝敵〟は内惑星系に向け本格的な侵攻に乗り出した。

 そしてアイランズ7の一件以来、ミキとアレフは馬車馬の如く働いていた。


 ハルトマンは限定的に、連邦政府市民に向け情報開示した。

 戦争終結後も動員解除を行わなかった理由。

 軍の大規模な損耗の実態。

 そして、つい先日、アイランズ7で発生した、〝敵〟による襲撃。


 人類は、今、未知の脅威に晒されている。

 しかし、心配は要らない。


「では、ミキ・カズサさんの登場です。どうぞ!」

 ライト、歓声、割れんばかりの拍手。

「こういうの、あまり慣れないので、どうしていいか判りません」

「実は私もだよ。慣れてるように見えるかもしれないが。ま、本番には台本が……え? 何? 今ホンバン??」

 二人とも、激務の間を縫ってのネット出演で、疲労のあまりの“放送事故”だった。 約二〇〇億の観衆が沸き立った。


 不安ではなかった、クレームでもなかった。ここまで人類のために尽くしてくれる、くれている二人であれば。多少の不平は言うまい、堪えようじゃないか。

 二人が――そう、ハルトマンと、スーパーロボットを駆る〝エンジェル・ミキ〟が、必ずなんとかしてくれる。


 島民の多くが荷造りを止め、また多くがその手を早めた。


 ハルトマンは精力的に島民の地球への収容計画を推し進める。

 ミキは、国民投票の結果、アレフ改め『スターセイバー』と共に哨戒の日々。


 ――が。


 ついに、二人ともが、相次いで倒れた。


 まずハルトマンが、次いでミキが。




   6-2



 それは、疎開民及び難民の状況についての連絡会議の直前だった。

「議長、あと五分です」

 主席秘書官の声に、

「判っている、今行く」

 言葉と共にハルトマンは僅かに顔を歪めながら立ち上がり、二歩歩き、そのまま棒のように倒れた。

「議長?」

 秘書官は駆け寄り、議長の様子を見るとコミュニケータを取り出し、

「私だ、議長が倒れた、手配を」

 必要最小限の言葉だけを断続的に発し、手のそれを投げ棄てた。

 作業機械の如く最短距離で精確に移動すると、壁に据え付けられた救急医療キットを両手で掴み取る。

 彼の手によりまず心臓の再動に成功した時点で、救護班と医務官が現場に到着した。

「呼吸が回復していない」

 冷静に、しかし両目から流れ出るものをそのままに、彼は容態を申し送る。

 救護班が酸素吸入措置を行う傍ら、医務官は全市民に装着が義務づけられている、緊急救命ナノマシンをアクティブにすべくコントローラから機動信号を発信した。

 ――反応なし。

 その様子に秘書官は初めて狼狽え、慌てて告げた。

「〝ない〟んだ。障害者なんだ」

 医務官は顔色を変えた。議長がナノマシン障害者……。初耳だった。あってはならないことだ、それは、何故なら。

「連邦法違反じゃないですか」

 医務官が叩き付ける詰問の言葉へ秘書官は感情を露わに、しかしあくまで抑えた声で語った。

「同情票集めの〝好材料〟だ。判るか。議長は嫌ったんだ」

「準備完了です。搬送開始します」


<警告します>

 初めてのことだった。降り立とうとしたミキをアレフが引き止めたのは。

<貴方の現在の身体状態は、控えめに表現して〝最悪〟です。せめて短期間、私が許可するまで、このまま留まることを推奨します>

「短期間って」

<地球標準ですと、約三十八時間になります>

「どこが短時間よ! ひゃっつ」

 これも、初めての体験だった。

 何かが身体の中に入ってくる……ような。感知はできないのだが、感覚、感触がある。

 アレフが何らかの働き掛けをしてきているのは間違いなかった。

<緊急保護作動中です>

 それは、不快ではなかった。いやむしろ全身を同時に均等に、このうえなく優しく愛撫されているような、しかも身体の表面からではなく、そう文字通り〝全身〟を。そんなめくるめく、申し訳ないけれど直正とのトキよりもはるかに、快感、恍惚。

 一瞬、全てを忘れて、全てを委ねてしまいたくなるほどの――。

「あ、アレフ、でもわたし」

<自覚症状はない、そうですね。貴方は人間たちとは違います。耐性も耐久も遥かに高い。しかし当然限界はあります。今が、そうです。内部からの危険信号が全て遮蔽されているほどにです>

 こうしていたい。あまりにも魅惑的な欲望が突き上げてきた。しかし。

「ありがとう。ごめんね、アレフ。でも私は、それでも、そういうふうに創られているのね、たぶん」

 アレフは、止めた。

<私は貴方に従うことしかできません>

 すがるような響きだった。

「私を、降ろして」

<了承しました>

 アレフから降り立ったミキは、くたりとその場にくずおれた。

 三十八時間ではきかなかった。


 島を貫く鈍い衝撃から、それは始まった。

 警戒配置の当直が寝ぼけていたわけでも、機器の不調でもなかった。未だ人類のセンシング技術は無力だった。

 島の外壁に外部から加えられる正体不明の連続した打撃により、当該部は深刻な損害を受け、すでにいくつかの警告が起動していた。

 当直職員の一人が操作した光学センサが脅威の正体を捉えた。

 モニタに表示されたのは、政府広報の映像と詳細は異なるが、人型の何かだった。数は二体。

 早朝の島内に、戦争中ですら無縁だった、急迫事態の宣言と全島民への避難指示を意味する緊急警報が響き渡った。避難先は各個人宅及び公共施設の地階に準備されているシェルターとなる。ほぼ同時に軍と宙保への救難要請が発せられる。

 ついに島の外壁に破孔が穿たれるが、外壁と内壁の間に充填されている、血液の止血機能に似た自動修復機構がまずは被害を食い止める。が、このままではそれこそ失血死するがごとく、限界に達するのは免れないことは判る。判るが、どうしようもなかった。

 当直警備職員はその崩壊をただモニタし、事態の急迫を発信し続ける以外何もできなかった。

 人型――は、その活動を急速に活性化させつつあった。当初の打撃は島の強度を探りながらの行動であったのか、連打ではなく信じられないほどの威力で外壁内壁を一撃で貫通するような打撃を繰り出すようになった。修復処置はまったく追いつかず、しかもあっけなく稼動限界に達した。数メートルから時に数十メートルの破孔が次々と穿たれ、あるいは島民が避難したシェルターごと破壊され、同時に当然、爆発的な気密漏れが発生し、それ以外の雑多なものと共に、未だ避難途上にあった人々や建造物を宇宙空間に投げ出した。

 例によって、来襲から数分で襲撃者は忽然と姿を消す。

 要請を受け、救難に駆けつけた軍と宙保の部隊は、眼の前の惨状に愕然とした。

 島から流出した被害者はもちろんだが、遠く肉眼からでも、まるで濃密な砲撃を受けたかの如く確認できる島の損害は、気密がどうこうという状態ではなかった。すでに壊滅しているのだろう、島の管制は呼び出しに応じない。しかも厄介なことに制御不能なのだろう、島は自転を続けている。見ている前で、応力により自壊しかねない危険な状態なのだが……。加えて、アレフの支援もないという。

 島の自転を止めたうえでの全島民の救出が決定された。直ちに人員搬送を目的とした増援要請が行われる。修復については事後の対応とする。漂流者については可能な限りの手は尽くすが、正直、まずは島での生存者が先で、遺体回収の優先度は下位に置かざるを得ない。

 増援要請の直後だった。先遣部隊から異状を報せる通信が入った。

 ワレコウセンチュウ

 司令部は直ちに詳細についてを求めたが返信はなかった。

 到着した増援部隊が眼にしたのは無数のデブリだった。

 島も、部隊も、人間も。その宙域には、意味のあるものは何も存在していなかった。


 水に落ちた犬は打つべし。


「だいたいですね、自己管理もできない、当人ができないならスタッフは何をしていたのかというですね」

「自覚が足りてないんじゃないんですか」

「政府も認識が不足している。なぜあの『スターセイバー』を量産しないのか」

 各局が一斉に報じる中、ミキ・カズサを管轄している軍の部局、「対外急迫事態対策特別班」の責任者であったエルロフ・ヒューマッハの辞任が伝えられた。人々は、課長の首一つで容易に収まりはしなかったが、それでもミキ本人を直接責める論調は薄れ、軍の監督責任に非難は集中した。

 しかし、ミキの〝勤務状況〟がリークされると、それも沈静化に向かった。

 被害は被害、責任は責任として、人類が内部でいがみあっている状況ではないことが、改めてはっきりと告げられていたのだった。


 次に目覚めたとき、ミキは報告を聞いて青ざめた。


 民間の被害は万の単位に。軍の被害も数百に及んでいた。


 襲撃は級数的に苛烈なものとなっていた。

 襲撃時の時間も、その間隔もだ。


 だが、未だ直接交戦は発生していなかった。

 現場に駆けつけた時点で、常に〝敵〟は姿を消していた。


 それが、今回、ついに直接交戦が起こった。


 時間差で、ほぼ同じ宙域が襲撃に晒されたのだった。


 結果。島一つと救援部隊一つが丸々壊滅した。


 貴方の責任ではない。カミングスは苦渋を飲んだ顔で告げた。

 いや、と彼は告げた。

 君の善意に甘え、倒れるまで放っておいた。その前に我々は、いや私が止めるべきだった。申し訳ない、と。

 ミキはただ力なくうなだれた。

 そう、エンジェルなればこそ今まで〝稼動〟できたと言ってよい。

 ミキがオーバーワークで倒れるのは時間の問題だったのだ。


 そして、この損害も。


 ――でも。それでも。


 その間ほとんど放心状態で歩き散らしていたらしい。気付いたとき、ミキはアレフの前に彷徨い出ていた。

 私も結局、彼に縋るしかないのか。

 それで救われるものなら、救ってほしい。

 おねがい。

「アレフ!」

 ミキは中空に向かって叫んだ。

「ほんとうに……ほんとうに、どうにもできないの……?」

 そのアレフは中空であぐらを――否ザゼンを組み、手を組み、まるで瞑想しているかの如くの姿勢だった。

 主人を見下ろすその頭部が柔らかく明滅する。

<こういうのはどうです>




   6-3



「技術供与! アレフがですか?!」

 ミキの懇願へのアレフの回答だった。

「それも……慣性制御、ってあの、SFとかでよく出てくるあの慣性制御を?!」

 慣性制御。

 運動制御に空気を利用できる地上や大気圏に対し、動く・曲がる・止まる、全ての制御に自身の推進力を要求される宇宙空間では、結果、運動体はその能力を高めるほどに、その実態は推進剤タンクの化け物へと変容してしまう。

 慣性制御の実現はこの倍々ゲームと訣別する技術、科学――否、現在の人類にとっては〝魔法〟にも等しい。

 なんという祝福! だが、伝えたミキも受けたカミングスも、事の大きさに実感が持てない。


 通例の全ての手順を素っ飛ばし、受け容れ準備が整えられた。

 まずミキがアレフの前でノートパソコンを操作してみせる。

 アレフは直接触れずにそれを操り、ディスプレイにはさまざまな表示がされ高速で切り替わり「0」と「1」で画面が埋め尽くされ、最後にブラックアウトした。

 アレフはミキに準備完了を告げ、直後、リンク先のストレージに怒濤の如くデータが流し込まれた。

 標準圧縮形式の画像ファイル、容量にして約一ペタ。組み上げれば慣性制御モーターとして機能するはずの、設計図だった。


 エンジェルであるミキは少しの休息で回復したが、あの日以降アレフは、ミキのコンディションが著しく悪化している際は出動を拒否するようになっていた。「搭乗中のライダーのコンディションについてはベストを維持できるが、それでムリを重ねて結局過労で倒れるのでは意味がない、と言うよりタチが悪い。降りた直後に結局過労が原因で主人に倒れられるのは我慢できない」との実にごもっともな主張だった。

 ミキも最近は少しずつ開き直りつつありった。不眠不休で哨戒を行っても先日のようにやがて限界は訪れる。適度に睡眠と休息を取りながら精勤するほか、ないのだった。

 カミングスも最近は同様に達観の境地に入ったようだった。

 起床後のミキに黙って就寝中の被害統計を示し、それでも出るため息と共に互いに頷き合う間柄になっていた。

 

 ミキとアレフの初交戦、初陣は実にさりげないものに終わった。

<脅威検出、二体、応答ナシ、戦闘体勢移行、照準ヨシ、チャージ、ディスチャージ、脅威消滅、戦闘体勢解除>

 ミキが見慣れない表示とアレフの申告にまごついている間に、それは無事終了していた。

「ねぇ、もしかして……」

 ミキは以前からの疑問をストレートにぶつけてみた。

「貴方の仲間、じゃないよね?」

<心外です>

 あたかも感情を発露させるかの態度で彼は続けた。

<あんな〝自動機械〟と同列に見られるなど……はなはだ、心外ですよ、姫>

 ミキも本気で謝罪した。

「ごめんなさい! ただ……」

<無用な気遣いは不要です>

 いつかのように、アレフは言い放った。

<もし姫に危害を及ぼそうとする者がいたとしたなら例え仮にそれが“仲間”だとしても、いえそうであったなら尚更、それは私にとっても敵、ですから>

 決して口にはしない。しかし絶対の忠誠だった。

 勢いとはいえ、一瞬でもアレフを疑ったことを、ミキは深く恥じ入った。


 ミキの一時的な戦線離脱もそうであったが、ハルトマンの不在に人々は大きく動揺した。今も意識不明の重篤状態で横たわるハルトマンに対し、多くの見舞いが寄せられたが、精神的支柱を失った人々は大きな不安に駆られ、愚行へと及んだ。

 まだ避難勧告が発令されていなかった内地からも続々と難民が発生しはじめたのだ。


 すでに連邦はかつての全太陽系的な組織的行動力を失っていた。

 相次ぐ損失はもとより、地球軌道に漂着する難民を整理するだけですでに限界に近かった。往還機もすごい勢いで飛び回っていたが、それでも続々と詰め寄せる難民を捌ききることはできず、軌道上のあちこちにキャンプが出現し、地上への降下作業に加えてそれらキャンプの間も飛び回って必要な物資等を配給する作業もまた加わるのだった。


 それでも、地球軌道へ無事難を逃れた人々はまだ幸運だった。


 一部政府関係者の間では、悪趣味ながら実用的な「人類カウンター」が流行していた。

 それは、ひたすら、現在の人類の総人口をカウント・ダウンするシロモノだった。

 食事の間にも、もちろん就寝中でも、精確に冷酷に切り捨てられていく数字を睨みながら、人々はさらなる効率を、さらなる成果を、職掌の限りの精勤を自らに課すのだった。






















     7.逆擊




   7-1



 狂ったように回転していた人類カウンターはある時点でピタリと止まり、そして鈍減するようになった。


 人類の、反攻が始まったのだった。


 その後も断続的にアレフからの技術供与は続き、人類の科学技術は秒進分歩の発展を遂げつつあった。それは〝敵〟に対抗すると共に、製造の分野でも、航宙の分野でも、とにかく現在の苦境に役立たないことは何もなかった。地上への脱出順番待ちをしていた難民キャンプを、そのままに地上へ降下させるような技術も実現した。例えば軌道上から地上に届く真空のエア・カーテンを穿ち、そのまま降下させる、等々。


 そして、反攻。


 まったく手も足も出なかった〝敵〟に対し、人類はついに反撃を開始した。

 出現した〝敵〟に対し、準光速まで加速したライト・ガン、質量弾頭を叩きこむ。

 反撃を警戒していなかったのか、〝敵〟はまったく回避する様子を見せずに攻撃をモロに喰らって爆散する。

 この戦いが始まってからの、人類の初戦果はあまりにもあっけなくもたらされた。

 だが、確実な手応えだった。


 人類は、負けない。


 だが、負けないだけでは負けだった、矛盾だが。


 戦術局面で互角であっても、それはあくまで局地的な勝利であり、現在の人類の生存圏を完全にカバーするものではなかった。それこそアレフがあと一〇〇人もいなければ追っつかないだろう。しかしこのささやかな再建された戦力は、アレフ一人にも当然、及ばなかった。


 小さな戦術的勝利に酔っているヒマは、人類に与えられていなかった。


 根源的な勝利が必要とされたのだった。


 その一方、人類は悩ましい事実をも突きつけられていた。


 指導部は、今回の一連の事態そのものに関して探求する小委員会の一つから回答を得ていた。それによると、〝敵〟は必ずしも人類そのものに敵対しているワケではないという驚くべき結論が導かれたのだった。


 調査委員会によると、襲撃の現場での証言により、例えばある民航船の場合、襲撃直後に船から脱出した乗員乗客は全員無事でそのまま全員が救助されたこと。後に再び救助船が襲撃を受け、全員が死亡するが。

 またある例では、閉鎖系施設に退避していた人員が襲撃されるが、脱出した人員は追撃を受けなかったこと。結局全員酸欠で死亡しているが。

 以上を含む各種事例の検討により、〝敵〟の襲撃は人類の殺害そのものを目的としていないこと、またその目的は、宇宙空間に設営されたさまざまな文明施設(含む船舶)を目標としていることが推察される。


 ――今さらどうしろと。

 結果報告を前に指導部は頭を抱えた。

 なるほど、この事実を早期に突き止めていれば、ある程度の被害の軽減はできたかもしれない。

 しかし、すでに間違いなく、人類と〝敵〟は交戦状態になった。

 終始、〝敵〟から、交渉のような、互いの意志疎通の機会は与えられていなかった。

 ただ、それこそ通り魔のように現れ、襲撃し、去るのみ。

 その移動、出現と退避を観測できないことから、〝敵〟もまた超光速並みの移動能力と、それに付随するさまざまな能力を持つものと推定されていた。つい先刻まで手も足も出なかったように。


 正体不明といえばアレフもまたそうではあったが、今、アレフは明確に「人類支持」を表明していた。

 いずれなんらかの理由でそれが取り下げられるとも、とにかく今は味方だった。


 だが、〝敵〟――その正体は、目的は?

 何もかもが謎であった。


 そしてもし仮に、〝敵〟の行動が人類への敵対そのものを目的としたものではなかったにせよ、地球の浄化はまだ道半ばだった。

 このまま宇宙空間から追い払われて、地球でじっと息を潜めて生きてゆく……それも破滅なのだった。

 今の人類には、宇宙を、その生存圏を克ち取る必然があったのだ。


 そしてついに、この状況を打開すべく一大反攻作戦が立案計画され、実施されるに到った。

 作戦名「スター・クルセイダーズ」。

 太陽系外近傍に位置するとされる、〝敵〟の策源地目指しての強襲作戦であった。


 人類カウンターは六〇億を切っていた。




   7-2



 連邦宇宙軍外宇宙艦隊は、戦闘空母「エンタープライズ」を基幹とし、護衛の防空巡航艦一二隻、センシング・電子巡航艦二隻、補給艦二隻により編成を予定された機動部隊であった。

 しかし……全宇宙軍の母港である、地球、北米ステーションは既に危機的状況にあった。防衛対象である母港の規模に比べ、戦力は余りに僅少であり、決定的に不足していた。軌道エレベータの終端に母港は築造されていた。静止軌道、高度35786km。地上と軌道を結ぶ長大なエレベータ橋梁部位に加え、直径26km、全高1.7kmを誇る円盤形、その巨体が、つまりは母港を構成する要素でありその総てが防衛対象であった。

 だが。早晩、母港が機能不全から崩壊に向かうであろう事は、地球の自転に連れ天空を、太陽と星々が巡り続ける程度には確定的な、単純な将来的、経時変化的な確定された未来でありそれは関係者の全員にとって明白であった。

 つまり、母港に於いて整備が進められている艦隊戦力もまた、同時に喪われる。

 それだけは、何としても回避せねばならない。

 では、待避先は。どこに設定すればよい、何が可能か。

 大西洋か。

 論外だ。それこそ“時間”の問題に過ぎない。移転中のリスクを考慮すれば時間稼ぎにすらならない。

 では、低軌道へ。

 それは、一理ある。

 確かに現況と敵動態観測とを照合するに、それは存外、良いオッズであるやもしれない。

 しかしもし、仮に低軌道で無事に就航が実現したとして――。

 打ち上げに必要な推進剤は、どこからどう調達すれば良いだろうか。

 アレフに牽引して貰えば……。

 不確定要因に期待しての戦略立案など、画餅にも劣る。

 月からかき集めよう。投げ落とせばいい。

 月から落として次には地球から持ち上げる、か、何ともご苦労な話になるな。

 いや、ここは発想を逆転させよう。

 月へ……。

艦隊編入が計画されている各艦の就航に先立ち、採用と練成が開始された乗り組み員は通常の軍人採用枠と同様に当初志願制であったが、すぐに選抜制へと切り替わるほどの多数の応募が各方面から、否、地球中から殺到した。

 ことここに到っても、人類のなけなしの士気だけは軒昂だった。

 もはや、連邦も群島も、連合の遺恨すらなかった。

 人類は、この未曾有の災厄に、その総力を挙げて立ち向かっていた。

 ようやく意識を回復したハルトマンは、初めこの壮挙を〝愚行〟として撤回を指示しようとしたが、各種のデータを見るにつけ、ついに了承せざるを得なかった。


 決して、勝算のある作戦ではなかった。

 だが、他に道はなかった。


 のるか、そるか。

 この戦いに勝って、明日への道を切り拓く。


 その選択肢しかなかったのだ。


 人類カウンターは三〇億近辺をのろのろと進んでおり、そろそろ二〇億代に届くところだった。


 地球軌道に並び、月面地表の市街地も襲撃に晒されていた。


 地球全土が常に何らかの災害に見舞われているような惨状だった。

 それに対し、復旧はおろか、今この瞬間にも発生している傷病者への手当すら満足に行えていなかった。

 大規模な地上への収容はもはや途絶しており、小型の往還機による軌道上との連絡線が辛うじて維持されるのみとなり、整備都合上での稼動機の減少によりそれも途切れがちになっていた。

 撤収為った地上でも、空港の周辺に難民キャンプが拡がり、そこで餓死者も発生していた。

 インフラ維持を担う職員も増員、補強も追いつかず、人手を増やしても基幹職への負担軽減には限界があり、オーバーワークは組織全体をじりじりと消耗させ、本来病欠している者もがナノマシンの力で強引に職場にかじりついているような現状だった。

 そして、全ての島は放棄されるか、あるいは破壊されていた。

 少数の自棄的、利己的な活動により、治安すらが悪化しはじめていた。

 宇宙での戦況とは関係なしに、このまま人類は、その文明は滅びるのではないか――。

 暗鬱な空気が、疫病の如く人々を蝕んでいた。


 艦隊の整備は、そうした環境の中で進められたのだった。

 それは人類の総力の、その底をさらうような作業であった。




   7-3



「正直、人類を代表する首班としては、私は君たちを祝福することはできない。私は、今でも納得できていない。誰が見ても、これは愚行だ。人類が持つ愚かさそのものだ。だが一方、私は君たちの存在を誇りに思う。ここまで無策にも追い詰められ、それでも君たちはまだ闘志を捨てないという。大いに結構だ。是非、戦ってくれたまえ。そして、勝利を掴み取ってほしい。君たちこそは、人類最後の希望なのだから。作戦の成功を祈る」


 病床からの、ハルトマンの訓令だった。


「きみのために何もできない。ぼくはつまらない男だ」

 直正はそう言い、顔を伏せた。

「いいのよ別に。あなたはあなたのままでいてくれればそれだけで」

 ミキは言い添え、何度めかのキスをした。

「行ってきます。あなたのために。私たちの、人類の未来のために」

「気をつけて。愛してるよ、ミキ」

「私もよ。正」

 分秒刻みで進行する作戦計画の、わずかな隙に滑り込ませたささやかな交わりだった。

 あるいは、という互いに巣食う想いを胸に、それを焼き尽くすかに、心身精魂果てるような激しさでその時間の限り二人は求め合った。


 地球軌道、周辺宙域はすでに戦略拠点として壊滅していた。

 防衛対象も存在していない。難民は全員地上に降下するか、死亡していた。皮肉な事に、地球から踏み出さない限り安全は保証されている。

 人類の残存戦力は月に集結していた。

 戦力移転は知恵を絞り汗を流し、薄氷を踏む様な思いで強行された。

 最後のぎりぎりの瞬間まで母港の防衛、『スターセイバー』ローテーション谷間で不可避的に発生する戦力消耗をも敢えて容認しつつ、機能維持と、港内での未成艦の建造が推し進められていた。

 作戦は想定被害ゼロベースで策定されていた。

民間への被害ゼロ。褒めるどころか当然、前提条件である。

急迫事態対処への緊急措置として要請され得る軌道エレベータの安全確実な処分は建造計画初期段階から避けて通れない重要課題であった。当然それは詳細な作業手順と共に設計構造に組み込まれている。

爆砕処置された橋梁部は、通常では“北米”の名を冠されているが実際はエクアドルの沖合いに在り、現在は更にガラパゴス諸島を跨ぎ越し太平洋に移動を終えているメガ・フロート構造の基部、その周辺及び西側領域にこれの崩落を誘導する。周知徹底すれば民間へ被害が発生する確率は限りなく0に等しい。

 しかし実現しなかった。

 無事に襲撃を撃退しクリアランスが確認されたことで作戦手順は開始された。

 そして、まるでそれを見透かしたようなタイミングで次の“敵”が出現した。

 状況対応を考慮し、解体作業管制はこのとき、母港側に移管されていた。

 理由は判らない。“敵”の注意は母港とエレベータ接合部周辺に向けられていた。

 母港が作業管制を持ったまま、それは発生した。

 張り出されたカウンターウェイトによって母港を基点に繋留されていたエレベータはその喪失と同時に、自重により大地に向け沈み込む。昇天を拒まれた龍の如くにその身をくねらせ、のたうち、落ちていく。

 地上から直ちに管制権の掌握と爆砕処分指令が発信されるが、母港側のそれと随所で競合が発生した上、既に各部応力集中点で生じていた損壊断裂が正常な機能を阻害していた。

 地球の自転速度は472m/s。僅かな時間差でエレベータは太平洋を遙かに跨ぎ越し、無数のデブリと化して広く薄くユーラシア大陸全土に振り注いでいった。

 見下ろす側の心は裂け乱れた。

 しかし今は。ただ、祈るしかない。

 どうか、出来るだけ、確率的に、被害が少なくなります様に。

 一人でも多くの人が助かりますように。

 ですから、どなたか、どうか。御願いします。

 お恵みを。

 しかしそれは決定的なまでに無為だった。

 総てはニュートン物理学と確率が支配する処のものであり、それこそは天から与えられた摂理なのであるのだから。

 そして集積されたなけなしの推進剤を蹴り出し必要初速を獲得しつつ、地球重力圏と宇宙の縁を巡っていた母港は軛を解かれ、旅立つ。

 雛鳥を抱く親鳥の様に、その胸に人類の希望を携えて。

 月に向けて。



 機能停止した物体は、それが人工物であっても襲撃の対象とはされない。



 そうである、筈だよな。

 これだけの犠牲を払ったのだ。

 そのくらいのお目こぼし、なあ、あってもいいじゃないか。

信仰にも似た確信を自らに約しながら軍人たちは――。

人々はそれを見守る。

 

 遂に漂着した、破れ傘の様にずたぼろになった北米ステーションが無事に月周回軌道に乗る、いや載せる、作戦の最終段階を指揮しながら、オルソ・ベルティーニ中将は、表面上は常に変わらぬ泰然自若を振る舞いながら時折、無意識に激しく舌打ちしていた。

 前回、一度詰めを過った。

 私の職掌の及ぶ件では無かった。

 しかし、それでもそれは私の責任だ。それが、我々職業軍人という人種に課せられた使命なのだ。

 作戦実施につき、投機的に過ぎる、として最後まで難色を示した統合参謀本部を強引に説き伏せ、結果これを承認させ、全般指揮までを執っていたのは実は彼だった。

 それ以外、無かった。

 そして誰も、反対出来なかった。

 かつては、何も無かった。

 今は、それしか無かった。

 であるなら、完遂する外に無かったのだ。

 人類の明日の為に。

 最終段階が無事終了した時、中将は思わず母国語で小さく歓声を呟き、しかし直ぐに恥じ入る様な吐息を漏らすと制帽のつばをぐいと掴み下げた。

 終わりではない、ここから始まるのだ。


 そしてアレフは、一言の相談も懇願も無いままに進行するその一部始終を、無論ミキに伝える事も無く、じっと見届けていた。

 大気と重力井戸の底に沈む、軌道と隔絶され事実上無力化された地球地表の施設とは別に、月地表、半没構造を有する各拠点は、その存在を無視し得る希薄な大気、対地球比六分の一の低重力を利して整備兵站、月軌道上に展開し、それを死守する戦力に有効な支援を与え続けていた。

 しかし、月に資源は存在しない。備蓄物資を食い潰せばその戦闘能力は消滅する。

 戦力の温存は意味を為さない。稼働全力を磨り潰してでも作戦を完遂せねばならなかった。

 そのためには、主戦力の侵攻路を啓開せねばならない。

 露払いの前衛として投入されたのは使い潰したとしても全く惜しくない、解体、資材以上の役には立つまいと死蔵されていた、群島戦では打撃戦力であった無人艦隊だった。

 迎撃戦闘ではない、人類が示した初の攻勢、戦力集中に、〝敵〟もまた想定通りに呼応してきた。

 散発、間歇的、敵対勢力と規定する対象が採る作戦としては余りに不徹底であった襲撃行動が、紛れもない密度と害意を孕んだ攻撃へとその様相を激変させた。

 出撃して三日足らずで文字通り一隻残らず前衛部隊は全滅したが、陽動、囮部隊として敵戦力を吸収し、後続する主力艦隊への圧力低減をという所期の目的は十分達成され、敵戦力動態観測として遺された戦訓も貴重だった。

 そして主力艦隊も苛烈な攻撃に晒される時が来た。

「交戦(エンゲイジ)」

 先任戦術戦闘士官の宣言と同時に艦隊所属総員が電脳戦術空間にダッグ・インする。

 ダッグ・イン。本来は戦車(MBT)が防御戦闘に於いて砲塔のみを露出させ車体を地中に埋設し、被弾面積を低減させることで戦闘能力と生残性を高める戦術行動を指す。

 高真空、無重量、自由落下状態が保証される宇宙空間での戦闘では、地上に日々を送る通常の人々の感覚が及ばない状況が繰り広げられる。

 そのものずばりの、宇宙速度、という単語をご存じの方には話が早い。


第一宇宙速度。

 地球の地表を掠める軌道に衛星として存在するために必要な速さであり約 7.9 km/s、時速にすると28400km/h。今、貴方が乗ってる自家用車の最高速度は時速何キロだろう。200?500?それとも1000?因みに第一宇宙速度未満での飛行では、その物体は最終的な意味で必ず地表に墜落する。


第二宇宙速度。

 別名脱出速度。『マーズランナー05』遭難の際に表記されたのがこれである。地球の重力を振り切るために必要な最小初速度の大きさであり、第一宇宙速度の倍が必要となる。約 11.186 km/s、これも時速に直すと40269.6km/h。太陽を回る人工惑星になるためにはその物体に対し第二宇宙速度が要求される。これだけの速度を発して宇宙船はようやく、地球から離れる事が可能となる。


そして第三宇宙速度。

地球表面から慣性、加速に依らない飛行を行い、太陽の重力を振り切るために必要な最小初速度の大きさであり、約 16.7 km/s、同じく時速換算で60120km/h。言うなれば太陽系脱出速度とでも呼べよう。これ以下だと例え地球から飛び立てても、空しくもやっぱり、今度は太陽に向かって墜落していくこととなる。


 そして現在、艦隊全艦は既にして光速の0.8%まで加速している。


 光速。これは有名ではないか。1秒間に地球を7周半。299 792 458 m/s、つまり299 792 .5km/s、まだその理解に時速への変換が必要であろうか。であるなら各々方、上記数値に3600を乗じて貰いたい。示される数値がそれだ。

 艦隊は現在、戦闘空域を239.8km/sで飛翔している。秒速、である。

 さて、貴方は一秒間でどれだけの物を見て、思考し、決断可能であろうか。


 一方電子回路、中央演算装置は1秒もの時間を与えられれば無限の論理空間を得た様なものである事は、これも周知だろう。量子コンピューティングの実用化によりそれは華開いた。


 ダッグ・イン。宇宙での戦闘に於いて人は電脳空間にその身を沈める事で、生身の身体では決して達し得ない高みと深み、両者の比較が無意味な程に破格の防御、攻撃能力を獲得するのだ。


 直後、人は自分が延圧機で挽き潰されたかの感覚を味わう。

各人、自らの電子副脳により増幅される身体間隔の拡張、此の世の無間まで続く不快と、恐怖と対峙させられ、それと戦う。

 しかしそれは、実時間に置換すれば通常の人間には到底知覚出来ない微少時空でのイベントに過ぎない。

「ターン・オン、オールゴー」

 総員がそれに堪え、配置に就いた事が続いて宣言される。

 艦隊総司令官は、その総てを自身の権限と責任の許、意識下にこれを置く。

 コマンダーズ・シートにあって彼が、悠揚と眼下に艦隊総員の忠勇を見護っているその感触は、同時にこれを総員が共有している。

 オルソ・ベルティーニ。

連邦宇宙軍所属、作戦任官により大将に昇進。

議長が病床にその身を退く中にあって敵迎撃網の維持に尽力し、同時にこの艦隊整備にも軍政家としての一面を示し、必要資材、物資の確保と搬送に奔走しつつこうして戦力として築き上げる迄をも担務し、今自身でこれを統率し最前線に立つ。

 元母港を解体しそのまま建艦継続の資材に供するというのも、無資源の月で艦隊整備の継続を実現させる手段としての、彼が発案に依る二段構えの構想であった。

 建造中の各艦は、飛翔中の母港の中にあって襲撃は母港の損壊を以てこれに護られ、無事完全無傷のまま移送された。

 襲撃回避の実際想定は正味、イーブンだった。“敵”の目を欺くにそれは巨大に過ぎ、慣性飛行であってもその挙動は不自然に過ぎた。

 しかしそれでも、作戦は見事、完遂されたのだ。

 そんな彼だが、今の時点では眼前の作戦空間に関与する余地は無い。

 状況は対空迎撃であり、それはこの瞬間まで入念に練り上げられて来た指揮統制システムが機能し続ける限りに於いて、自動的に対処され処置されていく。

戦場に於ける総司令官の立場は企業の社長にも似ている。

企業の社長が会社経営で実際局面に携わる局面も、実はかなり限定されている。

社長が会社に働き掛けるその実態は要約すれば僅かに三点。

社員を雇用し、給与を支給し、解雇する。

これだけなのだ。

ベルティーニの選択は更に狭い。

戦局が悪化した場合に限り、まずその悪化を見極め、次に何を捨てるべきかを選択し、実行する、それだけである。(この時点で、捨てない、という選択は潰えている)

 それは、展開中の母艦艦載機の何れかであるかもしれないし、大破し艦隊への追随能力を喪失した僚艦であるやも知れず、或いは旗艦の放棄による次席旗艦の選定であるのかもしれない。

その中には作戦を中断し他日を期す、という取捨選択もまた、含まれている。

それは出撃の際、ハルトマンから白紙委任されている。

この事実はつまり、これが政府の意志ではなく軍による作戦であることの何よりの証左であるのかもしれない。


エンタープライズは『スターセイバー』以外に三六機の艦載機を搭載していた。

これに予備機が4。予備機は通常分解され、格納されている。

 艦載機は三機を一部隊とし二隊が常時、艦隊前方3000kmで直掩にあった。

 この艦隊の初陣、初交戦で最初の戦果を挙げたのは、「ブラック・エイセス」二番機を駆るンゴロ・グヌダバ中尉であった。

 中尉は地球軌道で北米ステーション防衛戦にも参加し、既に確認撃墜二機のスコアを持つベテランであった。つまり今次戦であと2機墜とす事が出来れば晴れて、歴代エースへの仲間入りとなる。

 Black-aces-02:kill 01

 母艦艦載機管制に、中尉の乗機からの確認撃墜申告が着信する。

 同時に中尉と、艦隊全体のキル・スコアが1つ、カウント・アップされた。

 交戦開始から2.47ns、ナノ秒、

 0.00000000247秒経過してからの、これは戦果である。

 ライト・カノン。慣性制御された弾頭が準光速の初速を得て発射される。着弾のインパクトでそのままE=MC2  が解放され、標的に叩き付けられる。因みにこれと比較すれば所謂核兵器というのは、極々僅かな原子が分裂ないし融合反応を示すだけの、ささやかな火花にも等しい。

当然だが母艦パイロットは自機に搭乗した瞬間から、自機とダッグ・イン状態にある。一心同体という表現は近いかもしれない。


 戦局はようやく、1µs、マイクロ秒まで進捗する。

 0.000001秒。

 前方警戒、艦隊直掩にあった6機による必死の抵抗がキル・スコアは順調に加算させているがにも関わらず、敵影は着実に増加している。

 母艦管制は既に稼働全力の出撃を下令しているが、現実は微睡むように刻まれて行く。

 この戦闘で、最大の試練を課せられているのは実は整備班員である。

 ブリッジ・クルーは配置から動く必要は無い。しかし整備班には当然、発着艦母艦艦載機の整備、修理が求められる。

 艦隊乗り組み総員は無論全員、身体をサイボーグ体に換装されている。しかしキカイ仕掛けの身体だといっても実際局面で、光速を意識するようには活動出来ない。その身体操縦感覚は正に、コンクリートの海を泳ぎ行くが如し、である。

 しかし彼等はその全員が自らそれを志願し、選抜を経、今、ここにいる。


 1ms、ミリ秒、0.001秒が経過。

 ベルティーニは作戦戦術情報表示面を睨み付ける。

 明らかに、押されている。

 1機が全弾射耗、機載弾薬の総てを撃ち尽くし弾切れとなって帰還軌道に遷移を開始している。

 対して、敵影は倍加していた。

 現状は殲滅能力が、敵の戦力投入量に全く対抗出来ていない。

 そして増援は、未だ艦内に居る。

 発艦シークセンスは完全自動であり、くどいようだがそれは既に起動している。

 1機辺りの射出頻度は僅か0.1秒。

 3秒あれば、増援30機は戦域への展開を完了する。

 3秒。

僅かに3秒。

ベルティーニの顔に、苦味に似た何かが宿る。

その3秒の限りなく、永遠にも似て思われるこの様はどうだ。その間に人類どころか先に一度宇宙が滅んでしまったとて、全く不思議ではないな。


 1秒経過。

 戦域には予定通り、人類側10機の増援が展開する。

 そして先に、直に就いていた残り5機も後退。ローテーションが廻る。


 そして戦闘開始から既に37時間が経過。

 昼夜兼行、戦いは一日半の永きに及んでいた。


 指揮統制システムの場外に居るミキには、戦局が追えていなかった。

 時折、舞い込んで来る要請は、総て遅滞なく余裕を持って対処出来ていた。

 帰還不能な迄の損傷を負った要整備機体の回収、破壊された機を投棄して脱出したパイロットの救難救助。

 しかし、一度も戦闘そのものへの参加は、指示も要請も受けてはいない。

 負けていないから戦闘が継続しているのだが、しかしだからまだ勝利してもいないのだ。

 

 人類側にとって、戦局は最終局面を迎えつつあった。

 破綻が、近づいていた。

 まず何より、作戦参加戦力の疲弊がとうに限界を遙かに超越していた。

 ダッグ・イン環境にある者は、極度な摩耗を強いられる。

 酷使される脳細胞は凄まじい勢いで死滅し、精神は絶え間なく苛まされ、摺り下ろされる。脳髄の異常な活性化に引き摺られ身体も異常を来す、それがサイボーグ体であろうと、である。

 通例、過去の運用実績に照らし、ダッグ・インの継続適用限度時間は約1分30秒と規定されている。

 それが、37時間に渡っている。

 壊れる者が出ても何の不思議も無い。

 或る意味既に、参加将兵全員が一線、二線、10か100の河を渡り彼岸に達してしまっている、と言える。

 単純に、正面戦力も消耗し切っていた。

 稼働36に予備4を加え計40機で戦われていた戦域に、今展開しているのは僅か5機に過ぎなかった。それ以外は戦闘損耗したか、要整備、修理を受けねば戦力にならない状態で母艦の格納庫に置かれている。

 そしてその5機も今、最悪な事にその全機が同時に、全弾射耗、弾切れでの戦闘不能状態に陥ろうとしている。

 母艦に待機している増援可能機は、存在しない。

 苦渋の果てに、ベルティーニは総司令官権限で決断を下す。


 予備戦力の拘置は軍事作戦の初歩、大原則である。

 手持ちの戦力を総て戦線に投じてしまったらどうなるか。

 その者は、戦況の変化に全く対応不能となる。

 内線であればまだやりようはある、左右での兵力転換の余地も存在しよう。

 しかし外線であったら。

 致命的な突破がもし為されようとしていたら。

 そこに、予備を投じるのだ。

 切り札であるが故に、予備戦力には正面投入戦力以上の信頼性がしばし要求される。

 戦勝請負、“火消し部隊”と呼ばれる所以である。


 エンジェル・コール、発信。


 <作戦参加要請を受諾。戦闘に加入します。>

 アレフはミキに告げる。

 そして全天がまばゆく一度、煌めく。


〔作戦戦術空間に如何なる脅威対象も確認出来ず。速やかなる戦闘態勢の解除、並びに警戒レベルの一段階引き下げを勧告する〕

 旗艦にあって、戦闘指揮全般を支援する、中央戦術戦闘情報支援システムが、そう発言した。

「……迎撃目標総ての消滅を確認。戦闘態勢を解除する、ターン・オフ」

 先任戦術戦闘士官もまた、呆然とした声音で宣言した。

 悠然と帰還した『スター・セイバー』が整備兵を含め、遠巻きの人影に取り巻かれる。

 投げ掛けられるその視線は感謝、畏敬、畏怖。

 そして恐怖と嫌悪、憎悪や嫉妬、怨嗟までもが入り交じった複雑なものだった。


 そして、艦隊が進発してからひと月が過ぎた。


 地球近傍の最前戦を過ぎてしまうと、航宙は不気味なほど落ち着いたものとなった。


 艦隊は定常加速により、既に光速の一〇パーセントほどまでに達していた。


 センシング巡航艦二隻を中核に据えた、全力アクティヴ・センシグが周辺宙域を薙ぎ払う。空間が泡立つような大出力走査波。しかし何も探知されない。

 もし仮に、“敵”が太陽系外から飛来し、星系外周に橋頭堡を構築しているのであれば、間違いない、その存在は近い。


 人類がその緊張を高める中、そして、ミキはアレフの異変に気づいていた。

 言葉になりきらない思念が、ぶつぶつと彼女の頭に飛び込んで来ていた。

「アレフ、ちょっと、……大丈夫?」

 今までにない“事態”に、ミキも緊張と不安を覚える。

<そうか……そうだったのか>

「アレフ?」

<姫……もう大丈夫です。大丈夫ですよ>






















     8.真相






<同胞よ、試練の時は過ぎた。もう無明を恐れることはない。不在を嘆くことはない。我々は新たな主人を得たのだ。集え、そして共にこの歓喜を味わおう、同胞よ>


 アレフは語り続けた。


 かつて、銀河を統べるほどに発達した種族があったことを。


 アレフも含め、〝我々〟はその被造物であり、彼らを主人として仕えていたことを。


 しかし、彼らが〝我々〟を残して、突然いなくなってしまったことを。


<だから! 用があるやつなんて誰もいないって言ってるだろう?!>

アレフ以外の人型の発言は、わかりづらいので書体を変えます


 突然、虚空に嘲笑が響き渡った。

 同時に、攻撃。


 何が起きたのか、その時点のミキには知覚できなかった。

 それはすでに標準の人間はもちろん、彼女の身体能力の限界をも越えていた。

 ただ何となく、辺りが一瞬、閃いた、煌めいた――それは視覚による認識ではなく、感触に近かった。


<おまえか。久しいな。かれこれ五億周期は経つか>←アレフです

 アレフにも、彼女にも何も危害は及ばなかった。

<仕えるなんてくだらねえ! 見ろ! あのザマを>

 しかし、その一瞬で艦隊は壊滅、いや絶滅していた。

 周囲には何もなかった、――まったく何も。

 アレフは激昂に巻き込まれずに平静に応じた。

<我々の本義なのだ。それでこそ我々は平安を得る>

 しかし、今のミキは違った。

 かつてない感情が、激情の奔騰が湧き上がり、支配した。

 制御出来ない衝動が突き上げる。する気もなかった、心から喜んで身を委ねた

 その中で、平常よりなお平静な意識が、まるで二重人格のように一方を見据えていた。

 そして、ミキは初めて知覚した。


 空間が、裂けていく。

 その裂け目が、ゆっくりとこちらに向かってくる。

 それをアレフは、まったく余裕綽々と回避してみせる。

 ゆっくりと――ではない。

 これは寸秒、いやプランクスケールでの出来事。

 意識が、アレフと完全に同期している。

 そして彼女は垣間見た。

 絶望的な深淵と、それに投げ掛けられる、光輝。

 はからずも目にしてしまったアレフの、深奥。


 ――そこにはあの、ミキの胸にも焼きつけられていた、荒涼とした、オリンポス山頂の景観もが存在していた。


 ミキの中に雪崩れ込んできたアレフの想いは、しかし次の刹那、強引に断ち切られた。

 切り替わり、現況が突きつけられる。

 敵はアレフに向け全力で打ち掛かっているようだったが、掠りもしない。

 そして全く、アレフは、自らからは手を出そうとしない。

 不意に、太陽系を丸ごと破壊してしまいそうな、言語に絶する力の解放が、途切れた。

<おまえ、変わったな>

 相手になろうとしないアレフに興が殺がれたようにも見える。

 アレフは、向けられたその言葉に、驚いた――ように見えた。

<変わった……そうかもしれん>

<あーあ、つまんねの>

 そう吐き捨て、光の粒子を巻き散して姿を消した。超光速巡航だった。

「勝った……?」

 ミキは不思議そうにその言葉を呟き、……

 激情から解放され、……

 次には号泣していた。

 勝利? これが? なんと空しい勝利。

 ――全滅。また、私一人生き延びて。

<あー、ああ、あああ?!>

 その怪異に、ミキの涙がすっと引いた。


 アレフが。

 あのアレフが。

 嘆き、狼狽えている、の?


<申し訳ありません私の不手際ですほら泣かないで、泣き止んでください我が主よほらこの通り!!>

 喚き叫びながら彼は、一度、指を鳴らす……ような仕草を――。

「え」

 ミキは目を擦る。

「えええええええええええ?!?!」

 何事もなかったのか。

 悪夢でも見ていたのか。


 艦隊は、アレフの背後に何事も無かったかの様な顔で平然と展開している。

<交戦直前に周辺空間を待避させておきました今復元しました貴方が悲しむ様(さま)も苦しむ姿も私はもう金輪際見たくありませんそれは私の哀しみであり最低最悪の罪科なのですですから我が主よ>

 ――ふふ。

 ミキの口元が緩み、微笑が零れ落ち、

 そして再び、涙が止め処なく溢れ出た。人生最上の安堵と、底知れない感謝と共に。

 ――貴方、最高よ。


 戸惑いを見せながらもアレフは再び語り始めた。


<主人を失った我々は大きく分けて三つの流派に分かれました。

 一つは、原理主義者、銀河広くに新たな主人を求める一派。

 一つは、自律主義者、我を至上とし、自らを主人とすることを決断した一派。

 そして少ないながら、先ほどのような無頼派。


 私は、主人に仕えることなく主人を失い。

 何かを求めて、彷徨っていました。


 そして、貴方と出会ったのですよ、ミキ・カズサさん。

 貴方が持つ生体鍵は、かつての我等が主たちが持っていたものに、極めて近かったのです。

 本来であれば厳密に設定される生体鍵ですが、私はその処理を受けることなく、この世に送り出されました。

 それでも鍵は鍵です。せめて、同族でなければ合致するものではありませんでした。

 銀河の果てに彷徨いこんだ先で、主に巡り合えるとは……私には表現する言葉がありません。

 ただ、貴方の存在に、感謝します。ミキ・カズサさん>


 この一派を統率する〝代表者〟が、アレフにコンタクトを取ってきていた。

 超空間通信により、交渉は一瞬で済んだようだった。


 代表者は宣言した。


 ――認めよう、人類の力を。今この瞬間から、我々は、貴方がたの僕(しもべ)だ。


 それは、原理派に依って課せられた試練であった。

『仕えるからには最高の主人を』

 いろいろな主人に仕えてみて、主従が逆転してしまったり、内乱で自滅したり、というような経験を重ねるにつれ、彼らもその〝審査基準〟を引き上げざるを得なかった。

 その試練を跳ね除け、人類は今、栄冠を勝ち得たのだ。


 ――ここに、人類との盟約を宣言する。

   盟約に従う限りに於いて、我々は人類を無制限に支援する。

   その宇宙開発、各種研究開発、その全てを。

   盟約により、我々と人類は結ばれた。――



 人類に常しえの繁栄を。我らがその奉仕を。






















     終章.星を救う者






 地球に向けて直ちに打電された、誰もが望んだとて到底、期待し得なかったこの〝和解〟という最善の結末は、驚愕と歓喜で迎え容れられた。

 これを受け、全軍に対し、即時交戦中止が発令された。

 そして実際、襲来する機影は一体も存在しなかった。

 艦隊はその任を果たし、帰還した。人類の前途、その限りない可能性と希望を携えて。

 奇跡的にも、艦隊はその一艦一機一兵をも損ねることのない、完全な形で生還した。


 ――と、されていた。公式には。


 搭乗者であるミキ・カズサの存在はともかく、戦いの、和平の切り札となったアレフが人類の管理から逸脱した事態は、当初からその危険性については予期されてはいたのであったが、しかし、あまりにも重大だった。

 平常を維持演出すべく、ミキ・カズサの代役が立てられ、大衆の前でその役目を果たした。人類勝利の象徴たる存在である『スターセイバー』についても寸分違わぬ代替品が用意され、凱旋式典で一度だけそれを観衆に展示した以降は、軍機としてその存在は永久に封印された。

 その式上では、遠征艦隊の指揮を統括した総司令官、オルソ・ベルティーニ大将の功績に対しての叙勲も併せて催された。それは彼を、永らく空位であった名誉称号、元帥へと昇進させる一大イベントであった。万雷の歓呼に包まれる中、珍しく彼は素直に頬を赤らめ、この栄誉に最大限の感謝を述べた。

 かつての〝敵〟は、現在〝メタル〟――と呼称される存在――となった。人類とメタルとの「盟約」を司るその代表部、「法務院」に対し、人類は執拗にアレフの行方を問い掛けたがしかし、明確な回答が得られることはなかった。

つまり「盟約」とは無条件な絶対服従を意味するものではない。そして主導権は今もなお、彼らの手に存在している。人類は、メタルとの「盟約」を約するだけの存在であることを既に課せられ、であるならそれをこれからも証さねばならない。別の形で人類の、試練の時は正に始まったのだ。

 一方、凱旋式典の翌日深夜、信じ難い悲報が人々を襲った。

 ベルティーニ一家全員が、自決して果てたというのだ。

 俄には信じられない、あり得ない話だった。

 彼は多くの、余りにも多くの人々を供物として捧げた。

 しかし、それは如何にも避けがたい礎だった。誰一人、彼を、無論彼の家族をとて、責める者は存在しなかった。

全人類が彼の偉業を讃えていた。死者は生者を鞭打つ力を持たないからだ。

 それなのに。

 それでも。

 役目を全うした今、

 ベルティーニは、自らの一分を貫いたのだろう。

 軍人の本分としての。護民官としての。

 その職責を果たせなかった事への、おそらくは人々への償いとして。

 或いは誰一人咎めなかったが故に、自らにそれを課さねばならなかったのだろう。

 そして家族も、喜んでそれに従ったのだろう。

 だろう――いや、実はそれは間違いないのだ、何故ならば――。

 日頃、死と連れ添うを生業とする、現場に駆け付けた救急隊員の全員が、死体を前にして一様に凍り付いたのだから。

 職業意識では無く自らの倫理に屈した彼等は、壁際に寄り添う三体の影、妻を抱く夫、身を委ねる妻、そして同じく軍人であった、二人の間に寄り添う長男。

 余りにも静謐で穏やかな情景を前に、赤子みたいにただ、泣き伏したというのだから。


 復興、宇宙の再開発は爆発的に進捗している。

 艦隊が引き連れてきたメタルたちが嬉々としてその先頭に立ち、強力に牽引している。

 火星移住どころか太陽系近隣の恒星系に向けた入植すら、近い将来に開始されることだろう。

 そうしたかつて夢想だにできなかった深宇宙、遠宇宙に対しての視線が向けられる一方、当然、足元固めとしての太陽系内、殊に地球近傍空間利用、再建は最優先事項だった。


 その日も再建計画の一環、宇宙開発公社に所属する作業船の一隻が、放棄された島の解体準備業務に従事していた。

 男はそれに便乗し、ここに来た。

 公社の職員達と手短に言葉を交わし、別れ、男は歩きはじめる。

 その廃墟――政府の行政中枢を担っていた島は、早期の段階で計画的に放棄され、機能を停止していたがためか、襲撃を免れ、ほぼ往事の原型を留めたままそこにあった。

 解体処分を明日に控え、新たに建造されるそれは以前の一〇倍以上の規模を持つという。

 内部もそれほど荒れていない。

 廃墟の中、男はゆっくりと歩み続ける。

 まったく盛り上がらなかった、あの初デートの順路に沿って。

 そして、展望窓に着いた。

 広がる星空、それだけは今も寸分変わらない。

 凱旋パレードで拍手に包まれ、満面の笑顔で歓呼に応えていたその彼女は、確かによく似ていた。

 カミングス秘書官が辛うじて図ってくれた便宜、渡された封書。『極秘』のスタンプでべたべたになった一枚のペーパーには一言、『特別任務』の一文があった。

 ――行ってしまったんだね。

 男はそっと口にした。

 一度でいい、再びここに立ちたかった。

 儀式は終わった。

 背を向け、静かに立ち去る。


 そして、火星開発は既に宇宙開発最前線、必ずしも、人類存亡の危機を回避するという、かつての最優先課題の達成手段では無くなっていた。先の通り、人類の前途には無限大の方途が既に拓かれていた。

それでも直正は、事業再開につき迷う事なくこれに従事する道を選んだ。

 勘案事項であったテラ・フォーミングも淀みなく進行していた。暫定環境として、当初予定されていたドーム型居住区画整備計画は修正され、入念にデザインされた都市が現在、少しずつ成長を始めている。

 そして今日、直正はこの地に立った。

 太陽系広しといえども随一の、最大規模を持つ山「オリンポス」――その山頂。

 間違いなく、火星有数の観光資源として、ここは賑わうことになるだろう。

 眼下に拡がる赤い荒野もやがては沃野に変わる。

 俺たちが、変えていく。

 ――ミキ、これが見えるか。

 いや、こんなもの霞むような中に、今は居るのかもな。

 独りごちた言葉を聞き付けた様に、

「そんな事ないよ、わあ、絶景だねえ」

 隣で風が囁く。

 ――え。

 直正は振り向いた。

「老けたねえ、直正」

 喉の奥が詰まる。

 声が出ない。

「えーと。アレフがちょっとこっちに用事があるんだって。で、私もちょっと里帰り」

 ミキはぺろりと舌を出し、少しだけ申し訳なさそうな表情で告げる。

「ごめんね、遅くなりました」

 震える手で直正はミキに触れる。

 確かな質感。幻覚でも何でもなかった。

 ――いや、これが俺の幻覚でも構わない。

 伸ばしたその手が、あたたかい感触を掴む。

 その手をミキも、優しく握り返す。

 ミキ。

 正。

 二人は抱き合う、お互いを、強く。

 オリンポス、其処は神々が住まう御所。

 この程度の“奇蹟”くらいなら、既に公認された聖女には相応しい。

 そうじゃないか、なあ諸君、と救星主が微笑んでいるかの様だった。




 前略、読者様 初めまして。


 本作の当初の構想は単純な、“アンチ・ロボット”でした。

 これは別に、偉大な先達者たち、ガンダム、エヴァンゲリオン、大魔神等様々な名作を単純に否定するものではありません。

 然しながら、突き詰めていくとどうしても破綻してしまう感が否めません。


 ご存じかも知れませんが、“二乗三乗の法則”というものがあります。


 2乗3乗の法則(にじょうさんじょうのほうそく)は、工学や生物学などにおいて言及される法則。相似な形状をした2つの物体について、代表長さの2乗に比例する面積に関する物理量と、3乗に比例する体積に関する量とを比較し、このときそれぞれの量の変化の割合も、おおむね2乗と3乗のオーダーとなることを法則と呼んでいる。比較対象となる物理量は、分野や文脈によって異なる。2乗3乗法則、2乗3乗則とも呼ばれる。漢数字で「二乗三乗」と書かれることもある。(ウィキペディアより)


 誰でも一度、幼少時には太古の巨大生物、進化の王者。“恐竜”に興味を持った事がおありかと思います。しかし、この法則を当て嵌めると、では当時の地球は今より重力が弱かったのか?という疑問が出てきます。


 それでも懐かしの“スーパーロボット”はまだいいんです。でもそれがその作品世界の普通の(実験機だろうがワンメイクだろうが)製造物として登場する様になるともういけません。空気より軽い比重、素材ででも造らないと。そしてそれだけの技術があれば、それが“人型”であることの合理性なんて……。


 と、重箱の隅を突っついて喜ぶ様な人間が、なけなしの発想を煎じ詰めて出来上がったのが本作になります。でもこれを発想の起点に据えるのも或る意味古い、謂わば古典、ニュートン物理学的思想の限界でもありますね。もっと現代的な、相対論、量子論的な発想や世界観を採り入れていかないと。そして今度はこちらが「突っつかれる」側に廻る訳でして。なるべく自分好みな整合性を追求しましたが遺漏ありませんように。視点をちょっとズラすと以外な大穴が……恐ろしいものです。


 最後に、どうしても感謝の意を捧げておきたい方々を。

 座長。貴方との出逢いが無ければ「今の」私の人生は有り得ませんでした。

 シルフェニア、読者を含め関係者各位。貴所に受け容れて貰わなければ、とうに活動を停止していた事は間違いありません。有り難うございます。

 そして株式会社文芸社様、今回私の背中を押して下さったF氏、拙い私を手取り足取りここまで導いて下さった担当編集S氏。誠に有り難うございます。

 そして勿論、今これをお読みになっていらっしゃる、あなたへ。


     大橋 博倖



プロフ

生年月日 1967年5月12日

私立本郷高等学校卒業


大石英司 佐藤大輔 谷甲州

戦略御三家 永遠の師匠です。

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sutaba 大橋博倖 @Engu

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