第六章 逃亡者

第19話 任務失敗

 天次とクラスメイトの昼食は、彼女の化けの皮が剥がれると同時に僕をいじめた話で盛り上がるのだろうと踏んでいた僕にとっては予想外の会話展開となっていた。

 

 (どういうことだ……)


 「何をいってんのよ、茅羽。見て見ぬふりをする約束だったじゃない」


 「もう限界、私には無理。ブルーガイアからの指示だからって、彼をいじめなきゃいけないなんて……」


 「けれど、茅羽の事をいろいろ調べているから警戒しろってブルーガイアの人達が言っていたわ。それに、将来的には茅羽に災難を与える存在になる、て……」


 ブルーガイアの発言力に背筋が冷たくなった。

 学校関係者でもない組織の一言により、昨日までただのクラスメイトだった人間を簡単に攻撃できるものなのか。少なくとも、杉谷の雰囲気から察するに洗脳されている様子はない。だからこそ、このブルーガイアという組織の底の見えなさに僕は恐怖を覚えた。

 強大な知らない組織が根付くだけで、故郷だというのに別の惑星もしくは平行世界にやってきてしまったような錯覚に陥った。


 「そんなのあの人達が勝手に言っているだけだよ! 本当なら私だってあんな芸能人みたいな真似したいわけじゃない、地球の為に今だけは分かりやすい偶像になってくれって言われたから――」


 「――ストップストップ! 茅羽、落ち着いて。今ここでは関係ない不満も出てきちゃってるから」


 あ、という声と共に少し静寂が訪れた。


 「お腹空いているから怒りっぽくなるんだよ、お弁当でも食べてリラックスして考えようよ、ね」


 ゆっくりと弁当箱や箸箱を動かす音が聞こえる。僕の位置からは彼女達の表情までははっきりしないが、天次の感情が荒れたままなのは空気の重さから感じ取れた。


 「まさか、まだ水着の件怒っているの? 最初は私だって少し疑問に思ったけど、水着になることで親近感を抱かせる狙いがあったんでしょ」


 杉谷が話題を変えようとしているのは容易に分かったが、根が素直なのか天次はすぐに反応した。


 「親近感? 一部の男性を喜ばせただけのあれ? 水着の件もそうだけど、私がやりたいのは正義の味方なの。写真集を出したりテレビに出たりするのは、芸能人の仕事であって正義の味方のやることじゃない。それなのに化粧を覚えさせられたり、性格を矯正させる研修を受けさせたられり……幼馴染の恵都ちゃんにだけは言うけど、こんなの私らしくない。何より、こんなの私の望んだ正義の味方から遠いよ」


 天次の怒りは本物だった。自分の印象を良くする為に、清楚を気取っている人間の口調ではない。その声には本気の憤りを感じられた。

 しかし、相談相手になるはずの杉谷にはかなり荷が重い話になる。恋愛や進路の相談とはスケールが違うし、凡人である杉谷には天次の目線に立つ事は許されないのだ。

 最初に屋上にやって来た時からは考えられないほど静かな空間になていた。箸と遠慮がちな咀嚼音だけが聞こえていた。


 (どういうことだ)


 気持ちは昼食どころではなくなっていた。

 黒幕だと睨んでいた天次は、むしろ僕を庇おうとしている。

 演技か、いや、僕の直感だが彼女の怒りはとても演技だとは思えなかった。

 これ以降、屋上を後にするまで彼女達の会話が盛り上がることはなかった。

 二人が出て行くのを待ってから食事をしたせいで、昼休みの時間は圧迫されたが、ここで僕が遅刻しても気に留める人は居ないだろう。


 (――いや、天次だけは心配するかもしれない)


 半端な行為だと自嘲しつつも間に合うように急いで昼食を平らげることにした。


               ※


 その日、事件は起きた。そして、この事件は僕のターニングポイントになった。


 「――みんな、いい加減にしてっ!


 始業ギリギリの時間で教室に滑り込もうとした僕の耳に怒声が聞こえ、扉に伸ばしていた手を引っ込めた。そして、そっと扉横の窓から教室を覗き込む。

 教室の中心よりやや外側、僕の席の近くで天次は両手の拳を強く握りクラスメイト達を睨んでいた。


 おいおい一体どうしたんだと注視したらすぐに謎は解明された。

 ようやく戻ってきた僕の机の上には適当な花が挿してある花瓶が置かれていた。この陰湿な光景を目にした天次は激怒したのだ。

 ベタ過ぎる気がするが、ブルーガイアの指示でいじめているならこんなものか。そう僕一人なら鼻で笑うところだが、ここにはどうやら本当に正義の味方という奴が居たらしい、と背筋を伸ばして両足を広げて花瓶の置かれた机を守護するように立つ天次を目にしながら思っていた。


 「ブルーガイアの指示だから、クラスメイトをいじめていいの!? 彼は何も悪いことはしてないでしょう!」


 真剣な天次の表情に思う所があったらしい一部のクラスメイトは視線を泳がせている。

 洗脳の一種かとも考えていたが、僕の居ない間にブルーガイアという組織は本当に強く根付いてるらしい。しかし、冷めた顔で眺めていた女子生徒が声を発した。


 「馬鹿な事を言わないでよ、私達はアンタの為にいじめてやってんでしょ」


 「私のため、に……?」


 「わっかんないわねー。だってそうでしょ、あの転校生はどうあれアンタの事を調べていた。正義の味方を調査する時点でブルーガイアの敵なのよ。私達は、天次様を救いたいだけのブルーガイアの親愛なる協力者なんですー」


 タイミングを待っていたかのように、また一人また一人と声を上げる。


 「そ、そうだ! 天次さんには悪いが、俺達は世界を守る為にやっているんだ!」


 坊主頭の男子が言えば、


 「そうね、私だって本当はこんな事したくない。でも、ブルーガイアは言っていたわ。侵略者はどこに潜んでいるのか分からない、戦う力を持たない市民にはなおさら判断することは困難だもん。だから、ブルーガイアを信じて、彼らの言う通りにしたら、きっと世界は守られるって」


 元気の良さそうな日焼け気味な女子生徒が続いた。

 思わぬ反撃に少したじろぐ天次だったが反論する。


 「今回は転校生だったから良かったとか思っているかもしれないけど、もし今まで過ごしたクラスメイトの誰かを排斥しろと指示されたら従うつもり!? 私は嫌だ! 浅木君をいじめて、ここで大人しく従ってしまったら、みんなの中の誰かを攻撃しなければいけなくなるんだよ! こんな命令だけは絶対に聞いちゃだめだよ! こんなの正義の味方がすることじゃ――」


 「――そこまでだ、天次」


 ヒートアップした天次の言葉を遮ったのは、じっと教壇の上から事の成り行きを傍観していた北原先生だった。

 先生、と言いながら振り返った天次の表情に畏怖が浮かんだのは、相手が担任だからかそれとも。


 「いじめは駄目だというお前の主張は間違いなく正論だろう。しかし、悪には一般常識の正論を語れない。それに、私達は憎いから浅木を傷付けている訳ではない、戦う力を持たない私達なりの地球防衛の一環なんだよ。それに、彼の疑いが晴れたら元通りだ。よく胸に刻んでおくんだ、全て君を守る為の行為なのだと」


 一度は委縮した様子だった天次だが、よほど強い正義感を持ち合わせているのかクラスメイトから担任へと矛先を変えた。


 「では、ブルーガイアの一員としての発言として受け入れてください。どう考えても、こんなのは間違っています。彼は悪事を働いてはいない、そんな人を最初から疑っていては独裁政治をしているのと変わらない。私は己の保身に興味はないのだから」


 「悪事を働くかもしれない、というのが今回の件では重要なんだ。彼が僅かでもその火種を持っているなら、私達で止めなければいけないのが筋というものだろう。クラスのみんなは、ブルーガイアの正義の手伝いをしたいのだよ」


 「そんなもの詭弁だ、こんな事を繰り返していけばいつかは限界が来る。何より、私がこんな行いを求めてはいない! 彼が敵なら正々堂々戦う! もしも敵じゃないなら、他のみんなと同じく全力で守る! 何故なら私は、正義の味方だからだ!」


 ぶつかり合う視線には教師と生徒という関係性は崩壊し、そこには従う者と従わざる者の意思のぶつかり合いが発生していた。

 まさに一瞬即発、ここでの僕の行動は命取りになるかもしれない。さて、どうするか。一番の安全策としてはここから距離を置くことだと思われる。下手に教室に入っても余計に場がこじれるだろうし、最悪話を聞いてしまった以上は制裁措置もあり得るかもしれない。肉体の大半を機械にしてしまっているので、ある程度の拷問は耐えられるかもしれないが、相手がそのスジのプロなら肉体的苦痛以外で責められてしまう可能性だってある。もし仲間を人質でもされるなら、我慢できる自信はない。


 (やっぱり、一番の安パイを選択することにしよう)


 そろりそろりと後退りを始める。

 僕の為に体を張ってくれる天次には悪いが、ここはお互いの為にも退散させていただこう。考えなしに出て行っても、事態は好転することは難しいだろう。いじめっ子がこっそり帰宅しても、ただ一人を除いて気に掛けることはあるまい。

 今日はこのまま帰宅しようと思い腰を曲げた状態で教室の扉から離れようとした――。


 「――きゃっ」


 短い悲鳴、最初は天次の声かと心配したが、そうではないようだ。

 恐る恐る振り返ると、眼鏡を掛けた女子生徒が酷く狼狽した顔で尻餅を付いていた。急に後ろ歩きを始めた僕と廊下を歩いていた彼女とどうやら接触したらしい。ぶつかることそのものは問題じゃない、だが、本来は聞き流してしまうはずの女子生徒のか細い悲鳴は静まり返った教室にまではっきりと聞こえていた。


 「まずいっ」


 教室の扉が開くよりも先に僕は走り出していた。

 走り去る僕の背後から聞こえてきたのは、僕の名前を呼ぶ天次の声と悲鳴と奇声と怒号。その後、何人分かの足音が僕を追いかけてきた。


 「なんだよっ、僕を無視したかと思えば今度は追いかけっこか! 本当に身勝手なクラスメイト達だよ!」


 身体能力は強化されている僕は息を乱すことなく教室の続く廊下を走り抜ければ、そのまま角を曲がり階段を下の踊り場までジャンプで一気に飛び降りた。

 上手に着地できた、痺れもない痛みもない、どれだけ運動神経の良い学生でも僕に追いつくことは容易くはないだろう。

 そのまま踊り場を駆け下りて、他の生徒達の目がないことをはっきりと認識してさらに加速して下駄箱から靴を抜き取りホームルーム前に洗ったばかりの上履きのままで走り抜ける。


 最悪だ、任務失敗だ。

 足を止めて、八つ当たりにいじめた連中をボコボコにしたい衝動に駆られるが、こういう短絡的な行為には、悪の軍団としてのロマンは欠如しているように思えた。

 気持ちに余裕が出てきた僕は最後に短い期間だけ通っていた教室の方に目をやると、北原先生がこちらをじっと無感情な表情で見下ろしていた。正直、――ゾッとした。


 自分のクラスの生徒が教室からエスケープしようとしているというのに、北原先生いや北原は黒色の多い目をぎょろりと動かしてただ僕を見ていた。

 機械のように、昆虫のように、人形の玩具のように、はたまたただ録画するだけの監視カメラのレンズのように、北原の眼差しからは人間らしさや生物としての温もりが一切感じられなかった。そんな北原の姿に、僕は異星人である仲間達からでさえ受けなかった胸がざわめくような印象を受けた。そうだ認めよう、僕はあの男に恐怖したのだ。

 すぐに北原のすぐ横の窓が開くと、そこから顔を出したのは天次だた。ただ心配そうい僕を見つめているが、どんな言葉を発言していいのか分からない様子だった。

 唯一、彼女にだけは後ろ髪を引かれるような思いで僕は全力でその場から逃走した。

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